テレビの前で、女房と2人で昼飯を食べていたら「俳優の高倉健さんが死去」という
ニュースが飛び込んできた。聞けば今月10日、悪性リンパ腫のため亡くなり、すでに
近親者だけで葬儀は済ませたという。
享年83。高倉に対しては特別な想いはないのだけれど、若い頃、「昭和残侠伝」や
「網走番外地」シリーズなど任侠映画はよく観た。ヤクザに扮した高倉はとてもカッコよく、
ひとり殴り込みをかける健さんの後ろ姿にはストイックな男の色気が漂っていた。
昔、健さんを間近に見たことがある。川越の喜多院でヤクザ映画の撮影をしていたのだ。
ボクは当時中学生。喜多院はボクの遊び場で、たまたま境内を通りかかったのだが、
健さんが長脇差(ドス)片手にもろ肌脱いで立ち回りをやっていた。「しめた!」とばかりに、
かぶりつきで見物。(意外と痩せてるじゃん……)というのが印象で、銀幕の中では大きく
見えるんだな、と子供心に得心した憶えがある。
「高倉健はダイコンなり」にもすでに書いたが、高倉健が〝名優〟とは到底思えない。
どっちかというと吉永小百合と同類のダイコンではないのか、と正直に書いたら、
賛否両論、ずいぶんと反響があった。そして当然ながら、今日はいつになくブログへの
アクセス数が多くなっている。
ノンフィクション作家の野地秩嘉(つねよし)が言うことには、
健さんの出演した映画180本余をつぶさに観察し、健さんがしゃべるセリフをカウントしたら、
「すみません」「お願いします」「ありがとう」が頻出数のベスト3だったという。
要はこの3つのセリフだけで大スターに登りつめたということだろう。
半分呆れもしたが、一瞬、
(これだったら、俺だって超大物スターになれたかもしれねーぞ)
なんて柄にもなく思ってしまった。
『幸福の黄色いハンカチ』は何度も観た映画で、その中に出所して夕張に戻った健さんが、
妻役の倍賞千恵子と再会する場面があるが、ボクはどうにも気に入らない。「不器用ですから」
が健さんらしいというのはけっこうなのだが、2人は見つめ合うばかりで手も握らない。
健さんにハグやキッスは似合わないというかもしれないが、ふつうの精神だったらハッシと
ばかりに恋女房を抱きしめるに決まってる。それがごく自然な行為だろう。
ましてや女房役はべっぴんの倍賞千恵子ではないか。
(不器用な健さんに代わって俺が抱きしめてやる。背骨が砕けるほどに抱きしめてやる)
映画を観ながら何度そう思ったことか。留学生でも何でも、若い娘となるとやたら
ハグしたがる助平なおじさんの目には、木偶(でく)のようにただ突っ立っているだけの
健さんがあまりに歯がゆく、ストイック過ぎるように思えるのだ。
《ぼくには妻も子もいません。たった1人の、100パーセント外食の生活です。
よく知らない人とは一緒にメシを食わない。食事をしながら仕事の話をしない。
きらいなものは食べない》(46歳の時、週刊誌のインタビューに答えて。'77『週刊現代』より)
食事をしながら仕事の話はしない、というところは共感できるが、
「よく知らない人とはメシを食わない」というのはよくわからない。←シャイだからかしら?
