2014年9月12日金曜日

「1億総介護社会」をどう生きる

赤ん坊や幼児はほんとうに可愛い。
ベビーカーに乗り、ちっちゃなアンヨをふてくされたように投げ出している赤ちゃん。
保育園の柵付きリヤカーに揺られ、にぎやかに押し合いへし合いしている園児たち。
ボクはこうしたあどけない幼児(おさなご)たちを見ると、つい目元口もとがゆるんでしまう。

そして同時に、わが娘たちが床をハイハイしていた頃のことを思い出す。
泣き叫ぶ娘のオムツを替え、お尻をきれいに拭いてやると、肌はもうサラッサラ。
指でつつくとマシュマロみたいにやわらかい。あの感触はいまもボクの手指に残っている。

その赤ん坊も80年、90年と齢を重ねれば、こんどは大人用オムツのお世話になる。
団地内のゴミ置き場にある生ゴミ用コンテナ内は、用を足した大人用オムツでいっぱいだ。
年々、その数が増えているような気もする。要介護の老人が殊の外多いのだろう。

1億総介護社会」を迎え、大人用オムツの市場規模は年々膨らんでいるという。
'12年に子供用オムツの市場を追い抜き、現在、その市場規模は1600億円にのぼる。
ボクもそのうち、「アテント」や「ライフリー」といった老人用オムツの世話になるのかと思うと、
正直、気分が落ち込んでしまうが、そうなる前にポックリ逝かなくっちゃ、
と切実に思う(←ポックリ願望がある人ほどポックリに縁遠いそうだ)。

よくポックリと同様に「ピンピンコロリ(PPK)」という言葉が使われる。
死ぬまでピンピンして、長患いせずにコロリと逝く生き方を理想としているわけだが、
現実は病院のベッドで長期の寝たきりになって死ぬ「ネンネンコロリ(NNK)」が
大半を占めるという。老人用オムツが売れるわけだ。

改めていうまでもないが、赤ん坊はかわいいし、肌もきれいで、心もまっさら。
ウンチは臭いけど、あのあどけない笑顔を想えば、オムツ替えも苦にならない。
しかし老人は違う。見た目もしわくちゃだし、憎まれ口はたたくし、少しも可愛くない。
排泄物は大量で、おまけにその臭いときたら……(笑)。

さて人間の子は十月十日で生まれてくる。なかには生まれてすぐに7歩あゆみ、
右手で天を左手で地を指し、「天上天下(てんげ)唯我独尊」(この世で自分が一番尊い、と
〝自己チュー〟的な解釈がまかり通っているようだが、それは違う。「自分という存在は他に代わりのない
かけがえのない人間として生まれており、その命のままが尊い」の意である)と唱えた偉い人もいる。

またボクの敬愛する「老子」は母親の胎内がよほど居心地がよかったのか、
生まれ出るのに80年もかかっている。生まれた時は白い髯が生えていたというから、
さぞ母親はビックリしたことだろう。

ブラッド・ピット主演の『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』という映画は、
第81回アカデミー賞の作品賞、美術賞、視覚効果賞などを受賞した名品だという。
ボクはあいにく観ていないが、この主人公も老子みたいに80歳の状態で生まれ、
年を経るごとに若返って、最後は赤ん坊として死んだという。

大人用オムツをつけて死ぬか、子供用オムツをつけて死ぬか……that is the question?
まるでハムレットみたいな心境だが、どっちにしてもあまりカッコよくない。

どうせ死ぬならカッコよく死にたい。
戦場で敵弾に当たって散華する、なんていうのが理想なのだが、
北九州市の特定危険指定暴力団「工藤組」の近所に住んでいないかぎり、
そんな僥倖にめぐり合うことはまずない。「常在戦場」がモットーではあっても、
オムツを着けたままの散華だけは願い下げだ。

人の一生は「オムツからオムツまでの間」だという。
どんなに栄耀栄華を極めても、その成れの果てが〝オムツ〟では、言葉がない。
まあ、それが人生といえばそれまでだが、それだけになおのこと、
セリーヌの墓に刻まれたという「否(ノン)」の一語が身に沁みる
実際は海の絵とヨットの絵が刻まれている、というのですがねw)。



←実家の孫(長兄の孫です)。
赤ん坊ってティッシュをぐちゃぐちゃにする
のが好きなんだよね。
健やかに育ってねHちゃん。







 

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