2011年12月28日水曜日

やさしいニッポン人

昨夜は駒込のイタリアン「リセット」で会食。夫婦で参加した。
シェフは室井克義というピエモンテ料理の名人で、
かつてホテル西洋銀座の「アトーレ」で腕をふるった実力者だ。
ボクとは同い年で、つき合いも古い。

その彼と震災に話がおよんだ時、日本人のやさしさは本物か、という話になった。
3.11当日、彼は店の前に貼り紙をした。「トイレは自由にお使いください」
店が面する本郷通りは帰宅難民でごった返している。そんな中、
群衆を縫うようにして犬の散歩やジョギングにいそしむ人もいた。
非日常的状況の中にも日常的風景は繰り広げられている。

彼は「日本人のやさしさ」にいくぶん懐疑的で、例証をいくつも
挙げてくれたが、ボクは彼の意見には賛成できなかった。
日本人は「それほど捨てたもんじゃないもの……」。

昨日、長女の友人たちがイタリアから来日した。
ヴィクトルとエンリカの男女両名。
第2陣は29日で、こちらはオーストラリアから2人来る。
イタリア組は初来日で、娘とは月島で待ち合わせている。夕飯は
もんじゃ焼きにしよう、というわけだ。
長女は近くの晴海トリトンスクエア内で働いている。

イタリア組はホテルの予約をしていない。第2陣と合流するまでは
行き当たりばったりで決めようと目論んでいた。昨夜は寒かった。
荷物も多い。2人は英語が苦手で、大きな荷物をゴロゴロ転がしながら、
月島あたりをうろつき、不安げにホテルを探している。

「コノアタリニホテルハアリマスカ?」
通行人のおばさんに話しかけた。なぜかおばさんは片言の英語をしゃべった。
「モシミツカラナカッタラ、ウチニオイデヨ。カンゲイスルヨ」

イタリア人たちは「怪しいおばさん」だと、初めは思った。
イタリアでは考えられないからだ。見ず知らずの外国人を誘って
自宅に泊めるなんてことは金輪際ありえない。
そのことを長女に伝えたら、長女は、
「日本だったらふつうかも。わが家だったら、たぶんそうするもん」
イタリア組は目をまるくしていたという。


結局、安いホテルを探し出し、長女がくだんの親切なおばさんの家に
断りの電話を入れることになった。「みんな楽しみにしていたのに、残念だわ」。
おばさん一家は心底ガッカリしていたという。
それを聞いてイタリア組は大感激。しょっぱなから日本人のやさしさにふれ、
いっぺんに日本を好きになってしまったようだ。

日本人はやさしいか否か? 設問そのものがかなりいいかげんだが、
肯定派も否定派もいろんな例を挙げ、議論百出するだろう。

聞けばアリタリア航空は日本行きに限って、運賃を半額にしているという。
日本との往復運賃が約5万円。放射能汚染が心配で、日本行きの乗客が
激減。そのため航空会社も赤字覚悟で客を集めているらしい。
いくら国の財政が破綻していても個人は別。5万円くらいならなんとかなる。

4人が合流したら、いよいよわが家にやってくる。
にぎやかな国際交流になりそうである。

2011年12月22日木曜日

韓流はウソだらけ

キタの将軍様がとうとうくたばった。地方巡行中、過労のため殉職したとあるが、
それはウソっぱちで実際は別荘でおっちんだらしい。暗殺説もある。
残念至極である。あの寸足らずには断頭台や公開処刑がふさわしかったのに、
それが果たせず、69歳までのうのうと生き長らえさせてしまった。

一方、ミナミの李大統領は来日した折、無礼にも従軍慰安婦問題を持ちだし、
誠意を示せと野田首相に迫った。彼らの言う誠意とは「金を出せ」ということである。
そしてまた、あろうことか首相がソウルの日本大使館前に置かれた
元従軍慰安婦を象徴する少女像をすみやかに撤去してくれ、と再三たのんだところ、
完全に無視された。外国公館の安全と威厳は保護すべきとするウィーン条約の
明確な違反である。キタもミナミも朝鮮の政治家はロクデナシばかりなのである。

中国人はいうまでもないが、韓国人も「法」を守らないというか、
「法」というものがそもそもわかっていない民族である。
何度も云うが、1965年に平和条約でもある「日韓基本条約」が結ばれた。
これによって文化財を含む韓国の対日請求権は国際法的には消滅している。
しかし韓国はこの「法」を平気で破るのだ。

昭和26年、韓国の李承晩大統領は巨額の請求権をふっかけてきた。
そして朴正凞の第7次日韓会談までもみにもんで、14年もかけようやく
日韓基本条約までこぎつけるのである。

政府無償贈与3億ドル、政府借款2億ドル、民間借款3億ドル、計8億ドルで
韓国はいっさいの対日請求権を放棄したはずなのだ。
今から46年前の8億ドルは、日本国民にとって容易ならぬ大金だった。
それこそ血と汗と涙の結晶なのである。それに53億ドルにものぼる在韓資産を
すべて放棄している。
♪あゝそれなのに それなのに ねぇ……(←唄ってる場合か!)

彼らの言い分がふるっている。
「日本人はたしかに賠償をした。しかしそれは当時の価値でやったものだから、
今の価値に照らせば金額が少ない。賠償は足りていない」
とこう曰うのである。これが法治国家の言い草だろうか。
OECD(経済協力開発機構)の一員として恥ずかしくないのかよ、オイ。

慰安婦の問題は別の折に書く。
ボクには韓国人の親友がいるし、娘たちの友人に韓国人は多い。
だからあまり悪口は言いたくないのだけれど、あまりに理不尽な要求が多いので、
この際、一つ一つ反駁しておきたいのだ。
歴史も法も無視する朝鮮半島人とつき合うのはほんとうに疲れる。

2011年12月13日火曜日

本文はオマケ

わが家の冷凍・冷蔵庫内にはコーヒー豆が所狭しとつまっている。
全国各地の名店から取り寄せたものがほとんどだが、
今は自分で焙いたものも数種類あり、それらを取っかえ引っかえ飲んでいる。
気のせいか、名店のものよりうまかったりする。←うぬぼれ屋め!

わが家は全員コーヒー党で、コーヒーがないと生きていけない。
ボクはアル中だけど、コーヒー中毒でもある。
時々は紅茶も飲むが、中毒性ではコーヒーに敵わない。
紅茶にはガツンとしたパンチがないのだ。

さて、ここからは臆面もない自著の宣伝である。拙著『コーヒーの鬼がゆく』(中公文庫)が
いよいよ発売される(12/20)。吉祥寺の名店「もか」の名物オーナー、
標交紀(しめぎゆきとし)のコーヒーにかける奇人変人ぶりを追いかけた本である。

今回のウリは本ブログでもおなじみの帰山人氏が「解説」を書いているところ。
これが傑作で、帰山人氏も自らTwitterで、
《クドイようだが、解説は私が書いています。高額で不味い珈琲につかまるくらいなら、
私の解説を700円で買いなさい! オマケに嶋中労さんの本文が付いてくるから(笑)》
などとケシカランことをつぶやいている。とうとう〝オマケ〟にされちゃった。




←しかつめらしい顔してコーヒーを抽出する標さん。
理屈を言うのはあまり好きではなかったようだが、
生き方そのものはまさしく〝コーヒーの鬼〟だった














そういえば、冷凍庫のすみっこに帰山人氏からいただいた「パプア・ニューギニア」
があったっけ。数日前、二人は初めて東京で会い、ひしと抱き合ったのだ。
彼の手土産がショウガ入りジャムと手ずから焙いたコーヒー豆だった。

帰山人氏も手廻しの1キロ焙煎器で自ら豆を焙いているという。
出来映えはなかなかのものだが、ボクの「作品」に比べるとまだまだという感じだ。
〝のびしろ〟はありそうなので、これに挫けずぜひとも精進を重ねてほしい。

というわけで、解説が「主」でボクの本文がオマケに付く『鬼』をどうかよろしく。
図書館で借りて読む、などという不心得者には大いなる災いと天誅がくだるべし!






