2014年1月21日火曜日

酒と女は仇なり

毎日酒を飲んでいる。「水」と「木」は休肝日にしようと誓ったばかりなのに、
実行したのは1週だけ。翌週からはなんだかんだと理屈をつけ、酒瓶に手を伸ばしてる。
なんという意志薄弱。おかげで1日中微醺(びくん)を帯びた状態で過ごしてる。

ボクは酩酊状態の時もしらふの時もそれほど変わらない、と勝手に思っていたのだが、
どうやらそうではないらしい。メートルが上がると、だいぶ騒がしくなるようだ。
もともと地声が大きく、よく通るほうなので、自然と周囲に迷惑をかけてしまうのかも
しれない。

出入り差し止めの店もある。あんまり騒ぎすぎて店主夫妻を怒らせてしまい、
「今後いっさい出入り禁止」を食らってしまったのである。
やきとんを立ち飲みで食べさせる店で、わが町では絶大な人気を誇っている。

飲んべえというのは可愛い(←自分で言うな!)。飲むほどに酔うほどに気持ちが大きく
なってきて、舌が滑らかになるにつれ上司を批判したり同僚をこきおろしたりと
大いそがしになる。あげくは自分ひとりで会社を引っぱっているかのような大言を
吐いてはばからない。で、そこに先程来こきおろしていた当の課長がひょっこり
顔を見せたりすると、
「いやあ、課長と飲めて光栄です」
などと、心にもないことをイケシャアシャアと言う。

下戸の人はこうした光景を見て、
(酒飲みというのはなんと他愛なく、愚にもつかぬ連中なのか……)
と呆れ果てるかもしれないが、その日のいやなことも、つらいことも酒場で
すべて発散させてしまえば、心にわだかまりを残さず、すっきりした気分で
家路につくことができる。そうすれば翌日もまた元気よく仕事に出かけられる。
酒飲みにも三分の理なのだ。

ボクみたいに〝酒品〟のいい?男は別だが、他人に迷惑がかからない程度
の賑やかさなら、飲んべえどもの大言壮語や高歌放吟、はては杯盤狼藉も、
多少は大目に見てもらいたい(←度が過ぎてんだよ!)。

居酒屋は胸襟を開いて語り合える、いわば心の解放区。
時々、バカをやり、友に心の弱さを見せたりすることもあるだろうが、
愚かさに徹し、すべてを捨てきれば、そこに自ずとのびやかな自由もある。

イエス・キリストも言っている。
《我にもし、人に誇りとするところあらば、我が弱さのみ誇らんと》

ボクはコーヒー1杯でも会話のお相手をしっかりつとめられるが、
できれば酒があったほうがいい。しかし美禄に枯腸が温められると、
つい酔余の勢いで平生のたしなみ(←そんなものあるのかよ)を忘れ、
粗暴に走ってしまう。酔いが醒めたときの驚愕悔恨は尋常ではなく、
それこそ穴があったら入りたいといった心持ちになる。
ああ、思い起こせば恥ずかしきことの数々……(←寅さんの同類です)。

ならば、煙草をスッパリ断ったみたいに酒断ちをすればいいではないか、
とお思いだろうが、ことはそう簡単にはいきませぬ。
狂水(きちがいみず)に飲まれても、翌日になるとさっきまで入ってた〝穴〟から
のそのそ這い出して、まるで前夜の酔態などなかったかのような顔をして、
またぺろぺろ酒を舐めはじめるのです。 ♪バカは死ななきゃ~治ら~ない

「下戸の建てた蔵はない(下戸は交際下手で出世が遅い?の意)」
などと負け惜しみをいってもはじまらない。
明日も明後日も、そのまた明明後日も飲み会がひかえている。
母さん! ボクの節酒宣言はいったいどこへ行ってしまったのでしょうね?
(↑映画『人間の証明』のノリで)

酒と女は仇なり、どうぞ仇に巡り会いたし、か……
嗚呼! 俺はなんという薄志弱行のロクデナシなんだ。



←そういえば、若いものと飲む
機会がめっきり少なくなったな。
でも若者はバカばかりだしな
(おまえが言うな!)


