きょう3日は3年前に死去した母の祥月命日。
極楽の生活ぶりはどんなものか、ご機嫌伺いのために墓参りへ行った。
陰気な菊は母も喜ばないので、赤や黄色の思いっきりゴージャスな花を奮発し、
車に乗り込み、一路川越へ。道々、母とのいろんな思い出が蘇ってきて、
鼻の奥がツーンとしてしまった。歳のせいか、涙もろくていけない。
めざすは川越観音「長徳寺」。平安時代に慈覚大師円仁が開いた寺で、
創建1100年以上の歴史があるという。ボクは無知でバチ当たりの不信心者だから、
そのありがたみがさっぱり分からないが、とりあえず父と母やご先祖さんが眠り、
また親友の安息の地でもあるので、できるかぎりお参りするようにしている。
母の墓前はすでに花でいっぱいだった。
あとで実家の兄に聞いたところ、姉と弟がすでにお参りを済ませたという。
親から見れば不肖の子どもたちだが、命日にはこうやって香華を手向けている。
みな虚勢を張って悪ぶってはいるが、けっこう親思いの真人間なのかもしれない。
まァ、善人の位で言うと、「中の下」ってところかな。
そしていつものように、母の墓の近くに眠る友の墓へも花を供える。
小学校時代からの友人で、昔はもっとも恐れられたガキ大将だった。
国籍は北朝鮮で、兄弟の何人かは「北朝鮮は地上の楽園」の謳い文句
(←朝日新聞と日教組が盛んに宣伝してました)に誘われ、海を越えてしまった。
ところが着いてみたら、楽園どころか地獄そのもので、生きていくのがやっと、
という状況。慢性的な物資不足もあって、ことあるごとに「◎◎を送ってほしい」と、
日本に残った兄弟たちに援助をたのんでくるという。
その友も若くして死んでしまった。自殺という噂が流れたが、
遺族はただ黙して語らないので、真実は闇の中だ。
「承ちゃん、また来たよ。久しく顔見せなくてごめんな……」
彼は乱暴者で、その上底抜けに明るかったが、いつも孤独の影を引きずっていた。
孤独な人間同士はニオイで感応し合うのか、ボクたちはすぐトモダチになった。
彼の父は北朝鮮人で、母が日本人。すぐ上の姉はいつもチマチョゴリを着ていて、
時々、近所の悪ガキにからかわれることがあった。すると弟の彼が飛び出していって、
悪ガキどもをボコボコにする。それがいつも繰り返されるパターンだった。
さて、実家への手土産はいつものように「小野食品」の絶品豆腐だ。
店主はいつも珍妙なコメントを寄せてくれる「なごり雪」さんで、
久しぶりに会ったら100キロ台の体重が90キロ台に突入し、
気のせいか腹の出っ張りがやや小ぶりになっていた。←愛しさのあまりなでなでしてやった
『ファットボーイにデブおやじ』でも登場してもらったが、
ボクは友人と川越に行く時は、できるだけ駅前のこの店に案内することにしている。
「あんな滑らかな豆腐、食べたことない」
「あの(濃厚な)豆乳を飲むと、寿命が10年は延びるな」
などと、みな例外なく褒めそやしてくれる。ボクは別にこの店の広告塔ではないけれど、
川越を代表する名物といったら、「亀屋の最中」と「小野食品の仙波豆腐」しかない、
と断言していい。もっぱらスーパーの充填(じゅうてん)豆腐ばかり食べている人は、
死ぬまでに一度は仙波豆腐を食してほしい。値段はスーパーの4~5倍はするが、
これぞホンモノの豆腐だと、心底実感するはずだ。
(去年もたしか、こんなふうだったよな……)
母と友の墓参りをし、豆腐を買って実家へ向かう。
五十路を過ぎると時計の針が速く進むのか、あっという間に1年が経ってしまう。
たぶんこんなふうに、あっという間に人生も終わってしまうのだろう。
今夜は名品〝おぼろ豆腐〟をつまみに、母を偲んで独り酒を飲もう。
十億の人に十億の母あらむも わが母にまさる母ありなむや (暁烏敏あけがらすはや)
かわいそうだから父もついでに思い出してやろう(笑)。
「中の下」だものね、こんなもんでしょ。
極楽の生活ぶりはどんなものか、ご機嫌伺いのために墓参りへ行った。
陰気な菊は母も喜ばないので、赤や黄色の思いっきりゴージャスな花を奮発し、
車に乗り込み、一路川越へ。道々、母とのいろんな思い出が蘇ってきて、
鼻の奥がツーンとしてしまった。歳のせいか、涙もろくていけない。
めざすは川越観音「長徳寺」。平安時代に慈覚大師円仁が開いた寺で、
創建1100年以上の歴史があるという。ボクは無知でバチ当たりの不信心者だから、
そのありがたみがさっぱり分からないが、とりあえず父と母やご先祖さんが眠り、
また親友の安息の地でもあるので、できるかぎりお参りするようにしている。
母の墓前はすでに花でいっぱいだった。
あとで実家の兄に聞いたところ、姉と弟がすでにお参りを済ませたという。
親から見れば不肖の子どもたちだが、命日にはこうやって香華を手向けている。
みな虚勢を張って悪ぶってはいるが、けっこう親思いの真人間なのかもしれない。