2011年12月11日日曜日

あの日から9ヵ月


あの震災から今日で9ヵ月。TVニュースで両親と妻と子を失った男性が仏壇に置かれた遺影を前に、「泣いてばかりいるとみんなに心配かけるから泣かねえようにしてっけど、やっぱ泣けちゃうんだよ」と、目を真っ赤にしていたけど、こっちはまたまたもらい泣きだ。大事な家族をいちどきに失ってしまったら、ボクなんかとても生きてゆけそうにない。このひとりぽっちにされてしまった男性の気持ちを推し測るだけで胸が張り裂けそうになる。あれはまさに悪夢だった。

東北の被災者の人たちの苦しみに比べれば――このフレーズはけっこう迫力がある。女にふられただの、金が無いだの、いじめにあっただの、鼻ぺちゃで胴長で足がくさいだのといった悩みという悩みのことごとくが、薄っぺらでちっぽけな悩みに思えてくる。

長女は岩手・大船渡へ十数回支援に通った。あまり話したがらないが、ギョッとする凄惨な話も数多く聞いたらしい。外国人ボランティアたちといっしょに泥まみれ埃まみれになって活動した。ガレキの撤去、個人宅の後片付け、ドブさらい、写真整理……できることは何でもやった。外国人たちも黙々と汗を流した。All Handsの活動はいちおう終止符を打ったが、娘と彼らとの交流はfacebookなどを通して今でも続いている。

そんな中で母が死に、次女が就活に奔走し、毎日ぐちゃぐちゃになって生きてきたら、とうとう師走になってしまった。そしてこっちは来年年男になる。「まだまだ若いわよ」なんて周りのものは言ってくれるけど、身体はけっこうガタがきている。腰痛、高血圧、飛蚊症、頭のてっぺんは薄くなるわ、目はかすみ、膝がカクカクいうわ、ろくなもんじゃない。

それでも、東北の被災者の身の上に比べれば、すべて甘ちゃんの寝言みたいなもの。もういっぺん顔を洗って出直してこい、ということになる。人の一生は儚い。命なんて塵芥(ちりあくた)のように消え去ってしまう。それほど尊いものなのに、碌々(ろくろく)と為すことなく過ごしてしまった五十有余年。自分は何をするために生まれてきたのか――この齢になっても書生じみた思いに悩んでいる。












2011年12月6日火曜日

イタリアンには鍋料理を

暮れに、長女の友人たち4人がイタリアからやってくる。
8年前に留学した際の高校の同級生たちである。
国が破産寸前だというのに、わざわざ東洋の果てまで来て、
のんびり物見遊山なんぞやってていいのか、
とこっちはいささか心配になるが、来てくれるのはとても嬉しい。

サービス精神旺盛な長女は、時間の許す限りつき合ってやりたいと、
今まさにプランをあれこれ練っている。わが家でも歓迎パーティを
開く予定だから「お父さん、料理のほうはよろしくね」などと、
もう勝手に決め込んでいる。

なに、料理はすでに決まっている。真冬となれば鍋が一番だろう。
鍋といえばキノコと鶏肉をどっさり入れたきりたんぽ鍋がいい。
好きもきらいもない。四の五の言わせないのがわが家流で、
いやでも食ってもらうのだ。

イタリア人は総じて味覚の許容度が狭い。
自国の料理を世界最高と思っていて、
それ以外は「蛮人の食べもの」くらいにしか思っていないので、
なかなかやっかいな連中なのである。

「以前、お煎餅を食べさせたら、気持ち悪いって吐いちゃったもんね」
とは幾度となく彼の地を訪問している女房の憤慨の弁である。
トリノのホストファミリーには毎年Xmasプレゼントを贈っているが、
中身はほとんどチョコでコーティングされたグリコのポッキーである。
煎餅などあられの類は御法度。
ホスト家は日本の菓子というとポッキーしか食べないのだ。

「まず手始めは月島のもんじゃ焼きだね」と
長女はピッツァならぬもんじゃ焼きで攻めたてるようだ。
その後は日本の誇る各種ラーメンでガツンと一撃し、
回転寿司で目をまわらせ、父親自慢のきりたんぽ鍋でトドメを刺す。

厚かましくも長女はわが家に持ってくるべき手土産まで指定している。
クリスマス前後に食べるパネットーネという円筒形のお菓子を持ってこい、
と注文をつけているのだ。この時期、わが家はパネットーネを数種類食べる。
イタリアの店に直に注文することもあるし、日本の店で買うこともある。
このお菓子に関しては、何かと口うるさいのである。

年末、次女はアメリカのホスト家を再訪する予定であいにく留守。
イタリア語ができるのは長女とわずかに女房だけだ。
ボクは正調日本語と片言の英語でがんばるしかない。
にぎやかな年の瀬になりそうである。











2011年12月4日日曜日

半年忌

若い頃は非社交的な人間だった。
でも今は、社交的な人間だと思っている。
これはたぶん死んだ母親の血だろう。

母は人見知りというものを知らない女だった。
どんな人間とも分け隔てなくつき合うことができた。
逆に父は、非社交的人間の典型だった。
小心で神経が超のつくくらい細かった。

神経が太いというより、ほとんど神経の無かった母に
全身神経だらけの父。ボクはそんな両親のもとに生まれた。
大胆と小胆が同居し、社交家と非社交家の両面を持っている。

姉は母の遺伝子を受け継ぎ、いまでも知らない人に
ホイホイ声をかける。車内でも隣の人に突然話しかけたりする。
おまけにほとんど敬語というものを知らず、ハナから馴れなれしい
言葉づかいなので、話しかけられた人は一瞬「ギョッ」とする。
昔はよくこんなオバサンがいた。鬱陶しいけど憎めない。

ボクも姉ほどひどくはないが、そうした図々しさを持ちあわせていて、
見知らぬ人に声をかけるがごときは少しも苦ではない。
見た目がごつくて怖そうだから、相手は一瞬ひるむが、
やさしいオジサンと分かると、笑顔で応じてくれる。

若い頃は父の血が優り、四十路を過ぎてからは母の血が優っている。
どこか〝影〟のあった若い頃はうんざりするほど女にもてたが(大ウソ)、
影も日向もなくなった今となっては、もてるのは漬け物石くらいで、
それこそ見る影もない。

母が逝って半年になる。半年忌というのはついぞ聞かないが、
勝手に母を偲んでいる。母は明るくて賑やかな女だった。
叶うならもう一度母に会いたい。母の打ったうどんが食べたい。


2011年11月21日月曜日

コーヒーも音楽熟成

コーヒー生豆を10年以上寝かせる、といえば銀座のランブルが本家本元だが、
店主の関口一郎氏が音楽を聴かせながら熟成させている、
という話は寡聞にして知らない。

日本音楽熟成協会」というのがあって、食品などの熟成過程で音楽をかけてやると、
糖度やうま味がアップするという。「音楽熟成」というのだそうだ。

たとえばバナナを室(ムロ)に入れ熟成させる際にモーツァルトの曲を流す。
するとバナナの糖度が上がり、おどろくほど美味なバナナになるという。
名づけて「モーツァルトバナナ」。

モーツァルトの曲には800ヘルツ以上の高周波とゆらぎの音がたくさん含まれ、
あらゆるものの分子を活性化する作用があるという。
そういえば牛の乳を搾る時、モーツァルトをかけてやると乳の出がよくなる
という話を聞いたことがある。

音楽熟成はあらゆるところに応用され、ワインの熟成はもちろんのこと、
工場作業員のストレス解消や事故率低下、
客の入りの悪い店の集客力アップなどにも効果を発揮するという。

女房に聞いたら、先日訪れた佐渡島の黒イチジク(フランス原産)も
モーツァルトを流し熟成させているという。モーツァルトを流すと、
ねっとりとした食感と濃厚な甘みが増すらしい。

群馬・高崎の大和屋が「石蔵熟成珈琲」という炭火焙煎コーヒーを売り出した。
まだ飲んではいないが、大谷石を積んだ石蔵の中で1年間生豆をエイジング、
もちろん豆にはモーツァルトを聴かせている。大谷石は遠赤外線の放出量が多く、
食品に含まれる水の分子を活性化させる働きがあるという。

わが家も女房が身ごもった時、モーツァルト(主に後期の交響曲40番と41番)
を聴かせてやったことがある。乳の出をよくするためと胎教のためである。
しかしその後は、エリック・ドルフィーやチャーリー・ミンガスといった
前衛ジャズばかりかけて聴かせた。そのおかげなのかどうか、
娘たちの熟成はいくぶん過剰に進んでしまったようだ。

コーヒーにモーツァルトはぴったりかもしれないが、ワインの熟成には
ぜひとも浪花節を聴かせてやってほしい。ワインは良質な渋みが命。
渋みといったらなんてったって浪花節が一番だろう。
「広沢虎造熟成ワイン」とか「玉川勝太郎長熟ワイン」なんてものがあったら
すぐにも買って飲んでみたい。

いま、わが家にはコーヒー生豆が10キロある。懇意の友人からの
還暦プレゼントである。それにしても10キロとは(呆然)……。
一部は煎って、残りは熟成させてみよう。

