支那と韓国はよほど日本のことを小面(こづら)憎く思っているのだろう。
二言目には70年も前の戦争を持ち出して、日本の暴虐非道を非難する。
たしかに軍部独走という側面もあり両国に迷惑をかけたことは否めない。
しかし大陸への進出はロシアの脅威から日本を守るというやむを得ない自存自衛の
一環でもあった。贖罪意識に悩むのもいいけれど、そうした事実も忘れないでほしい。
1910年の韓国併合。1932年の満州国誕生。日韓併合は英語ではannexation(建て増しの意)
という言葉を充てる。宗主国だけが豊かさを享受するcolonization(植民地化)とは自ずと
異なるのである。西欧列強はアジア・アフリカ諸国で何をやったのか。
資源の収奪、住民の奴隷化――つまり白人たちは自分たちの豊かさを追求するがあまり
他国を侵略、むりやり植民地化し苛斂誅求(かれんちゅうきゅう)をほしいままにした。
日本はどうしたのか。朝鮮・満州における教育・インフラの整備のために、
乏しい財源の中から巨額の資金を注ぎ込んだ。東北など国内の貧しい地方からは、
「なぜ外地に投資して内地に投資しないのか」という不満の声が上がっていた。
1957年5月、インドネシアのブン・トモ情報宣伝相はこんなふうに日本への謝意を述べた。
《インドネシアは350年間もヨーロッパ人に対して独立戦争を試みたが、成功しなかった。
しかし日本軍がアメリカ、イギリス、オランダ、フランスを打ちのめしてくれた。そもそも
この戦争はわれわれの戦争であり、われわれがやらねばならなかった。それなのに
日本だけに担当させてしまい、まことに申しわけなかった》
1942年、日本軍はジャワ島に上陸。たった9日間でオランダ軍を退けた。
350年もの間、オランダの苛斂誅求と弾圧に苦しめられたインドネシアは
日本軍を歓呼して迎えた。しかし日本は敗戦。オランダ軍は再びインドネシアに進駐した。
このことを嘆き悲しんだ日本の敗残兵は現地に残り兵士となった。
インドネシア国軍に合流した日本人兵士の数は、スマトラ島で約500人、
ジャワ島で約300人、軍属や民間人有志を加えると、その数1000~2000人に
およんだ。そして、そのうちの400人が独立戦争で斃れたのである。
あの大東亜戦争の意義とは何であったのか。
終戦後、アジアには続々と独立国が生まれた。
フィリピン、インド、パキスタン、ビルマ、セイロン、マレーシア、ベトナム、
ラオス、カンボジア、インドネシア……
アジアの民族自決運動はやがてアフリカへと飛び火し、
アフリカ大陸でも次々と独立国が生まれた。
500年にわたって続いた白人による有色人種支配。
近・現代は白人たちの天下で、アジア・アフリカは彼ら白人たちの草刈り場だった。
そこに彗星のごとく登場したのが日本で、西欧列強と干戈(かんか)を交えることで、
結果的に白人の植民地支配に幕を引いた。
換言するなら、あの大戦はアジアの同胞たちを解放するための「独立解放戦争」
でもあった。もし日本という国がなかったら……歴史はずいぶんと違った絵柄を
見せてくれたことだろう。
安倍首相の地球儀外交でも垣間見えたが、アジア諸国の多くは、
日本の戦争犯罪を難じるどころか、逆に深く感謝している。
日本はアジアの孤児などではなく、多くの友人をもつ彼らの憬れの国なのだ。
日本を嫌っているのはわずかに支那と韓国だけ。「遠交近攻」が外交の基本というから、
嫌われて大いにけっこう。ボクなんかむしろ痛快とさえ思っている。
あんな出来損ないの国に嫌われたって、いささかも痛痒を感じない。
かえって清々するというものである。
イタリアでおこなわれているASEM(アジア欧州会議)の場で、安倍首相と支那の
李克強首相が握手したとかしないとか……そんなつまらないニュースを耳にしたもので、
(安倍さんも何かと苦労が絶えないねェ)
と心から同情するとともに、上掲のようなことを徒然なるままに思ったのだ。
ニッポン、がんばれ!
※追記①
1971年、昭和天皇がオランダを訪問した際、街には「ヒロヒトは犯罪者」
「ゴーホーム、ジャップ!」などというプラカードが掲げられ、両陛下に
卵や魔法瓶が投げつけられた。350年間もインドネシアを支配しておきながら、
そのことを恥じるでもなく、インドネシアの独立を助けた日本国の君主に向かって
「犯罪者!」とは、何という無知と横暴。オランダ人よ、恥を知りなさい、恥を!
