2014年11月22日土曜日

健さんは稀代の人たらし

高倉健は紛(まが)うかたなきダイコンなり、などとずいぶん憎まれ口をたたいてきたが、
ボクは〝健さん〟という男が心の底から好きなんだ、ということが改めて分かった。
何度も言うが、演技はからっぺたで、いつも一本調子。愚直で不器用な男を演じたら
天下一品、などと世辞をいうものがあるが、なに、ただ眉間に皺寄せて木偶(でく)のように
突っ立っているだけで、およそ演技といえるような代物ではない。

マイケル・ダグラスや松田優作などと共演した『ブラックレイン』では、刑事役の高倉が
凶悪犯を演じた松田優作に完全に食われていた。松田がアンディ・ガルシア演じる
刑事の首を日本刀で刎ねるシーンは圧巻で、あの時の松田の〝狂った目〟は今でも
まざまざと目に焼きついている。撮影当時、松田はすでにガンに侵されていたが、
そのことはひた隠しに隠していたという。松田の次回作にはロバート・デ・ニーロとの共演が
予定されていたが、残念ながらこの『ブラックレイン』が松田の遺作となってしまった。

高倉の演技を撮影する際にはNG(no good)がないのだという。
本番では1テイクしか撮らせないからだ。なぜか? 
これは某ブログからの引用だが、
「余計なテクニックを排し、最小限の言葉で、演じる人物の心にこみ上げる
その瞬間の心情を、セリフや動きで表現したいから――」
事実、高倉自身、
《俳優にとって大切なのは、造形と人生経験と本人の生き方
生き方が出るんでしょうね。テクニックではないですよね》
と言い切っている。

〝心の演技〟はそう何度もできるもんじゃない。だから本番では1テイクのみ。
お吸い物も「一番だし」で、ビールも「一番搾り」、女房だって取っかえ引っかえではなく
初婚の江利チエミの1テイクのみ。健さんは二番だしや二番煎じがきらいなのだ。

健さんは無口どころかよくしゃべる男だったという。
撮影を見物している地元の人たちにも気軽に声をかけ、
世話になった旅館の女将などには、あとで丁寧な手紙を送ったという。
あの〝天下の高倉健〟から直筆サイン入りの手紙をもらったら、
誰だって感激する。手紙は額に入れられ、その家の家宝となるだろう。
司馬遼太郎は豊臣秀吉を日本史上最高の〝人たらし〟と評したが、
高倉健もまた稀代の人たらしではなかったか

《人生で大事なものはたったひとつ……心です》
こういう書生っぽいセリフはなかなか吐けるもんじゃない。
ボクなんか〝泥(でい)〟のごとく酔っぱらっていても恥ずかしくて言えやしない。
このセリフ、健さんだから吐けるし、健さんだからサマになる。

プライベートなことはほとんど語らず、「不器用ですから」というパブリックイメージに
対し、《そんなことはねぇよって、どっかで思ってますけどね……》と語りながらも、
そのイメージに生きた高倉健。死ぬ時も人知れずすっと消えていってしまった。
この消え方が、作家・藤沢周平の言葉にどこかシンクロしている。

藤沢は『周平独言』の中でこう言っている。
《私は所有する物は少なければ少ないほどいいと考えているのである。
物をふやさず、むしろ少しずつ減らし、生きている痕跡をだんだんに削りながら、
やがてふっと消えるように生涯を終わることが出来たらしあわせだろうと
時どき夢想する。――》

英雄豪傑ではなく、無名の下級武士を好んで描いた藤沢の小説に、
主調低音のように流れているのは、
どんな人物にも「人それぞれに花あり」という温かい眼差しだ。
この優しい眼差しは高倉健の無骨な生き方や人との接し方などからも
ひしひしと感じられる。高倉は姿勢正しく、心やさしい男だった。
あらためて合掌。



←歳を取ってもカッコいい健さん。
日本男児のホマレですな。

2 件のコメント:

木蘭 さんのコメント...

しまふくろうさま、こんばんは。(^^)/

長くブログを更新しない間に、
釘を踏んだり、ハンマーで親指叩いたりと、
相変わらずそそっかしさ全開の木蘭でございます。


健さん・・・。
私も大好きでした。

いえ、もちろんやくざ映画の頃ではなく、
お年を召してからの健さんですが。(^_^;)

言葉なんかいらない。
ただ側にいてくれたらそれでいい・・・。
そんな役が多かったことと思います。

またそれがよく似合っていたから、
男性にとっても女性にとっても、
あこがれの存在となったのかもしれません。


人間的魅力のある方がまた一人、少なくなってしまいましたね・・・。


心からご冥福をお祈りしたいと思います・・・。

ROU.SHIMANAKA さんのコメント...

木蘭様
お久しぶりです。

相変わらず〝自傷行為〟にふけっているようですね(笑)。ご自愛くださいね。

さて健さんですが、
ボクは木蘭さんとは逆で、任侠映画の中の
健さんが好きなんです。鶴田浩二や池部良
などと一緒に殴り込みをかけるシーンは
なかなか素敵ですよ。

健さんは刀で斬られても、ドスで突かれても、なかなか死にません。
池部良や鶴田浩二は最後に死んでしまうのですが、なぜか健さんだけは満身創痍でも生き残るのです。

ボクなんか鎖帷子や甲冑でも着込んでいけばいいのに、と思ってしまうのですが、ただ腹にさらしを巻いただけの着流しで、敵陣へ乗り込みます。

ヤクザ同士の争いですが、あれって、昔の東映チャンバラ映画と同じで、最後には義理に生きた正義の味方、すなわち健さんが勝つんですね。

ヤクザ映画だけど勧善懲悪のストーリー。
ボクはチャンバラ映画を観て人間世界の
「正邪美醜」を学んだ世代ですが、
その延長線上に健さんの〝まじめヤクザ〟が
存在しているのです。

健さんは「自分で納得できない役はやりたくない」と言ってました。いつも悪役ばかりやらされている人たちだって、子や孫のために、たまには善玉をやってみたいと思うはずです。

彼らに比べれば、健さんは恵まれていました。わがままが言える身分ですから。

善玉のままで死んでいった健さん。
銀幕に限れば、あれはあれで幸せだったのかもしれません。