2014年10月26日日曜日

満100歳の夢追い人

昨日は「銀座とよだ」でランチの会食。女房の10日遅れの誕生日を家族で祝ってやった。
ミシュランガイドにも星付きで載っている懐石料理の店で、秋の到来を感じさせる
「松茸と鱧の土瓶蒸し」がとりわけ空きっ腹の鼻腔をくすぐった。

娘たち2人もおめかしして出席。話題はもっぱら女房と長女が弥次喜多道中と洒落込んだ
クロアチア&スロベニア旅行の話だった。開けっぴろげで陽気な長女の話はとにかく楽しい。
身ぶり手ぶり、それに顔の表情が多彩で、へたなお笑い系タレントなどより遙かに面白い。
次女は逆に「しとやか系」。喜怒哀楽をあまり表に出さないのは女房の血筋だろう。
姉妹といっても、体つきや性格が天と地ほども違うのだから、
子育てほど奇っ怪で、ワクワクするものはない。2人の娘たちを前にして、
もろ〝イクメン〟だったボクとしては、掌中にわが作品を眺めるような思いがする。

さて昼食後、オンナ3匹はウインドショッピング、ボクはひとり別れ、ある人物を訪ねた。
銀座「カフェ・ド・ランブル」の関口一郎さんである。大正3年生まれの関口さんは今年5月で
満100歳を迎えた。さすがに目や足腰が弱ってきたようだが、それでも週に何回かは
焙煎機に向かっている。おそらく現役最高齢の「コーヒー焙煎人」だろう。

膝を悪くして以来、遠出ができなくなり、ランブルにはすっかりご無沙汰していたが、
関口さんはいつに変わらず元気だった。足弱になったので、毎日甥っ子の林不二彦
(店主)氏にスクーターで送り迎えしてもらっているという。これから寒空に向かって
スクーターでの通勤(痛勤?)はさぞかし身体にこたえるだろうが、
本人はまったく意に介していない。老いてますます意気軒昂なのである。

「この本、なかなか面白いよ。著者はコーヒーの素人らしいんだけど、好きが昂じて本を
書いちゃった。よくまあ、ここまで調べあげたもんだと、感心してるんだ」
関口さんが一冊の本を見せてくれた。『珈琲飲み 「コーヒー文化」私論」』という本だ。
ペラペラめくってみたら、後ろの参考資料の中にボクの本や関口さんの本が何冊か
入っていた。それにしても帰山人の例を出すまでもなく、世の中にはコーヒーフリーク
とかコーヒーフェチと呼ばれる物好き人間の何と多いことか。

「目が悪くなったというのに、こんな分厚い本をよく読みますねえ。ボクなんか年がら年中
酔っぱらってるから、数行読んだらもう寝ちゃいますね。100歳とはとても思えませんよ」
敬老精神を発揮してちょっぴりおべんちゃらを言ってやったら、関口さんは大笑い。
それどころか、生来の探究心はいまだ衰えを見せず、
「今ね、超音波を使ってコーヒー生豆の熟成(エイジング)を速められないか、
という研究に取り組んでるところなんだ」
と、ややこしい話を開陳。こっちは会食でいささか微醺(びくん)を帯びているので、
むずかしい説明をされてもチンプンカンプンだ。

ご承知のように、ランブルはオールドコーヒーで有名な店。コーヒー生豆を
10年以上寝かせ、枯れてべっこう色に変色した生豆を焙煎し、ネルドリップで丹念に
点滴抽出。とろりとしたエキスのような液体を小さなカップで舐めるように飲む。
この10年寝かせるプロセスを超音波を使って10分の1に縮めようというのである。
100歳過ぎても尽きないこの探究心。こっちは還暦を過ぎたばかりだというのに、
すでに楽隠居を決めこんでる。怠け者の自分がなんだか無性に恥ずかしくなってしまった。

店内にはやたらと外国人が目につく。
「近頃は外国からの取材が多くてね。つい最近もフランス人の取材を受けたばかりなんだ。
特に台湾なんかじゃ、ボクは有名人らしく、そのおかげで台湾からのお客さんも
けっこう多い。100歳で現役ってところが受けてるんじゃないのかね」
関口さんもまんざらじゃないという顔をしている。

