2014年8月27日水曜日

まず獣身を成すべし

渋谷道玄坂にある防犯用グッズの店には鋭利なナイフがいっぱい置いてある。
なかには軍事用ナイフなどもあって、いったいどこが防犯用なのかと首を
かしげてしまうが、店主に訊けば「みんな護身用に買っていくんです」とあっけらかんとした
答え。当節は護身用にナイフをポケットに忍ばせるのが流行っているのだという。

数年前、市内の図書館で大声を上げてふざけている高校生がいたので、
静かにするようにと注意したら、やっこさん、射るような視線をボクに向け、
腰を低くして右のポケットに手を突っ込んだ。ボクはとっさに、
(このバカ、抜く気だな……)
と思い、視線を外さなかったが、館員が駆けつけてくれて事無きを得た。
たぶん〝護身用〟のナイフで脅すつもりだったのだろう。

近頃の若者は、大人にちょっと注意されただけで「ムカつき」、そして「キレる」。
野蛮人のボクなんかは、この手合いに対しては「殴ったり蹴ったり」して世の中のルールを
教え込むのが一番、と思っていて、それ以上の教育法がまるで思い浮かばないのだが、
「こども性善説」に立つ〝良心的〟な大人たちは、キレるのは子ども自身にではなく、
子どもの外に原因があると信じていて、
「キレるのは子どもの魂の叫び。大人は真摯に向き合わなくてはいけません」
などともっともらしいことを言って騒ぎ立てる。

ただ単純に人格が未熟なだけだろ……)
そもそも「こども性悪説」に立っているボクは、決して猫なで声など出さず、
断固たる態度でルールを守らせること、譲ってはならないところは絶対譲らないこと、
と自分に強く言い聞かせている。

子どもの自我の形成に決定的な役割を果たすのは「父親の存在」だ。
自我(identity)というのは、簡単にいうとその人の「価値体系」のことだ。
正邪美醜を場面場面で瞬時に判断していく。「正しいこと」「大切なもの」「美しい行為」
といったことどもを中心に自分なりの価値体系をつくり、それを基準に物事を判断し、
生きていく。その価値体系が未成熟だと、正しい行動指針が生まれない。

いま、母性の肥大化と裏腹に父性の矮小化が進行している
父性が矮小化するとどうなるか。たとえば、教室では静かに先生の話を聞き、
公共の場では周りに気を遣い、勝手気ままにふるまわない。目上のものには
進んで挨拶をする――矮小化した父性でもって育てられた子は、
こうした当たり前のことができない。

先日、ボクにいちゃもんをつけ、哀れ鉄拳制裁を食らってしまった若者も、
たぶん自我の形成が遅れ、正しいこととと間違ったことの区別がつかない未熟な
人格なのだと思う。年かっこうから想像すると、父親はおそらく団塊の世代で、
「親と子は対等」などという美しい理念の下で子育てをしたのだろう。

福澤諭吉は《先ず獣身を成して後に人心を養え》と教えている。
子どもを育てるに際しては、まずケモノのごとく頑丈な肉体をつくり、
その後に知育・徳育をほどこす。部屋にこもってテレビゲームばかりやってきた世代は、
獣身もなければ清く正しい人心もない。「うっせえーんだよ、このクソじじい!」と下卑た言葉を
投げかけるばかりで、若者らしいすがすがしい気概などかけらもない。

「現代の遺物」を自任するボクは、「怯懦(きょうだ)は恥」と、心のどこかで思っている。
男は、負けるとわかっていても戦うべき時には戦う――たしかバイロン卿の言葉だった
と思うけど、この単純で原始的なプリンシプルがいまのボクを支えている。



小賢しい勘定など抜きに修羅場に飛び出していく本能的な瞬発力。
そのやみくもな瞬発力を養うため、いまだ老いた獣身にムチ打っている。
昔から言うではないか。
男は度胸、女は愛嬌、坊主は読経と。
 

2 件のコメント:

木蘭 さんのコメント...

しまふくろうさま、こんばんは。(*^^*)

瞬発力を養いイザという時に~すぐにお経が読めるように日々努力している木蘭でございます。(笑)

愛嬌は~一応「女」と生まれたので少しばかり持ち合わせてはいるようですが。(^_^;)ドウデショウネ


しかしそんな危険な物が普通に売られているなんて、今の世の中は本当に物騒ですね。"(-""-)"

武器なんか持たなくたって、
人物の存在そのものが「危険」な人は多いんですから。

若者たちはつまらない所でエネルギー発散させていないで、もっと健全で、世の為、人の為になるエネルギーを使ってほしいものです。

やはり日本も徴兵制にしたほうがいいかもしれませんね。

ROU.SHIMANAKA さんのコメント...

木蘭様
おはようございます。

木蘭さんにたっぷりとした「愛嬌」があるのは、もちろん承知しております。お会いしたことはありませんが、そこはかとなく匂うのです。

「ワカモノ」は「バカモノ」とほとんど同義です。未熟者ですから、それはしかたがないのです。現に、ボク自身が箸にも棒にもかからない「バカモノ」でした。

酒を飲むと粋がって、よくケンカをしました。からまれた大人たちこそいい迷惑です。

エネルギーがありあまっていて、それをどこにぶつければいいのか、まったくわからなかったのでしょうね。

エネルギーを矯めるための装置としての徴兵制は面白いかもしれませんね。獣身を成し、
愛国心を養い、規律を学べますから。

ただし国民皆兵は非効率だそうです。
軍隊は志願制でないと役に立たないらしいのです。そもそも士気からして違うのでしょうね。

ボクはこれからひと泳ぎしてきます。
獣身と獣心を養い、おばちゃんやおばあちゃんとおしゃべりするためです。
おばちゃんたちはいいですね。屈託がなくて。

ボクなんか屈託だらけで、もうクタクタです(笑)。