2014年4月26日土曜日

エッチな作品の何が悪い?

午前中、団地内の集会棟で葬式があった。
同じ棟に住む知り合いで、もと市会議員だったSさんの葬儀である。
つい先日まで元気に言葉を交わし合っていたのに、
きょうは棺の中で口を真一文字に結んでかしこまっている。
まさに《朝(あした)には紅顔ありて、夕べには白骨となれる身なり》というわけだ。
人間の命なんてものは、いかにも儚い。

Sさんは昭和11年生まれ。市会議員をする前は映画監督をやっていた。
映画仲間だからだろう、別の棟に住むMさんも告別式に参列していた。
以前にも書いたことがあるが、Mさんは『男はつらいよ』シリーズの6作目まで
脚本を書いていた人である。

出棺の際に、亡くなったSさんの実弟が親族を代表して挨拶をした。
「兄は負けず嫌いな性格で、曲がったことが大きらい。自分を含めて
みんなが兄を誇りに思い、人生の目標にしてきた」などと語っていた。
心情のこもった、とてもよいスピーチだった。

ご令弟はSさんが日活の映画監督をやっていたことにもふれた。
だが、その代表作を石原裕次郎主演の『ある兵士の賭け』だと言った。
故人には大変申し訳ないが、あの作品は駄作である。
浅丘ルリ子や三船敏郎、フランク・シナトラ・Jrと顔ぶれだけは豪華だが、
興行的にはまったくダメな作品だった。

参列者たちの多くは知っていた。Sさんは日活ロマンポルノの監督だったことを。
『団地妻 不倫の果て』『団地妻 肉体地獄』『不倫の罠 貫通(←姦通ではない)』
『秘色 リース妻』などなど、それこそ立派な作品がいっぱいある。

日活ロマンポルノは『団地妻 昼下がりの情事』('71)が大ヒットしてからドル箱映画
となったもので、'71~'88の17年間の間に1100本も作られたという。なかでも
『団地妻シリーズ』が稼ぎ頭で、前述のヒット作『昼下がり……』には大好きな白川和子
(←ムスコがほんとにお世話になりました)も特別出演を果たしている。
ボクなんか白川和子と青春を共に生きた、という感じが今でもしている。

生前、Sさんは映画の話をあまりしたがらなかった。
(どんな映画を撮ってたんだろう?)
今はネットの時代である。その経歴を知りたければ、ちょいとググるだけですぐ分かる。
「ポルノ映画を撮ってました」とは正直、言いにくかったのかもしれない。
が、ボクなんかの世代は、まさにその日活ロマンポルノで育てられた世代なので、
何はばかることなく自慢してくれればよかったのに、と今さらながらに思う。

葬儀の場で、「実は故人はポルノ映画を専門に撮っておりまして……」
とは弟さんも言いにくかろう。また遺族の肩身も狭くなる。そんな慮りがあって、
「代表作は石原裕次郎主演の……」と無難な線にしたのだろう。
が、ボクとしてはちょっと寂しい気がしている。

ボクもフリーライターになりたての頃は、エッチな文章をいっぱい書いていた。
食わんがためである。ホテルの一室に裸のモデルといっしょに缶詰にされ、
「女の秘所――どこをさわれば感じるか」なんておバカな記事を
もっともらしく仕立てあげたこともある。

「シマナカさん、あんたの原稿は堅すぎて〝チ◎ポ〟が立たないんだよ
などと月刊雑誌の編集長から叱られたこともある。どうやったらムスコたちを
猛り狂わせ、いかせるか――そこに操觚者(そうこしゃ)としての技術のすべてがあった。

あのポルノまがいの記事を書いていた一時期は、
果たしてボクの人生の〝汚点〟だろうか。そんなこと、考えたこともない。
筆一本で男も女もいかせてしまう――物書きにとって、
これこそが究極の芸というものだろう。汚点どころか勲章に決まってる。

ボクがカラスと壮絶な戦いを繰り広げていた時、Sさんはパチンコを撃つボクの姿を
見て、『カラスを撃つ男』という小品を作った、と言っていた。
その〝幻の作品〟がS家のどこかに眠っている。
心からの合掌。





