ワールドカップサッカーの真っ最中で、「対ギリシャ戦がどうなるか」に国民の関心が
向いている時に、無粋なことは言いたくないが、ほんの箸休めに朝日の悪口を言う。
(アサヒ)ビールは好きだけど、アサヒのシンブンガミはきらいなのだ。
さてボクは再三再四、朝日・毎日・共同通信が大きらいと公言している。ついでに言うと
岩波書店、講談社、小学館もきらいで、さらに云うなら日教組を蛇蝎のごとく憎んでいる。
NHK経営委員で作家の百田尚樹さんも「日教組は日本のがん」と発言しているが、
まさにそのとおりで、日本の子どもたちの誇りを傷つけ、心をむしばむ左翼の教員たちは、
国賊と決めつけてまず間違いはないだろう。
日本のインテリ層には共通した性癖がある。その多くが朝日新聞の愛読者で、
とりわけ団塊の世代(1947~'51年に生まれた世代)は「革命に対する見果てぬ夢」
をいまだに追いかけていることだ。現実を無視し、理想だけを追い求める精神構造は
かつてのドイツ浪漫派に喩えられようが、「きれいごとばかりで現実味が薄い」
というのが特徴で、ボクは「左翼進歩主義=ええかっこしぃ」と捉えている。
総じて日本の新聞ジャーナリズムはpro-communism(共産主義びいき)の傾向があり、
21世紀のこの期におよんでも「共産主義は資本主義より先進的なのだ」という
考え方に骨がらみで取り憑かれている。
なぜ共産主義が進歩的で善なのか。
なんとなれば、それは弱者という善玉の救世主だからだ。
日本人には判官びいきの傾向があり、つい「強者=悪玉」「弱者=善玉」と捉えがちになる。
むかし流行った「資本家=搾取する側」「労働者=搾取される側」という短絡的な分類法が
今も生きているのである。
だから駆けだしの若手記者たちは、先輩たちに言われるままに「左翼=善玉」
「タカ派=悪玉」「ハト派=善玉」という単純な二項対立の図式を信じてしまう。
現に、自民党政権がきらいな朝日などは「安倍総理=タカ派=悪玉」という
視点で政策を論じ、あくまでポーズではあるが、「反政府、反権力」を気取って
民衆の味方であることをアピールしている。
しかしこのポーズはまったく意味を成さない。なぜなら、民主主義の時代においては、
主権在民で国民が選んだ政府に対して〝反権力〟を旗印にすることは、国民に
真っ向から楯突くことになるからだ。この矛盾にほとんどの新聞は気づいていない。
朝日の「反政府、反権力」がただのポーズだってことはすでに明々白々である。
'60年安保の時、朝日は終始〝反安保〟を煽っていた。デモに行かなきゃ学生じゃない、
みたいなことを書いていた。ところが、ひとたび国会デモで死者(樺美智子さん)が出ると、
報道姿勢を逆転させ、いきなり〝右旋回〟していく。「七社共同宣言」なるものを発表し、
《暴力を排し、議会主義を守れ》などと訴えたのである。
左翼進歩主義を気取ってはいるが、いざ共産主義社会になるような可能性が出てくると、
突然態度を変え、引き返してくる。'60年安保の時の〝転向〟がその代表である。
そもそも自由主義の側にいるから自由主義を否定するような言論が許されるが、
全体主義になったらそれを否定する自由主義的言論など許されっこない。
朝日・毎日のようなブルジョア新聞などはまっ先に粛正されてしまうだろう。
そんなことは自明の理なのに、彼ら似非新聞人は永年の〝ええかっこしぃ〟が
宿痾になっているのか、いつだって「正義」ばかりをふりまくのである。
「従軍慰安婦」に「南京虐殺」――どれも朝日がでっちあげたもので、
それに関しては謝罪のひとつもない。これほどまでに日本の国益を損なっている事案
なのに、朝日はどこ吹く風と知らんぷりだ。
ボクが信じられないのは、「それでも朝日が好き」という人間がいることだ。
何を読もうが個人の勝手だろ、と思う人がいるかもしれないが、
それは朝日の犯してきた数々の罪業に無知だから言えることで、
ひとたび或る方向へ世論を引っぱっていこうとする朝日の狡猾な作為が見えてしまうと、
その異常なバイアス(偏向)のかかり方に強い違和感と反発を感じてしまう。
驚くべきことは、朝日新聞の購読を誇りに思っている人が意外に多いことだ。
オーム真理教の幹部たちにも高学歴者が多かったが、長年にわたって
洗脳されていると、何が正しく何がまちがっているのか、自ら判断できなく
なってしまう。これは悲劇、いや笑えない喜劇というべきだろう。
幸いなことに、ボクと親しい人たちは多く「アンチ朝日派」に人たちで、
なかにはボクの感化によって、朝日購読をスッパリやめてしまったものもいる。
また何を勘違いしたのか、アサヒからキリンに宗旨替えした人もいる(←関係ねえだろ!)。
「やっと目が覚めましたよ」
朝日と縁を切った人たちは、キツネが落ちたみたいに一様にこう曰うのである。
心から「ザックJAPAN」を応援したいのなら、「日の丸・君が代」のきらいな朝日・毎日
の洗脳から早く脱することだ。この左翼進歩主義を気取ったメディアは、無意識下に
支那や韓国のコントロール下にある売国新聞で、日本人の味方のような顔をしているが、
流れている血は明らかに支那人のそれであり、朝鮮半島人のそれだ。
ボクは雑誌記者時代に朝日新聞記者の無知と横暴を目の当たりにして、
いっぺんに朝日ぎらいになってしまった。あの新聞社はおかしい。
日本の悪口ばかり言ってメシが食えるのだから、楽チンといえば楽チンだが、
廉恥心を失ったら、言論人どころか、そもそもまっとうな人間とはいえまい。
いつも正義は我にあり、我は潔白なりという顔をして恥じない朝日人よ!
