ボクは自著の中で《化粧の厚さと知性は反比例する》と書いたことがあります。
もちろん女性のことですが、残念なことに、この〝公理〟をみごと裏切ってくれる
ような女性に、生まれてこの方、会ったことがないのです(スミマセン)。
昔から厚化粧の女性を敬遠してきたためなのか、いや正確に言うと化粧という行為
そのものに嫌悪感を抱いてきたためか、極端な話、京の舞妓や白塗りの歌舞伎役者
でさえ軽侮の対象でありました。昔のチャンバラ映画でも、阪妻(ばんつま)などが活躍して
いた時代は、やはり主役の色男は白塗りべったりのメイクで、ボクはこのしっくいを
塗りたくったような顔が出てくると、ついクスリと笑ってしまったものであります。
貴種流離譚的な題材だと、貴種もしくは貴種もどきを白塗りにしてしまうのは
なんとなく分かるのですが、鈴木その子みたいに異様なまでに白塗りにした顔を見ると、
つい違和を感じてしまうのです。もっとも、明治時代の日本を縦走した英国人女性
旅行家・イサベラ・バードは、日本人の矮軀と顔つきの貧相さにひどく驚いている
くらいですから、いっそのこと顔全体を仮面みたいに白く塗りたくってしまったほうが
救われるのかもしれません。
舞妓ならぬ江戸期の吉原やそれに準ずる岡場所などで春をひさいでいた遊女たちは
なぜ顔や襟、両の手を白く塗ったのか。その答えは谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』の中に
ありました。「照明」です。まだ電気がなかった時代の照明を想像してみてください。
歌舞伎の舞台でもロウソクやカンテラでわずかに舞台を照らしていたに違いありません。
近代的照明設備の明かり煌々たる舞台に立たせれば、いかな妖艶な女形でも、
男性的なとげとげしい線が目立つに違いありませんが、昔は暗さがそれを適当に
覆い隠してくれました。
《文楽の人形浄瑠璃では明治になってからも久しくランプを使っていたものだが、
その時分の方が今より遙かに余情に富んでいたという……なるほどあれが
薄暗いランプで照らされていたならば、人形に特有な固い線も消え、てらてらした
胡粉(ごふん)のつやもぼかされて、どんなにか柔らかみがあったであろうと、
その頃の舞台の凄いような美しさを空想して、そぞろに寒気を催すのである》
谷崎はさらに言います。
《美は物体にあるのではなく、物体と物体のつくり出す陰翳のあや、明暗にあると考える。
夜行の珠も暗中に置けば光彩を放つが、白日の下に曝せば宝石の魅力を失うごとく、
陰翳の作用を離れて美はないと思う》
『陰翳礼讃』の中にはこんな一条もあります。
《先年、竹林無想庵が巴里から帰ってきての話に、欧州の都市に比べると
東京や大阪の夜は格段に明るい。巴里などではシャンゼリゼエの真ん中でも
ランプを灯す家があるのに、日本ではよほど辺鄙な山奥へでも行かなければ
そんな家は一軒もない。恐らく世界じゅうで電灯を贅沢に使っている国は、
亜米利加と日本であろう》
この一文は昭和8年に掲載されたものですが、
昭和初期にして日本は〝光害〟をまき散らしていた、
というのですから驚きです。
ようやく謎が解けました。
花街の遊女たち、歌舞伎の女形、文楽の人形浄瑠璃、能楽の衣裳、
僧侶がまとう金襴の袈裟、そして金蒔絵が施された漆器類……。
それらすべてが、ぼんやりとした薄明かりの中に置いて初めて、
その美しさを発揮すると――絢爛豪華な模様も「闇」に隠してしまえば、
いい知れぬ余情が自然と生まれ出る。そこには一種の神秘性や
禅味さえも感じとれるのであります。
逆に言いますと、「光害」の国にあっては、舞妓も歌舞伎役者も白塗りメイクに
訣別し、近代照明の恩恵にあずかるような、ごく自然な化粧法へと転換すべき
なのではないでしょうか。そのことによって伝統を損なうとは到底思えないのですが、
みなさんはいかがお考えでしょうか。
一方、鈴木その子やデヴィ・スカルノ第3夫人などは、失礼ながら『陰翳礼讃』を
お読みではないのでしょう。読まれていたとしたら、テレビスタジオのあの
ケバケバしい照明の下に自らの醜い白塗り顔を曝すはずがありません。
もしも行灯のかそけき光の下であったなら、彼女たちもさぞかし複雑な
余情を醸したに違いありません。
厚化粧を好む女性たちは、思いきって電力事情の悪い北朝鮮に渡ったらどうでしょう。
闇が支配する国に置かれれば、必ずやその美が輝きを増すことでありましょう。
黒柳徹子に小林幸子、叶恭子に八代亜紀、そして美輪明宏にデーモン小暮閣下。
み~んな北朝鮮の将軍様の前で「喜び組」と共に妖艶な美しさを振りまいてくださいまし。
←あんまり礼讃したくはないオバサンですが、
ほのぐらい行灯の下に置けば、
にわかに輝き出すかもしれません。
ああ、白塗りバンザイ!
