2010年11月20日土曜日

豚姫の丸かじり

上野の山には西郷さんの銅像がある。
軍服ではなく、山野を徘徊した際の弊衣に
犬を連れただけの素朴な姿だ。

実はこの西郷像、明治31年に除幕式が催されたのだが、
像を見た未亡人の糸子は、開口一番、
うちの人はこんな人じゃなかった!
と叫んだという。満座の中で、である。

その時、傍らにいた西郷の実弟・従道は、
糸子未亡人の足をぎゅっと踏みつけ、あとで、
《似てようが似ていまいが、ひとさまの善意をそこねる
ようなことを言ってはいけません》ときつくたしなめたという。
西郷さんは生前、写真を一枚も撮っていなかった。

糸子が不満をもらしたのは西郷の容貌だけではない。
絣の着流しに犬を連れている姿が気に入らなかったようなのだ。
これでは陸軍元帥としての威厳がまるで感じられないではないかと。


一方、嫂の糸子をたしなめた西郷従道侯爵は、本名は隆道だった
が、タカミチをリュウドウと漢音で呼ばれているうちに、
鹿児島訛りでジュウドウに変わってしまう。
いちいち「ジュウドウではごわはん、リュウドウでごわす」
と断って歩くのも面倒だと、ジュウドウと改名してしまったという。
なんともアバウトな男である。

そういえば西郷さんだって隆盛(これは父吉兵衛の諱〈いみな〉)ではなく
「隆永」が実名だった。友人の吉井友実が代わりに役所へ登記する際に、
西郷の父親の名を誤って登録してしまったのだ。
「おいは隆盛でごわすか」と、西郷も笑ってそのままにしておいた
というのだから、この兄弟、器がでかいというより、底が抜けている。

西郷さんはデブ女が好みだったことはよく知られている。
京洛の巷で暗躍していた頃、寵愛した料亭の女中はお虎といい、
色黒で醜女の百貫デブだった。同志たちは「豚姫」と呼んでいたが、
西郷は大のお気に入りで、その交情は深かったという。

西郷吉之助隆永という男は、いったいどんな顔をしていたのだろう。
豚姫とのツーショットがあれば最高だったのに、と残念でならない。
きっとシュレックとフィオナ姫みたいな感じだったんだろうね。




←西郷と豚姫はこんな感じかしら?









『シュレック3』より

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

西郷さんの豚姫に代表されるデブ好きに就き
小輩考えるに”彼の人に対する優しさ”から来ているのではないでしょうか。城を傾けさせるような美形なら芸子さんであれ、料理亭の仲居であれ皆にちやほやされ心つけもたんまりでしょうがデブ、醜女となれば疎んじられるのが常。そんな女性に情けをかけたのが
西郷さんと思います。若い頃斉彬に見込まれて地方の役人になった時のお百姓さんに対する優しさ、戊辰戦争(?)の時の敵方"庄内藩”に対する接し方、西南戦争だっても武士の職を失った部下に対する優しさが故に図らずも担がれてはじめた事かと思います。

ところで上野の西郷さんの銅像は何向きか
の問いに対し”品川沖で集結していた幕府方船舶を睨んでいた”と言う節もありますが、
本当は浴衣一枚ですから”夏向き”なんですよね!



やりだした

ROU.SHIMANAKA さんのコメント...

匿名様
ご意見に全面的に賛成です。
心根が優しいとデブ、醜女が
好きになるんです。
僕がそのいい例です。