人間にはどこかうしろ暗い、内心忸怩たるものがないといけない、
と師匠の山本夏彦は言っていた。
ハッキリ言ってしまうと、朝日人の人間観、歴史観はあまりに薄っぺらで、
幼稚きわまりないのだ。そもそも思考の立脚点が間違っているから、
そこから導き出される結論がすべて狂ってしまう。
老婆心から言わせてもらえば、もっと歴史(岩波の歴史書は不可)を学び、
広く文学や哲学に親しむことだね。
もう手遅れだと思うけど……
←うまいこと言うねえ。
向いている時に、無粋なことは言いたくないが、ほんの箸休めに朝日の悪口を言う。
(アサヒ)ビールは好きだけど、アサヒのシンブンガミはきらいなのだ。
さてボクは再三再四、朝日・毎日・共同通信が大きらいと公言している。ついでに言うと
岩波書店、講談社、小学館もきらいで、さらに云うなら日教組を蛇蝎のごとく憎んでいる。
NHK経営委員で作家の百田尚樹さんも「日教組は日本のがん」と発言しているが、
まさにそのとおりで、日本の子どもたちの誇りを傷つけ、心をむしばむ左翼の教員たちは、
国賊と決めつけてまず間違いはないだろう。
日本のインテリ層には共通した性癖がある。その多くが朝日新聞の愛読者で、
とりわけ団塊の世代(1947~'51年に生まれた世代)は「革命に対する見果てぬ夢」
をいまだに追いかけていることだ。現実を無視し、理想だけを追い求める精神構造は
かつてのドイツ浪漫派に喩えられようが、「きれいごとばかりで現実味が薄い」
というのが特徴で、ボクは「左翼進歩主義=ええかっこしぃ」と捉えている。
総じて日本の新聞ジャーナリズムはpro-communism(共産主義びいき)の傾向があり、
21世紀のこの期におよんでも「共産主義は資本主義より先進的なのだ」という
考え方に骨がらみで取り憑かれている。
なぜ共産主義が進歩的で善なのか。
なんとなれば、それは弱者という善玉の救世主だからだ。
日本人には判官びいきの傾向があり、つい「強者=悪玉」「弱者=善玉」と捉えがちになる。
むかし流行った「資本家=搾取する側」「労働者=搾取される側」という短絡的な分類法が
今も生きているのである。
だから駆けだしの若手記者たちは、先輩たちに言われるままに「左翼=善玉」
「タカ派=悪玉」「ハト派=善玉」という単純な二項対立の図式を信じてしまう。
現に、自民党政権がきらいな朝日などは「安倍総理=タカ派=悪玉」という
視点で政策を論じ、あくまでポーズではあるが、「反政府、反権力」を気取って
民衆の味方であることをアピールしている。
しかしこのポーズはまったく意味を成さない。なぜなら、民主主義の時代においては、
主権在民で国民が選んだ政府に対して〝反権力〟を旗印にすることは、国民に
真っ向から楯突くことになるからだ。この矛盾にほとんどの新聞は気づいていない。
朝日の「反政府、反権力」がただのポーズだってことはすでに明々白々である。
'60年安保の時、朝日は終始〝反安保〟を煽っていた。デモに行かなきゃ学生じゃない、
みたいなことを書いていた。ところが、ひとたび国会デモで死者(樺美智子さん)が出ると、
報道姿勢を逆転させ、いきなり〝右旋回〟していく。「七社共同宣言」なるものを発表し、
《暴力を排し、議会主義を守れ》などと訴えたのである。
左翼進歩主義を気取ってはいるが、いざ共産主義社会になるような可能性が出てくると、
突然態度を変え、引き返してくる。'60年安保の時の〝転向〟がその代表である。
そもそも自由主義の側にいるから自由主義を否定するような言論が許されるが、
全体主義になったらそれを否定する自由主義的言論など許されっこない。
朝日・毎日のようなブルジョア新聞などはまっ先に粛正されてしまうだろう。
そんなことは自明の理なのに、彼ら似非新聞人は永年の〝ええかっこしぃ〟が
宿痾になっているのか、いつだって「正義」ばかりをふりまくのである。
