2015年2月2日月曜日

善意さえあれば何ごとも許されるのか

フリージャーナリストの後藤健二氏が無惨にも殺されてしまった。
外務省はシリアへの渡航を事前に察知し、何度も中止するよう要請したが、
叶わなかった。「退避勧告」を無視して殺されたのだから「同情の余地なし」とする
批判的意見も多い。ボクもその批判者の一人で、「自ら責任をとる」と公言した割には、
あまりに〝無責任〟過ぎる結果に終わった、という外ない。

一国の首相の外遊日程が変更を余儀なくされ、人質解放を最優先するあまり
重要案件の山積する国会審議もままならぬほどだったのだから、
彼らの死は相当高くついた。残された家族のことを思うと心中察して余りあるが、
ひとりのタックスペイヤーとしては、
(政府と国民にどれだけ迷惑かけたと思ってんだ、この大バカ野郎め!)
と死者にムチ打ちたい気持ちでいっぱいになる。

戦場におけるこどもたちの悲惨な実情を広く天下に知らしめたい――。
その燃えるような熱情と記者魂は見上げたものである。
しかしボクはあえて問いたいのだ。
動機が「崇高」で、そこにあふれんばかりの「善意」さえあれば、
何をやっても許されるのか、と。

どこかの大学教授は、
「援助を誇って国民を死なせ、、何が正義か!」
と、安倍首相による中東各国への人道支援を批判していたが、
的外れもいいとこだ。朝日・毎日といった反日新聞を読んでいると、
概ねこのような意見に染まりやすいのだが、こうした皮相浅薄な
考えを持った人間がけっこうな数に上るのだから、ほとほとイヤになる。


話はまったく変わるが、「漢字」の語源と成り立ちについて少し。
『字統』や『字訓』などで知られる漢字学の権威・白川静氏をご存じだろうか。
手元にある『字統』をぺらぺらめくっていたら、
漢字ってけっこう血なまぐさいものだな、とあらためて思った。

たとえば、「」という文字。『字統』にはこうある。
《異族の首を携えて、外に通ずる道を進むこと》
外界に通じる道は異民族や邪悪な霊にふれるところ。
だから厳重にお祓いをし、除霊しなくてはならない。
そのため、境界のところには呪禁(邪霊を祓うまじない)として
敵の屍を木にかけたり、敵の生首を埋めたりした。

」という字は横にわたした木に吊した(敵方の)死者の字形で、
」は木にかけた屍を木の枝などで打つ行為を表している。
屍のもつ呪禁の力をいっそう高めるため、異族との境界に置いた死体を
木の枝で叩き、呪霊を刺激することでパワーを増強させ、邪霊を追い払う。
この儀式を示す文字が「放」の意味するところなのである。
「放送」とか「放出」とか、日頃何気なく使っている「放」という漢字には、
こんなおどろおどろしい意味がひそんでいたのである。

もうひとつは「」という文字。
この意味は、戦場で倒した敵の左耳を切り取ること
たしかに「取」の字には左側に耳という偏(へん)がある。
戦功は切り取った耳の数で決まり、凱旋の折、その耳を廟に献じるのである。
これが転じて、ものを獲得する意となり、妻を娶る(女を取るの字形)意ともなった。

豊臣秀吉も朝鮮出兵の際、諸将に向かってこう命じたという。
「朝鮮に渡って、日本人の数ほど敵を殺し、耳を切って差し出せ」と。
兵たちは手当たりしだい敵を殺し、耳を切り、鼻を削いだ。
そしてそれらを軍功の証しとして秀吉に献上したのである。
これじゃあ秀吉が朝鮮人にきらわれるわけだ。

もっとも朝鮮人だってひどいことをした。
「元寇」は日本にとって最大の国難だったが、
元軍とはいえ、主力は高麗兵(朝鮮人)でモンゴル兵は指揮官だった。

高麗兵の残虐さには目に余るものがあった。
対馬に攻め入った高麗兵は老人や子どもを斬り殺し、女たちは生け捕りにして
全員手のひらに孔をあけ、縄を通し、船舷(ふなべり)につなげた。
後年、ベトナム戦争でも目を蔽わんばかりの残虐性を発揮したものだが、
高麗兵の子孫だと思えば少しも不思議なことではない。
彼らはベトナムの村々を次々と襲い、女性を強姦するだけでなく、妊婦の腹をさき、
こどもたちの首と手足を切断した。二言目には日本に向かって「正しい歴史認識を」
と説教を垂れる韓国だが、彼の地の歴史教科書には、この凄惨な事実が正確に
記されているのだろうか。

湯川氏や後藤氏が首を刎ねられたのは、まことに慚愧に堪えない。
が、イスラム国と称する〝ゴロツキ集団〟を残虐非道と糾弾できるほど、
われら〝先進国?〟の人間が文明化されているとは到底言いがたい。

殺された日本人の人質2人を〝大バカ野郎!〟と批判はした。
しかしそれでも彼らの霊を弔うくらいの〝善意〟は持ち合わせているつもりだ。
謹んで合掌。







←白川静先生の書斎。
汚らしいところはボクのと
そっくり。ご同慶の至りである






4 件のコメント:

サム さんのコメント...

