ときどきインターホン越しに、
「旦那さ~ん、朝日なんだけど、いっぺんとってくれませんか?」
と新聞の拡販員がやってくる。口調は総じて馴れなれしくぞんざいだ。
「わるいけど間に合ってる。うちはずっと読売だから……」
いくぶん不機嫌そうに応じると、
「どこの新聞も同じでしょ? お願いしますよ、短期でいいですから」
「どこが同じなんだよ。朝日は思いっきり偏向してるだろ」
だんだんキレかかってくる。
「そこを何とか……お願いしますよ旦那さ~ん」
「あんたもしつこいね、日本の悪口ばかり書いて、
中国や韓国におべっかばかり使う赤新聞は読まないって言ってるだろ!」
「…………」
あっちも明らかにキレちゃったみたいだ。
こんなやりとりをしてても、忘れた頃にまたやって来る。
わが家はずっと読売で、実家も読売だった。
途中で産経も併読したが、これは姉の亭主が産経新聞の社員だったため、
両親が気をつかったのだ。朝日の社員だったら、義理で朝日もとっただろう。
読売を購読していたのはたまたまであって、思想信条がどうの、という話
ではなかったように思う。ただおやじはアホな共産主義や社会主義がきらいだった。
中学高校時代は朝日の全盛期で、教師も
「天声人語は名文だ。試験にもよく出るぞ」
と、それとなく朝日の購読を奨めていた。
この教師、たぶん日教組の組合員だったのだろう。
ボクは朝日嫌いだが、格別読売が好きというわけではない。
どの新聞に対しても軍服に対するのと同じくらいの猜疑心は持っている。
たとえば読売は、昭和21年にアメリカ教育使節団が来日したとき、
社説に《漢字は封建思想だから、全部ローマ字に変えるべきだ》
と大まじめに書いた。
一方朝日は、昭和26年、憲法発布の11月3日の社説に、
《憲法というものは生きものであるから、将来これを改正するときには、
できるだけ自由に改正しなければならない》という趣旨の記事を載せた。
ところが今は平和憲法擁護論で、憲法改正大反対。
その間の首尾一貫性は何もない。
昭和20年8月14日の朝日の論説には《鬼畜米英をやっつけろ!》と
大変勇ましい記事が載っている。が、敗戦の翌日(16日)の社説には、
《日本は平和国家として模範となるべきだ》などと書いている。
わずか3日間の劇的な豹変ぶり。
《新聞は社会の公器》などと気負ったことを言っているが、
実態は実にいい加減というか、常習の変節漢と呼ぶべきか、
かつて新聞記者が〝羽織ゴロ(今で言うインテリヤクザか)〟
と呼ばれていた時代と少しも変わらない。
今でも本質は道徳家の仮面をかぶった〝背広ゴロ〟なのだ。
ボクの師匠・山本夏彦は、
《言論というものは、どこかうしろ暗い、
内心忸怩(じくじ)としたところがあったほうがいい》
と言っていた。
朝日のダメなところは、忸怩たるところがなく、
常に正義は我にあり、といった顔をしているところだ。
うしろ暗いところのない人間など、だれが信用するか。
戦時中、「報道」は「報導」といった。
われら愚民たちにありがたくも正しい方向を報(しら)せ導いてやる、という意味らしい。
今は茶道や華道と同じ〝道〟になってはいるが、
どこかあらぬ方向へ導こうとするクセはいまだに抜けていない。
←街頭デモでよく見かけるおなじみの標語
「旦那さ~ん、朝日なんだけど、いっぺんとってくれませんか?」
と新聞の拡販員がやってくる。口調は総じて馴れなれしくぞんざいだ。
「わるいけど間に合ってる。うちはずっと読売だから……」
いくぶん不機嫌そうに応じると、
「どこの新聞も同じでしょ? お願いしますよ、短期でいいですから」
「どこが同じなんだよ。朝日は思いっきり偏向してるだろ」
だんだんキレかかってくる。
「そこを何とか……お願いしますよ旦那さ~ん」
「あんたもしつこいね、日本の悪口ばかり書いて、
中国や韓国におべっかばかり使う赤新聞は読まないって言ってるだろ!」
「…………」
あっちも明らかにキレちゃったみたいだ。
こんなやりとりをしてても、忘れた頃にまたやって来る。
わが家はずっと読売で、実家も読売だった。
途中で産経も併読したが、これは姉の亭主が産経新聞の社員だったため、
両親が気をつかったのだ。朝日の社員だったら、義理で朝日もとっただろう。