2014年1月18日土曜日

「あっちの世界」へ行ったきり

公式には『コーヒー おいしさの方程式』は本日発売される。
ただし16日にはすでに書店に並んでいた、という報告もある。
発売後間もないにもかかわらず、すでにAmazonの「グルメ一般」「飲み物」部門
で売行き〝第一位〟を獲得している。大変喜ばしいことだ。

この本の著者は2人いる。コーヒー業界きっての論客・田口護(カフェ・バッハ店主)と
人気ブログ「百珈苑」「百珈苑ブログ」でお馴染みの旦部幸博(滋賀医科大講師)だ。
旦部は大学の研究室でお茶くみ当番をやらされたのがきっかけで、コーヒー物狂いの
世界に沈殿沈没してしまった。

コーヒーの話に熱が入ってくると、一種のトランス状態に陥ってしまうのか、
小難しい化学用語を繰り出して、周囲の心配をよそに「あっちの世界」に行ってしまう。
そうなるともうお手上げだ。われら有象無象など見えても見えず。頭の中は、
ブタンジオンだのトリメチルキサンジンなどといったわけのわからない専門用語で
いっぱいになり、そのまま「あっちの世界」から帰れなくなってしまう。

こうしたある種の天災、じゃない天才を見つけだしてくる田口の眼力も大したものだが、
それに即応するMr.ブタンジオンも大したものだ。一時は笑福亭鶴瓶に足元をすくわれ
そうになったこともあるが、〝タグタンコンビ〟解消には至らず、業界関係者をホッと
させている。

この本にはすでに海外の出版社から翻訳権のオファーが複数舞い込んできている。
当然だろう。〝田口本〟の売行きは海外でも安定した強さを発揮していて、
出せば必ず儲かると、版元はどこもみな分かっているのだ。

この新刊を深く理解するためには既刊の『田口護の珈琲大全』を読んでおくといい。
いきなり手にとっても分かるようには書いたつもりだが、事前に読んでおけば
奥深いところまで理解が進む。『珈琲大全』は今や東アジア圏のコーヒー業界では
無敵を誇るほどの名著とされ、増刷に次ぐ増刷で、いまでも安定して売れている。

その割にはブックレビューが少ないではないか、と訝しく思われるかもしれないが、
業界人はみな〝お山の大将〟ばかりで、自分の焙煎したコーヒーこそ日本一、
いや世界一だと思ってる。だから、こっそり赤線を引きながら読んでいたとしても、
そんなことはおくびにも出すまい。自尊心を傷つけられたくないからだ。
もちろんレビューなんぞ死んでも書かない。その微妙な心持ちはよーく分かる。
でもね、なんか料簡が狭いって感じもする。

読んで得したにしろ損したにしろ、その感想を素直に綴ってやればいい。
褒めれば著者の励みになるし、その逆であってもまた励みになる。ただし、
★5つのうち、ほとんどの人が★4~5つを与えているというのに、時々★1つを与え、
こっぴどくこきおろしているカスタマーレビューを見かけることがある。
読むと甚だ見当違いのものが多く、どこか病的な〝悪意〟や個人的な
〝恨みや妬み〟が感じられたりする。

つまり本の評判を傷つけようと確信犯的に営業妨害をしているように感じられるのだ。
1つ★をつけ、酷評することで著作にミソをつけたいのなら、
まずはそんな駄本を買ったおのれの不明を恥じるほうが先だろう。
その気概がないのなら、黙って無視していることだ。

それにしても、瞬間風速的ではあっても、Amazonの人気ランキングで〝第一位〟を
獲得するのは喜ばしい。田口本の第2弾『田口護のスペシャルティコーヒー大全』の
中国語版(台湾)では、代筆したボクのことを〝工作人員〟と、まるでスパイみたい
に扱っていたが、この呼び名がもう少しカッコよくなればもっと嬉しいのだが。

去年、ゴーストで出した単行本もAmazonの「ビジネス本」部門で、
人気〝第一位〟を獲得した。いまでも10位以内に入っているようだから、
まさに〝幽霊冥利〟に尽きると言っていい。

来月2月23日の夜には、代官山の「蔦谷書店」で「タグタン」コンビを講師に招き、
『おいしさの方程式』発刊を記念してお笑い?トークイベントを開催する。
司会進行は〝しらふ状態〟の嶋中労先生で、まともに会が運ぶかどうか、
危ぶむ声がすでに出てきている。死ぬほどヒマで、一言文句が言いたい人は
ぜひ参加してほしい。質疑応答の時間もとってありますから。




