2013年1月18日金曜日

国賊を召し捕れ!

鳩山の〝馬鹿ップル〟がまたやってくれた。
支那から招待されたルーピィ鳩山夫妻(かつてこの元日本国首相は米国訪問時に、
ワシントンポスト紙からloopy(頭のおかしい男)と揶揄されたことがある)は、
またまた支那を利するようなおバカなパフォーマンスをやってしまった。

尖閣諸島を日中間の〝係争地〟であると認めてしまったり、南京大虐殺記念館に
のこのこ出向き、「多くの南京の人々を苦しめた事実は素直に受け入れなければならない。
大虐殺はなかったという方は、ここに来られてから話をされたらいい」と述べ、
よせばいいのに向こうが勝手に言いつのっている30万人虐殺説に、
何度も大きくうなずいたという。このニュースを聞いた小野寺防衛相は
久しぶりに頭の中に〝国賊〟という言葉がよぎった」と怒りをぶちまけている。
この宇宙人野郎はいったい何を考えているのか。

南京事件は昭和12年12月に起こった、と支那は言う。日本軍の南京占領前後の6週間で、
市民と捕虜が「30万人以上虐殺」されたというのである。しかしこの数字がでっちあげである
ことは明白だ。その証拠はいくつもある。たとえば、南京陥落時の人口は約20万人だった。
が、翌年1月にはその人口が25万人に増えている(当時南京に在住していた外国人による
組織「安全区国際委員会」の報告)。この事実を何とする。

それに当時は、アメリカの外交官や他国の人々もたくさん南京にいた。
日本からの特派員やカメラマンも300人近くいた。首都南京が陥れば、
このいくさは終わると、国民も将兵も思っている。もちろん軍紀は保たれていた。
その南京市民を虐殺したというのなら、一番乗りした記者たちは目撃したはずである。
従軍記者の中には大宅壮一や石川達三もいた。作家の石川は、どっちかといえば
左翼思想の持ち主で、あの戦争には反対していた。
その石川が虐殺などという事実はなかった、と証言している。

いや、そもそも日本政府に「大虐殺」の抗議をしたという外国政府など1つもない。
だいいち、蒋介石も毛沢東も一言もふれていない。あの大虐殺には何の根拠も
ないのである。

考えてもみてくれ、人口が20万人しかなかったのに、殺されたのは30万人だと言う。
その空っぽになった南京市の人口が事件から2カ月後に5万人増えて25万人になっている、
という客観的事実をどう説明するのか。日本軍の統治でかえって安全になったと、
避難民たちが戻ってきたからこの数字になったのではないのか? もちろん戦争だもの、
多少の市民や便衣隊(軍服を着ていないゲリラ)の犠牲はあっただろう。
しかし死屍累々ともいうべき30万人という数字はいったいどこから出てくるのか。
支那が得意の白髪三千丈の類であることは明々白々ではないか。

古森義久氏によると、『中国歴史』の教師用指導書には次のように書かれているという。
《「南京大虐殺」については血に満ちた事実により日本帝国主義の中国侵略戦争での
残虐性と野蛮性を暴露せよ。教師は授業の中で、特に小文字の記述での日本軍の
残虐行為の部分を生徒に真剣に読ませ、日本帝国主義への深い恨みと激しい怒りを
生徒の胸に刻みこませよう。南京大虐殺の時間的経過と日本軍に殺された中国軍民の
人数を生徒に覚えさせよ》

つまり、狙いは日本に対する憎しみを子どもたちの心に植えつけること。
事実はその目的のために書き変えられ、ねじ曲げられていった、
というのが真実だろう。

それなのに、朝日新聞は大虐殺はたしかにあったと主張し、決定的な証拠写真と
称して生首写真まで掲載した。しかしこれは後に中国軍が馬賊の首を切り落とした写真と
判明した。ことほどさように、朝日新聞は終始支那におもねる記事を載せ続けた。
ありもしない殺戮をあったと言い張るのはふしぎな情熱である。多く殺されれば
殺されるほど支那は喜ぶと察した上での捏造か。

さて鳩山由紀夫や河野洋平は、いわゆる〝ハト派〟と呼ばれている。
しかし鳩山の仰天パフォーマンスや「河野談話」にもあるように、
この国のハト派の言動はなぜかいつも国益を損なう方向へいってしまう
北朝鮮のような独裁国家には「国家反逆罪」という法律があるという。
ボクは時々、(日本にもこんな法律があればいいのに……)と夢想することがある。




←憲政史上、最も愚かな首相として名を後世に残す
 だろう、といわれているルーピィ鳩山。こんな男を
 戴いた日本人の民度こそ責められるべき、
 とボクは思うのですがねェ……
 

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