2013年7月19日金曜日

残照あわれ

石川淳の著作のなかに『敗荷落日』という小品がある。
享年79で逝った永井荷風を、当時60歳の石川が悼んだ文章である。
石川は江戸随筆の流れを引く荷風散人を心から敬愛していた。
ところが……

『敗荷落日』は、
一箇の老人が死んだ》という書き出しで始まる。
文中には「目をそむける」「精神の脱落」「小市民の痴愚」などと
苛烈な言葉が目白押しで、石川の呻(うめ)くがごとき慨嘆ぶりがうかがえる。

《年ふれば所詮これまた強弩(きょうど)の末のみ。書くものがダメ。文章の家にとって、
うごきのとれぬキメ手である。どうしてこうなのか。荷風さんほどのひとが、
いかに老いたとはいえ、まだ八十歳にも手のとどかぬうちに、どうすればこうまで
力おとろえたのか。わたしは年少のむかし好んで荷風文学を読んだおぼえがあるので、
その晩年の衰退をののしるにしのびない……》

ボクも荷風全集を愛読している者の一人だが、
その日本語の美しさといったら比類がない。
師匠の山本夏彦もまた無類の荷風ファンであった。
が、荷風は人間的にはやや問題があった。
師匠は書いている。
《荷風の人物は彼が好んで援用(えんよう)した儒教的モラルからみれば
低劣と言うよりほかない……しかし些々(ささ)たるウソのごときケチのごとき、
美しければすべては許されるのである》(『美しければすべてよし』より)

その荷風は、千葉市川の僑居(きょうきょ)で、貯金通帳をこの世の大事と握りしめ、
深夜の古畳の上に血を吐いて死んでいた。
戦後の作品のなかで見るべきものといえば、わずかに『葛飾土産』のみ。
あとは《小説と称する愚劣な断片》《無意味な饒舌》、
すべて読むに堪えぬもの、聞くに値しないものであった、
と石川は容赦なく切り捨てる。

そして最後の条は、
《日はすでに落ちた。もはや太陽のエネルギーと縁が切れたところの、
一箇の怠惰な老人の末路のごときには、わたしは一灯をささげるゆかりも無い
と非情に突き放す。
追悼文中の白眉といわれる『敗荷落日』。
ボクは荷風のすごさを知っているだけに、石川の嘆き節も実によく分かる。

突然、なぜこんな話を書いたかというと、
珈琲業界で神様のように敬愛されている人物の珈琲が、
この10年にわかに衰えをみせ、悲しくも荷風晩年の
〝愚にもつかぬ断章〟と似たものを眼前に彷彿させるからである。
もう脈はあがった、と説くものもいる。

その当たれるか否かは知らぬが、
神様になった男の瑕瑾をとがめるといった趣味は、ボクにはない。
石川の科白を借りれば、
「わたしは年少のむかし、好んでこの店の珈琲に親しんだので、
その晩年の衰退をののしるにしのびない……」

怠惰な老人どころか、老人は謹直勤勉にして少しも労をいとわぬ真正の職人だ。
ああ、この名人の創る珈琲はすばらしいの一語に尽きた。
だから、何と言おう、ただひたすら切なく哀しいのだ。
願わくば、味感の復活のあらんことを……。





←晩年、小市民的な痴愚の世界に
埋没してしまった荷風散人。

4 件のコメント:

木蘭 さんのコメント...

しまふくろうさま、おはようございます。


なんだか切なくて、
悲しみがいっぱいのお話ですね・・・


悔しくてたまらない。
そんな思いが伝わってきます。


幾度も慟哭しながら、
幾度も涙を拭きながら、

憎悪にも似た思いをのせてペンを走らせていたのでしょうね・・・


憎悪は愛情の裏返し。

愛情が強ければ強いほど、
裏返った思いは強いものなのでしょう。


今回のお話、
久しぶりに胸が痛くなりました。

ROU.SHIMANAKA さんのコメント...

木蘭様

こんにちは。

本日は朝まだきに起き、秩父まで行ってきました。親戚の家庭争議の仲裁役というか、ひっかき回し役というか、何の役にも立たないのですが、すでに演目と役柄が決められていたので、左脚を引きずりながら、杖をつきつき行ってまいりました。

帰ってきてパソコンを開いたら、木蘭さんからのお便り。疲れが一気にとれました。

さてブログの中身の話ですが、
永井荷風に仮託して、失礼ながらも
某焙煎名人を肴にしてしまいました。

もちろん本意ではありません。
黙っていたほうが世間的には利口でしょう。

老いというのは哀しいものですね。
ボクも還暦を迎え、だんだん身体も利かなく
なるという自覚に日々苛まれていると、
すべての感覚が正常に働かなくなっているのでは、という恐怖感に襲われることがあります。

舞台は引き際が肝心、とよく言います。
その引き際を過つと、いたずらに老醜をさらし、晩節を汚すことになります。

美しく生きて死ぬ――ボクにはとても無理な相談でしょうが、せいぜい心掛けることにいたします。

帰山人 さんのコメント...

労師、お暑うございます。
荷風散人は夏でもアイスコーヒー飲まなかったそうですね。氷で冷やすと香気が消える、などと言って。その割には、貯金通帳の傍らにインスタントコーヒーの瓶を転がして死んでいたそうですが。そういや、『濹東綺譚』の 「作後贅言」は銀座のカフェの悪口ばかり…何かもう、察していたのかしらん(笑)
でも、イイじゃありませんか。他人から見苦しくても、本人が苦しくないならば。傍から「残照」でも本人がイジケていないのならば…人生は夫夫のものザンショ?他人の目を気にする労師なんて見たくもないしネ。
私は、荷風散人などと違って、暑けりゃ暑いで香気を残した冷珈琲をいただきますよ、自作で。荷風散人は知恵と工夫が足りなかったんですナ。
あ、これも小市民的な痴愚?…イイんですよ、「帰山人じゃなかった」を消さなくても、もうバレてますから。残照は今少し先ですが、残暑はもうすぐです、お大事に。

ROU.SHIMANAKA さんのコメント...

帰山人閣下

ウーン、やっぱバレてたか(笑)。
さすがに目ざといね。

文章全体の格調を保ちたかったから、
お笑い系はあえて外したんだ。

『作後贅言』のなかには、たしかに
贅言があふれていますな。

あれは帰朝者の矜恃なのかねェ、
紅茶にしろ珈琲にしろ、香気が消失するので
氷で冷却することは相成らん、
と息巻いておる。邦俗の〝奇風〟などとも
言っている。

しかし、どんな流行でも所詮〝風俗〟ですからね。理屈じゃあないんですよ。

荷風散人は貯金通帳を握りしめて死んだけど、
帰山人閣下は何を握りしめておっ死んじゃうのかね?

少なくともボクは、生前よりのよしみで
一灯を献げる用意はあります。
どうか安心して残照に堪えてね。