←エロでもグロでも、頼まれれば何でも
書く、ダボハゼのようなゴーストライター
の汚ったない書斎(ごくごく一部です)がこれ。
先日、本の重みで書棚が裂けて砕けた。









 北側のバルコニーから見える風景。
上部には2面あるテニスコートも。
夏には中央の〝せせらぎの道〟に
清流が流され、若い「団地妻」や子どもたち
の水遊び場に

2014年4月21日月曜日

転んでもタダでは起きない

長女が髪を切った。それもバッサリと。
切ったところは甥っ子が経営する西荻窪の美容室だ。

転んでもタダでは起きないところが長女のたくましいところで、
切った髪(44センチ)だってムダにはしない。
NPO法人の「ジャーダックJHDAC (Japan Hair Donation & Charity 」
に寄付するのである。

世の中には髪で悩む人たち(ボクもその一人です)がいる。
いや、薄毛で悩むおじさんたちの話ではない。
病気や交通事故などで髪を失った子どもたちのことだ。

小児ガンや白血病、先天性の無毛症などで髪を失ってしまった子どもたち。
そうした子どもたちに医療用のウィッグ(かつら)を作って無償で提供しよう、
という活動に取り組んでいる組織がある。それが上記のNPO「ジャーダック」だ。

一般にウィッグは数十万円と高額だ。
子ども用のウィッグとなると成長に合わせて買い換えなくてはならない。
親の負担も当然ながら厳しいものとなる。

病気で悩む子どもたちに笑顔を取りもどしてやりたい――。
義侠心に富む長女が心を動かされぬわけがない。
何年もかけて長く伸ばした髪の毛。髪は女の命(古いね)などというが、
長女はいともあっさりと切ってしまった。

美容室で長い髪を切る女性は多いだろう。
緑の黒髪も切ってしまえばただのゴミだ。
しかし、切った髪を「ジャーダック」に送れば、
いつの日か、どこかの子どもに笑顔がもどる。

この活動、意外と知られていない。
現に美容師の甥っ子も知らなかった。
全国の美容室や理髪店が、この活動に賛同し、客もまた協力してくれれば、
子どもたちの笑顔が幾何級数的に増えていく。

ボクだって髪さえあれば、進んで寄付したい。
いや、おじさん用のウィッグを寄付してもらいたい(バカ)。

きょうはショートヘアーになって出勤する初めての日。
玄関先まで見送ると、長女は一瞬照れくさそうな顔をしていたが、
「行ってきま~す!」
と、いつもの元気な声で出ていった。




←子どもの笑顔は宝です。

2014年4月17日木曜日

本の重みと言葉の重み

ボクは生来無趣味な人間で、ゴルフも競馬も麻雀もパチンコもやらない。
散財といったら本代と酒代くらいしかなく、おかげでいつも半酔状態で本を開き、
活字を追っている。読んでる先から忘れてしまうのは、
たぶんマルコメ印の脳味噌までアルコール発酵しているせいだろう。

本は毎日のように買っている。駅前に本屋はあるにはあるが、ほしい本がないので、
たいがいアマゾンに注文してしまう。友人のOは「本は図書館から借りるものさ」
と豪語しているが、せっかちなボクは新刊をすぐに読みたいタチなので、
飲み代を削ってでも本を買ってしまう。

おかげで本は増えるばかり。
ときどき、数百冊単位で捨ててはいるが、とてもじゃないが追っつかない。
先日、ボクの椅子の後ろ側にある書棚の棚が突然ミシミシと音を立てて裂けた
本の重みに耐えかねて、安価な合板の棚がみごと真っ二つに裂けてしまったのだ。
見れば、どの棚も本の重みでしなっている。裂けるのも時間の問題か。

書棚は部屋ごとに分散させているのだが、そのどれもがすでに満杯状態。
しかたがないので、納戸に押し込み、それらが溶岩のように堆積している。
その重みだけで床が抜けてしまいそうだ。

また毎月連載している雑誌が届けられるだけでなく、別に定期購読の月刊誌もあるので、
それこそ足の踏み場もないくらい本が溜まってしまう。買った本はすべてくまなく読んで
いるわけではない。雑誌などは流し読みだし、単行本だってつまらなければポイで、
本は最後まで読み切るべき、などというつまらない義務感はハナからない。

なぜ本を読むのか。「面白いから」に決まってる。
読書の習慣は小学生の頃からあって、以前も書いたが、小学高学年で、
すでに吉行淳之介の『砂の上の植物群』や『原色の街』などを読んでいた。
どちらもセックスだとか娼婦が出てくるエロっぽい本である。

