毎日、原稿書きでひっちゃかめっちゃかになっている。
飯のタネとはいえ、因果な稼業で、毎度のことながら憂鬱な日々を過ごしている。
むかしはペン、いまはパソコンで書く。でもピアノ弾きみたいに
両手を使えないので往生している。手指の活用比率からすると
左手10%、右手90%という感じだろうか。あまりのバランスの悪さで、
やけに肩が凝る。それに毎度のことながら右手首が腱鞘炎になったみたいに痛い。
長時間坐っているから腰も痛いし、眼も疲れる。
だから時々は、バランスボールに身体をあずけ、エビ反りをして背筋を伸ばす。
あるいは足首に1.5㎏のウェイトを着け、近くの公園内で自転車をこいでくる。
爽やかな風に吹かれながら、
♪ サイクリング、サイクリング、ヤッホー、ヤッホー……
なんて歌っていると、頭の中がリフレッシュされ、「さあもうひと踏んばりだ」と
仕事に集中できる。原稿を書くというのは、一にも二にも集中力が大事で、
それを欠くと、たちまちロクでもない文章ができあがる。
もともとボクの原稿なんてロクでもないものなのだが、
あんまりひどくなると肝心の銭がもらえなくなる。
だからもらえそうなギリギリのところでがんばって書いている。
いまは午前10時。トマスはまだ寝ている。先週の日曜は昼になってようやく
起きてきた。遅いじゃないかと叱ったら、
「チェコでは午後1時をまわって初めて遅いといいます」
などと平然という。口だけは減らないやつだ。
むかしはもっぱら深夜に書いていた。が、いまはそれができない。
10時過ぎるともう眠くなってしまうからだ。その代わり朝が早い。
6時にはもう起きていて、先日は4時に目が覚めてしまった。
しかたがないから、近所をぐるりと自転車で走ってきた。
時に、頭が冴えて気の利いた文句がポンポン出てくる時がある。
しかし、できあがった原稿は必ずしもよくはない。
テンションが高すぎて、表現がオーバー過ぎるのだ。
よい原稿を書くコツは、平常心で淡々と書くこと。
東海林さだお風にいうと、ひたすら淡々と書くから
〝ひたたん書き〟とでも称すべきなのかもしれない。
一方、酔って書くと、しばしば〝That's awesome!〟と叫びたくなる
ようなフレーズを思いつくことがあるが、あとで読み返してみると、
たいていガッカリする。やはり文章も酔っぱらっていて、どこか千鳥足なのだ。
これでは使いものにならない。
ラブレターを思い起こしてもらえればわかる。
深夜に書いたラブレターを翌朝読み返すと、
恥ずかしさのあまり首を括りたくなってしまう。だから、
「この手紙は深夜零時に書いたものなので、君も同じ時刻に読んでね」
と、事前に連絡しておくといい(←これも手紙でか?)。
夜はつい気分が高揚してしまって、文章まで妙に気取ったものに
なったり、ピョンピョン跳ねたような陽気すぎるものになってしまう。
だから相手にも同じような環境の中で読んでもらうのだ。
文はその人のその時々の気持ちを正直に映し出してしまう。
〝文は人なり〟といわれるゆえんなのである。
素人の書いた文章がダメなのは力みすぎているためだ。
特にオトコと称するややこしい種族は、
「おれはこんな難しい漢字だって知ってんだぞ!」
とばかり、難解な漢字や四文字熟語をやたら使いたがる。
自分がいかに優秀な人間であるか見せつけるためだ。
漢字が多い文章は全体に黒っぽく見える。
それに角張り尖っている分だけ読みづらい。
だから適宜「かな文字」に開いてやる。すると文が白くなる。
力まず気負わず、肩の力を抜いて淡々と書く。
泥のように晦渋な言葉はできるだけ避ける。
いつも平易な文章を心がけ、文全体を白っぽくする。
ボクはこんなふうにして〝ライター稼業〟をやってきた。
40年もやっていれば、力みは自然と消えてなくなる。
どう転んでも自分を超えた文章は書けないので、
半分開き直り、素直な文章を心がけている。
原稿のデッドラインは今月末。
いまようやく半分のところまで来た。
これからがほんとうの正念場だ。
←わが家のバルコニー(5階)から見た
団地内の景色。この赤や黄の花は
ポーチュラカ。書斎からこの景色を
眺めながら原稿を書いている。緑が
多いと心が和みます
飯のタネとはいえ、因果な稼業で、毎度のことながら憂鬱な日々を過ごしている。
むかしはペン、いまはパソコンで書く。でもピアノ弾きみたいに
両手を使えないので往生している。手指の活用比率からすると
左手10%、右手90%という感じだろうか。あまりのバランスの悪さで、
やけに肩が凝る。それに毎度のことながら右手首が腱鞘炎になったみたいに痛い。
長時間坐っているから腰も痛いし、眼も疲れる。
だから時々は、バランスボールに身体をあずけ、エビ反りをして背筋を伸ばす。
あるいは足首に1.5㎏のウェイトを着け、近くの公園内で自転車をこいでくる。
爽やかな風に吹かれながら、
♪ サイクリング、サイクリング、ヤッホー、ヤッホー……