この際だから、モーツァルトよりもボクの歌を聴かせながら熟成させてやりたい。
というわけで、毎日、生豆を前にギターをかき鳴らしながら歌っている。
家人は迷惑がっているが、豆たちは喜んでいるようだ。



※来年は辰年でボクは年男。モーツァルトにたよらずとも熟成が進み、
ほどよく渋みも増してきている。
さぞ女性にもてる年になるだろう。←バカは死ななきゃ……

孔門十哲の1人子貢は孔子の死後、6年間喪に服したという。
今年は震災もあったし母も死んだ。子貢のマネはできそうにないが、
せめて「服喪三年」の気持ちだけは忘れずにいたい。
というわけで、ご無礼ながら皆々様への年末年始のご挨拶は遠慮させていただきます。

2011年11月18日金曜日

和合に本腰

ことばの問題のつづき。

ボクの親友チョ・ヒチョル先生のことはすでにお馴染みだが、
今回は彼の奥方・崔銀珠(チェ・ウンジュ、韓国では夫婦別姓)さんのエピソード。

チェさんは日韓同時通訳では第一級の人で、金泳三、金大中元大統領
来日の際にも同時通訳をつとめている。小5~高1まで日本で過ごし、
その流暢な日本語はほとんどネイティブと変わらない。

1988年のソウルオリンピック。冷戦のさなか、「東西の和合」が大会テーマだった。
彼女はソウルオリンピック組織委員長の通訳をつとめ、8ヵ国同時通訳で進められる
開会式と閉会式でも日本語部門を担当した。

コトの起こりは開会式だった。コンノリという民俗遊戯で雌雄のコッ(太い綱)が
激しくぶつかり合うクライマックス。彼女はいろんな思いで感極まってしまったのか、
思わずこう叫んでしまった。
ただいま和合が絶頂に達しましたッ!

その日の夕刻、当時のNHKソウル支局長が日本語の「和合」の持つ
もう一つの意味をそっと教えてくれた。いわずと知れた「夫婦の性の営み」のことだ。
「キャーッ! うそでしょう?」
チェさんは両手で顔を覆ったまま、しばらく口がきけなかったという。

それが契機となり、チェさんはお茶の水女子大学に留学し、
日本語を一から学び直すことになった。
日本語のブラッシュアップにいよいよ〝本腰を入れる〟ことになったわけだ。

あっ、いけねえ。女性に「本腰を入れる」なんてお下品なことばを
使わせちゃいけないんだよね(←わざとらしい)。
社民党の土井たか子センセーはよく使ってたけどね。
あれは遊里から出たことば。
意味はもう、おわかりですよね。

2011年11月10日木曜日

やらさせていただきます

今さら国語の乱れを嘆いてみてもはじまらないが、
次女に以下のように問いかけたところ、こんな答えが返ってきた。

「最近、〈雰囲気〉を〈ふいんき〉と言う人が多いらしいけど、どうなの?」
「そんなの今やジョーシキ。私もときどき使うもん……」
事実、〈ふいんき〉と入力、変換キーを押し、しばらくして
ようやく「ハッ!」と気づくこともしばしばだという。
蛙の子はやはり蛙か。

「ふ・ん・い・き」だと「ふ」と「ん」に力を込め、ハッキリ発音しないと、
次の「い」へうまくつなげない。でも「ふ・い・ん・き」なら口をさほど
動かさなくてもスムーズに発音できる。横着なしゃべり方だけれど、
省エネでCO2の排出量も少ない、という理屈なのだろうか。

そういえば「山茶花」だって本来は「さんざか」が正解だった。
が、いつの間にか「さざんか」になり、今やすっかり定着している。
「ふいんき」が多数派になる可能性は大なのだ。

文化庁による世論調査によると、「ら抜き」言葉に関しては、
16~19歳では約73%が間違って使用しているという。最近では
「さ入れ」言葉も猛威をふるっていて、「読ませていただきます」は
「読ま<さ>せていただきます」となり、「行かせていただきます」は
「行か<さ>せていただきます」となる。

loopyな鳩山元首相がこの「さ入れ」言葉の名人で、今でも、
「お訴えを<さ>せていただきたい」「汗を流<さ>せていただきます」
などとやっている。おそらく閨房のしとねでも、幸夫人に向かって、
「今夜はがんばら<さ>せていただきます」などと、
ムスコともども頭を下げているのだろう。

笑っちゃうのは、東国原(そのまんま東)前宮崎県知事が、
自らの談合問題にふれた際、
「私も、かつて不祥事を起こ<さ>せていただきましたが……」
と口走ってしまったこと。あわてて言い直したというが、
これなんかは呆れるよりも思わず吹きだしてしまう。

言葉の問題はまだまだ言い足りない。
が、キリがないのでやめる。
結論はなし。オチもなし。
ただ憮然としている。


2011年11月2日水曜日

NGOどぜう内閣

日本人は隣家の庭木が少しでもわが〝小庭〟を侵食したりすると、
ケシカランといって文句を言うくせに、竹島や尖閣諸島が侵食されても、
のんしゃらんと他人事みたいな顔をしている。

平成9年、西村眞悟議員が国会議員として初めて尖閣諸島の
魚釣島へ上陸した時も、マスコミはほとんど無視、
「またぞろ右翼議員がバカなことをしでかした」みたいに報道する
メディアもあった。この国では憲法と領土問題に首を突っ込むと、
「右翼」というレッテルを貼られてしまう。

どういうわけか日本人は領土、領海、領空に対する防衛意識が低く、
とりわけ民主党政権にその傾向が強い。
ほとんどビョーキと言っていい。

その主権意識の低さは、いったいどこから来るものなのだろう。
某評論家は、民主党が不磨の大典のごとく崇める日本国憲法の、
その「前文」が根源ではないか、と推測している。

憲法前文にはこうある。
平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して
われらの安全と生存を保持しようと決意した》と。
つまり、日本人の生存権自体を、心やさしき〝諸国民〟
の手にゆだねております、ということだ。
オイオイ、日本のまわりに、平和を愛する国なんてあったっけ?

情けないことに民主党政権は、「NGO内閣(非政府内閣)」などと
陰口をたたかれるほどの素人甘ちゃん集団。
おまけに、揃って自衛隊ぎらいの軍事オンチ内閣だから、
シビリアンコントロールの概念すら分かっていない。

菅前総理はかつて、
改めて法律を調べてみたら、(総理大臣は)自衛隊に対する
最高の指揮監督権を有すると規定されている」などと発言したことがある。
そう、自衛隊の最高指揮官はもちろん内閣総理大臣だ。
そんなことはジョーシキで、どんな出来損ないの小学生だって知っている。
軍事オンチもここまでくると末期的という外ない。

ボクの親は「勉強するとバカになるからあんまり勉強するな」
と常日頃から言っていた。かの福澤諭吉も頭でっかちの本の虫を
〝文字の問屋〟と軽蔑し、無用の長物と切り捨てていた。

菅も鳩山も、もともとオツムの出来がわるいくせに、
ムリに詰め込んだものだから、バカがこんがらがってしまったらしい。
なんてったって、言うに事欠き「友愛の海」だもんね。おまけに、
日本列島は日本人だけのものではない」(鳩山)などと言い出す始末。
じゃあ、いったい誰のものなんだよ。
感動しすぎて涙が出るよ。



※明日3日(木)は「明治節」で祝日だ。
今は「文化の日」などと呼び、いったい何の祝日やら分からないが、
もともとは明治天皇の誕生日を祝い、明治の遺徳を偲ぶ日だった。
「尚武の日」とでも名づければよかったのに。

2011年10月31日月曜日

タマタマの話

五十肩が治って、久しぶりにキャッチボールを再開した。
毎週日曜日の午後、団地の友人2人と小学校の校庭で
キャッチをやっている。S君とはもう2年以上、
T君が加わってからもすでに半年以上経っている。

五十肩はふつう完治まで半年~1年かかるとされているが、
ボクは1ヵ月で復活。これも日頃から「愛飲報國」を心がけ、
その陰徳が天に通じたためだと思っている。

もともとボクは速球派のピッチャーで、
S君やT君のへなちょこ球とは次元を異にしているが、
1ヵ月右肩を休ませておいたおかげなのか、
知らぬ間に速球の威力が増していて、
ついにその悲劇、じゃない喜劇は起こってしまった。

最初の犠牲者はT君だった。
みぞおちあたりに投げ込んだ球を受けそこない、
まともに「キン◎マ」にあたってしまったのだ。
余人の球ではない。火の玉のような剛速球だ。

「ううっ……」
T君はその場に崩れ落ち、うずくまってしまった。
顔から血の気が引いて、青白い。
股の間にぶら下げていた錆びた包丁も、
いよいよ年貢の納め時かと、ちらと美人の奥方の
顔を思い浮かべたが、この際、夜の勤行は
きっぱりあきらめてもらうしかないだろう。