若い頃は「日に4度のメシを食え!」などといわれる。
3度のコメの飯と〝活字のメシ〟である。
この活字メシを腹いっぱい食った経験のないものは、真の本好きにはなれないという。
ジャンルを決めずに手当たり次第に読むという濫読の時期をもたない人間は、
読書家としての背筋がシャンと伸びず、あっちフラフラ、こっちフラフラ、
まるで「泥(でい)」のような人間になってしまうというのだ。

読書の最大の喜びは、「読書尚友」という言葉があるように、
古今東西の賢人たちと親しく交われることに尽きよう。
本を開けば、居ながらにしてソクラテスやゲーテ、気難し屋のドストエフスキー、
あるいは親鸞や道元、司馬遼太郎や小林秀雄などと心を通じ合えるのだから、
これほど知的興奮を味わえるものはない。スリリングなこと、この上ない。

はなはだ不遜な言い方になるが、彼らの言葉はボクの周辺にうじゃうじゃいる生臭い
インテリたちのそれの数倍、いや数百倍も重みがある。それら先哲の教えを、
ほとんどタダ同然で拝聴できるのだから、こんな悦ばしいことはない。
この世に読書以上の楽しみがあるのか?」とボクが再三憎まれ口を叩くのはそのためだ。

今はパソコンやタブレット、スマホなどで読む「電子書籍」の時代なのだという。
ずいぶん便利になったものだが、ボクのような〝古代人〟は指にツバをつけ
1枚1枚ページをめくって読むほうが断然サマになっている。

手の届く範囲に本が堆(うずたか)く積まれ、その本にはそれぞれいろんな
書き込みがある。文字どおり本の虫だって棲んでいて、虫干しをすれば
パッとそれらが舞い上がる。なんとも不衛生な環境だが、そんなババっちいところに
ひとり寝転がり、カビ臭い本の匂いを嗅ぐのが無上の喜びなのだからしかたがない。

生身のトモダチはもちろん必要だろう。が、なかにはナイーヴな奴もいるから気をつかう。
へたにホンネをぶつけたりすると深く傷つき、逆に恨まれたりするからだ。
その点、本の中のトモダチは気楽でいい。何を言っても怒らないし、ボクの成長に
合わせて対応を変えてくれる。竜馬の西郷評ではないが、「小さく叩けば小さく響き、
大きく叩けば大きく響く」といった具合だ。

ボクは「読書尚友」を心の砦としている。なぜならボクにもシェルターじみたものが
必要だからだ。見た目はごっついタフガイみたいに見えようが、
実はガラス細工みたいにナイーヴな心の持ち主なのである(←自分で言うな!)。

さて今夜は何を読もう。
目の前には『知の逆転』(NHK出版新書)なんていう本が転がってる。
ずいぶん前に買った本だが、なかなかの難物で、まだ半分も読んでいない。
なんとか食らいついていくことにしよう。








←チョムスキーなど現代の叡智が6人。
難物だが、読みごたえは十分だ。
女性インタビュアーの博識には脱帽だ。

2014年4月15日火曜日

静かに死なせてくれ

父は鼻からも口からも、体中に管を巻きつけられ、半分拘束されたような恰好で死にました。
母も同様に、点滴と酸素吸入をほどこされ、顔や手足がむくんだまま死にました。
2人とも病院のベッドの上で死にました。

看護師の仲間内では「自宅で亡くなられたご遺体はきれい」と言われているそうです。
一方、病院では最後の最後まで点滴が続けられます。体がもう水分や栄養剤を
受けつけないのに、それでも注入され続けます。おかげで手足は水ぶくれで、
撫でさすってもそのむくみは容易にとれません。

人間は本来、口から食べたものによってエネルギーを得て生きています。
しかし、だんだん歳をとって身体が衰弱してくると、ついには食べることができなくなります。
昔はそうして自然に、古木が朽ち果てるように静かに息を引き取ったのです。

ところが今は違います。口から食べられなくても生きていく方法があるのです。
高カロリー輸液といって、高濃度のブドウ糖液や栄養剤を、太い静脈に
点滴するという方法です。これだけで数年は生きられるといいます。

口から食べられなくなったら、人間、もう先は長くないというシグナルなのに、
日本の病院は点滴や経管栄養、酸素吸入でむりやり「がんばれ、がんばれ!」
と叱咤激励し、生きのびさせます。医療技術を過信し、自然の摂理に逆らって、
静かに看取るという本来あるべき姿をすっかり忘れているのです。

伊豆七島の三宅島には今でも、
最後は水だけ与える。そうすれば精神が落ち着き自然に戻っていく」
という言い伝えがあるそうです。これこそが自然死です。
本人も静かに人生の幕引きができるし、周囲も穏やかな終焉を見守ることができます。

