男が車内で手鏡なんか出して化粧を始めたりしたら、周囲のものはみな眉をひそめる。
とりわけ朝鮮民族でもないのに〝火病(anger syndrome 憤怒症候群)〟患者のボクなんか、
頭に血がのぼって、いきなり飛びかかっていくかもしれないが、
男の化粧は実は珍しいことではない。ボクの熱烈愛読書でもある『剣客商売』にも
〝眉ずみの金ちゃん〟という奇妙奇天烈な剣術遣いが登場する。
平安時代の殿上人たちが白粉を塗り、お歯黒をし、美しく着飾っていたのは事実だし、
桶狭間の戦いで信長に首を取られた駿河の今川義元はお歯黒に高眉、
薄化粧をしていたといわれている。男が化粧したりしなかったりするのは、
その時代の男女の力関係にもよるという。
早い話、女が強くなると男は化粧し始める。聞くところによると、近頃は女みたいな
男がやけに増えていて、なかにはビューラーを使って睫毛を上げ、全身のむだ毛を剃り、
香水をふりまき、場合によってはエステに通っている豪のもの(軟弱もの?)もいるらしい。
まさに女性上位時代の象徴的な現象といえるだろう。
「武士道といふは死ぬことと見つけたり」で有名な『葉隠』が出たのは18世紀の初め、
ちょうど8代将軍吉宗のころだ。佐賀鍋島藩の山本常朝が口述筆記させたもので、
どうかするとミリタリズムの教科書みたいに思われている。
その中に〝化粧のすゝめ〟みたいな一条がある。たとえば朝起きたら顔の色つやが悪い。
寝起きが悪いためなのか、二日酔いのせいなのかは知らない。
いずれにしろ生気のない顔をしている。こんな時に外出すると、相手に悪い印象を与え、
つまらぬことで斬り合いになるかもしれない。それを避けるために、武士たるもの、
手鏡と頬紅の粉ぐらい持って歩け、と化粧を勧めているのである。
武士は路傍でわけもなく民を「無礼打ち」にし、「斬り捨て御免」が横行したかのように
思っている人がいるが、とんだ誤解である。それは戦後の左翼思想や日教組による
「封建制度は親の仇も同然」といった悪意に満ちた歴史観と社会科教育によるもので、
あまりに実態とかけ離れている。
江戸期における武士の帯刀は、いわば倫理の象徴であり、志操を守るためであり、
そしてまた身分の象徴にすぎず、武器という要素はほとんどなかった。
〝鯉口は切ってはならぬ〟というのが当時の武士の掟であり倫理であったから、
抜刀して斬り合うなどということは、ほとんどあり得なかった。
武士がやたら斬り合うというのは、大正時代の大衆小説が勝手につくりあげた
ファンタジーで、実際に刀を振りかざしていたのは上州筋や街道筋のヤクザだけである。
もしも抜刀し、刃傷事件を起こしたら、武家諸法度による「喧嘩両成敗」で、
お家断絶は免れない。抜刀自体が罪であり負けである、という倫理観によって
武家社会は成立していたからだ。
江戸城内において大老堀田正俊が若年寄の稲葉正休に刺殺されるという事件が起きた時、
堀田はついに刀を抜かなかった。異変を知って駆けつけた人たちに、自分の刀を指し示し、
抜刀しなかったことを強調して息絶えたといわれている。このことによって堀田家は
お家断絶を免れ、家の子郎等が守られた。
帯刀しているが抜刀はしない。これが武士の掟であり倫理だった。
『葉隠』にはまた、人からお招ばれされたら、「ああ、いやだなあ」なんて思ってはだめ。
その気持ちが顔に出て、相手にもさとられ、へたをすると斬り合いになってしまうかもしれない。
だから、招待されたら「今日は必ずいいことがある」と思ってルンルン気分でうかがえ、
と書いてある。まさに現代に通ずる社交術ではないか。
となると、車内で化粧する男たちは倫理のかたまりともいえるサムライの子孫か?