次の犠牲者はS君だ。
T君のマヌケな捕球ぶりをへらへら笑っていたものだが、
練習後、「左指をつき指しちゃったみたい」と
情けないメールを送ってきた。捕球法が稚拙なのだ。
まったく、呆れ果てた野郎どもである。
(最初から鍛え直さなくちゃダメだな、こりゃ)

飛蚊症ニモマケズ   五十肩ニモマケズ
金欠病ニモ   女難七難ニモマケヌ
丈夫ナカラダヲ  モチ
慾ハナク(うそ、慾にまみれてる)
(以下略)………










2011年10月25日火曜日

もったいない

読売新聞の「読書」に関する全国世論調査によると、
「この1カ月間に何冊くらい本を読みましたか」(雑誌は除く)
という質問に、
①「読まなかった」が51.9%、②「1冊」が16.7%
という結果だった。

そして「本を読まなかった理由」を尋ねると、
①「時間がなかった」が48.6%、
②「読みたい本がなかった」が20.4%
なんと④「本を読まなくても困らないから」が18.0%もあった。

「本を読んで考え方や人生観に影響を受けたことがありますか」
という質問には、
①「ある」が63.2%、②「ない」が34.6%という結果だった。

これらの調査結果を見て、それぞれの思いはあるだろう。
ワンガリ・マータイさんではないが、ボクはまず「もったいないな」と思った。

目の前に人生を豊かにしてくれる宝の山が眠っているというのに、
みんな素通りして、それでいて二言目には「癒されたい」などと呟き、
幸せを求めてさまよっている。

なるほど本なんか読まなくても生きていけるし、
実生活の上ではたしかに困ることはないだろう。
情報ならインターネットやテレビからいくらでも取れる。

しかし、自分の生き方に大きな影響を与えてくれるものといったら、
今のところ「読書」しか思いつかない。
しかるに本から処世を学んだ経験がない、
というものが約35%もいるという現実。
もったいない、という外ない。

本好きになるためにはどうしても「濫読」という助走期間が必要となる。
あたりかまわず読み散らかし、自分にピッタリの「尚友」と出会うまでの
見習い期間である。この濫読経験のない者は、なかなか本好きにはなれない。

たとえばボクは、'47のルースト盤『バド・パウエルの藝術』というレコードの中の
「I should care」という曲にめぐり合わなかったら、ジャズにのめり込むことは
なかっただろうし、石川淳の『夷齋筆談』を読まなければこの作家のとてつもない
巨きさを思い知ることはなかった。この偶然の出会いが生まれるまでに、
いったいどれだけ道草を食ったことか。そしてまたどれだけ授業料を払ったことか。

「本を読まなくても困らない」と答えている人は、
本のすばらしさにふれる遙か手前で、自らチャンスを棒に振り、
生涯の友と出会う途を閉ざしてしまっている。
これほどもったいないことはない。

数えたことはないが、本にふれない日はまずなく、
日に1冊、多い日は3冊、仕事で速読しなければならない時は、
日に10冊以上読むこともある。この数日、急ぎ仕事があって、
膨大な資料読みに忙殺されたが、それでも慣れてくれば
それほど苦にならない。

読んでる「時間がなかった」というが、たぶん半分はウソで、
「本を読む習慣がそもそもない」というのが正直なところだろう。
本好きはどんなに忙しくても本を手に取る。
いや、忙しいからこそ本に潤いを求めようとする。
そういうものなのだ。

定年になったら山ほど本を読むよ、という類の人に本好きは少ない。
忙しい時に本を読まない人は、ヒマになっても本など読まないのだ。

作家の井上靖はこんなことを書いている。
《読書の楽しさを知ると知らないでは、人間の一生がまるで違ったものになる。
お花畑を歩くのと砂漠の中を歩くぐらいの差違がある……》

秋の夜長、寝る前のひとときを読書と共に過ごす時間は
何ものにも代えがたい。今は再た、若い頃に親しんだ
小林秀雄や荷風をゆっくりと読み返している。
日本語の美しさと勁直さを心より味わいながら。

2011年10月24日月曜日

職業に貴賎あり

昨夜は家族揃って六本木でディナー。電車だと乗り継ぎが面倒だが、
首都高(高島平~霞ヶ関)を使えばわずか30分で到着する。
場所は東京ミッドタウン内のイタリア料理店である。

わが家の外食はイタリアンが多い。
理由はいくつかある。
①概して当たり外れがなく、安い割にうまい。
②女房がイタリアンとフレンチのフードライターを
やっているため、店情報に詳しい。
③長女が高校時代にトリノ近郊の町に1年間留学していた。
④ラジオのイタリア語講座を10年以上聴いている(←女房)。
⑤家族全員がイタリアとイタリア料理好き。
というように、何かとイタリアに縁があるのである。

このお店、すでに女房が雑誌の取材でお世話になっている。
また次女の学友Mさんがウェイトレスのアルバイトをやっていて、
以前から「少しはサービスしますよ」といわれていた。
Mさんは高校時代に1年、大学時代に1年と、
都合2年間イタリア生活を送っている。

テーブルは公園(SMAPの草彅君が素っ裸になって騒ぎ、公然ワイセツ罪で
とっつかまった檜町公園)を望むテラス席で、文句なしのシチュエーション。
料理も前菜、パスタ、ピッツァ、セコンド、ドルチェとまあまあの味だった。
長女はトリノ生まれのウェイターを相手にしばしピエモンテ方言で世間話。
だいぶ錆びついてきてはいるようだが、まだまだ達者なものだと感心する。

隣のテーブルは男3人女1人のお洒落なイタリア人グループ。男は3人とも
頭がcomb free(櫛要らず)で、そのまた隣のテーブルには「やーさん」らしき
こわもての男女が6~7人。男たちはやはりcomb freeで、あたりかまわず
葉巻をプカプカふかしていた。タバコ嫌いの娘たちは、途端にげんなり。
不快だったが、怖いから全員目を合わさないようにしていた。

最後のドルチェ(ケーキ)の皿には、チョコレートで書いた
Buon Compleanno Hiroko(誕生日おめでとう! ヒロコ)の文字が。
数日遅れの誕生会になってしまったが、女房のために、
娘たちが秘かに頼んでおいてくれたのだ。
すかさず、陽気なイタリア人のギター弾きがお祝いの歌を披露。
「おめでとう!」と周りのテーブルからも拍手をいただいた。
見たら「やーさん」たちも拍手をしていた。なんだか、怖かった。

年末には長女の友人たちがイタリアからやってくる。
「この店にはトリノのお兄ちゃんもいるし、みんなを連れてこようかな」
などと、長女はご満悦。

それにしても、あのハゲ頭の「やーさん」たちはブキミだった。
全員がどこか垢抜けていて、一見カタギのおっさんたちに見えるのだが、
あの凄味のきいた目つきと姐御肌の女たちは尋常ではない。
イタリア人グループも気圧されたのか、終始小さくなっていた。















2011年10月18日火曜日

「あらちゃん」や~い!

NHKニュースにも荒川の「あらちゃん」が取りあげられている。
一頭のアザラシが荒川に迷い込んだだけで、
なぜこんなにもバカ騒ぎをするのか。

愚かにも志木市の長沼明市長は、
「さっそく住民票を交付する」と高らかに宣言
18日、カメラの放列を前に秋ケ瀬取水堰で厳かに交付式が行われた。

あらちゃんの正式名は「志木あらちゃん」。
だから呼びかけるときは、「あらちゃ~ん!」と呼び捨てにするのではなく、
「あらちゃんちゃ~ん!」と呼びかけなくてはいけない。
「アグネス・チャンちゃ~ん!」と呼びかけるのと同じで、
マヌケな話ではあるが、あくまでも礼を失してはいけないのである。

気まぐれなアザラシのこと、突然いなくなってしまうこともあり得るため、
市長は、「庁内の〝英知〟を結集し、永住への策をしぼりたい」
などと大まじめに答えている(餌づけだけはしないでくれ)。

かくも愚かな市長を戴いている志木市役所である。
愚将の下には愚卒ばかり――役所内には初めっから、
〝英知〟なんてものがあるハズもなく、
あきれた志木市民が一斉に転出届を出すのではないかと、
むしろそっちのほうが心配になってくる。

あらちゃんへの住民票交付に際しては、
市の職員たちが式典準備や交付手続きに追われ、
数人が急遽深夜残業を強いられたと聞く(やってられないよなァ)。
また愚かなる市長は、あらちゃん担当の専任職員を任命(税金ドロボー!)。
とうとうバカがこんがらがってしまった。