しかし現代医療は、楽に逝ける人をむりやり病院に引っ張り込み、
体中に管を巻きつけて延命させようとします。なかには胃瘻(いろう)までつけて
生きのびさせようとするところもあります。終末期を迎えた人間にむりやり胃瘻を
つけることに、いったいどんな意味があるのでしょう。
過剰な栄養は肺炎を引き起こす危険性だってあるのです。

なぜこんなバカげたことがおこなわれているのか。医者や病院の側にも理屈があります。
「何も手をほどこさずに患者さんが死んだ場合、今の日本の刑法では
保護責任者遺棄致死罪(刑法219条)に当たる恐れがあるからです」
日本の刑法は終末期医療の実態に即していない、とこう言うのです。

現に、末期患者の人工呼吸器を外した医師が「治療の差し控え」があったとして
起訴される、という事件も起きています。法律が未整備なため、
ゆき過ぎた延命至上主義がはびこり、高齢者医療に暗い影を落としているのです

物の本によると、わが国では年間110万人が最期を迎えているといいます。
驚いたことに、その8割の90万人近い人が病院で亡くなっているのです。
特養老人ホームで入所者の具合が悪くなり、医師が回復の見込みなしと診断した
場合でも、施設内で看取ることはほとんどなく、すみやかに病院に移されます。
ボクの母もすぐさま病院に搬送され、全身を管だらけにされてしまいました。

自然死を迎えているものに、病院での治療はほんとうに必要なのでしょうか。
ちなみに、わが国では年間30兆円を超える医療費が使われているといいいます。
いくら医療費削減を叫んでも、こうした現状が改善されないかぎり医療費はふくらみ
続け、私たちの尊厳ある死は無惨にも置いてきぼりを喰らってしまいます。

静かな最期を迎えようとしているのに、むりやり揺り起こし、むりやり食べさせる。
これは「病気」などではありません。「寿命」なのです。静かに眠らせてやるべきなのです。
「延命処置はもういい、静かに死なせてほしい……」
口のきけなくなった父と母は、両の目で必死に訴えているように思えました。
しかしボクたちはなす術もなく、医者の言うがままにただ見守るばかりだったのです。


今でもこのことが心残りで、思い出すたびに悔悟の念でいっぱいになります。
申しわけない気持ちで、胸が痛くなります。
日本の終末期医療の現場には、何か大事なものが忘れられています。

 

2014年4月13日日曜日

木の芽時には死を想う

桜吹雪が舞う団地内の公園に立ったとき、良寛の辞世の歌がふと頭に浮かんだ。
   
    
  散る桜 残る桜も 散る桜

似たような詩歌を仏教思想家・毎田周一が詠んでいる。


なくなった人を悼むものも
またなくなってゆく
笑うものも 怒るものも
やがて跡形もない   (「早春の微風」より抜粋)


この世を悲観するひとは
自分でこうと決めるひと
このままでよいではないか
そして面白いではないか

人生観などもたぬがいい
与えられたままを生きよう
苦しみもそして楽しみも
ただそれを味わい尽くして

若いのに死ぬひともあり
長生して死ぬひともある
それが与えられた生命だ
どちらもよいではないか

悠々と山のように一生を
そのままに生きてゆこう
そして死ぬ時には死んで
こせこせするのはよそう   (「山のように」より)


ひとかどの人間だと思うから 自由になれないのです
この世のやくざ 大やくざ
人間の世界の屑であることに 目覚めるとき――
私は闊然(かつぜん)として自由です   (「やくざの歌」より抜粋)


こんなに簡単な そして
ただ一つのことを
それがわからないで
人がみな苦労している

それはどういうことか
つまり それというのは
自分が馬鹿だってこと
これがその一つのこと

自分を利口だと
思っていればこそ
みんながみんなこんなにも
苦労しているのだ

それこそは御苦労なことだ
そして恨みようもないこと
愚一片(ぐいっぺん)の ああ
無限の明るさ――     (「人の苦労」より)


唯一の真理は無常     (「真理」より)



身のまわりで親しかった人が次々と亡くなってゆく。
それも突然に。
昨日まで軽口をたたき合っていた仲なのに、きょうはもういないのだ。
無常迅速〟という言葉が今さらながら胸に滲む。
      