まァ、善人の位で言うと、「中の下」ってところかな。
そしていつものように、母の墓の近くに眠る友の墓へも花を供える。
小学校時代からの友人で、昔はもっとも恐れられたガキ大将だった。
国籍は北朝鮮で、兄弟の何人かは「北朝鮮は地上の楽園」の謳い文句
(←朝日新聞と日教組が盛んに宣伝してました)に誘われ、海を越えてしまった。
ところが着いてみたら、楽園どころか地獄そのもので、生きていくのがやっと、
という状況。慢性的な物資不足もあって、ことあるごとに「◎◎を送ってほしい」と、
日本に残った兄弟たちに援助をたのんでくるという。
その友も若くして死んでしまった。自殺という噂が流れたが、
遺族はただ黙して語らないので、真実は闇の中だ。
「承ちゃん、また来たよ。久しく顔見せなくてごめんな……」
彼は乱暴者で、その上底抜けに明るかったが、いつも孤独の影を引きずっていた。
孤独な人間同士はニオイで感応し合うのか、ボクたちはすぐトモダチになった。
彼の父は北朝鮮人で、母が日本人。すぐ上の姉はいつもチマチョゴリを着ていて、
時々、近所の悪ガキにからかわれることがあった。すると弟の彼が飛び出していって、
悪ガキどもをボコボコにする。それがいつも繰り返されるパターンだった。
さて、実家への手土産はいつものように「小野食品」の絶品豆腐だ。
店主はいつも珍妙なコメントを寄せてくれる「なごり雪」さんで、
久しぶりに会ったら100キロ台の体重が90キロ台に突入し、
気のせいか腹の出っ張りがやや小ぶりになっていた。←愛しさのあまりなでなでしてやった
『ファットボーイにデブおやじ』でも登場してもらったが、
ボクは友人と川越に行く時は、できるだけ駅前のこの店に案内することにしている。
「あんな滑らかな豆腐、食べたことない」
「あの(濃厚な)豆乳を飲むと、寿命が10年は延びるな」
などと、みな例外なく褒めそやしてくれる。ボクは別にこの店の広告塔ではないけれど、
川越を代表する名物といったら、「亀屋の最中」と「小野食品の仙波豆腐」しかない、
と断言していい。もっぱらスーパーの充填(じゅうてん)豆腐ばかり食べている人は、
死ぬまでに一度は仙波豆腐を食してほしい。値段はスーパーの4~5倍はするが、
これぞホンモノの豆腐だと、心底実感するはずだ。
(去年もたしか、こんなふうだったよな……)
母と友の墓参りをし、豆腐を買って実家へ向かう。
五十路を過ぎると時計の針が速く進むのか、あっという間に1年が経ってしまう。
たぶんこんなふうに、あっという間に人生も終わってしまうのだろう。
今夜は名品〝おぼろ豆腐〟をつまみに、母を偲んで独り酒を飲もう。
十億の人に十億の母あらむも わが母にまさる母ありなむや (暁烏敏あけがらすはや)
かわいそうだから父もついでに思い出してやろう(笑)。
「中の下」だものね、こんなもんでしょ。
2 件のコメント:
しまふくろうさま、こんばんは。
今頃は、お母様の腕に抱かれてうとうととされていらっしゃるのではないでしょうか。
「親思ふ心にまさる親心」
ご兄弟が集まってお母様を偲ぶ。
その様子をお母様はどんなにか幸せなお心持ちでご覧になっていらっしゃったことでしょう。
私は思います。
「自分は親孝行している」と思っている人よりも、
「親不孝だな、俺は」と思っている人のほうが親を心底想っているのだと。
今日はこれ以上、しまふくろうさまとお母様のお邪魔をしないように静かに退散いたします。(笑)
偉大なお母様に、合掌。
木蘭様
おはようございます。
なんだかこそばゆい気がしますが、
素直に受け取っておきます。
でも、買いかぶりですね。
母の生前、何ひとつ孝行らしきことは
しませんでしたから。逆にいつも母は
ボクたち子どもたちをかばってくれていました。
そのことに気づくのは母が死んだ後、
というのですから情けない限りです。
母が偉大、というより〝母性〟というものが
偉大なんでしょうね。それは動物も同じです。
失ってみて初めて気づくありがたさ、
というのは、人生のあらゆる局面で見られます。
あたりまえに思っていたことが、
いかにあたりまえでないか。
そのことにようやく気づく。
結局人間は、自分のことしか関心がなく、
自分がいちばん可愛いんです。
でも母性や父性といったものは少し違う。
自分を犠牲にしてまで子を守ろうとする
本能があって、瞬間、自分のことを忘れるんですね。
母性や父性に犠牲的精神といったものがなければ、人類はとっくに滅びているでしょう。
墓参はせめてもの罪滅ぼしです。
兄弟、みな同じ気持ちだと思います。
墓の前で、生前の親不孝を詫びているんです。少なくともボクはそうですね。
毎日、むしむしして鬱陶しいですね。
いつも心温まるコメント、ありがとうございます。お健やかにお過ごしください。
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