2016年3月1日火曜日

ブルージーンと皮ジャンパー

3月1日、2017年卒の大学生の就職活動が解禁になった。
〝一浪一留〟のダメ学生だった40年前の自分をふと思い出す。

ボクは「就活」なるものをいっさいしなかった。
会社訪問も先輩訪問もしなかった。
(まあ、いざとなったら何とかなるだんべェ……)
ノーテンキにもまるで切迫感がなかった。
他人事みたいにのんびりしていた。

リクルートスーツにも縁がなかった。
「服装で目立とうとしてはいけない」
だから〝黒系〟を選べ、などという「就活の鉄則」も知らなかった。
髪だって長髪のままだったような気がする。

だから筆記試験にしろ面接にしろ、普段どおりのカッコウで通した。
すなわち革ジャンにブルージーンズ姿である。
おかげで、やけに目立った。完全に浮いていた。

その〝空気の読めない、非協調的な、あるいは反社会的なポーズ〟
が、「危ない人」と見定められたのか、受ける先からことごとく落ちた。
企業側は「普段どおりのカッコウでどうぞ」と言ってる割には、
それを真に受けた学生をしっかりふるいにかけていた。

新聞社、通信社、出版社、製薬会社、鉄鋼商社……あとはもう忘れたが、
この田舎出の〝革ジャン男〟は試験を受けるたびに袖にされた。
ある通信社の面接に臨んだら、
「外国語は最低1ヵ国語はしゃべれますよね? できればもう1ヵ国語も……」
と訊かれた。脈はなさそうだったので、
「失礼いたしました」
と、その場からそそくさと立ち去った。

十数社受けてすべて不合格。親の心配顔を見て、さすがに焦った。
敗因分析をしたら「そうだ、背広を買いにいこう!←そっちかよ!
ごく単純な結論に至った。赤点だらけのひどい学業成績を棚に上げ、
敗因をもっぱら革ジャンのせいにした。

急いでデパートへ走り、奮発したのがダーバンの青い吊しのスーツ。
そしてピエール・カルダンの赤いネクタイ。
髪も小ぎれいにカットした。見違えるような貴公子ぶりだった(←自分で言うな)。

おかげで、小さな出版社に合格した。大企業どころか、超零細企業である。
面接時に女社長から、
「あなたはたいそう目立ちたがり屋のようね」とイヤミを云われた。
赤いネクタイを見て、自己顕示欲が強いと思ったのだろう。←大当たり~!
編集部長が、
「君はドイツ文学専攻とあるけど、特にどの作家を研究したんだい?」
「ハイ、実はドイツ文学はからっきしでして、
在学中は小林秀雄ばかり読んでました

すかさず他の面接官が小林秀雄に関する質問を次々と浴びせかけてくる。
ボクは得たりとばかり、的確に応えていく。それはそうだろう、
高校時代からほぼ10年間、小林秀雄一色に染まった生活を送ってきたのだ。
小林秀雄に関することなら女性関係でも何でも知っている。
その一点集中型のこだわりぶりに面接官も強い印象を受けたようすだった。

この小さな出版社には13年間奉職した。
そして独立し、フリーの〝100円ライター〟に。
カミさんは、同じ雑誌の編集部で机を並べていた同僚だ(←「芸がないね」と言わんといて)。
この出版社に就職していなかったら、もちろん娘たちは生まれてこなかっただろうし、
和光市に居を構えることもなかった。つまりバンド仲間やキャッチボール仲間、
それにかわいい〝団地妻たち〟と知り合うこともなかった(笑)。

思えば、すべてが偶然の産物とはいえ、どこか〝運命的〟なものを感じる。
もしも革ジャンにジーンズでなく、就活スーツを身にまとって、地道に会社訪問を
積み重ねていたら……別の会社のサラリーマンとなり、別の女と所帯を持ち、
それなりに幸せに暮らしていたにちがいない。

で、つくづくボクは思うのだ。
いまの生活があるのは、あの「ブルージーンと革ジャンパー
おかげではなかろうか)と。
革ジャン姿で就活し、ことごとく門前払いを食らい、最後の最後、
首の皮一枚で小さな出版社に引っかかった。そのおかげで女房と出会えた。

