「忘憂」とは酒の異名なり。この世の憂さを忘れんと、日ごと夜ごと深酒すれば、頭クラクラ、お目々ショボショボ。筆を執りても茫々としてとりとめなし。咳唾珠を成す、どころか、文意不明の「ハッパふみふみ」。意気阻喪し、思わず天を仰げば、泉下の(斎藤)緑雨がこう呟く。奇思すでに古人に尽きたり、妙想すでに西人に尽きたり、と。我に加えるべき何ものもなし。ただいたずらに閑文字をつらねるのみ、か。嗚呼!
2010年5月18日火曜日
母が菩薩になる日
母の米寿を記念して、兄弟揃って1泊旅行に出かけた。(←夫婦単位で)
場所は群馬・みなかみの鄙びた温泉宿。すぐ近くに奈良俣ダム
と人造湖ならまた湖(写真)がある。雪解け時期になると、洪水吐き
から勢いよく放流され、観光客の目を楽しませてくれる。
子供の頃はいざ知らず、それぞれに独立してからは、兄弟が一堂に揃うのは
正月と法事の時ぐらいで、泊まりがけで旅行することなどただの一度もなかった。
今回の小旅行は文字どおりの記念すべき旅行となった。
僕には兄、姉、弟がいる。それぞれにクセのある性格を持っているが、共通項が
1つある。揃ってひねくれ者だ、ということだ。それも異常なほどに。
父は偏屈で通っていたが、これほどまで歪んではいなかった。
母は荒っぽいが、根は陽気で屈折したところはない。僕ら兄弟の
病的なまでの頑迷さと角々しさは、実に突然変異的なのである。
偏屈同士が顔を合わせると、必ずといっていいくらい衝突する。
現に、旅行直前に長兄とひと悶着あった。弟ともメールのやりとりの中で
ささくれ立った言葉の応酬があった。嫁さんたちは「四六時中いっしょだったら、
いったいどうなっちゃうのかしら?」と生きた心地もしなかっただろうが、
幸い「母のお祝い」という一点でブレーキがかかり、角突き合わせることなく、
ぶじ祝賀セレモニーは終わった。
血は水よりも濃し、というが、水より薄い血だってある。また近くの他人のほうが
遠くの親戚などよりよほど大事な場合だってある。兄弟と過ごした期間は20年
そこそこだが、女房とは26年、友人にいたっては40年近くつき合っている。
「去る者は日々に疎し」というが、音信が途絶えたり、顔を合わせる機会が減ってくると、
たとえ血肉を分けた兄弟であっても、ついつい関係が疎遠になってしまう。
そんな薄い血であっても、母の力は偉大だ。かつての気丈さこそ見る影もないが、
その求心力たるやいまだ衰えを知らない。薄い血の兄弟であっても、
「母さんのためなら」と目的を一にして集まってくれる。
血のつながりというのは時にありがたく、時に鬱陶しい。
末の弟などは絶えず上から押さえつけられ、
今でも陰に陽に圧力を感じているだろうから、
鬱陶しさの度合いもまたひとしおだろう。
「たまたま出てくる順番が先だっただけで、どうしてこう兄貴風を吹かしたがるんだ?」
弟の心中を忖度すれば、おそらくこんな感じか。こっちは威張ってるつもりはないし、
上から目線で物を言ってるわけではない。だが、弟にしてみれば、兄や姉たちは、
いつだって目障りで鬱陶しい存在なのだろう。それに兄弟だからという甘えで、
ついぞんざいな言葉づかいになり、礼を失してしまうことがある。
それぞれに独立した家庭をもち、曲がりなりにも社会人として
立派に生活しているのだから、兄弟とはいえ、互いに一片の敬意を
払うべきなのに、なかなかそうはならない。つい子供の頃の調子で
馴れなれしい口をきいてしまう。兄弟同士のつき合いは本当にむずかしい。
今回の小旅行はいろいろなことを教えてくれた。
兄弟はやっぱりいいもんだ、と思う反面、
「おいおい、勘弁してくれよ」とその場から逃げ出したくなる瞬間もあった。
そんなすべてを了解し、森羅万象を真綿でやさしく包み込むかのように、
老母は童女のような笑顔で静かに見守っていた。
母は知らぬ間に慈母観音菩薩と化していた。
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