※追記②
朝鮮の日本統治を「植民地支配」というが、当時のイギリスの文献には
「colonization」は使われておらず「annexation」(合邦、併合)と表現している。
西洋人の感覚ではcolonizationは〝掠奪〟に近いイメージになる。
二言目には70年も前の戦争を持ち出して、日本の暴虐非道を非難する。
たしかに軍部独走という側面もあり両国に迷惑をかけたことは否めない。
しかし大陸への進出はロシアの脅威から日本を守るというやむを得ない自存自衛の
一環でもあった。贖罪意識に悩むのもいいけれど、そうした事実も忘れないでほしい。
1910年の韓国併合。1932年の満州国誕生。日韓併合は英語ではannexation(建て増しの意)
という言葉を充てる。宗主国だけが豊かさを享受するcolonization(植民地化)とは自ずと
異なるのである。西欧列強はアジア・アフリカ諸国で何をやったのか。
資源の収奪、住民の奴隷化――つまり白人たちは自分たちの豊かさを追求するがあまり
他国を侵略、むりやり植民地化し苛斂誅求(かれんちゅうきゅう)をほしいままにした。
日本はどうしたのか。朝鮮・満州における教育・インフラの整備のために、
乏しい財源の中から巨額の資金を注ぎ込んだ。東北など国内の貧しい地方からは、
「なぜ外地に投資して内地に投資しないのか」という不満の声が上がっていた。
1957年5月、インドネシアのブン・トモ情報宣伝相はこんなふうに日本への謝意を述べた。
《インドネシアは350年間もヨーロッパ人に対して独立戦争を試みたが、成功しなかった。
しかし日本軍がアメリカ、イギリス、オランダ、フランスを打ちのめしてくれた。そもそも
この戦争はわれわれの戦争であり、われわれがやらねばならなかった。それなのに
日本だけに担当させてしまい、まことに申しわけなかった》
1942年、日本軍はジャワ島に上陸。たった9日間でオランダ軍を退けた。
350年もの間、オランダの苛斂誅求と弾圧に苦しめられたインドネシアは
日本軍を歓呼して迎えた。しかし日本は敗戦。オランダ軍は再びインドネシアに進駐した。
このことを嘆き悲しんだ日本の敗残兵は現地に残り兵士となった。
インドネシア国軍に合流した日本人兵士の数は、スマトラ島で約500人、
ジャワ島で約300人、軍属や民間人有志を加えると、その数1000~2000人に
およんだ。そして、そのうちの400人が独立戦争で斃れたのである。
あの大東亜戦争の意義とは何であったのか。
終戦後、アジアには続々と独立国が生まれた。
フィリピン、インド、パキスタン、ビルマ、セイロン、マレーシア、ベトナム、
ラオス、カンボジア、インドネシア……
アジアの民族自決運動はやがてアフリカへと飛び火し、
アフリカ大陸でも次々と独立国が生まれた。
500年にわたって続いた白人による有色人種支配。
近・現代は白人たちの天下で、アジア・アフリカは彼ら白人たちの草刈り場だった。
そこに彗星のごとく登場したのが日本で、西欧列強と干戈(かんか)を交えることで、
結果的に白人の植民地支配に幕を引いた。
換言するなら、あの大戦はアジアの同胞たちを解放するための「独立解放戦争」
でもあった。もし日本という国がなかったら……歴史はずいぶんと違った絵柄を
見せてくれたことだろう。
安倍首相の地球儀外交でも垣間見えたが、アジア諸国の多くは、
日本の戦争犯罪を難じるどころか、逆に深く感謝している。
日本はアジアの孤児などではなく、多くの友人をもつ彼らの憬れの国なのだ。
日本を嫌っているのはわずかに支那と韓国だけ。「遠交近攻」が外交の基本というから、
嫌われて大いにけっこう。ボクなんかむしろ痛快とさえ思っている。
あんな出来損ないの国に嫌われたって、いささかも痛痒を感じない。
かえって清々するというものである。
イタリアでおこなわれているASEM(アジア欧州会議)の場で、安倍首相と支那の
李克強首相が握手したとかしないとか……そんなつまらないニュースを耳にしたもので、
(安倍さんも何かと苦労が絶えないねェ)
と心から同情するとともに、上掲のようなことを徒然なるままに思ったのだ。
ニッポン、がんばれ!
※追記①
1971年、昭和天皇がオランダを訪問した際、街には「ヒロヒトは犯罪者」
「ゴーホーム、ジャップ!」などというプラカードが掲げられ、両陛下に
卵や魔法瓶が投げつけられた。350年間もインドネシアを支配しておきながら、
そのことを恥じるでもなく、インドネシアの独立を助けた日本国の君主に向かって
「犯罪者!」とは、何という無知と横暴。オランダ人よ、恥を知りなさい、恥を!
※追記②
朝鮮の日本統治を「植民地支配」というが、当時のイギリスの文献には
「colonization」は使われておらず「annexation」(合邦、併合)と表現している。
西洋人の感覚ではcolonizationは〝掠奪〟に近いイメージになる。
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