吉祥寺「もか」といえば〝感動を誘うコーヒー〟として知られたものだが、
2007年12月に店主の標交紀(しめぎ・ゆきとし)が亡くなると同時に店を閉め、
いまは「チャイナブレイク」という紅茶専門店に変わってしまっている。
作家の故・埴谷雄高はこの「もか」の常連で、飲むのは決まって
イエメンのモカ・マタリだった。標は最初、この人物が誰だか知らなかった。
別の馴染みの小説家(たぶん村松友視だろう)が、
「へーえ、埴谷先生も来てるんだね」
と感心しているものだから、
「埴谷先生って何ですか?」
と、すっとんきょうな声で尋ねたのがそもそもの始まりだ。
「おまえ埴谷先生を知らないのか。あの先生の本が翻訳されたらノーベル賞もんだよ。
だけど難しすぎて誰も翻訳できないんだ(笑)」
標は慌てて本屋に飛び込み、埴谷雄高の本を片っ端から買い込んだ。
「でもね、どれも最初の5ページ読んだだけで眠くなっちゃって……」
それはそうだろう。埴谷の代表作『死霊』などはドストエフスキーの作品を多分に意識した
思弁的小説とされ、中には〝自同律の不快〟などという形而上的な命題も出てくる。
また「あっは」とか「ぷふい」といった大ぶりな言語表現にも戸惑い、
なかなか先へ読み進められない。ボクなんか何度も挫折し、
ついに読み切ることができなかった。
最初の5ページを読んだだけでも立派なものなのである。
俗に「士大夫三日会わざれば刮目(かつもく)して待つべし」という。
男子たるもの(もちろん女子でもいいのですが)は3日も会わないと思わぬ成長を
しているものなので、注意深く観察し、それなりに遇するのがよろしい、という意味だ。
標もよく同じようなことを言っていた。弟子たちのコーヒーも3日ならぬ3ヵ月経ったら
進化していなくてはいけない。「変わらないのは怠けているからだ」と。
そんな厳しい師匠に鍛えられた弟子たちが一堂に会し、来る3月24日(日)、
三鷹の「中近東文化センター附属博物館」(10:00~16:00)で〝もかリバイバルカフェ〟
をオープンする。標が集めたコーヒー器具コレクションに囲まれながら、往年の「もか」の
雰囲気と味を再現しようという試みだ。3月14日付けの朝日新聞朝刊には
『伝説の店 あの一杯を再び』というタイトルで紹介記事が掲載された。日頃、
朝日の悪口ばかり書いているボクも、電話取材には快く応じてやった。
士大夫(へへへ……ボクのことです)ともなると、人間の度量が凡人などとは
ちょっとばかりちがうのである。
というわけで、当日はボクも陣中見舞いに行くつもり。
〝コーヒーの鬼〟と呼ばれた標交紀のコーヒーを飲んだことがない人。
全国から集まる弟子たちがその〝幻の味〟を再現するので、
ご用とお急ぎでない方はぜひ味わってみてほしい。
この附属博物館は31日をもって閉鎖されてしまうので、
おそらく「もか」のコーヒーを味わうラストチャンスになるだろう。
※追記
当日はすごい人出だった。
(これほどにも「もか」のファンが多かったとは……)
立錐の余地がない。かろうじて標未亡人の和子さんと毎日新聞記者の明珍さんの間に
割りこんだかっこうだ。和子さんには無沙汰を詫び、近況をそれとなく聞いた。
相変わらずコーヒーは飲まない。夫の死後、あれほど好きだったコーヒーを
自ら断っているのだ。というより飲めなくなってしまったのだという。
会にかけつけてくれた弟子は山形「コフィア」の門脇さん、新潟「交響楽」の湯川さん、
兄弟弟子に当たる港区「ダフニ」の桜井さん。あまりにお客が多すぎて、
言葉を交わす時間もない。門脇さんがたててくれたコーヒーは、往時の「もか」のそれを
彷彿させる美味なものであった。みなさん、お疲れさまでした。