就活に突入する学生たちよ。
一流企業に入ることだけが人生の最終目標ではあるまい。
食い扶持を稼ぐ場所なんて、どこだっていいのだよ。
富貴を求めるのもけっこうだけど、こんな古諺だってありまっせ。
    立って半畳寝て一畳、天下とっても二合半
そういえば渋谷宮益坂に元相撲取りが経営する「二合半」という居酒屋が
あって、よく通ったな。あの店、まだあるのだろうか。

毎日二合半以上飲んでいるボクなんか零細出版社を経た後、
ほぼ30年間、ずっと1人でやってきた。
カミさんも同じ。ふたりとも腕一本脛一本、ずっとフリーでやってきた。
生活は決して楽とはいえないが、福澤諭吉の「痩せ我慢の哲学」をもろ実践し、
目いっぱいミエを張って生きてきた(笑)。また曲がりなりにも娘2人をぶじ育てた。

自分をいちばん輝かせるにはどうしたらいいか。
人に負けない「something」を何か持っているか。
芸は身を助く、というが、自分が熱中できるsomethingさえあれば、
どうにかこうにか食っていけるものである。

就活なんてあまり〝大ごと〟に考えないほうがいい。
自分で選んだ道を、脇目もふらずまっしぐらに歩んでいけばいいのだ。
目の前に与えられた仕事をバカまじめにこなしていけば自ずと道は開けてゆく。
瞬間、瞬間の選択が、まぎれもない自分だけの道だ。





←この中で「革ジャン+ジーンズ姿」って
けっこう勇気要るよね←ただの「匹夫の勇」だろ!

2 件のコメント:

木蘭 さんのコメント...

しまふくろうさま、こんばんは。(*^-^*)

天下御免の向こう傷ならぬ腕の傷~の木蘭でございます。

「しゅうかつ」とパソコンで打てば、誤りなく「就活」と出てくる時代ですね。

就職活動時代を懐かしく思います。

私は商業高校。
職業高校は就職率がけっこう高かったので、難なく商社に受かりました。
会社のある場所は銀座だったし、
入社当時はやはりスーツを新調して着ていましたが、
制服もあったことからだんだんラフなものしか着なくなり。(^-^;

オーバーオールなんて平気で着ていっちゃったものです。(笑)

お年頃なのにお化粧もせず。

いつもきれいにお化粧していらっしゃる「だいぶ上」の先輩に、
「お化粧くらいしなさい、といつも身近な人に言われているんですけど、あまりしたくなくて」と話したとき、

「あら。いいのよ、若いうちはお化粧なんかしなくても。
そのうち『せざるを得ない』年齢になるんだから」と言って、
からからと笑っていました。

けっきょくお化粧しないまま会社を辞めました。(笑)


確かに「あの時こうなっていたら、今の自分はないかも」と思うことはたくさんあります。

自分の思うような道を歩んでいなくてもそこで様々な経験をする。
ことに「人との出会い」は今の自分と大きくかかわっているものですね。

振り返ってみたとき「いい人生を歩んできたな」と思えるように、
これからも歩んでいきたいものです。(*^-^*)

ROU.SHIMANAKA さんのコメント...

木蘭様
おはようございます。
天下御免の腕の傷、ですか……トホホですね(笑)。

ほんとにまあ、毎日がサプライズ人生で、さぞ退屈しないことでしょうね。

結局、「化粧をしないまま会社を辞めた」というのがすごいな。
ボクが出版社にいた頃にも、社内にいつもスッピンの先輩女性がいました。
深く訊いたことはありませんが、何か信念がおありのようでした。

平安時代の殿上人は白粉を塗り、お歯黒をしていました。
また江戸期の武士たちも、外出時は手鏡と頬紅を持参したといいます。

顔色が悪いと、相手に不快な思いを与え、ややもすると斬り合いになったりするかもしれない。
そんな事態を避けるため、薄く化粧したのだそうです。

ボクは女性の化粧を否定はしませんが、厚化粧は好きではありません。
鈴木その子みたいな白塗り顔を見ると恐怖心をおぼえるのです。

「いい人生だった」と死ぬ間際に思えるように生きたいものですね。
こんな歌を口ずさみながら……
  
   ♪ あなたが咬んだ 細腕が痛い……