←コーヒーってこんなに奥が深い世界なの?
とビックリ仰天すること必至。買って損はないです。
福山雅治主演の映画「真夏の方程式」も評判だというから、
近頃は〝方程式〟流行りなのかもしれない。











 

 
 

2014年1月15日水曜日

メメント・モリ

昨日、30年来の友人が死んだ。
長女の同級生の父親で、保育園時代からのつき合いだった。
冗談ばかり言う明るい男で、団地の友人の中では古参の一人だった。

女房と死に顔を拝んできた。痩せさらばえ、骨と皮になっていた。
それでも安らかな顔をしていた。激しい痛みから解放され、ホッとしたのだろう。
〝サイレントキラー〟と呼ばれる恐ろしき膵臓ガンである。享年58。

ある作家は言っていた。《私たち人間には、ほぼ一定の容量が与えられている》と。
人が人生において歩く距離は、そう大した違いはないのではないか、と。
《速く、短時間で走るか。ゆっくり、長い時間をかけて歩くか》
それは各人の選択で、太く長く、という具合にはいかない。

「命長ければ恥多し」とボクは再三書いている。
しかし実際は、老醜をさらけ出しながらも、1日でも長く生きたいと
「生」に執着するに違いない。
同じ団地内に、もう一人末期ガンを宣告された友がいる。
「夏までもつかどうか……」と友は淋しげにつぶやき遠くを見つめた。

ボクは少なくとも言葉のプロを自任しているが、余命を宣告された友を
慰め励ます言葉を知らない。ただ黙ってそばにいてやることだけ。
出来ることはそれだけだ。言葉など無力この上ない。

では、人間としての理想の長寿とはどれくらいのものなのか。
「人間五十年 夢幻のごとくなり」とは謡曲「敦盛」の一節だが、
いまどき人生50年では誰も納得してはくれないだろう。
では60年か。いや、還暦をすぎた自分が言うのも何だが、
まだまだ物足りない。では、70年ならどうか。
それとも80年? いや90年ならどうか?

聞くところによると、宗教家はなべてみな長寿なのだという。
職業別の統計でも、宗教家が長生きのトップらしい。

たとえば浄土教では法然が80歳、親鸞が90歳、蓮如が85歳。
あの時代としては驚歎すべき長寿である。
読経が長寿の秘訣、という説もある。

念仏を含め読経は長時間の呼気(吐く息)で読み、一瞬の吸気で息を継ぐ。
「短く息を吸い、長く吐く」――これが腹式呼吸の基本中の基本だ。
食事も粗食を旨とし、フレンチだイタリアンだと贅沢なことはいわない。

「大いなるもの」に身をあずけてしまう、というのも長寿に〝効く〟らしい。
大いなるものとは、阿弥陀如来とか〝山の神〟とか(笑)、大方そのたぐいだろう。
ただし、全能の〝山の神〟でもガンには勝てないかもしれない。

ああ、友よ、愛する家族、そして年老いた母をおいて先立ってしまうのは、
さぞかし無念だっただろう。その胸中、察するに余りある。だから君の分まで
ボクが長生きしよう。君の無念をボクが代わりに晴らしてやろう。
そのことを、謹んでここに誓う。
合掌。





←亡くなった友は長野のりんご
農家の長男。発病してからも、
老母が独り住む実家へ毎週のように
通っていた。
「アップル殿下」を自称していた友よ、
安らかに眠りたまえ。
(写真はアップル殿下のりんご園)

2014年1月13日月曜日

うちの女房は犬の鼻

赤坂の「Wakiya 一笑美茶楼」で結婚30周年をささやかに祝った。
テレビなどでもお馴染みの脇屋友詞が経営する中国料理店である。
目と鼻の先には、和食を世界に広めた村田吉弘の「菊乃井赤坂店」がある。

脇屋さんは女房の数十年来の知り合いで、村田さんとも古い馴染みだ。
ボクも同い年の村田さんを京都で丸1日取材につき合わせたことがある。

和食をユネスコ無形文化遺産に登録させた最大の功労者ともいえる村田さんは、
打てば響くといった勘のいい男で、話っぷりは立て板に水でよどみがない。
話し言葉がそのまま編集の手を加えずとも立派な記事になってしまう、という
得がたい人物で、(この男は切れ者だな)と、会うたんびに感心させられる。

