会津の旅は愉しくもあり哀しくもある。
会津藩家老・西郷頼母邸には「自刃の間」」というのがあった。
足手まといになるからと鶴ヶ城への籠城を拒み、頼母の妻・千重子をはじめ、
一族の婦女子21名が自刃して果てた場が白装束の人形によって再現されている。
千重子(34歳)の辞世の句は、
なよ竹の風にまかする身ながらも たわまぬ節の ありとこそ聞け
細竹は風にまかせて揺れているが、その細竹にだって決して折れぬ節がある。
女性にも勁草のごとき貞操があることを知ってほしい――
千重子はまず三女の田鶴子(9歳)、四女の常盤子(4歳)、五女李子(2歳)の喉を突き、
自らも胸を刺して果てた。母と妹、親戚の女たちは互いに刺し違えて死んでいたという。
その直後、西郷邸には西軍兵士が踏み込んできた。そこで見たものは、
驚愕すべき光景だった。
逆さ屏風の一間を血潮に染めた女たちのなかには、
急所をそれて苦しむ長女・細布子(16歳)の姿があった。
細布子(たえこ)は意識朦朧として息も絶えだえ。
なだれ込んできた一団が敵か味方かもわからない。
「お味方でしょうか?」
細布子の問いかけに、小隊を率いる土佐藩士は思わず「そうです」と答えてしまう。
長女は安心したような顔をして懐剣を差し出し、従容たる態度で介錯を願う。
土佐藩士は涙をふるって介錯し、邸を立ち去ったという。
白虎隊士の墓がある飯盛山にもお参りした。
左膝をケガし、杖をついての会津旅行。171段あるという階段など到底登れやしない。
すぐ脇にスロープコンベア(歩く歩道=1人250円)があったので、
女房とボクは迷いなく楽チンなほうを選択。
娘2人は美容と健康のためにと、勇躍階段を登っていった。
参道を歩くのは今回が2度目。白虎隊殉難の地は香煙が絶えず、
かすかに雨にけむっていた。少年たちが自刃した当時、十九士の遺体は、
西軍の布告「賊軍の死体は一切取り構いなきこと」により、憐れにも遺棄されたまま、
雨露にさらされること3ヵ月。その間、腐乱した遺体にはカラスが群がり、
良家の子弟であったが為に、高価な身のまわり品は略奪され、見るも無惨な
姿に成り果てていたという。
鶴ヶ城で戦死した兵や婦女子たち2000名も同様に埋葬が禁じられた。
この心ない仕打ちが今日までの薩長への恨みにつながっている。
NHKドラマ『八重の桜』人気にあやかりたいのか、
どこへ行っても、綾瀨はるかの扮した新島(山本)八重のポスターがあった。
ボクは綾瀨の熱烈ファン。実際の新島八重は豆タンクみたいなズンドウの体つきで、
顔も炭小屋から出てきたアンパンマンみたいな円い顔だ。綾瀨の白いうりざね顔とは
似ても似つかないが、心根が〝ハンサムウーマン〟というのは分かるような気がする。
時々、スコールみたいなどしゃ降りが襲ってくる奇妙な天気。
雨雲が消えると、カーッと晴れわたって焼けるような暑さに包まれる。
「こんな時は、冷えた生ビールを飲むと元気になるんだけどな……」
ボソリとつぶやくと、娘たちは運転手の父親に向かって、
「ビールは宿屋に戻ってから。ならぬことはならぬものです!」
と、きっぱりと言い渡したものだ。
そういえば、旅館の露天風呂にも「什の掟」の高札が立ってたな。
「ウソをつくな」「弱い者いじめをするな」「卑怯なマネをするな」
「年長者の言うことをよく聞け」……いずれも現代に通じるものばかりである。
全国の小中学校にこの「什の掟」の高札を掲げ、毎日唱和させたら、
陰湿ないじめなどなくなると思うのだが、甘っちょろい考えでしょうかねェ。
もののふの道、ますらおの道に殉じた会津の少年少女たち。
愛する国のため、信ずる正義のために潔く一身を投げ捨てた彼らに、
平成の世の惰弱な我らは、どんな思いで向き合ったらいいのだろう。
←六番と七番の掟は現代人には通じないな。
近所の奥さんたちと立ち話ばかりしている
ボクにはムリな注文だ。もっとも、ボクの
お相手をつとめてくれる女性たちは、
〝元〟女性で、今は男でも女でもない、
ふしぎな動物と化しておるけどね。
会津藩家老・西郷頼母邸には「自刃の間」」というのがあった。
足手まといになるからと鶴ヶ城への籠城を拒み、頼母の妻・千重子をはじめ、
一族の婦女子21名が自刃して果てた場が白装束の人形によって再現されている。
千重子(34歳)の辞世の句は、
なよ竹の風にまかする身ながらも たわまぬ節の ありとこそ聞け
細竹は風にまかせて揺れているが、その細竹にだって決して折れぬ節がある。
女性にも勁草のごとき貞操があることを知ってほしい――
千重子はまず三女の田鶴子(9歳)、四女の常盤子(4歳)、五女李子(2歳)の喉を突き、
自らも胸を刺して果てた。母と妹、親戚の女たちは互いに刺し違えて死んでいたという。
その直後、西郷邸には西軍兵士が踏み込んできた。そこで見たものは、
驚愕すべき光景だった。
逆さ屏風の一間を血潮に染めた女たちのなかには、