アザラシが一頭のうちはまだご愛敬だろうが、
これが数十、数百と川面を埋め尽くし、
せっかく放流したアユを一匹残らず食べてしまったらどうするのか。
それでも駆除をせず、いちいち名前を付け(どうやって顔を見分けるのだ)、
住民票を交付し(出生年月日も性別も世帯主との続柄もわかっていないのに?)、
市長はテレビカメラを前に、麗々しく交付式典をやり続けるつもりなのか。

10年前、平成の大合併の折、志木市、朝霞市、和光市、新座市の4市が
合併しようという案が持ち上がった。4市一斉の住民投票の結果、
和光市だけ住民の77%が反対(つむじ曲がりが多いもんでね)、
合併案はあえなく否決されてしまった。

たかがアザラシ一頭の出現で、町を挙げての狂騒劇。
市長も市長なら住民も住民で、一連の税金の無駄遣いに対し、
「税金返還訴訟」を起こすくらいの良識ある住民が
一人くらいはいないものか。

アザラシなんぞ、和歌山太地町のイルカ追い込み漁に倣って、
早くひっつかまえ、身ぐるみ剥いで毛皮のコートにしちまえばいいのだ。
なにが「あらちゃん」だ、アホらしい。
ああ、おバカな志木市なんかと合併しなくて本当によかった。







←マヌケな顔した「あらちゃん」。
こんなもの、どこがかわいいのかね。

2011年10月16日日曜日

秋の落ち蚊

昨夜、夕食の鍋料理をつついていたら、
突然目の前に糸くずみたいなものが現れた。
はるさめでも睫毛に引っかかったのかと、
手で何度も除けようとしたけれどとれない。
こすってもだめ、顔を洗ってもだめ。
蚊のような、糸くずのような謎の浮遊物体は
いっこうに消えてくれないのである。

「それって飛蚊症じゃない? 知り合いと同じ症状だもの」
女房がそう言った。
「何? そのヒブンショウって?」
「一種の老化現象みたい。目の前にいつも蚊が飛んでるように見える
から飛蚊症」

さっそくネットで検索。あったあった……ありましたよ。
「多くは加齢により自然発症するもので、
硝子体が何らかの理由で網膜から剥離して起こる」と解説がある。
老化によるものは、あきらめるしかなく、
「そのうち馴れる」なんて書いてあったりする。

こいつは参った。目の前にいつも糸くずが絡まっていたり、
蚊が飛んでいたりじゃ、鬱陶しくてしようがない。
こんなものと一生つきあわなけりゃいけないのかと思うと、
暗澹たる気分になる。

地震、津波に台風まで押し寄せ、
おまけに母や叔父、叔母を失い、
こんどは何の因果か五十肩に金欠病(持病です)に飛蚊症ときた。
今年はなんてツキのない年なんだろう。

齢をとるということは、
次から次へと押しよせる身内の不幸や身体の異常事態を、
素直に従容と受け止めることなんだな、としぶしぶ納得。
徐々に油が切れポンコツ化していくわが身を思うと、
侘びしさがひとしおこみ上げてくる。




※追白
10/17(月)病院の眼科で精密検査。
結果はやはり「飛蚊症」だった。投薬も手術も必要なし。
医者曰く「すぐに馴れますから……」
馴れますからと云われたって、あなた……







2011年10月12日水曜日

吉祥寺「もか」恋々

吉祥寺に「もか」という自家焙煎コーヒーの名店があった。
そこには標交紀(しめぎゆきとし)という〝コーヒーの鬼〟が棲んでいて、
日ごと夜ごと、コーヒーのことばかり考えていた。

標のコーヒーはうまい不味いをはるかに超え、
感動を誘うコーヒー」とまで云われた。
もしも客が飲み残そうものなら、カウンターから飛び出し、
追いかけていって「残したわけを聞かせてくれ」と
返答を迫った、というのだから尋常ではない。

標が突然逝ってしまい、「もか」が閉店して早や5年。
標が蒐集したコーヒー器具など約250点を展示した催し
「咖啡がやってきた」展が三鷹の中近東文化センター附属博物館で
開かれていたので、久しぶりに行ってみた。

「もか」を再現した臨時カフェは大盛況で、標のかつての弟子たちが、
全国から応援に駆けつけていた。たまたま相席した若者は、標のことを
知らなかった。お節介なボクは、標の人となりや、「もか」がコーヒー屋の
聖地だったことなどを語りきかせた。若者は目を輝かせて聞き入った。
「すごい人だったんですね。一度でいいから標さんのコーヒーを飲みたかったな」

会場にいた未亡人の標和子さんは、いまだに茫然自失の抜け殻状態で、
あれほど好きだったコーヒーを、あの日以来一度も口にしていないという。
服喪のための茶断ちではない。コーヒーが飲めなくなってしまったのだ。
2人は人も羨むおしどり夫婦だった。子がいないぶん、よけい夫婦の紐帯は強かった。
夫人の悲嘆と絶望は察するにあまりある。

一心不乱になって我を忘れる――今どきこんな生き方をするものはまれだろう。
が、世界一のコーヒーをめざし焙煎に没頭している時の標は、
まさしくこんな忘我の状態だった。「コーヒーには品格がなければいけない
品格のないコーヒーなど無価値で、そんなものは踏み倒していい、
とまで言い切った。そこまで言える人間はまずいない。

宣伝じみていて恐縮なのだが、稀代のコーヒー馬鹿を描いた
小著『コーヒーの鬼がゆく』が12月に中央公論新社より文庫化される。
たかがコーヒーという狭くて小さな世界だが、
それに命をかけて打ち込んだ男がいた。
標交紀という名を、心の片隅でいい、憶えておいてほしい。



※追記
標さんとの「お別れの会」(2008.2.10)の様子を『週刊きちじょうじ』が
伝えているので、ここに改めて掲載させていただく。会場にはカフェ・ド・ランブル
の関口さんの顔も。記事をクリックすると拡大画面になる
恥ずかしながら不肖私めも挨拶に駆り出された。「もか」の瀟洒なたたずまいが懐かしい。
http://www.tokyo-net.ne.jp/kichijoji/weekly/2008/1719/index.html





2011年10月4日火曜日

ノスタル爺の呟き

わが家はボク以外、みんなfacebookをやっている。
女房だけは仕事が忙しく、久しく更新を怠っているが、
娘2人は女子会をやった、旅行に行った、山ガールをやってきた、
などといってはマメに写真をアップし、悦に入っている。

「友だちの友だちはトモダチだ」じゃないけれど、
facebookでつながっているトモダチの数は半端じゃない。
おまけに国際色あふれ、いろんな国の若者と「いいね!」
などとやり合っている。

ボクは以前、友人に勧められmixiをやっていたが、
いつのまにか更新するのが面倒になってやめてしまった。
いまでもボクのページは残っているが、
時々のぞいてみると、見知らぬ人の〝足跡〟が残っていたりする。
mixiも今ではfacebookにすっかりお株をとられたかっこうだが、
SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)としては、
こっちのほうが老舗だろう。

facebookにしろmixiにしろ、インターネット上でコミュニティを
築けるというのはすばらしいことだ。たとえそれらの友情が擬似的で、
まやかしで、絵空事の贋物であったとしても、現実社会のそれと比べれば、
どう転んでもどっこいどっこいだろうから、ケチをつけるほどのこともない。

こうして草の根的に友情の輪が広がっていけば、いずれは世界が1つになり、
戦争もない平和な世の中になる、なんて太平楽を並べるオポチュニスト
もいるようだが、もしかすると核兵器ではなくインターネットが戦争の抑止力になる、
なんてことが現実に起こるかもしれない。

「アラブの春」(アラブ世界の民主化運動)を支えたのはtwitterや
facebookだった。インターネットが革命を引き起こせるのなら、
戦争をストップさせたって不思議ではあるまい。

さて、ボクは今のところfacebookをやるつもりはない。
mixiのときもそうだったが、友人知人をだ~れも〝招待〟しないから、
コミュニティの輪が広がらないのだ。知らない人とつながるのは
気味がわるいし、互いの写真を見せっこするのも気味がわるい。
ボクみたいなつむじ曲がりには所詮不向きな世界なのだ。
ボクは若者言葉でいうところの「シケ男」(座を白けさせる男)そのもの。
お生憎様、という外ない。






2011年9月26日月曜日

理研のある町

埼玉県和光市はHONDAの町であり、理化学研究所の町でもある。
理研はもともと文京区駒込にあって、古くは鈴木梅太郎、寺田寅彦、
中谷宇吉郎、池田菊苗、湯川秀樹、朝永振一郎といった
錚々たる科学者を輩出してきた。和光市に移転したのは1967年で、
現在の理事長はノーベル化学賞を受賞した野依良治である。