嶋中労様

先の小泉首相同様に、米国の威を借りる、いや操り人形に過ぎない安部ちゃんはISに対して、テロに屈しないなどと吠えておりましたが、この事件によって今後の日本がどうなるのかを考えなくてはなりません。

ISによるジャーナリスト殺害(首狩り族の如く)は、米国、カナダ、英国、日本と続いて来ました。小生はISなど米国CIAによるBLACK OPERATIONだと睨んでおります。
つまり米国による自作自演のショーが展開中で、その渦中に日本も否応無しに巻き込まれてしまった、いや、そのようにさせられたと考えております。

イスラム教に言及すると、紙幅が足りないので触れませんが、そもそもイスラム原理主義者などというのは、キリスト教徒とは異なり存在しません。欧米メディアも自国民達を騙す為に、イスラム教徒は狂信的であるというイメージ創りに躍起です。

既にその成果はヨーロッパ諸国に蔓延しております。19世紀の帝国主義のツケが、宗主国であったヨーロッパの主要諸国に移民が流入し、その多くがイスラム教徒である事実。

9.11以降の悪役は、かつてのソビエトに代わって、イスラム教の聖戦者という演出になっており、今回の事件によって、米国主導の対テロ戦争と言う虚構な事柄に日本も駆出されることになった。

今回犠牲となった日本人ジャーナリスト二人は、日本を巻き込むために、単なる捨て駒として利用されたと思われます。
自分の役割がなんであるのか、何も知らず殺された二人に、ただただ合掌です。

ROU.SHIMANAKA さんのコメント...

サム様
外は雪。寒いですね。ボクは今、谷崎の『陰翳礼讃』を読み返しています。雪の降る日にはこうした雅致のある文章が心に沁みますね。

さて、アラブの世界では雅致どころか無粋極まりない事件が立て続けに起こっています。二人の邦人も犠牲になりました。

これら一連の騒動の裏には米国情報機関が
暗躍していて、その捨て駒としてウブな日本人が利用された、とサムさんは見るわけですね。

ウクライナ危機やイスラム国問題の裏には、なんとバチカンの世界戦略があって、イスラム原理主義を封じ込めカソリックの復権をめざす、なんて話も聞こえてきますから、米国CIAの陰謀とする見方があってもおかしくないでしょうね。

でも、ボクはこうした考え方には与しません。立場や見方が異なれば、自ずと歴史は異なります。歴史は複眼的に眺め、アナロジカルに考えることが大事ですが、広く知られた事象の裏には、かならず陰謀や策謀があるとする〝陰謀論〟はボクの趣味ではないのです。

異論・反論、何でもOKです。
原理主義者ではないので、意見の異なるものの首をちょん切ったり、火あぶりにしたりはいたしませんので、遠慮なくどうぞ。

なんだか外は積もりそうな気配ですね。
明日は雪かきかな。腰を悪くしそうで憂鬱です。

迂塞齋 さんのコメント...

この一連のISIL(政府見解に基づき、腐れメディアのように「イスラム国」なる表現はいたしません)関連報道に一言。

愚生は平和主義の愛国者でありますので、戦争ごっこの好きなオトナになれないオッペケペーがホンモノの戦地に勝手に赴き囚われの身となり、義侠心を勘違いしたジャーナリストと称するアンポンタンがそれを追いかけて更に囚われの身になったことに対して、憤りを感じる次第です。結果、そのお二方は命を落とすこととなった事象に対しては労師同様、僅かですが哀悼の意を表しますが、あくまでも「僅か」であり、彼らが国家に与えた損害は死を以て償うに値すると考えます。

むしろ、メディアの態度・・・命は重さを訴えながら、実は同時期に発生した老人や小学生の殺人事件に関する報道はほとんどなく、更には、今年間3万人にのぼる自死に関わる報道すらなく・・・には憤りを感じております。そうやって失われた命も「ひとつの命」であることを愚民に理解させまいとしているようにしか感じられません。

我が国に足りないのは、パトリオティズム。その言葉を使おうものなら即座に軍国主義者扱いをし、汚い物でも見るように扱われるのは何故でしょうか?それは、我が国における国際理解教育の欠如そのものです。愚生にできることは「地球市民」という発想を街外れの祠から細々と発信するだけではありますが、今後も蟷螂の斧よろしく勝手にホザきまくることにいたします。

ROU.SHIMANAKA さんのコメント...

迂塞齋様
お寒ゥございます。

戦争ごっこの好きなオッペケペーはよかったな。それにしても、いつもながらユーモアたっぷりで、大兄の深い教養がうかがい知れます。

さて、Y氏やG氏の死に対して「わずか」な哀悼の意を表する、と半ばヤケクソ気味に書いてありますが、ボクもまったく同じ。

人非人と思われるのも癪ですから、
形ばかりの悔やみを言っただけのことで、
ホンネは「わずか」どころか、
少しも同情していないのです。
ボクは心が冷たいのです。

メディアの欺瞞に関しては大兄に賛成。
彼らは二言目には〝命の重さ〟について
説教がましいことを言いますが、
命より重いものだってあるんです。
人間の尊厳とか誇りとか……

男装の麗人と呼ばれた川島芳子は、
清朝は粛親王の第14王女ですが、旧松本
藩士・川島浪速の養女となって芳子と名を
改めます。

跡見学園から松本高女に進み、戦時中は
満州国樹立に向けて活躍しました。

しかし日本の敗戦後は、漢奸の汚名を着せられ銃殺されました。
《彼女は貴婦人のように眉ひとつ動かさず、誇り高く死んでいった》
と北京市民に伝えられています。

またある本には、
《3歳から日本人として育てられたから、彼女もまた真の日本人なら誰でもするようにしたのだ》
とあり、北京市民が同情の涙を流したと報じています。

ボクも大兄と同じくパトリオットを自任していますが、たしかに愛国者などと言うと、うさんくさい目で見られますね。
あれって、何なんでしょうね。

人間の命なんて鵞毛のように軽いもの。
ただし「誇り」の目方は決して軽いもの
ではありません。