なんて歌っていると、頭の中がリフレッシュされ、「さあもうひと踏んばりだ」と
仕事に集中できる。原稿を書くというのは、一にも二にも集中力が大事で、
それを欠くと、たちまちロクでもない文章ができあがる。
もともとボクの原稿なんてロクでもないものなのだが、
あんまりひどくなると肝心の銭がもらえなくなる。
だからもらえそうなギリギリのところでがんばって書いている。
いまは午前10時。トマスはまだ寝ている。先週の日曜は昼になってようやく
起きてきた。遅いじゃないかと叱ったら、
「チェコでは午後1時をまわって初めて遅いといいます」
などと平然という。口だけは減らないやつだ。
むかしはもっぱら深夜に書いていた。が、いまはそれができない。
10時過ぎるともう眠くなってしまうからだ。その代わり朝が早い。
6時にはもう起きていて、先日は4時に目が覚めてしまった。
しかたがないから、近所をぐるりと自転車で走ってきた。
時に、頭が冴えて気の利いた文句がポンポン出てくる時がある。
しかし、できあがった原稿は必ずしもよくはない。
テンションが高すぎて、表現がオーバー過ぎるのだ。
よい原稿を書くコツは、平常心で淡々と書くこと。
東海林さだお風にいうと、ひたすら淡々と書くから
〝ひたたん書き〟とでも称すべきなのかもしれない。
一方、酔って書くと、しばしば〝That's awesome!〟と叫びたくなる
ようなフレーズを思いつくことがあるが、あとで読み返してみると、
たいていガッカリする。やはり文章も酔っぱらっていて、どこか千鳥足なのだ。
これでは使いものにならない。
ラブレターを思い起こしてもらえればわかる。
深夜に書いたラブレターを翌朝読み返すと、
恥ずかしさのあまり首を括りたくなってしまう。だから、
「この手紙は深夜零時に書いたものなので、君も同じ時刻に読んでね」
と、事前に連絡しておくといい(←これも手紙でか?)。
夜はつい気分が高揚してしまって、文章まで妙に気取ったものに
なったり、ピョンピョン跳ねたような陽気すぎるものになってしまう。
だから相手にも同じような環境の中で読んでもらうのだ。
文はその人のその時々の気持ちを正直に映し出してしまう。
〝文は人なり〟といわれるゆえんなのである。
素人の書いた文章がダメなのは力みすぎているためだ。
特にオトコと称するややこしい種族は、
「おれはこんな難しい漢字だって知ってんだぞ!」
とばかり、難解な漢字や四文字熟語をやたら使いたがる。
自分がいかに優秀な人間であるか見せつけるためだ。
漢字が多い文章は全体に黒っぽく見える。
それに角張り尖っている分だけ読みづらい。
だから適宜「かな文字」に開いてやる。すると文が白くなる。
力まず気負わず、肩の力を抜いて淡々と書く。
泥のように晦渋な言葉はできるだけ避ける。
いつも平易な文章を心がけ、文全体を白っぽくする。
ボクはこんなふうにして〝ライター稼業〟をやってきた。
40年もやっていれば、力みは自然と消えてなくなる。
どう転んでも自分を超えた文章は書けないので、
半分開き直り、素直な文章を心がけている。
原稿のデッドラインは今月末。
いまようやく半分のところまで来た。
これからがほんとうの正念場だ。
←わが家のバルコニー(5階)から見た
団地内の景色。この赤や黄の花は
ポーチュラカ。書斎からこの景色を
眺めながら原稿を書いている。緑が
多いと心が和みます
4 件のコメント:
嶋中労さま
こんにちは!
悟りの世界ですね。どこにも引っかからずに『淡々と書く』。
なかなか出来ないこと思います。
普通の人はこう書いたら読み手はどの様に感じ取るだろうかと
考えてしまいがちです。現に田舎者もそうだからです。
別な表現をすると文章にもその人が表れているということに
なりますね。自分自身注意しなくてはいけません。
コメントを書くのも難しいものです。
田舎者さま
書き忘れましたが、大事なことがありました。
よい文章は「足し算」ではなく「引き算」だということ。
素人は形容詞や副詞などをベタベタつけて文を飾ろうとします。
しかしプロはその逆で、できるだけ文章をスリムにしようとします。
余計な飾りを削って、簡潔な文にする。
このことは、何百、何千枚の原稿を書くうちに自然と学びます。
シンプルでスリムな文章を心がけることが文章家への近道です。
嶋中労さま
こんばんは!
引き算ですか。
料理や人間関係と同じですね。
難しいと想うと難しく成ります。
どうしたらいいのでしょうか。
ふー!
田舎者さま
西洋料理が足し算で、日本料理が引き算、
なんて話は聞いたことがあります。
人間関係はどうなんでしょう。
複雑すぎて一概には言えませんね。
いずれにしろ自分を飾らず、地のままをさらりと出して、
裏表なくつき合う、ということではないでしょうか。
あの良寛の歌、
うらをみせ おもてをみせて 散るもみじ
のようにね。
ボクはいつもそう心がけ、シンプルに生きています。
コメントを投稿