理研には世界中から優秀な科学者が集まっている。
ボクが通っているプールに外国人が多いのはそのためだ。
仲良くなったドイツ系米国人のクルツ、ドイツ人のスザンナ、韓国人のキム、
そういえば、わが家の台所で一緒にめしを作った毛むくじゃらのアルメニア人
も理研の若き研究者だった。みんなエリート中のエリートである。

話変わって、広島の原爆碑にはこう書いてある。
安らかに眠ってください 過ちは繰り返しませぬから
主語はない。読みようによってはまるで日本が過ちを犯したように受け取れる。
原爆を投下したのはアメリカで、無辜の民20万余を殺傷したのだから、
ボクは「過ちはきっと償わせますから」に差し替えてもらいたいのだが、
碑文を制作した広島大教授によると主語は「人類」なのだそうだ。

日本人は何かというと広島・長崎の惨禍を持ち出すが、なに日本だって
同じ破壊兵器をせっせと開発していた。ただアメリカに先を越されただけの話で、
開発に当たっていたのは理研の仁科芳雄博士の研究グループである。

敗戦後、マッカーサーに先んじて乗り込んできたアメリカの特殊部隊は、
まずまっ先に仁科研究所を破壊し、その研究機材をすべて東京湾に
投棄してしまった。もし原爆の完成がアメリカに先んじていたなら、
攻守はにわかに逆転し、原爆碑はアメリカのどこかの都市に建てられて
いたかもしれない。

孟子は『地を易(か)うれば皆然り』と言った。その意味するところは、
「人は置かれた立場によって意見や行いを異にするが、
立場が入れ替われば、やることは同じ」という意味である。
日本は被害者面をして原爆の非を唱えているが、
ひとつまちがえれば非を鳴らされる側に立っていた。

原爆は悲惨なもので、願わくば用いてもらいたくはない、
と考えるものだが、だからといって非核論者というわけではない。
むしろ逆で、核抑止力をとりあえずは信じている。実際に行使しないまでも、
経済、軍事を含めた有効な外交のためには必要なインフラ、
と考えてもらえばいい。ムダといえば最たるムダだが、
それが冷徹な現実なのだ。

理想はアメリカの核の傘から離脱し、自前の核を保有すること。
その詳しきは控えるが、中国、北朝鮮、ロシアという餓狼のような
核保有国に囲まれている現実を直視すれば、
その結論が最も現実的かつ妥当なものに思える。

「核」という言葉を聞いただけでヒステリックに大騒ぎし、
思考停止状態になってしまう極度のトラウマから、
日本人はいったいいつ解放されるのだろう。


あ~あ、また余計なことを言ってしまった。
これで平和主義者の女性ファンが2~3人は確実に減るな。
ボクは改憲論者であり、核保有論者でもある。愛国者であるがゆえに、
たどり着いた結論がそれだ。持ったが病で、こればかりはどうしようもない。






2011年9月20日火曜日

友よ、健やかであれ

「人の話をまったく聞かない人だね」が、女房の亭主評である。
「同じ質問を何度もしないでよ。それはおととい話したでしょ」
そう言われても、記憶にないのだからしかたがない。
話を聞いてない、というより聞いた話をすぐ忘れてしまう。

この10年で健忘症が一気に進行してしまったようだ。
これでもジャーナリストのはしくれだから、同じ質問を
数分後にくり返していると知った時、目の前が少し暗くなった。
「そのことは……たしか先ほどお話ししましたよね」
取材相手の呆れた顔。なんともバツが悪い。

ひとは齢を取ると記憶力が減退するだけでなく、
ますます自分中心になるという。他人の話に興味を示さず、
自分のことばかりしゃべりたがる。

カラオケボックスなどでよく見られる光景と根っこは同じである。
友人たちが歌い終われば盛大な拍手を送りはするが、
あれは儀礼的、もしくは「自分の番の時はヨロシクね」
と保険をかけているようなもので、歌なんてろくすっぽ
聴いちゃァいない。聞くふりをしながら歌詞集をせっせとめくり、
次に歌う唄を必死になって探している。

年寄り同士の会話もそれに似ている。聞いているふりはしているが、
相手の話なんか実はどうでもよくて、片っぽうの話が一段落するや、
「今度は私の番よね」とばかりに勢いこんで話し出す。
話の中身は子や孫の自慢話ばかりである。

Aが孫自慢を始めると、Bも負けじとまくしたてる。
またAがCという友人のことを褒めようものなら、
Bは必ずいやな顔をする。ひとは年齢を閲するにつれて
嫉妬深くなるのか、たとえ他人であっても、自分への称讃
以外はおもしろくないのである。

こんな光景を法事の席などでもたびたび目にしてきた。
結局、人間というのは「自分」がいちばん可愛くて、
「自分」にしか興味がなくて、「自分」のしてきたことを
口にしているかぎり、話題が果てしなく続く、
ということなのだろうか。


18日(日)の午後、中学時代の合同同窓会(3年1~6組)が川越で開かれた。
ボクはつむじ曲がりだから例のごとく欠席したが、
ずいぶん盛会だったようで何よりである。
半世紀ぶりに会う友はどんな顔をしているのだろう。
はたして名前が思い出せるだろうか。

5年後に再会を約して散会になったと聞いている。
会いたい気持ちと、それを否定する気持ちがせめぎ合う。
すでに鬼籍に入ってしまった友もいる。明日はわが身か。
今はせめて「友よ、健やかであれ」と願うばかりだ。

写真は川越第一中学校・第20回(昭和42年卒)合同同窓会・3年2組の面々
/ネット上に開設された写真館より無断拝借。中央3人が我らが恩師で、
左から体育担当の灰野、理科の高橋、英語の大塚の各先生だ。
灰野先生にはよく尻を蹴っ飛ばされたものだが(男子生徒だけです)、
なんかヨボヨボの好々爺になっちゃったみたいで、哀しい。
不肖の一生徒より愛をこめて――先生方、いつまでもお元気で。














2011年9月12日月曜日

五十肩とバタフライ

五十肩になってしまったみたいだ。
右肩が重くてズキズキ痛む。

それでも昨日は大事な水泳大会。
3種目にバタフライで出場し、
もう1種目はクロールで泳いだ。

先月開催された別の水泳大会では
2種目のバタフライ(25㍍と50㍍)にエントリー。
共に優勝し、金メダルを獲得した。

若い頃から腰痛が持病で、おまけに五十肩の疑いがあるというのに、
腰や肩に最悪といわれるバタフライを泳ぐとは、
ボクもよくよく酔狂な男だが、世間様に通用しそうな泳ぎといったら
唯一これしかないので、しかたなく泳いでいる。

年を取ると、いろんなところにガタが来る。
俗に「ハメマラ」というが、それ以外にも、
髪は薄くなるわ、加齢(華麗?)臭がするわ、
足がもつれてよく転ぶわ、肝心なことを云う時に
舌がつるわ、物忘れが激しくなるわとロクなもんじゃない。

それでも日頃の精進のおかげか、5年前の記録より
0.02秒速くなっているのだから、バタフライに関しては、
ほんのわずかではあるが〝進化〟しているのだろう。

スポーツはいい。見るのもやるのも楽しい。
近頃はテレビといえばバラエティと称するバカ番組か
韓流ドラマしかない。あんなものを見てたら、
脳みそが腐ってしまうので、ボクはもっぱら
スポーツ番組かニュースしか見ない。

この数週間、サッカーの国際試合が目白押しで、
「なでしこジャパン」や「ザックJapan」からは
たっぷりと元気をもらった
なでしこたちよ、感動をありがとう
おかげで心が癒されたわ、ホンマ。←この二枚舌め!

ひきだしの中には、水泳大会で獲得した金メダルがいっぱいある。
近頃は金が値上がりしているので、ひとしお嬉しい。








2011年9月8日木曜日

狂信的愛国主義者

ロンドン五輪アジア最終予選で『なでしこジャパン』が3連勝し、
本日午後、北朝鮮と対戦する。勝てば予選首位が確定、
3大会連続4度目の五輪出場が決定する。

なでしこにしろザックジャパンにしろ、日本が勝つと、
わが家は狂躁の極みに達し、飲めや歌えやの大騒ぎとなる。
とにかくどんなスポーツでも、外国人を木っ端みじんにやっつけて
くれるとこの上なく嬉しい。ただし外国からの留学生がいる時は、
理知的なリベラリストの顔をして、狂信的愛国主義者の顔は
ひとまず隠しておく。

気に入らないのは、こんな時に「元気をもらいました」とか
「勇気をもらった」「感動をありがとう」などとぬかす輩だ。再三云うけど、
ボクはこの「元気をもらいました」や「背中を押してもらった」という言葉が大きらい。
この種の薄っぺらなセリフを臆面もなく吐きちらす連中を見ると、
顔面に思いきりパンチをお見舞いしたくなる。

それと「癒された」という言葉も実にいやらしい。とりわけ若い連中が
「ゆるキャラって心が癒されるんだよな」なんて云うのを聞くと、
「生まれた時から癒されっぱなしのくせして、なに寝言云ってやがる!」
と怒鳴りつけたくなる。

元気をもらっただの、癒されるだの、日本はいったいいつから半病人の国に
なっちまったんだ? 日本は〝半病人収容所列島〟か?