脇屋さんはテレビや雑誌で頻繁に顔を売っているから、さぞや高慢ちきの
〝すれっからし〟だろうと思いきや、実際は腰の低い謙虚なひとで、
偉ぶったところなどひとつもない。女房曰く。「料理は〝ヌーヴェル・シノワの旗手〟
などといわれてるけど、基本がしっかりしてるから浮ついたところが微塵もない。
味つけも上品で、出来不出来のバラツキがなく、いつも安定している」
と大絶賛。ボクもその評価には賛成だ。

今日もテーブルを回って挨拶に来た脇屋シェフとしばし歓談。
内緒で北京ダッグをサービスにつけてくれたのは僥倖だった。

わが家には誕生日などの記念日があると、ちゃんとしたレストランで会食する
という〝しきたり〟がある。娘たちがまだ小さい頃から続けている、いわば嶋中家の
慣習みたいなもので、和洋中の名だたる店の料理をできるだけ生で体験させてきた。

以前は首都高で都心まで繰り出した(所要時間は約30分)ものだが、車だと
お酒が飲めないので、最近はもっぱら電車。次女が横浜住まいなもので、
待ち合わせは渋谷近辺が多くなった。和光市から渋谷までは副都心線の急行で
わずかに20分。横浜にも乗り換えなしで行けるから、なんとも便利になったものだ。

女房はプロの料理人向け月刊誌『専門料理』の元編集長で、
退社後は仲間と月刊『料理王国』を立ち上げ、今はフリーの料理記者として
がんばっている。専門はイタリアンとフレンチだが、最近は和食にも強くなり、
寿司の名店を訪ねるといった連載企画ももっている。

よく訓練された舌と犬のような嗅覚の持ち主で、
その感度のよさは圧倒的で、少なくともボクの1000倍くらい敏感だ。
そのため、料理の評価は自ずときびしいものになる。ホンモノばかりに
接している(ほとんど自前です)ので、イカモノはすぐ見破ってしまう。

コーヒーにもうるさくて、名店といえどもお粗末なコーヒーは一刀両断。
現在、彼女のお眼鏡にかなっているコーヒーはほんの数店
(豆香洞にバッハ、ダフニ、KAFE工船、帰山人氏の馬馬コーヒー?など)に限られる。
ボクはというと、前にも言ったが自称〝のどめくら(味オンチのこと)〟で、
腹が減ってりゃ何でもうまいのクチで、専門分野と思われてるコーヒーだって
味覚評価となるとかなり怪しい。

その味覚オンチの怪しい男が、『コーヒー おいしさの方程式』などという
技術本の編集にかかわっているのだから、つい
♪ 未来は そんなわるくないよ へ、へい、へい(笑)。←「恋するフォーチュンクッキー」より
などと歌いたくなってしまう(AKB48の隠れファンなんでちゅ)。
この新刊本、明日あたりには書店に並ぶだろうから、ぜひぜひ手にとってほしい。

話変わっていま、台所では長女がモロッコで食べたという「クスクス」を作っている。
出来上がりが楽しみだが、なんと「1週間分作っちゃったァ!」と台所で叫んでる。
馬が食うほど作ってしまったらしい。いつものことながら加減ってものが分かってない。
「いっぱい作ってやったから毎日食べてね!」だって、泣かせてくれるぜ(ウェーン!)。
朝昼晩と、毎食クスクスかよ……
フォーチュンクッキーのおみくじはきっと大凶だろう(笑)。




←「Wakiya」の前菜盛り合わせ
















 

2014年1月10日金曜日

『コーヒー おいしさの方程式』異聞

ボクは一瞬、目を疑った。(な、なんだこりゃ?)
そして同時に笑い出した。(〝タグタン〟コンビはついに解消か)
『コーヒー おいしさの方程式』は、実は『コーヒー お笑いの方程式』でありました。