ボクと関口さんとはもうかれこれ30年以上のおつき合い。
互いの気性は充分すぎるくらい分かっているから、何を言っても大丈夫だ。
昨日はよくおしゃべりをし、よく笑った。
「6年後の東京オリンピックはなんとしても見なくちゃね」
ボクがハッパをかけると、
「ウーン、そこまではムリかもしれないな……」
と関口さんも苦笑い。
「何をおっしゃる。へたすりゃボクのほうが先に逝っちゃいますよ。
その時は、気の利いた弔辞をよろしく(笑)」
と言ったら、またまた大笑い。
これで寿命は6年分くらい延びたはずだ。まずはめでたい。





←銀座の歩行者天国で。
サングラスをしたワン公やお洒落をした
ミーアキャットなど、面白ペットたちが
注目の的だった。日本は平和ですな。

2014年10月18日土曜日

日本はそんなに悪くない

支那と韓国はよほど日本のことを小面(こづら)憎く思っているのだろう。
二言目には70年も前の戦争を持ち出して、日本の暴虐非道を非難する。
たしかに軍部独走という側面もあり両国に迷惑をかけたことは否めない。
しかし大陸への進出はロシアの脅威から日本を守るというやむを得ない自存自衛の
一環でもあった。贖罪意識に悩むのもいいけれど、そうした事実も忘れないでほしい。

1910年の韓国併合。1932年の満州国誕生。日韓併合は英語ではannexation(建て増しの意)
という言葉を充てる。宗主国だけが豊かさを享受するcolonization(植民地化)とは自ずと
異なるのである。西欧列強はアジア・アフリカ諸国で何をやったのか。
資源の収奪、住民の奴隷化――つまり白人たちは自分たちの豊かさを追求するがあまり
他国を侵略、むりやり植民地化し苛斂誅求(かれんちゅうきゅう)をほしいままにした。

日本はどうしたのか。朝鮮・満州における教育・インフラの整備のために、
乏しい財源の中から巨額の資金を注ぎ込んだ。東北など国内の貧しい地方からは、
「なぜ外地に投資して内地に投資しないのか」という不満の声が上がっていた。

1957年5月、インドネシアのブン・トモ情報宣伝相はこんなふうに日本への謝意を述べた。
《インドネシアは350年間もヨーロッパ人に対して独立戦争を試みたが、成功しなかった。
しかし日本軍がアメリカ、イギリス、オランダ、フランスを打ちのめしてくれた。そもそも
この戦争はわれわれの戦争であり、われわれがやらねばならなかった。それなのに
日本だけに担当させてしまい、まことに申しわけなかった》

1942年、日本軍はジャワ島に上陸。たった9日間でオランダ軍を退けた。
350年もの間、オランダの苛斂誅求と弾圧に苦しめられたインドネシアは
日本軍を歓呼して迎えた。しかし日本は敗戦。オランダ軍は再びインドネシアに進駐した。

このことを嘆き悲しんだ日本の敗残兵は現地に残り兵士となった。
インドネシア国軍に合流した日本人兵士の数は、スマトラ島で約500人、
ジャワ島で約300人、軍属や民間人有志を加えると、その数1000~2000人に
およんだ。そして、そのうちの400人が独立戦争で斃れたのである。

あの大東亜戦争の意義とは何であったのか。
終戦後、アジアには続々と独立国が生まれた。
フィリピン、インド、パキスタン、ビルマ、セイロン、マレーシア、ベトナム、
ラオス、カンボジア、インドネシア……
アジアの民族自決運動はやがてアフリカへと飛び火し、
アフリカ大陸でも次々と独立国が生まれた。

500年にわたって続いた白人による有色人種支配。
近・現代は白人たちの天下で、アジア・アフリカは彼ら白人たちの草刈り場だった。
そこに彗星のごとく登場したのが日本で、西欧列強と干戈(かんか)を交えることで、
結果的に白人の植民地支配に幕を引いた。
換言するなら、あの大戦はアジアの同胞たちを解放するための「独立解放戦争
でもあった。もし日本という国がなかったら……歴史はずいぶんと違った絵柄を
見せてくれたことだろう。

安倍首相の地球儀外交でも垣間見えたが、アジア諸国の多くは、
日本の戦争犯罪を難じるどころか、逆に深く感謝している。
日本はアジアの孤児などではなく、多くの友人をもつ彼らの憬れの国なのだ。
日本を嫌っているのはわずかに支那と韓国だけ。遠交近攻」が外交の基本というから、
嫌われて大いにけっこう。ボクなんかむしろ痛快とさえ思っている。
あんな出来損ないの国に嫌われたって、いささかも痛痒を感じない。
かえって清々するというものである。

イタリアでおこなわれているASEM(アジア欧州会議)の場で、安倍首相と支那の
李克強首相が握手したとかしないとか……そんなつまらないニュースを耳にしたもので、
(安倍さんも何かと苦労が絶えないねェ)
と心から同情するとともに、上掲のようなことを徒然なるままに思ったのだ。
ニッポン、がんばれ!