読売を購読していたのはたまたまであって、思想信条がどうの、という話
ではなかったように思う。ただおやじはアホな共産主義や社会主義がきらいだった。
中学高校時代は朝日の全盛期で、教師も
「天声人語は名文だ。試験にもよく出るぞ」
と、それとなく朝日の購読を奨めていた。
この教師、たぶん日教組の組合員だったのだろう。
ボクは朝日嫌いだが、格別読売が好きというわけではない。
どの新聞に対しても軍服に対するのと同じくらいの猜疑心は持っている。
たとえば読売は、昭和21年にアメリカ教育使節団が来日したとき、
社説に《漢字は封建思想だから、全部ローマ字に変えるべきだ》
と大まじめに書いた。
一方朝日は、昭和26年、憲法発布の11月3日の社説に、
《憲法というものは生きものであるから、将来これを改正するときには、
できるだけ自由に改正しなければならない》という趣旨の記事を載せた。
ところが今は平和憲法擁護論で、憲法改正大反対。
その間の首尾一貫性は何もない。
昭和20年8月14日の朝日の論説には《鬼畜米英をやっつけろ!》と
大変勇ましい記事が載っている。が、敗戦の翌日(16日)の社説には、
《日本は平和国家として模範となるべきだ》などと書いている。
わずか3日間の劇的な豹変ぶり。
《新聞は社会の公器》などと気負ったことを言っているが、
実態は実にいい加減というか、常習の変節漢と呼ぶべきか、
かつて新聞記者が〝羽織ゴロ(今で言うインテリヤクザか)〟
と呼ばれていた時代と少しも変わらない。
今でも本質は道徳家の仮面をかぶった〝背広ゴロ〟なのだ。
ボクの師匠・山本夏彦は、
《言論というものは、どこかうしろ暗い、
内心忸怩(じくじ)としたところがあったほうがいい》
と言っていた。
朝日のダメなところは、忸怩たるところがなく、
常に正義は我にあり、といった顔をしているところだ。
うしろ暗いところのない人間など、だれが信用するか。
戦時中、「報道」は「報導」といった。
われら愚民たちにありがたくも正しい方向を報(しら)せ導いてやる、という意味らしい。
今は茶道や華道と同じ〝道〟になってはいるが、
どこかあらぬ方向へ導こうとするクセはいまだに抜けていない。
←街頭デモでよく見かけるおなじみの標語
4 件のコメント:
愚生の周辺では「朝日新聞」は「チョムイルシンムォン」と読まれて(呼ばれて)います。何しろ「朝」が「日」より上にあるのですから当然ですが、論調は彼の国の為にこの碌でも無いニッポンは尽くすべし・・・ですので。
どうして我が国の同胞達は変なところだけ寛容なんだか・・・母校が甲子園に出たら嬉しいだろ???の延長線上に愛国心があるはずなのに・・・
言霊師様
コトダマか……だんだん呼び名が怪しい雰囲気になってきましたね。
さて、朝日のことですが、
信奉者はいまだ根強くいますね。
ボクの周囲にも朝日ファンがいっぱいいます。
朝日をとってると、何となくエリートっぽい
感じがするのでしょうか、
ただのバカなんですけどね……。
「死亡広告出しても、朝日に出すと
何となく偉い人が死んだような感じが
するよね」
そんなことを言う人もいました。
ただのバカがくたばっただけなんだけど……。
勞さん
”国を貶めてどうするの”の一言です。
匿名様
かつて、日中関係正常化前に、
朝日の広岡知男社長は、
「これから握手しようとする相手の
横つらをひっぱたくようなことを
新聞に載せられるか」と言いました。
この発言って、すごいですよね。
また北京に特派員を送り込みたかったら、
以下の条件を満たせ、と中国は凄みました。
①ベトナム戦争に反対しろ
②日本の軍国主義化に反対しろ
③沖縄返還に絡む日米共同声明に反対しろ
④政治三原則を受け入れろ
「政治三原則」というのは、
①中国敵視政策をやめる
②〝二つの中国〟の陰謀に加わらない
③日中正常化の回復を妨げない
これらを認めないと特派員は入れないぞ、
と中国は迫ったのです。もちろん朝日は
ホイホイと同意。毎日もほどなく追随しました。
日本の新聞社は、新聞を売らんが為に
平気で魂を売り渡します。
ジャーナリストなんてものではありません。
羽織ゴロとはよくいったものです。
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