←「のぶじいのぶろぐ」
より盗用(笑)。
旦部先生は面白がって
「ウェブ魚拓」にした
みたいだ。













というのは、トーハンの書店向けサイト「e-hon」で『コーヒー おいしさの方程式』の
予約受付をしているのだが、田口護(カフェ・バッハ店主)の共著者に滋賀医科大講師
の旦部幸博ではなく笑福亭鶴瓶などと書いてあるのだ(いまは訂正されている。残念)。

田口と鶴瓶の新コンビもなかなか捨てたもんじゃないな、と思いつつも、
弊履のごとく捨てられてしまった旦部センセーの心中を察すると余りあるものがある。
あのセンセーだって、頭はとびきり堅いけど、ときどきおやじギャグなんか飛ばしたりして、
胸が〝キュン〟となるほどカワユかった。

それにしても、記者会見もしないで、突然コンビを解消するなんて、
田口御大もあまりといえばあまりの仕打ち。2人にはいったい何があったのか。

このニュースを聞きつけた帰山人などは、なぜか異様なハシャギぶりで、
「さっそく〝田口一門〟に弟子入りします」などと宣言してた。
なんとも変わり身の早い男だ。

鶴瓶もきらいではないが、ボクはひょっこりひょうたん島の〝博士〟の異名をもつ
旦部センセーとやっぱ〝復縁〟してほしい。肝心の田口は記者たちの追求を恐れたか、
もっか外遊中だという。

せっかく「世界最強のコーヒー技術本」ができたというのに、
とんだところでミソをつけてしまった。
捨てられた旦部センセーはこの先どうやって食べていくのだろう。慰めの言葉もない。
いっそ「お笑いコンビ」のマネジャーにでも転身したらどうかしら。





◆お知らせ
『コーヒー おいしさの方程式』発売記念トークイベント
来る2月23日(日)19:00~20:30、「代官山蔦谷書店」にて、著者2人による
トークショーを開催します。講師は田口護と旦部幸博の〝旧タグタン〟コンビ。
司会進行は不肖嶋中労があいつとめます。お笑いイベントにならぬよう、
この日ばかりは〝しらふ〟で参上いたしますので、死ぬほどおヒマな方は
ふるってご参加ください。詳しくは本ブログにて追ってお知らせいたします。
(ただしこの本もしくは〝田口本〟のいずれかを蔦谷書店で買い求めた人にのみ
参加資格が与えられます)

 

2014年1月4日土曜日

倦かずに30年

あと4日で結婚30周年を迎える。真珠婚式というのだそうだ。
ネットで検索した女房は「ネックレスじゃなく真珠のタマ1粒でもよし、かァ……」
などと聞こえよがしにつぶやいている。こっちは聞こえないふりをする。

それにしても、よくまあ30年も保(も)ったものだ。
しょっちゅうケンカしている割には、比較的仲がいい。
その証拠に娘2人はすくすくとまっ直ぐに育った。
夫婦仲がわるいと、こどもは心に傷を負い、必ずグレる。

ルビー婚式(40周年)にはどうにかセーフって感じだろうが、
金婚式(50周年)はたぶんムリだろう。わが一族で、80代を迎えた男は皆無。
みな70代半ばで没している。一方、女房の一族は長寿の家系で、
浜松にいる義母などは米寿を迎えようというのに髪がまだ黒々としている。

「働きずくめで身体を酷使してるから、私はたぶん早死にするわね」
と、甲斐性なしの夫を恨めしげに見ながら、女房は力をこめるのだが、
ボクの予想ではおそらく100歳まで生きるだろう。
うちのカミさんは異常に生命力が強いのだ。

誰が言ったのか、
《逢って3年、愛して5年、飽きて10年、あと惰性》
なんていう言葉がある。また、
《お茶も飲んだし、散歩も飽きた。時計見ている野暮とヤボ》
というのもまた身につまされる。
ヤボでもいい、惰性でもかまわん。曲がりなりにも30年夫婦をやってきた、
という事実は大したものだ、と正直思う。ボクには上出来の部類である。

夫婦も互いに歳を取ると、どちらからともなくいたわりの気持ちが出てくる。
朝から晩までパソコンに向かっている女房の背中を見ていると、
(苦労ばかりかけて、ほんとうに済まないなァ)と、深く反省するのだが、
数分後、テレビを見ながら酒盛りを始め、意味もなくバカ笑いしているのだから、
ほんとうに反省しているのかどうかはかなり怪しい。