そうかもしれないし、ただルンルンしているだけのおバカなチャラ男かオカマかもしれない。
というわけで、ボクの隣にまちがって手鏡男が座ったりしたら、
「おい、臭いからあっちへ行け」
と、やさしくたしなめることにする。
とりわけ朝鮮民族でもないのに〝火病(anger syndrome 憤怒症候群)〟患者のボクなんか、
頭に血がのぼって、いきなり飛びかかっていくかもしれないが、
男の化粧は実は珍しいことではない。ボクの熱烈愛読書でもある『剣客商売』にも
〝眉ずみの金ちゃん〟という奇妙奇天烈な剣術遣いが登場する。
平安時代の殿上人たちが白粉を塗り、お歯黒をし、美しく着飾っていたのは事実だし、
桶狭間の戦いで信長に首を取られた駿河の今川義元はお歯黒に高眉、
薄化粧をしていたといわれている。男が化粧したりしなかったりするのは、
その時代の男女の力関係にもよるという。
早い話、女が強くなると男は化粧し始める。聞くところによると、近頃は女みたいな
男がやけに増えていて、なかにはビューラーを使って睫毛を上げ、全身のむだ毛を剃り、
香水をふりまき、場合によってはエステに通っている豪のもの(軟弱もの?)もいるらしい。
まさに女性上位時代の象徴的な現象といえるだろう。
「武士道といふは死ぬことと見つけたり」で有名な『葉隠』が出たのは18世紀の初め、
ちょうど8代将軍吉宗のころだ。佐賀鍋島藩の山本常朝が口述筆記させたもので、
どうかするとミリタリズムの教科書みたいに思われている。
その中に〝化粧のすゝめ〟みたいな一条がある。たとえば朝起きたら顔の色つやが悪い。
寝起きが悪いためなのか、二日酔いのせいなのかは知らない。
いずれにしろ生気のない顔をしている。こんな時に外出すると、相手に悪い印象を与え、
つまらぬことで斬り合いになるかもしれない。それを避けるために、武士たるもの、
手鏡と頬紅の粉ぐらい持って歩け、と化粧を勧めているのである。
武士は路傍でわけもなく民を「無礼打ち」にし、「斬り捨て御免」が横行したかのように
思っている人がいるが、とんだ誤解である。それは戦後の左翼思想や日教組による
「封建制度は親の仇も同然」といった悪意に満ちた歴史観と社会科教育によるもので、
あまりに実態とかけ離れている。
江戸期における武士の帯刀は、いわば倫理の象徴であり、志操を守るためであり、
そしてまた身分の象徴にすぎず、武器という要素はほとんどなかった。
〝鯉口は切ってはならぬ〟というのが当時の武士の掟であり倫理であったから、
抜刀して斬り合うなどということは、ほとんどあり得なかった。
武士がやたら斬り合うというのは、大正時代の大衆小説が勝手につくりあげた
ファンタジーで、実際に刀を振りかざしていたのは上州筋や街道筋のヤクザだけである。
もしも抜刀し、刃傷事件を起こしたら、武家諸法度による「喧嘩両成敗」で、
お家断絶は免れない。抜刀自体が罪であり負けである、という倫理観によって
武家社会は成立していたからだ。
江戸城内において大老堀田正俊が若年寄の稲葉正休に刺殺されるという事件が起きた時、
堀田はついに刀を抜かなかった。異変を知って駆けつけた人たちに、自分の刀を指し示し、
抜刀しなかったことを強調して息絶えたといわれている。このことによって堀田家は
お家断絶を免れ、家の子郎等が守られた。
帯刀しているが抜刀はしない。これが武士の掟であり倫理だった。
『葉隠』にはまた、人からお招ばれされたら、「ああ、いやだなあ」なんて思ってはだめ。
その気持ちが顔に出て、相手にもさとられ、へたをすると斬り合いになってしまうかもしれない。
だから、招待されたら「今日は必ずいいことがある」と思ってルンルン気分でうかがえ、
と書いてある。まさに現代に通ずる社交術ではないか。
となると、車内で化粧する男たちは倫理のかたまりともいえるサムライの子孫か?
そうかもしれないし、ただルンルンしているだけのおバカなチャラ男かオカマかもしれない。
というわけで、ボクの隣にまちがって手鏡男が座ったりしたら、
「おい、臭いからあっちへ行け」
と、やさしくたしなめることにする。
2 件のコメント:
しまふくろうさま、こんばんは。
木蘭にございまする。
昔から「おのこの化粧」というものがあったとは、初めて知りました(^▽^;)
現代の「男子」は~「葉隠」の愛読者なのでしょうか(笑)
私でさえお化粧なんぞ致しませんに"(-""-)"
・・・というより
「気味が悪いからおやめなさいっ」と言われてしまいそうなので(笑)
もうすでに他界してしまわれましたが、
とある老僧がお書きになられた本があります。
その中で、ご自分が幼い頃に入っていた、
大衆浴場での出来事が書かれてありました。
あるお年寄りが不思議な顔の洗いかたをするので、じっと見ていたそうです。
どんなに寒い日でも、必ず水で、
それも下から上にむかって洗うと。
誰でも両手でごしごしと上下に動かすのに、
おじいさんはなんて不思議な顔の洗いかたをするのですか、と聞いたそうです。
するとそのお年寄りは、
「昔の武士はね、いつ首を斬られるかわからない。その顔がしわだらけだったりしたら相手に笑われてしまう。だから年を取ってもしわをなるべく作らないようにするのが武士の身だしなみというものだ」
そう教えて下さったそうです。
これをお書きになられた老僧は明治生まれですから、もと武士だった人たちとの接点もあったのでしょうね。
「おしゃれ」ではなく「身だしなみ」
現代の「男子」はただの「おしゃれ」だから~しまふくろうさまは「優しく」たしなめてあげたくなってしまうのではないでしょうか(笑)
木蘭様
おはようございます。
武士の洗顔法にはおどろきました。
下から上に洗うというのは、さていったい
どのようにして洗うのでしょう。
その洗顔法を励行すれば顔にシワが寄らないのでしょうか?
それが本当なら、ぜひとも実践しなくては(笑)。
いつも面白い、それでいてためになるコメントをありがとうございます。知らない者同士が
ブログを通して言葉を交わし合っている。
考えてみればふしぎなことです。
お互い、面白い時代に生きていますね。
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