     散る桜 残る桜も 散る桜

2014年4月6日日曜日

ヴィクトルとエンリーカ

昨日は近くの「樹林公園」で毎年恒例のお花見をした。
すでに来日中のイタリア人カップルのヴィクトルとエンリーカ
それに横浜から駆けつけた次女も加わって久しぶりに賑やかな宴となった。

美人のエンリーカはトリノ近郊に住み、美男のヴィクトルは長女がホームステイした
ジャヴェーノという小さな町に住んでいる。2人とも長女の同級生で、
ヴィクトルは法律家の卵、エンリーカは医者の卵である。卵同士で薄給のため、
すでに将来を約束してはいるのだが、なかなかゴールインできないでいる。

しばしばわが家に遊びに来る通称サブちゃんことサブリナは陽気なローマッ子だが、
この2人は北イタリアの生まれだけに、どっちかというと物静かなタイプ。
長女は「北と南の人間はどこか肌合いが違うんだよね」というが、ボクが昔
北イタリアのレストランを数十軒取材したときも、「ローマから南はアフリカだからね
と南の人間を小バカにするジョークをよく耳にした。工業の盛んな北が南を食わせて
やってるんだ、という恩着せがましい言い方もされてた。一方、南イタリアの人間は、
北の奴らは気取ってる上にポレンタばかり喰っている」と、これまたバカにしているから、
どっちもどっちなのである。

花見の前日、彼らは築地場内のマグロのセリ(am5:30~開始)を見るため、
魚市場近くにある漫画喫茶で一夜を過ごした。宿泊費を安く上げるためだ。
つき合いのいい長女は仕事が終わったあとに彼らと合流、同じく漫画喫茶で
軽い仮眠をとった。そのせいか、エンリーカはあくびを連発し、眠そうな様子だった。

医者と弁護士のカップルだというのに、まともなホテル・旅館は避け、
徹底した貧乏旅行を貫いている。でも若いうちはそれでいい。
欧米ではそれがふつうだし、むしろそのほうが忘れがたい思い出になる。

その日、朝の10時頃から全員でお弁当づくり。ヴィクトルとエンリーカの握った
おにぎりはかなり怪しげな形のおにぎりだったが、それもご愛敬か。

2人は英語が苦手だ。伊語訛りもかなりきつくて、聴き取るのが大変だった。
ボクのブロークンなピジン英語とどっこいどっこいなので、どっちも気が楽でいい。
一方、長女のイタリア語はだいぶ錆びついているハズと思っていたが、
この数日で勘が戻ったのか、かなり流暢にしゃべれるようになっていた。

樹林公園」の桜はすでに満開。最後の見頃ということで、人出もすごかった。
昼食後、園内を散歩したが、外国人の花見客も多かった。おそらくその多くは
Rikenの研究者たちだろう。和光市はスタップ細胞で話題の「理化学研究所」の本部が
あるところだからだ。世界中から優秀な研究者が集まっていて、施設内のアパート
などに住んでいる。プールで知り合った研究者も多く、アルメニア人の友人などは
白い割烹着こそ着せなかったが、いっしょにわが家の台所に立って料理を作り、
のんびり夕食を食べていった。

それにしても花見をしていると、つくづく日本は平和だなと思う。
イタリアからのお客さんもそれを感じているようで、
「日本はどこもみな素敵。日光で泊まった民宿の素朴なもてなしは感動ものだった。
それに清潔で安全なのも嬉しい。こんな国は他にないだろうな」
などと言っていた。多少の外交辞令はあるだろうが、褒められれば悪い気はしない。

ヴィクトルにエンリーカ、次に来日するときは子連れでおいで!
とにかく残り少ない日本の旅を心ゆくまで楽しんでほしい。
アリヴェデルチ。 チャオ、チャオ!

←2年前に来たとき(「賑やかなおおつごもり」参照)
よりちょっぴりふくよかになったエンリーカ。
自分で握ったいびつなおにぎりはおいしかったかい?
梅干しと納豆以外なら何でも食べるという2人は、
芋の煮っころがしや自家製タンドーリチキンに舌鼓を打っていた














←仲睦まじいエンリーカとヴィクトル。
幼なじみ同士で、どっちも濃ゆ~い顔をしている。
もっとも、濃ければいいってもんじゃないけどね←ひがんでる

















※追記
和光市駅前から成田空港行きリムジンをぶじ見送った長女の@子曰く。
「エンリーカは日本人のきめ細かな〝お・も・て・な・し〟に感激したみたいで、
『日本に住みた~い』とマジな顔して言ってたよ」
ああ、お世辞でも嬉しいね。