2011年6月23日木曜日

風流は暗きもの

照明設計に携わる人たちの必読書、
バイブルとされている本をご存知か。
谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』がそれだ。

この小品は日本文化の本質を突いた傑作で、
照明に関しても示唆や刺激に富んでいる。

たとえば漆器の美しさについて著者は、
《……ぼんやりした薄明かりの中に置いてこそ、
始めてほんとうに発揮される》とし、現代において
漆器を野暮ったい雅味のないものにしているのは、
《採光や照明の設備がもたらした「明るさ」のせい
ではないだろうか。事実、「闇」を条件に入れなければ
漆器の美しさは考えられない》

谷崎の言うように、漆器や金蒔絵を蛍光灯の下に
かざしたとて美しくはあるまい。薄明かりの中、
闇に隠れた部分があってこそ、いい知れぬ余情が
生まれるからである。

日本の都市には光があふれている。いや、光の過剰と
いうべきかもしれない。公害ならぬ「光害」なのだ。

その過剰な光が、3.11の震災以降、節電の名目で抑えられている。
キャンドルナイトなどというムーブメントも興ってきている。
夜間の数時間、照明を消してロウソクの下に集まり、
スローな夜を過ごそう、というわけだ。

明るければすべてがよく見えるとはかぎらない。
光の過剰は、かつてボクたちが見ていたものを
見えなくしていることもある。

明るさというものは暗さがあって初めて生きる。
あまりに明るすぎると、「すべてが見えるが、よくは見えない」
という現象を招く。

いつも隣り合わせだった漆黒の闇を
生活の場から駆逐してしまった戦後60有余年。
いま、その反省の時を迎えている。

「風流は寒きものなり」と緑雨は言ったが、
ボクは「風流は暗きものなり」と
いう言葉に置きかえることにする。

4 件のコメント:

帰山人 さんのコメント...

マッタクです。人工衛星や宇宙ステーションから見た夜の日本列島の映像を観るたびに「風前の灯火」という語が頭に浮かびます。
照明に関して戦後60有余年積み上げてしまった最大の失策は、「各居室の天井の中央に取り付けられたシーリングライト(蛍光灯)1つで部屋全体を明るく照らす」という形態だと思っています。渡辺武信氏は「しかしこれは照明計画という観点からすると、最も貧しい形式である」と喝破していますが、さすがにこんなダサイ照明は日本ですらシティホテルでは採用されないワケで…で、出てくる苦情が「部屋が暗い!」ですと。ヤレヤレ、ハイビジョン映像の先を行って(?)肉眼でカミさんに増えていくシワやシミを残念に思って暮らしている我々は、ホテル照明を見倣ってほんのりとした間接照明の中で連れ添いの顔を手探りで認識するべきです。ほーら、サプリもマシンもいりません。
そこを正さないと、屋外の光の過剰ですら、過剰と思わないまま「貧しい」都市で暮らすことになりますネェ。

Nick's Bar さんのコメント...

ROUさん、

こんにちは。

話の行き着く先はやっぱり「電気」なんでしょうか?

人の利便性に鑑み、階段の代わりに「エスカレーター」、ハンカチの代わりに「エアーブロワー」なんて物が巷に溢れてますが、電気不足の煽りを食らって「停止中」の張り紙だらけ・・・

お日様が昇ったら起き、沈んだら寝る。
なんてことはもう絶対無理。

でも、溢れかえった物をちょっと振り返る余裕はまだある、という事に気がついた。

それだけで十分幸福な事ですよ、きっと。

最初から中庸に落ち着くという芸当は、出来ないもんなんだと思います。

ROU.SHIMANAKA さんのコメント...

NICK様

前にも書いたけど、
失ってみて初めて、
そのありがたさに気づく、
ということはよくあります。

「電気」なんてその最たるもので、
日が昇れば起き、日が沈んだら寝る、
なんてブッシュマンみたいな生活は
現代人にはもうできません。

それは『パパラギ』の世界で、
文明人は3歩進んで2歩下がる、
みたいなことをくり返しながら
前進していくしかないのです。

ただし自然エネルギーを活用する、
という生き方は残っているでしょうね。

放射能の汚染水があふれかえる、
という危険と、いつも隣り合わせの
〝進歩〟なら、願い下げにしてほしい
ですな。

ROU.SHIMANAKA さんのコメント...

帰山人様

天井から蛍光灯で部屋全体を
明るくする、というのは
たしかにダサイですが、
あの時代は「明るさ」こそが
文明でした。

灯火管制から解き放たれた
日本人は、あふれんばかりの
光に恋い焦がれていたのです。

しかし蛍光灯に照らされた
愛する人は、肌の色が不健康に
見えました。料理も不味そうでした。

女性も料理も美味しそうに見える照明?
その理屈がわかるまで60有余年かかった
ということなのです。

気づいたときは歯抜けのジジイで、
禁断の木の実もステーキも、
噛めやしない。
人生は非情なのです。