急所をそれて苦しむ長女・細布子(16歳)の姿があった。
細布子(たえこ)は意識朦朧として息も絶えだえ。
なだれ込んできた一団が敵か味方かもわからない。
「お味方でしょうか?」
細布子の問いかけに、小隊を率いる土佐藩士は思わず「そうです」と答えてしまう。
長女は安心したような顔をして懐剣を差し出し、従容たる態度で介錯を願う。
土佐藩士は涙をふるって介錯し、邸を立ち去ったという。
白虎隊士の墓がある飯盛山にもお参りした。
左膝をケガし、杖をついての会津旅行。171段あるという階段など到底登れやしない。
すぐ脇にスロープコンベア(歩く歩道=1人250円)があったので、
女房とボクは迷いなく楽チンなほうを選択。
娘2人は美容と健康のためにと、勇躍階段を登っていった。
参道を歩くのは今回が2度目。白虎隊殉難の地は香煙が絶えず、
かすかに雨にけむっていた。少年たちが自刃した当時、十九士の遺体は、
西軍の布告「賊軍の死体は一切取り構いなきこと」により、憐れにも遺棄されたまま、
雨露にさらされること3ヵ月。その間、腐乱した遺体にはカラスが群がり、
良家の子弟であったが為に、高価な身のまわり品は略奪され、見るも無惨な
姿に成り果てていたという。
鶴ヶ城で戦死した兵や婦女子たち2000名も同様に埋葬が禁じられた。
この心ない仕打ちが今日までの薩長への恨みにつながっている。
NHKドラマ『八重の桜』人気にあやかりたいのか、
どこへ行っても、綾瀨はるかの扮した新島(山本)八重のポスターがあった。
ボクは綾瀨の熱烈ファン。実際の新島八重は豆タンクみたいなズンドウの体つきで、
顔も炭小屋から出てきたアンパンマンみたいな円い顔だ。綾瀨の白いうりざね顔とは
似ても似つかないが、心根が〝ハンサムウーマン〟というのは分かるような気がする。
時々、スコールみたいなどしゃ降りが襲ってくる奇妙な天気。
雨雲が消えると、カーッと晴れわたって焼けるような暑さに包まれる。
「こんな時は、冷えた生ビールを飲むと元気になるんだけどな……」
ボソリとつぶやくと、娘たちは運転手の父親に向かって、
「ビールは宿屋に戻ってから。ならぬことはならぬものです!」
と、きっぱりと言い渡したものだ。
そういえば、旅館の露天風呂にも「什の掟」の高札が立ってたな。
「ウソをつくな」「弱い者いじめをするな」「卑怯なマネをするな」
「年長者の言うことをよく聞け」……いずれも現代に通じるものばかりである。
全国の小中学校にこの「什の掟」の高札を掲げ、毎日唱和させたら、
陰湿ないじめなどなくなると思うのだが、甘っちょろい考えでしょうかねェ。
もののふの道、ますらおの道に殉じた会津の少年少女たち。
愛する国のため、信ずる正義のために潔く一身を投げ捨てた彼らに、
平成の世の惰弱な我らは、どんな思いで向き合ったらいいのだろう。
←六番と七番の掟は現代人には通じないな。
近所の奥さんたちと立ち話ばかりしている
ボクにはムリな注文だ。もっとも、ボクの
お相手をつとめてくれる女性たちは、
〝元〟女性で、今は男でも女でもない、
ふしぎな動物と化しておるけどね。
2 件のコメント:
しまふくろうさま、おかえりなさいませ。
私は福島と秋田のハーフなのですが(笑)、
いまだに会津へは行ったことがありません。
昔、日テレの年末時代劇がありましたね。
幕末三部作として「白虎隊」「田原坂」「五稜郭」。
この「白虎隊」で西郷頼母のお身内の女性たちが自刃するシーンが出てきました。
息絶え絶えの細布子のそのセリフも、同じだったことを思い出しました。
しかし亡くなった方々の埋葬をしてはならないというのは、あまりにもひどいですね。(T_T)
同じ時代。
静岡では有名なお話がありました。
清水港で清水の次郎長が幕府軍の遺体を運ぼうとして山岡鉄舟にとがめられた時、
「仏さまに官軍も賊軍もあるかっ」と一喝したというお話。
これを知った時、長五郎さんに手を合わせたくなりました。
木蘭様
こんにちは。
福島と秋田のハーフですか(笑)。
それで色白なんですね。
ボクは埼玉県同士の掛け合わせ。
だから色黒で風采が上がらず、
〝芋にいちゃん〟といわれて育ちました。
次郎長の美談、知ってます。
あの時代のヤクザは少なくとも六分の
侠気くらいはありましたね。
さて会津への小旅行は、
娘たちには心に残る旅になったと思います。
観光客のなかには、
「あれ、何て読むんだ?」
と仲間に聞いていた人もいました。
それは〝戊辰〟という二字でした。
せっかくの名所旧跡、神社仏閣を訪ねても、
それなりの予備知識や素養がないと、
猫に小判で終わってしまいます。
ロバが旅に出ても馬になって帰ってくる
わけではない、とする西諺を
もう一度噛みしめることにいたします
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