花いっとき、人ひと盛り――ひとの盛りは5年、大負けに負けて10年、と師匠の
山本夏彦は言った。長寿のめでたいことはたしかだが、命長ければ恥多しという。
真珠だルビーだと言ってるうちが花で、同時に潮時なのかもしれない。



←これは5年前の銀婚式を祝った時
のスナップ。みんなまだ若い。新宿の
某イタリアンで。






 

2014年1月1日水曜日

恭賀新年

今年もぶじ明けました。
わが拙いブログを愛読してくださっている皆さま。
新年明けましておめでとうございます。
また海外にいらっしゃる読者の皆さま、本年もよろしくお願い申し上げます。

年が改まったからといって、格別の感慨もなく、また抱負といったものの
持ちあわせもないのですが、個人的には膝痛と腰痛のリハビリに励み、
完全復活の年にしたいと考えております。実に夢のないジジ臭い抱負で、
自分でも情けないこと夥しいのですが、もともと志の低い人間ですから、
まあ、こんなところで勘弁ねがいます。

さて、私は数年前まで肩書きがありませんでした。
名刺には「嶋中労」と書いてあるだけ。
これを受け取った相手は、一瞬、戸惑いの色を見せます。
(えっ、この人、何者なんだ?)

日本の社会は肩書きのない人間を認めません。
定職のない人間も認めません。
どこそこの会社のどんな役職にある何という名前の人なのか。
名の知れた会社の、そこそこの地位にある人だと、相手は安心して
初めて笑顔を見せます。

ただの「しまなかろう」では、どのくらい〝えらい人?〟なのか分からない。
素性が分からないと、どんな態度をとり、どんな言葉づかいで接したらいいのか、
それこそ分からないので、相手は困ったような顔して立ちすくんでしまいます。

同業者の中には、名刺に「作家」とか「ノンフィクションライター」、
「コラムニスト」「エッセイスト」などという肩書きを載せるものがあります。
なかには「詩人」などと書くおっちょこちょいもいるようですが、
私などは広い世間を斜めに生きてきたクチなので、
肩書きなどというご大層なものは金輪際願い下げなのであります。

しかし、それはこっちの勝手な都合だということが分かりました。
初対面の人は名刺を見て、(ハハーン、なるほどこういう関係の人か)
と見当をつけ、話のとっ掛かりを見つけようとします。肩書き無しだと、
そのとっ掛かりがつかめず、困ってしまうのです。これでは気の毒です。

で、私は「ジャーナリスト」という、当たり障りのない肩書きをつけることにしました。
ある公の場で、「作家の嶋中労さんです」と紹介されたことがあります。
しかし私は作家ではありません。
私たちの〝ギョーカイ〟では、小説を書いて生計を立てている人間を作家と呼びます。
「作家=小説家」ということなのです。
私はノンフィクションは書きますが、完全なフィクションは書きません(いや、書けません)。
したがって、慣習的には「作家」とは呼ばないのです。

日本は肩書き社会なので、現役をリタイアし肩書きを失った人間を粗末に扱います。
とりわけ男の社会は非情なもので、肩書きのない人は人間扱いされないのです。
そんな「非人間(人非人ではない)」たちが、わが団地にはウヨウヨしています。
この団地の中心層は隠居したてのいわゆる〝団塊の世代〟なのです。

人間として丁重に扱われるのは肩書きのおかげです。
会社という金看板があるおかげなのです。
その後ろ盾がなくなり、ただの剥き出しの「個人」になってしまった後が問題です。
ここで初めて〝人間力〟とか〝人間的魅力〟が問われるからです。

肩書きを失っても輝いている人はいっぱいいます。
肩書きがとれた途端に輝きを失ってしまう人もいっぱいいます。
肩書きなどなくとも輝くような人間になりたい――これが私のささやかな希みです。

私には人に誇るべき地位も名誉もありません。
自慢ではありませんが金もオンナ(古女房はまだいます)もないのです。
「人生は死ぬときまでのヒマつぶし」と考えているうつけ者であります。
ただ「自分に正直に生きたい」だけがモットーで、
その信念を貫くため、時にはケンカも辞しません。

そんな愚か者の綴るブログですが、
お気に召しましたら、末永くごひいきに願います。
今年もよろしくお願い申し上げます。