もちろん女性のことですが、残念なことに、この〝公理〟をみごと裏切ってくれる
ような女性に、生まれてこの方、会ったことがないのです(スミマセン)。
昔から厚化粧の女性を敬遠してきたためなのか、いや正確に言うと化粧という行為
そのものに嫌悪感を抱いてきたためか、極端な話、京の舞妓や白塗りの歌舞伎役者
でさえ軽侮の対象でありました。昔のチャンバラ映画でも、阪妻(ばんつま)などが活躍して
いた時代は、やはり主役の色男は白塗りべったりのメイクで、ボクはこのしっくいを
塗りたくったような顔が出てくると、ついクスリと笑ってしまったものであります。
貴種流離譚的な題材だと、貴種もしくは貴種もどきを白塗りにしてしまうのは
なんとなく分かるのですが、鈴木その子みたいに異様なまでに白塗りにした顔を見ると、
つい違和を感じてしまうのです。もっとも、明治時代の日本を縦走した英国人女性
旅行家・イサベラ・バードは、日本人の矮軀と顔つきの貧相さにひどく驚いている
くらいですから、いっそのこと顔全体を仮面みたいに白く塗りたくってしまったほうが
救われるのかもしれません。
舞妓ならぬ江戸期の吉原やそれに準ずる岡場所などで春をひさいでいた遊女たちは
なぜ顔や襟、両の手を白く塗ったのか。その答えは谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』の中に
ありました。「照明」です。まだ電気がなかった時代の照明を想像してみてください。
歌舞伎の舞台でもロウソクやカンテラでわずかに舞台を照らしていたに違いありません。
近代的照明設備の明かり煌々たる舞台に立たせれば、いかな妖艶な女形でも、
男性的なとげとげしい線が目立つに違いありませんが、昔は暗さがそれを適当に
覆い隠してくれました。
《文楽の人形浄瑠璃では明治になってからも久しくランプを使っていたものだが、
その時分の方が今より遙かに余情に富んでいたという……なるほどあれが
薄暗いランプで照らされていたならば、人形に特有な固い線も消え、てらてらした
胡粉(ごふん)のつやもぼかされて、どんなにか柔らかみがあったであろうと、
その頃の舞台の凄いような美しさを空想して、そぞろに寒気を催すのである》
谷崎はさらに言います。
《美は物体にあるのではなく、物体と物体のつくり出す陰翳のあや、明暗にあると考える。
夜行の珠も暗中に置けば光彩を放つが、白日の下に曝せば宝石の魅力を失うごとく、
陰翳の作用を離れて美はないと思う》
『陰翳礼讃』の中にはこんな一条もあります。
《先年、竹林無想庵が巴里から帰ってきての話に、欧州の都市に比べると
東京や大阪の夜は格段に明るい。巴里などではシャンゼリゼエの真ん中でも
ランプを灯す家があるのに、日本ではよほど辺鄙な山奥へでも行かなければ
そんな家は一軒もない。恐らく世界じゅうで電灯を贅沢に使っている国は、
亜米利加と日本であろう》
この一文は昭和8年に掲載されたものですが、
昭和初期にして日本は〝光害〟をまき散らしていた、
というのですから驚きです。
ようやく謎が解けました。
花街の遊女たち、歌舞伎の女形、文楽の人形浄瑠璃、能楽の衣裳、
僧侶がまとう金襴の袈裟、そして金蒔絵が施された漆器類……。
それらすべてが、ぼんやりとした薄明かりの中に置いて初めて、
その美しさを発揮すると――絢爛豪華な模様も「闇」に隠してしまえば、
いい知れぬ余情が自然と生まれ出る。そこには一種の神秘性や
禅味さえも感じとれるのであります。
逆に言いますと、「光害」の国にあっては、舞妓も歌舞伎役者も白塗りメイクに
訣別し、近代照明の恩恵にあずかるような、ごく自然な化粧法へと転換すべき
なのではないでしょうか。そのことによって伝統を損なうとは到底思えないのですが、
みなさんはいかがお考えでしょうか。
一方、鈴木その子やデヴィ・スカルノ第3夫人などは、失礼ながら『陰翳礼讃』を
お読みではないのでしょう。読まれていたとしたら、テレビスタジオのあの
ケバケバしい照明の下に自らの醜い白塗り顔を曝すはずがありません。
もしも行灯のかそけき光の下であったなら、彼女たちもさぞかし複雑な
余情を醸したに違いありません。
厚化粧を好む女性たちは、思いきって電力事情の悪い北朝鮮に渡ったらどうでしょう。
闇が支配する国に置かれれば、必ずやその美が輝きを増すことでありましょう。
黒柳徹子に小林幸子、叶恭子に八代亜紀、そして美輪明宏にデーモン小暮閣下。
み~んな北朝鮮の将軍様の前で「喜び組」と共に妖艶な美しさを振りまいてくださいまし。
←あんまり礼讃したくはないオバサンですが、
ほのぐらい行灯の下に置けば、
にわかに輝き出すかもしれません。
ああ、白塗りバンザイ!
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