2014年8月14日木曜日

神楽坂で日本情緒を味わう

あのマイクが帰ってきた。
アメリカ西海岸で優雅な生活をしているマイクはAll Hands Volunteersの一員でもある。
東日本大震災の際にはいち早く駆けつけてくれて、岩手・大船渡を中心に、同じく
All Handsの会員である長女といっしょに瓦礫の撤去や遺品の整理などに汗を流してくれた。

そのマイクが1年ぶりに来日した。しばらく大船渡でボランティア活動に従事していたが、
東京に戻ってからはもっぱら観光三昧。嶋中家と食事をご一緒したいというもので、
神楽坂に一席設け、歓待した。いや、実際は歓待されてしまった。勘定をぜんぶ持つと
いうのだ。ふふ……参ったな(笑)。仕方がないからご好意に甘えることにしたが、
2軒目の分はこっちが持った。

わが家の参加者はボクら夫婦と長女の3人。
相変わらず飯場人足みたいなカッコウをしたマイク。禿げ上がった頭にはいつもの
くたびれた帽子、首にはタオルを巻いていた。こっちもTシャツに短パンという貧乏人
スタイルだから、ひとのことをとやかく言えないが、飛行機はファーストクラス、
宿泊先は超一流ホテル、都内の移動はすべてタクシーというリッチな男にしては、
見た目がいかにもバランスを欠いている。

マイクは英語、それも巻き舌の〝モゴモゴ米語〟しかしゃべれないから往生する。
それも早口でまくしたてるから、さっぱり聴き取れない。
Mike, speak more slowly, please.
鍛え抜かれた?Queen's Englishで応戦すると、しばらくはゆっくりしゃべってくれるが、
そのうち忘れてしまって元の木阿弥に。もっぱら長女に通訳をたのんだ。

1軒目は創作料理の店だったが、2軒目は勝手知ったる居酒屋の「伊勢籐(いせとう)」。
〝国宝級〟などと言われるくらい昭和情緒のあふれる店で、創業は昭和12年。
今は3代目だが、先代店主には幾度も取材させてもらったことがある。

縄のれんをくぐると、左手にL字状のカウンターがあり、囲炉裏端には頭を丸め、
作務衣姿の店主が正座姿でお燗番をしている。この店には「白鷹」の燗酒しかなく、
どうしてもという客にかぎって冷や酒も出してくれる。ビールや焼酎はもちろんなし。
黙って座れば、いやも応もなく一汁四菜の料理がポンと出てくる
見れば鴨居には「静希」と書いた額が。声高にしゃべる客があると、
「お静かに願います」と店主にピシャリとたしなめられる。
酒は静かに飲むべかりけり――この店の創業来の掟である。

マイクもこんなお店は初めてなので、入るなり店のぐるりを見回して興味津々。
小上がり席の客たちが揃ってヒソヒソ声でしゃべっている光景を不思議そうに
眺めていた。谷崎の『陰翳礼讃』を地でいっているようなたたずまいは、
外国人の眼には殊のほか珍奇に映るようで、しきりに小声でvery nice! を連発していた。

たっぷり昭和初期の雰囲気を楽しんだボクたち4人は、
心もお腹も満たされ、至福のひとときを夜の神楽坂で過ごした。
マイクも十二分に満足してくれたようで、ご相伴にあずかったボクたちも
何やらホッとした気分だった。

神楽坂下までゆっくり散策したボクたちは、マイクとハグを交わし別れた。
マイクは宿泊先のホテルまでタクシーでご帰還、ボクらボンビー一家は
地下鉄で帰路についた。
「伊勢籐は気に入ってもらえたようだね」
長女がニコリと微笑むと、みな無言でうなずく。

飲むんだったら神楽坂で。
これがここ数年来のボクの心得である。
スペイン風のバルやタベルナ、トラットリアや無国籍料理の店。
ありとあらゆる酒場や料理屋が軒を並べている。
そしてときたま、芸者衆のそぞろ歩きに出くわしたりする。
こんな艶っぽい街で、艶っぽい女の子とデートをしてみたいですな。
なに? 女房が聴いてる? くわばら、くわばら。





←昔から変わらぬ「伊勢籐」のたたずまい。
自在鉤の下には炉が切ってある。







(写真提供:東京カレンダー)

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