「従軍慰安婦」に「南京虐殺」――どれも朝日がでっちあげたもので、
それに関しては謝罪のひとつもない。これほどまでに日本の国益を損なっている事案
なのに、朝日はどこ吹く風と知らんぷりだ。
ボクが信じられないのは、「それでも朝日が好き」という人間がいることだ。
何を読もうが個人の勝手だろ、と思う人がいるかもしれないが、
それは朝日の犯してきた数々の罪業に無知だから言えることで、
ひとたび或る方向へ世論を引っぱっていこうとする朝日の狡猾な作為が見えてしまうと、
その異常なバイアス(偏向)のかかり方に強い違和感と反発を感じてしまう。
驚くべきことは、朝日新聞の購読を誇りに思っている人が意外に多いことだ。
オーム真理教の幹部たちにも高学歴者が多かったが、長年にわたって
洗脳されていると、何が正しく何がまちがっているのか、自ら判断できなく
なってしまう。これは悲劇、いや笑えない喜劇というべきだろう。
幸いなことに、ボクと親しい人たちは多く「アンチ朝日派」に人たちで、
なかにはボクの感化によって、朝日購読をスッパリやめてしまったものもいる。
また何を勘違いしたのか、アサヒからキリンに宗旨替えした人もいる(←関係ねえだろ!)。
「やっと目が覚めましたよ」
朝日と縁を切った人たちは、キツネが落ちたみたいに一様にこう曰うのである。
心から「ザックJAPAN」を応援したいのなら、「日の丸・君が代」のきらいな朝日・毎日
の洗脳から早く脱することだ。この左翼進歩主義を気取ったメディアは、無意識下に
支那や韓国のコントロール下にある売国新聞で、日本人の味方のような顔をしているが、
流れている血は明らかに支那人のそれであり、朝鮮半島人のそれだ。
ボクは雑誌記者時代に朝日新聞記者の無知と横暴を目の当たりにして、
いっぺんに朝日ぎらいになってしまった。あの新聞社はおかしい。
日本の悪口ばかり言ってメシが食えるのだから、楽チンといえば楽チンだが、
廉恥心を失ったら、言論人どころか、そもそもまっとうな人間とはいえまい。
いつも正義は我にあり、我は潔白なりという顔をして恥じない朝日人よ!
人間にはどこかうしろ暗い、内心忸怩たるものがないといけない、
と師匠の山本夏彦は言っていた。
ハッキリ言ってしまうと、朝日人の人間観、歴史観はあまりに薄っぺらで、
幼稚きわまりないのだ。そもそも思考の立脚点が間違っているから、
そこから導き出される結論がすべて狂ってしまう。
老婆心から言わせてもらえば、もっと歴史(岩波の歴史書は不可)を学び、
広く文学や哲学に親しむことだね。
もう手遅れだと思うけど……
←うまいこと言うねえ。
2 件のコメント:
この「アカが書き・・・」の画像を無断借用し、愚生のフェイスブックに載せたところ、「日の丸をここで使うとは何事だ!」とのご意見がありました。
尚、愚生は「バカ」ですので、敵情を探る為にこの「チョムイルシンモン」という、「朝」が「日」の上にある新聞を購読しております。
迂塞斎様
画像ですか……あれ、ボクも無断借用してるから、ぜんぜん気にしないでください。ルール無視なの、最近。
「チョムイルシンモン」もいまは購読者が減って、600万人を切っているらしいです。
それでも600万人も懲りずに読んでいるのかと思うと、愚民の多さに暗澹たる気持ちになってしまいます。
迂塞斎さんは敵情視察のためですよね。
ボクも同じ目的で時々読んでおりますが、
読むたびに「この大バカ野郎!」と叫んで
しまいます。
怒り叫ぶのは健康のためです。
本日、家の近くにある朝霞自衛隊基地の
周辺で、左翼のデモがありました。
「集団的自衛権、反~対ッ!」とか
「子供を戦場に送るな~!」なんて
見当違いなスローガンを叫んでいました。
ひまなボクは近くまで行き、デモ隊に向かって中指を立ててやりました。
愚か者は死ぬまで愚かです。
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