閑話休題。
おやじの妹で、アメリカに住んでいた叔母が死んだと、さっき連絡があった。
これで父方のキョウダイsiblingsはすべてあの世へ行ってしまったことになる。
今年は父方の叔父、次いで実母、父方の叔母と、
親や近親が立て続けに死んでしまった。

東日本大震災といい台風といい、
いったい2011年という年はなんという厄年なのだ。
合掌。

2011年9月5日月曜日

どぜう召しませ

外務省のホームページには、竹島についてこんなふうに記されている。
1.竹島は、歴史的事実に照らしても、かつ国際法上も明らかに我が国
固有の領土です
2.韓国による竹島の占拠は、国際法上何ら根拠がないまま行われている
不法占拠であり、韓国がこのような不法占拠に基づいて竹島に対して行う
いかなる措置も法的な正当性を有するものではありません。

自民党政権下では、一貫して「不法占拠」を主張してきた。
だが、民主党政権になってからは、党内で申し合わせているのか、
「不法占拠」という言葉を一切使わず、岡田克也外相(当時)の
国会答弁では「不法占拠という言葉を使わないことが自分の
信念である」とまで言っている。いったいどんな信念なのか。

韓国の天気予報では、竹島に晴れや雨の天気図を示しているという。
日本はどうか。気象庁のホームページには北方領土や竹島は記載
されているが、その地域の天気予報マークは付けられていない。

鬱陵島視察問題で、韓国から入国拒否された3人の自民党議員のうちの一人、
PKOイラク先遣隊長で〝ヒゲの隊長〟として知られた佐藤正久議員は、
某雑誌の座談会の中で、「わが国の領土であることを広く国民に知ってもらう
ためにも、気象予報士の方がテレビで『明日の竹島の天気は晴れです』」と
言っていただきたい。そうすれば、国民の意識も変わってきます」と発言
しているが、まさに正論というべきだろう。

1965年の日韓基本条約以来、この竹島問題に関して日本が国際司法裁判所へ
一度も提訴してこなかった理由は、領土問題を紛争化しない、という両国の
政治合意があったためだ。

しかし李明博政権は、その合意を守らず、ことさらに紛争を拡大しようとしている。
こうなったら、白黒つけるためにも国際司法裁判所へ提訴するしかあるまい。

野田新政権は「ドジョウ内閣」などと呼ばれ、庶民派を気取っている。
内閣支持率も読売の調査では65%の高率だという。
ドジョウと言った途端に世論が好感するのだから、
日本国民をコントロールするなんてチョロイものだ。

《世論なんて、お盆の上の豆みたいなものね。右へ傾ければ右へ、
左へ傾ければ左へ、ザザーッと一斉に転がっていく》(曾野綾子)

韓国による不法占拠を「不法占拠」と断ずることなく、
口の中でモゴモゴ言ってごまかしているような、
優柔不断の民主党政権に、国民はいったい何が期待できるというのだ。
お人好しの政治オンチにもほどがある。
なにがドジョウ内閣だ、バカバカしい。

2011年9月2日金曜日

プールサイドのKYたち

プールに通っていてつくづく嘆かわしく思うのは、
周りが見えない人、状況の読めない人がずいぶん増えたなァ、
ということだ。

車を運転していて、一般道から幹線道路へ合流する場合、
ふつうは後方から来る車のスピードを見て、どのタイミングで入るべきか
瞬時に判断する。当たり前の話だが、もしもそのタイミングを誤ると、
重大な衝突事故を引き起こしてしまう。
しかし、この当たり前の判断ができない人が増えているのである。

ロープに仕切られたコースを幹線道路に見立てれば、
泳ぎの巧みな人、そこそこ巧い人、それほどでもない人と、
いろんな人が泳いでいる。

実際はそれぞれ自分の力量を見きわめ、自分にふさわしいコースを選ぶため、
3コースある場合は、「上級者」コース、「中級者」コース、「その他」のコース
という具合に自然とクラス分けされるものなのだが、
いわゆる〝KY〟と呼ばれる空気の読めない人たちは、
犬かき程度の人でも、いきなり上級者のコースに入ってきたりする。

ボクの通っているプールにも仲間内で「クラゲ1号、2号」と呼ばれている
〝障害物〟が2匹いるが、彼らの行動形態はすでに熟知しているので、
できるだけ接近遭遇しないように間隔をあけて泳ぐことができるが、
新参のKYたちはそうはいかない。

こっちがターンするつもりで泳いでいくと、いきなり鼻先に飛び出してくる。
それでも向こうがこっちより上級なら衝突こそまぬがれるだろうが、
たいがいは下手っぴぃで、こっちは急ブレーキをかけざるを得ない。
車だったら、もろに衝突である。

自分と他人との距離感がつかめず、適正な〝車間距離〟もわからず、
まるで自閉症患者みたいに自分のことしか頭にない。ある意味では、
車内であっけらかんと化粧するバカ娘たちの同類だろうが、
この種の欠陥人間がいま、急速に増殖してきている。

あまりに危険なので、いつだったか若い男をひっつかまえ、
懇々と説教してやったものだが、このおたくっぽい顔した男は、
終始、「このオヤジ、何をそんなに怒ってるんだ?」というような顔をしていた。
まともに日本語が通じやしないのだ。

若い連中ばかりではない。いい年をしたオヤジにもこの手合いが多いものだから、
ほんとうにいやになる。

みなさん、くれぐれも車間距離は守りましょう。
ひとも車も急には停まれないのです。








2011年8月29日月曜日

自由について考えるのココロだァ

さあ、何でも好きなものをキャンバスいっぱいに描いていいよ、
遠慮することはない、はみ出したっていいんだから――。
いわゆる〝自由画〟と呼ばれるもので、子供の欲するままに
絵を描かせ、個性や創造性をのばそうという美術教育運動の
ひとつである。

タブローTableauは一見、不自由なもののように思える。
「枠」というしばりを取っ払ってしまえば、精神は自由に飛翔し、
かつて存在しなかったほどの創造性あふれる絵が描けるのではないか――
誰もがふつう、そんなふうに考えてしまう。

しかし実際は違う。しばりが無くなると精神の光輝が逆に失われてしまうのだ。
なぜなら、「不自由」の中に画家の精神が押し込められて初めて、
浮かび上がってくるものが光輝というものの本質だからだ。

「産経抄」にしろ「天声人語」にしろ、800字という〝しばり〟があるからこそ、
コラム子の精神が自由に躍動することができる。限られたマス目の中に、
わしづかみにした本質をいかに定着させるか――そこが腕の見せどころだ。

もしも800字という〝束縛〟や〝不自由〟がなかったら、
散漫でしまりがなく、中身の薄いマヌケなコラムになってしまうだろう。
古人は《絵の本質は額縁にあり》と云ったものだが、
なるほど何らかの束縛があって初めて本当の自由があるのかもしれない。

福田恆存曰く、《結婚という束縛がなければ〝浮気〟もできない》
独身者の女遍歴には真の自由はなく、結婚という桎梏(手かせ足かせ)の
中にこそ自由がある――とまあ、たしかに正論を吐いているのだが、
凡夫匹夫の悲しさか、他人の女遍歴をつい羨んでしまう。

話変わって韓国・大邱で開かれている世界陸上。
男子100メートル決勝で、世界記録保持者のウサイン・ボルトが、
なんとフライングを犯し一発退場を食らってしまった。

世界陸上の最大の華であり見せどころ、料理で云えば前菜がずっと続いた後の、
いわば最大のお楽しみでもあるメインディッシュが、いきなり目の前で取り上げられ、
生ゴミとして廃棄されてしまったような状況である。
観客としては「カネ返せ、バカヤロー!」と叫びたくもなる。

いくらきれい事を並べても、商業目的の見世物であることには違いがない。
となれば顧客第一。客を喜ばせるサービス精神があってもバチは当たるまい。
「一発失格」のルールはルール。誰であっても例外はない、とは国際陸連の弁。
「ルール厳守も、ここまでやると自分の首を絞めることになる」という声が出てくる
のも、致し方ないことか。

ルールという名の「しばり」をどこまで許し、どこで線引きをするか。
ボルト失格という〝事件〟は、「自由」と「不自由」について
いささか考えさせるところがあった。

ああ、それにしても、ボルト抜きの決勝だなんて、
ヘビの生殺しにあったようなものだ。
てめえ、この薄バカの、アンポンタンの、タマなし野郎の、
コンコンチキの、すっとこどっこいの※○◎△☆♂♀……←ののしってる







2011年8月23日火曜日

飲酒 So what?