「1年を通じて、初対面の人と会った数は多くて3人」(健さんの所属事務所の弁)というくらいだから、
そのポリシーは徹底している。ボクなんかは知らない人から耳新しいことを
聞くのが大好きで、酒もいつもの仲間と飲むより見知らぬ人と飲むほうが楽しく飲める。
根っから人が好きで(おっそろしくシャイなくせにね)、好奇心が強いのだろう。
高倉健。1931年2月16日生まれ。水瓶座。
水瓶座というところがボクと同じだが、
それ以外に共通点は特になし。
役者としてはからっぺただったと、今でも信じて疑わないが、
人物としては第一級だったようである(人柄がやさしいもんね)。
昭和を体現した銀幕スターが、またひとり消えてしまった。
淋しいねえ。
心より合掌。
←夫婦再会の場面。
恋女房だろ? 抱いてやれよ。
どこまで堅物なのかね、勇さん(役名)は……
ニュースが飛び込んできた。聞けば今月10日、悪性リンパ腫のため亡くなり、すでに
近親者だけで葬儀は済ませたという。
享年83。高倉に対しては特別な想いはないのだけれど、若い頃、「昭和残侠伝」や
「網走番外地」シリーズなど任侠映画はよく観た。ヤクザに扮した高倉はとてもカッコよく、
ひとり殴り込みをかける健さんの後ろ姿にはストイックな男の色気が漂っていた。
昔、健さんを間近に見たことがある。川越の喜多院でヤクザ映画の撮影をしていたのだ。
ボクは当時中学生。喜多院はボクの遊び場で、たまたま境内を通りかかったのだが、
健さんが長脇差(ドス)片手にもろ肌脱いで立ち回りをやっていた。「しめた!」とばかりに、
かぶりつきで見物。(意外と痩せてるじゃん……)というのが印象で、銀幕の中では大きく
見えるんだな、と子供心に得心した憶えがある。
「高倉健はダイコンなり」にもすでに書いたが、高倉健が〝名優〟とは到底思えない。
どっちかというと吉永小百合と同類のダイコンではないのか、と正直に書いたら、
賛否両論、ずいぶんと反響があった。そして当然ながら、今日はいつになくブログへの
アクセス数が多くなっている。
ノンフィクション作家の野地秩嘉(つねよし)が言うことには、
健さんの出演した映画180本余をつぶさに観察し、健さんがしゃべるセリフをカウントしたら、
「すみません」「お願いします」「ありがとう」が頻出数のベスト3だったという。
要はこの3つのセリフだけで大スターに登りつめたということだろう。
半分呆れもしたが、一瞬、
(これだったら、俺だって超大物スターになれたかもしれねーぞ)
なんて柄にもなく思ってしまった。
『幸福の黄色いハンカチ』は何度も観た映画で、その中に出所して夕張に戻った健さんが、
妻役の倍賞千恵子と再会する場面があるが、ボクはどうにも気に入らない。「不器用ですから」
が健さんらしいというのはけっこうなのだが、2人は見つめ合うばかりで手も握らない。
健さんにハグやキッスは似合わないというかもしれないが、ふつうの精神だったらハッシと
ばかりに恋女房を抱きしめるに決まってる。それがごく自然な行為だろう。
ましてや女房役はべっぴんの倍賞千恵子ではないか。
(不器用な健さんに代わって俺が抱きしめてやる。背骨が砕けるほどに抱きしめてやる)
映画を観ながら何度そう思ったことか。留学生でも何でも、若い娘となるとやたら
ハグしたがる助平なおじさんの目には、木偶(でく)のようにただ突っ立っているだけの
健さんがあまりに歯がゆく、ストイック過ぎるように思えるのだ。
《ぼくには妻も子もいません。たった1人の、100パーセント外食の生活です。
よく知らない人とは一緒にメシを食わない。食事をしながら仕事の話をしない。
きらいなものは食べない》(46歳の時、週刊誌のインタビューに答えて。'77『週刊現代』より)
食事をしながら仕事の話はしない、というところは共感できるが、
「よく知らない人とはメシを食わない」というのはよくわからない。←シャイだからかしら?
「1年を通じて、初対面の人と会った数は多くて3人」(健さんの所属事務所の弁)というくらいだから、
そのポリシーは徹底している。ボクなんかは知らない人から耳新しいことを
聞くのが大好きで、酒もいつもの仲間と飲むより見知らぬ人と飲むほうが楽しく飲める。
根っから人が好きで(おっそろしくシャイなくせにね)、好奇心が強いのだろう。
高倉健。1931年2月16日生まれ。水瓶座。
水瓶座というところがボクと同じだが、
それ以外に共通点は特になし。
役者としてはからっぺただったと、今でも信じて疑わないが、
人物としては第一級だったようである(人柄がやさしいもんね)。
昭和を体現した銀幕スターが、またひとり消えてしまった。
淋しいねえ。
心より合掌。
←夫婦再会の場面。
恋女房だろ? 抱いてやれよ。
どこまで堅物なのかね、勇さん(役名)は……
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