2007年12月に店主の標交紀(しめぎ・ゆきとし)が亡くなると同時に店を閉め、
いまは「チャイナブレイク」という紅茶専門店に変わってしまっている。
作家の故・埴谷雄高はこの「もか」の常連で、飲むのは決まって
イエメンのモカ・マタリだった。標は最初、この人物が誰だか知らなかった。
別の馴染みの小説家(たぶん村松友視だろう)が、
「へーえ、埴谷先生も来てるんだね」
と感心しているものだから、
「埴谷先生って何ですか?」
と、すっとんきょうな声で尋ねたのがそもそもの始まりだ。
「おまえ埴谷先生を知らないのか。あの先生の本が翻訳されたらノーベル賞もんだよ。
だけど難しすぎて誰も翻訳できないんだ(笑)」
標は慌てて本屋に飛び込み、埴谷雄高の本を片っ端から買い込んだ。
「でもね、どれも最初の5ページ読んだだけで眠くなっちゃって……」
それはそうだろう。埴谷の代表作『死霊』などはドストエフスキーの作品を多分に意識した
思弁的小説とされ、中には〝自同律の不快〟などという形而上的な命題も出てくる。
また「あっは」とか「ぷふい」といった大ぶりな言語表現にも戸惑い、
なかなか先へ読み進められない。ボクなんか何度も挫折し、
ついに読み切ることができなかった。
最初の5ページを読んだだけでも立派なものなのである。
俗に「士大夫三日会わざれば刮目(かつもく)して待つべし」という。
男子たるもの(もちろん女子でもいいのですが)は3日も会わないと思わぬ成長を
しているものなので、注意深く観察し、それなりに遇するのがよろしい、という意味だ。
標もよく同じようなことを言っていた。弟子たちのコーヒーも3日ならぬ3ヵ月経ったら
進化していなくてはいけない。「変わらないのは怠けているからだ」と。
そんな厳しい師匠に鍛えられた弟子たちが一堂に会し、来る3月24日(日)、
三鷹の「中近東文化センター附属博物館」(10:00~16:00)で〝もかリバイバルカフェ〟
をオープンする。標が集めたコーヒー器具コレクションに囲まれながら、往年の「もか」の
雰囲気と味を再現しようという試みだ。3月14日付けの朝日新聞朝刊には
『伝説の店 あの一杯を再び』というタイトルで紹介記事が掲載された。日頃、
朝日の悪口ばかり書いているボクも、電話取材には快く応じてやった。
士大夫(へへへ……ボクのことです)ともなると、人間の度量が凡人などとは
ちょっとばかりちがうのである。
というわけで、当日はボクも陣中見舞いに行くつもり。
〝コーヒーの鬼〟と呼ばれた標交紀のコーヒーを飲んだことがない人。
全国から集まる弟子たちがその〝幻の味〟を再現するので、
ご用とお急ぎでない方はぜひ味わってみてほしい。
この附属博物館は31日をもって閉鎖されてしまうので、
おそらく「もか」のコーヒーを味わうラストチャンスになるだろう。
※追記
当日はすごい人出だった。
(これほどにも「もか」のファンが多かったとは……)
立錐の余地がない。かろうじて標未亡人の和子さんと毎日新聞記者の明珍さんの間に
割りこんだかっこうだ。和子さんには無沙汰を詫び、近況をそれとなく聞いた。
相変わらずコーヒーは飲まない。夫の死後、あれほど好きだったコーヒーを
自ら断っているのだ。というより飲めなくなってしまったのだという。
会にかけつけてくれた弟子は山形「コフィア」の門脇さん、新潟「交響楽」の湯川さん、
兄弟弟子に当たる港区「ダフニ」の桜井さん。あまりにお客が多すぎて、
言葉を交わす時間もない。門脇さんがたててくれたコーヒーは、往時の「もか」のそれを
彷彿させる美味なものであった。みなさん、お疲れさまでした。
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