※追記①
1971年、昭和天皇がオランダを訪問した際、街には「ヒロヒトは犯罪者」
「ゴーホーム、ジャップ!」などというプラカードが掲げられ、両陛下に
卵や魔法瓶が投げつけられた。350年間もインドネシアを支配しておきながら、
そのことを恥じるでもなく、インドネシアの独立を助けた日本国の君主に向かって
「犯罪者!」とは、何という無知と横暴。オランダ人よ、恥を知りなさい、恥を!

※追記②
朝鮮の日本統治を「植民地支配」というが、当時のイギリスの文献には
「colonization」は使われておらず「annexation」(合邦、併合)と表現している。
西洋人の感覚ではcolonizationは〝掠奪〟に近いイメージになる。



 

2014年10月13日月曜日

父ちゃんの安酒場

カミさんと長女は一昨日から海外をほっつき歩いている。
旅行先はクロアチアとスロベニア。今朝の長女からのメールでは、
「明日は『紅の豚』や『魔女の宅急便』の舞台になったといわれてる
ドゥブロヴニクという街に移動しまーす。とっても楽しみ\(^ ^)/」
などとあった。長女は稼いだカネをすべて旅行に費やする考えらしい。
ま、俺のカネじゃないからどう使おうと勝手だけど、
根っからジッとしていられない性格なんだな。いったい誰に似たんだ……

←世界遺産に登録されているクロアチアの
プリトヴィツェ湖群国立公園。
長女がメールで送ってくれた。





おかげで留守居役の父ちゃんは、大いに羽を伸ばしている。
「毎晩、宴会やるつもりなんでしょ。ちゃんと分かってんだからね」
カミさんは出発前にドスの利いた声で、こんなふうに釘を刺していった。
毎晩はシンドイから1日置きかな(笑)。
なにしろ俺の周りにはタチの悪い飲んべえばかりいて、
虎視眈々と〝安酒場(←わが家のことです)〟が開くのを待ちかまえている。

そうはさせじとカミさんはお目付役を用意していた。
横浜に住む次女だ。連休だからと転がり込んできたが、監視役でもあるらしい。
案の定、わが家に到着した時(3pm)は、すでに宴会が始まっていた。
ウワバミのようなNICKがお酒持参で勝手に入りこんでいたのだ。
その後はもうグチャグチャで、あとからNICKの奥方まで繰り込んできて、
大騒ぎとなった。みんなよく飲みよく食べた。

NICKのかあちゃんK子は、中学・高校と次女に英語を教えてくれた家庭教師。
ネイティブ並みに英語を操るおばさんで、次女がTOEIC満点をとれたのも彼女のおかげだ。

話柄は広範に及んだが、残念なことに父ちゃんは話の中身をまったく覚えていない。
深酒した翌日はいつも記憶が飛んでいて、何を話したのか、さっぱり覚えていないのだ。
いや、深酒していなくとも同じようなもので、ボケの症状はかなり進んでいる。
「何度も同じこと言わせないでよね!」
これがカミさんや娘たちの決まり文句だ。情けないことおびただしい。

昨晩、次女が引きあげていった。台風に直撃される前に帰ろうと思ったのだろう。
火曜と水曜が暴風雨でヤバイみたいだよ、と言うと「わーい、わーい!」
と大ハシャギ。鉄道が混乱して会社が休みになることを秘かに期待してるのだ。
(こいつ、まるで子どもだな……)
父ちゃんは呆れてしまったが、その子どもっぽいハシャギようが妙に懐かしかった。
親というものは子の「現在」を見ながら、同時に「過去」の姿をいつも重ね合わせている。


