2013年3月17日日曜日

伝説の「もか」甦る

吉祥寺「もか」といえば〝感動を誘うコーヒー〟として知られたものだが、
2007年12月に店主の標交紀(しめぎ・ゆきとし)が亡くなると同時に店を閉め、
いまは「チャイナブレイク」という紅茶専門店に変わってしまっている。

作家の故・埴谷雄高はこの「もか」の常連で、飲むのは決まって
イエメンのモカ・マタリだった。標は最初、この人物が誰だか知らなかった。
別の馴染みの小説家(たぶん村松友視だろう)が、
「へーえ、埴谷先生も来てるんだね」
と感心しているものだから、
「埴谷先生って何ですか?」
と、すっとんきょうな声で尋ねたのがそもそもの始まりだ。
「おまえ埴谷先生を知らないのか。あの先生の本が翻訳されたらノーベル賞もんだよ。
だけど難しすぎて誰も翻訳できないんだ(笑)」
標は慌てて本屋に飛び込み、埴谷雄高の本を片っ端から買い込んだ。
「でもね、どれも最初の5ページ読んだだけで眠くなっちゃって……」

それはそうだろう。埴谷の代表作『死霊』などはドストエフスキーの作品を多分に意識した
思弁的小説とされ、中には〝自同律の不快〟などという形而上的な命題も出てくる。
また「あっは」とか「ぷふい」といった大ぶりな言語表現にも戸惑い、
なかなか先へ読み進められない。ボクなんか何度も挫折し、
ついに読み切ることができなかった。
最初の5ページを読んだだけでも立派なものなのである。

俗に「士大夫三日会わざれば刮目(かつもく)して待つべし」という。
男子たるもの(もちろん女子でもいいのですが)は3日も会わないと思わぬ成長を
しているものなので、注意深く観察し、それなりに遇するのがよろしい、という意味だ。
標もよく同じようなことを言っていた。弟子たちのコーヒーも3日ならぬ3ヵ月経ったら
進化していなくてはいけない。「変わらないのは怠けているからだ」と。

そんな厳しい師匠に鍛えられた弟子たちが一堂に会し、来る3月24日(日)、
三鷹の「中近東文化センター附属博物館」(10:00~16:00)で〝もかリバイバルカフェ〟
をオープンする。標が集めたコーヒー器具コレクションに囲まれながら、往年の「もか」の
雰囲気と味を再現しようという試みだ。3月14日付けの朝日新聞朝刊には
伝説の店 あの一杯を再び』というタイトルで紹介記事が掲載された。日頃、
朝日の悪口ばかり書いているボクも、電話取材には快く応じてやった。
士大夫(へへへ……ボクのことです)ともなると、人間の度量が凡人などとは
ちょっとばかりちがうのである。

というわけで、当日はボクも陣中見舞いに行くつもり。
〝コーヒーの鬼〟と呼ばれた標交紀のコーヒーを飲んだことがない人。
全国から集まる弟子たちがその〝幻の味〟を再現するので、
ご用とお急ぎでない方はぜひ味わってみてほしい。
この附属博物館は31日をもって閉鎖されてしまうので、
おそらく「もか」のコーヒーを味わうラストチャンスになるだろう。



※追記
当日はすごい人出だった。
(これほどにも「もか」のファンが多かったとは……)
立錐の余地がない。かろうじて標未亡人の和子さんと毎日新聞記者の明珍さんの間に
割りこんだかっこうだ。和子さんには無沙汰を詫び、近況をそれとなく聞いた。
相変わらずコーヒーは飲まない。夫の死後、あれほど好きだったコーヒーを
自ら断っているのだ。というより飲めなくなってしまったのだという。
会にかけつけてくれた弟子は山形「コフィア」の門脇さん、新潟「交響楽」の湯川さん、
兄弟弟子に当たる港区「ダフニ」の桜井さん。あまりにお客が多すぎて、
言葉を交わす時間もない。門脇さんがたててくれたコーヒーは、往時の「もか」のそれを
彷彿させる美味なものであった。みなさん、お疲れさまでした。





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