さてさて、小うるさいお目付役もいなくなった。
新ヘパリーゼ・プラスの準備もしっかり整っている。
店開きはいつにしようかな。



←アニメ『紅の豚』の舞台になったという
クロアチアのドゥブロヴニクの街並み。
さすが統一感があって美しいですな
















 

2014年10月8日水曜日

世界一美しい国歌

子どもの頃は「君が代」が好きになれなかった。
荘重ではあるのだが、どこか陰気で、子供心にも「カッコ悪い」と思ったのだ。
それに比べ、アメリカやフランスの国歌は雄々しくてカッコよかった。

いまは違う。「君が代」が世界で一番美しい国歌だと思っている。
スポーツの国際大会などで君が代が演奏されると、思わず居ずまいを正したくなる。
サッカーなどの国際試合で、国歌斉唱時、歌ってるんだか歌ってないんだか、
口の中でモゴモゴやっている日本代表選手をしばしば見かけるが、
そんな時ボクは、テレビに向かって叫ぶのだ。
「こらっ! モゴモゴやってんじゃない! 大きく口を開けて腹の底から声を出せッ!」

韓国・仁川のアジア大会。水泳の「男子リレー400m」で、
日本をおさえて優勝した支那人の孫楊は、試合後にこう発言している。
日本人に勝って気分がいい。正直言って日本の国歌は耳障りだ
おそらく支那人の多くはそう思っているのだろうが、公の場で言うせりふではない。
もし日本の選手が、「正直言って中国の国歌は耳障りだ」などと発言したらどうだ。
在中国日本大使館などは暴徒と化した群衆に十重二十重と取り囲まれ、
おそらく焼き討ちにあってしまうだろう。

 
愛国教育の申し子で、見るからに憎(にく)ていな顔をした孫楊だが、
「イギリス人に勝って気分がいい。正直言ってイギリス国歌は耳障りだ」
とは決して言わないだろう。阿片戦争で支那人の誇りをズタズタに引き裂かれ、
自国領の香港を150年以上も植民地にされたというのに、「女王陛下万歳!」
と歌った「God Save The Queen」はたぶん赦せるのだ。
耳障りどころか、逆に「耳に心地よい」などと言うのかもしれない。

たしかにアメリカや支那、ロシアなどの国歌は愛国心を鼓舞するような曲調で、威勢がいい。
世界で唯一の和音階でつくられた「君が代」は、西洋音階でないだけに、
外国人には耳慣れないところがあるかもしれないが、あえて西洋音階に与(くみ)せず、
東洋の孤高を守ったところが、いかにも日本国らしく、
ボクなどは誇らしさで胸がいっぱいになってしまう。

「君が代」は国歌としては世界一短い歌詞なのだという。
フランス国歌「ラ・マルセイエーズ」などは全部で7番まである長大なもので、
いちばん有名な1番の歌詞には、
《子どもや妻たちの首をかっ切るために》とか《われらの田畑に、穢れた血を
飲み込ませてやるために》といったような凄惨な歌詞が連なっている。

「日の丸」と「君が代」は血塗られている、などと左翼のおバカさんたちは
お題目のように唱えているが、近現代の歴史を学べばすぐに解るように、
イギリスやスペイン、フランスの国旗・国歌のほうがその数百倍も血塗られている。

ちなみに明治36年、ドイツでおこなわれた「世界国歌コンクール」で、
日本の「君が代」はみごと一等を受賞している。

話変わって、ニューヨークの超高級ホテル「ウォルドルフ・アストリア」が、
支那の保険企業グループに買収されたという。歴代のアメリカ大統領や
昭和天皇までもが宿泊したという由緒あるホテルが、成金チャイニーズに
売却されてしまったのだ(1989年、三菱地所に買収されたロックフェラーセンターを彷彿させる。
成金ニッポンの30年遅れが現在の支那ってとこか)。

ボクは30年ほど前、身のほどもわきまえずこのホテルに泊まったことがある(仕事です)。
まだ景気がよかった頃の話で、着いた時はちょうどハロウィーンの時季だった。
ティファニーにも行ったしブルックス・ブラザーズにも行った(もちろん見るだけ)。
高級レストランで食事もしたっけ。

ああ、盛者(じょうじゃ)必衰の理ことわり)とはいうものの、
権門の末路は哀しいものである(俺のことかしら?)。

何度も言うけど、支那人と朝鮮半島人の心根はひどく貧しい。
言論と報道の自由もないくせに、いっぱし先進国を気取っている
産経新聞の前ソウル支局長が在宅起訴された事実を見よ)。笑わせやがる。
こんなイカレたお隣さんとは金輪際つき合いたくないものだ。





←「日本の国歌は耳障りだ」と発言した孫楊君。
君の尊大なマヌケ面も目障りなんです。

2014年10月2日木曜日

コーヒーに憑かれた女たち

昨日(10/1)は「コーヒーの日」なのだそうだ。
なぜコーヒーの日なのかは知らない。
全日本コーヒー協会がボクに相談することもなく(当たり前だ!)勝手に決めたことで、
つむじ曲がりのボクなんかは〝要らぬお節介〟だと思っている。

「コーヒーの日」だろうと何だろうと、コーヒーは毎日飲んでいる。
酒も毎日だが、コーヒーも毎日で、どちらもほとんど中毒気味なのだ。
本日、「ダフニ」の桜井美佐子からコーヒーが2袋送られてきた。
エチオピア・イルガチェフと珍しいコロンビア・モカの2種である。

桜井は今は亡き標交紀コーヒーの鬼と呼ばれた吉祥寺「もか」店主)の兄弟弟子で、
標の師匠筋に当たる襟立博保の秘書をやっていた。
標がもっとも信頼していた女性で、新しいブレンドを開発すると、
「桜井さんの感想が聞きたい」
と、まっ先に連絡した。桜井には非凡な味覚が備わっているらしい。

その桜井も70の坂を越えたという。
《コーヒーのことはいまだ解っておりませんが、食べ物の「おいしさ」と「うま味」に
関しては、今どきの若者たちより深く理解しているつもりです(笑)》
と、これはまあ、コーヒーに添えられた手紙からの抜粋である。

コーヒーにもホンモノとニセモノがある。
ボクと女房は、40年間、ホンモノかそれに近いコーヒーばかり飲んできた、
と自負しているが、それがホンモノだったかどうかは神のみぞ知るだ。

桜井のコーヒーには、むろん桜井のキャラクターが色濃く投影されている。
が、名人・標交紀のコーヒーを少しばかり彷彿させるところもある。
つまり、飲むほどに陰翳豊かなさざめきが湧出してくるような味で、
そんじょそこらの凡庸なコーヒーでは追いつこうにも追いつけない、
一筋縄ではいかない味なのである。

標の一番弟子は福岡「美美」の森光宗男だが、森光のコーヒーは
標のコーヒーとはまったくの別物である。森光独自のもので、
焙煎も森光しかできないオリジナルなものだ。

山形・鶴岡の「コフィア」が標の味を継承しているじゃないか、というものがあるが、
継いでいるのは標の志であって、コーヒーの味ではない。店主・門脇祐希も
彼ならではのコーヒーワールドをしっかりと形成している。

古稀を迎えた桜井はこう言っている。「ただ今修業中」だと。
まだまだめざす味には届かないというのだ。
この不断の探究心こそ桜井の真骨頂で、
その成果のほどがすべてコーヒーの出来に現れている。
ボクが言うのも何だが、みごとな出来映えである。

いただいたものだから、世辞のひとつも言うべきなのだろうが、
桜井のコーヒーはそんなつまらぬ慮りをはるかに超えたところに屹立している。
焙煎技術世界一になった福岡「豆香洞」のコーヒーも立派なものだが、
桜井のコーヒーはまったく別次元のところで、密やかに、そして力強く息づいている。

師匠の襟立は、
女にはどうしても越えられぬ壁がある
と、桜井の〝限界〟を予測したものだが、
その予測はみごとに外れたようだ。

飲んでみて、あまりに味わいが深かったもので、
その感動が薄れぬうちに一文にまとめてみた。
コーヒー物狂いの世界に男も女もない。
                                       (文中敬称略)


←東京・田町にある「ダフニ」の外観。
慶應大学のほど近くにある。













※追記
木村衣有子氏著の『もの食う本』(ちくま文庫)の中で、拙著『コーヒーに憑かれた男たち』
が紹介されている。木村氏は文末にこう書いている。
《『コーヒーに憑かれた男たち』は、コーヒーを男だけのものにしておきたいようだが、
私は『コーヒーに憑かれた』女を探しに出かけてみたい》。
木村さ~ん! ここにあなたのお目当ての女(ひと)がいますよ~。
すぐにお出かけくださいな。