夏の全国高校野球選手権で準優勝した光星学院(青森)の野球部員3人が、
去年の12月、帰省中にそれぞれ飲酒したとして停学処分を食らってしまった。
高野連の某エライさんは、「事実であれば言葉が出ない」と呆れているという。

ボクもこのニュースを聞いて呆れてしまった。
もちろん酒を飲んだ野球部員にも呆れたが、
「事実であれば言葉が出ない」と立派に言葉をお出しあそばされた
高野連のエライさんにまず呆れてしまったのである。

野球部員に対しては口あんぐり。
生ビールや酎ハイを飲んで泥酔してしまったと、
自慢気にブログに書いてしまったというのだから、
バカというかたわけというか、
呆れ果てた大バカ野郎どもである。
「偏差値38だもの、この程度でしょ」
スレの中でバカにされるのも当然か。

しかし逆にいうと、それだけ無邪気でたわいのない行為ということでもあり、
この程度の非行?なら男の通過儀礼みたいなものだろう。
ボクの目にはむしろ健全そのものに映るのだ。
だいいち高校生にもなって、親や教師の目を盗み、
酒タバコをやらないようなマヌケな奴がいるだろうか。

野球に秀でた少年はみな品行方正でなければならない、
とどこかの法律の条文にでも書いてあるのか? 
高校球児は例外なく純真で爽やかだと、
みな本気でそう思っているのか?

高校野球だけを、どうして清純なスポーツに祭り上げ神聖視したがるのか、
ボクにはさっぱりわからない。「汗と涙の青春ドラマ」に仕立て上げたい
気持ちはわからないでもないが、ウソっぽさが見え透いて気持ちが
わるいのである。それとも高校野球を平成の世の「教育勅語」にでも
見立てているつもりなのか?

まさか高校野球は聖人君子のやる清浄無垢なスポーツだ、
なんてだれも本気で思ってはいまい。
毎年のように繰り広げられる〝いい子ぶりっこ〟の茶番劇。
呆れて言葉も出ない(だいぶ出てるけど)。

2011年8月19日金曜日

ヨイトマケ娘

商社マン(いや、PC時代だと商社パーソンか? それとも商社ガール?)
の長女が5泊6日のボランティア活動から戻ってきた。
活動場所は岩手県大船渡市。例によってAll Handsの仲間たちといっしょだ。

All Handsはアメリカに本部がある災害ボランティア団体で、
岩手の大船渡市と陸前高田市を中心に復興支援を展開、
すでにその活動は4カ月におよんでいる。

19カ国から300人以上のボランティアが集まり、
側溝の泥上げや瓦礫の撤去、家屋の片付け、
引っ越しの手伝い、記念写真のデジタル修復など、
その活動は広範囲におよび、地元住民にも
すっかりお馴染みになっている。

だいぶ片づいてきているとはいえ、依然町全体が悪臭を放ち、
瓦礫を掘り返すとその臭いはいっそう強くなる。

だから酷暑の中、写真(中央の黒ずくめが長女)のように防塵マスクに
ゴーグル、帽子に厚手のゴム手袋、長靴で全身を覆うといういでたちで、
行くたびに娘の手足はアザだらけとなる。


遠い国から自腹を切って駆けつけてくれる外国人ボランティアたち。
猛暑の中、文句もいわず黙々とスコップをふるう。
彼らはハリケーンに襲われたアメリカのニューオリンズでも活動し、
ハイチ地震の際にも逸早く駆けつけた。

政治家たちが党利党略を剝き出しにし、不毛な議論を続けている間にも、
彼らはひたすら汗を流し、被災地のためにがんばってくれている。

娘の身体を気づかえば、「ほどほどにしろよ」と言いたくもなるが、
深夜バスで早朝帰宅し、とって返すように会社へと急ぐ彼女に
そんな無責任な言葉はかけられない。
(あんまり無理すんなよ……)
心の中でそっとつぶやく。

親の欲目は重々承知の上ですが、
娘はかくも心優しい頑張り屋であります。

身体は頑健で根性があり(母親似だな)、少食ながらよく働きます。
草食系の男性はやや苦手にしていますが、男嫌いというわけではなさそうです。
どこかに「つき合ってもいい」とおっしゃる奇特な方はおりませんか?
いまなら十分お買い得となっております。

2011年8月15日月曜日

納棺師は美人がいい

第81回アカデミー賞外国語映画賞を受賞した『おくりびと』の影響か、
日蔭者の葬儀業者にも光が当てられ、若い人の中には、モックン(本木雅弘)
の演じたカッコいい納棺師に憧れるものも少なくないという。

母が死んだとき、実家で『おくりびと』のシーンそのものが目の前で
繰り広げられた。バリッとした制服の美人納棺師(美人というところがミソか)
が母を湯灌し、洗髪し、ドライ後は髪型を整える。そして着物をきせ、髪を染め、
ファウンデーションや口紅をつける。これら一連のパフォーマンスを、
一種のアトラクションのように遺族の前で披露するのである。

口紅の色は何色もズラリと揃い、「どのお色にいたしましょうか?」と納棺師
(死化粧師という場合もある)に尋ねられたが、男衆にはさっぱりなので、
ここは女衆に助けを請い、上品な色を選んでもらった。
死化粧(最近はエンゼルメイクとかラストメイクと呼ぶ)の出来映えは
予想以上にすばらしく、母の女っぷりも2~3割アップしたかのように思えた。

一方、死装束というのは、昔から変わらず白無垢に手っ甲脚絆、
白足袋というダサ~いいでたち。21世紀になったというのに、
あの世では時間が止まっているようで、こればかりはどうにもならない。
しかし三途の川の渡し賃は、数百年のあいだ値上がりもせず、
また年収960万円の所得制限もなく、一律六文と変わらない。

三途の川というのは、初七日に渡るという川のことで、
川の瀬に緩急の異なる三途(3つの渡し口)があって、
その選択は生前の業(罪)の軽重によって決まるという。

●善人……架かっている橋を渡る。
●小悪人……やや深みを歩いて渡る。
●極悪人……深くて流れが急なところを泳ぎ渡る。

しかし以上の三途は平安時代の決まりごとで、室町時代になると、
いくぶん便利になり、善人でなくとも、六文の渡し賃さえ払えば、
貧富貴賤の別なく豪華カラオケ付きの渡し舟で彼岸まで送ってくれるようになった。
ずいぶん楽ちんになったのである。

もっとも、泳ぎ上手のボクなら、激流も濁流もものともせず、
優雅なバタフライで泳ぎ切り、鬼たちの鼻を明かせてやれるのだが、
カナヅチの母となると、まるまる渡し賃を払うしかあるまい。
しかし海千山千の母のことだ、逆に鬼を脅して有り金を
残らず巻き上げているにちがいない。

今週末の20日、早くも母の四十九日(七七日忌)を迎える。
忌中だからと、ことさら身を慎んで過ごしているわけではない。
手元不如意のため、しかたなく身を慎んでいる。
あの世でもこの世でも、カネがなくてはどうにもならない。

2011年8月10日水曜日

それがどうした

次女の友人たち、とりわけ英国出身の留学生たちにはなぜか
エキセントリックeccentricな人間が多い。Danielは極端な
偏食家で、日本での主食はラーメン。それも博多一風堂の
豚骨ラーメンが大のお気に入りで、それ以外の食べ物は
ほとんど受けつけない。そのためか欠食児童みたいに生気がなく、
背中をトンと押されたら倒れてしまいそうだ。

広島の大学で学んでいるEmmaも見るからに畸人変人のたぐいで、
さすがにMr.ビーンを生んだ国の娘だ、顔の表情やジェスチャーが
とにかくおかしい。彼女が投稿している動画サイトには
その畸人ぶりが横溢し、爆笑に次ぐ爆笑だ。

エキセントリックの反対語はコンセントリックconcentricで、
「同心円的な」とか「集中的な」という意味で、円とか球の中心に向かう
感覚をいう。エキセントリックは逆に「離心円的な」とか「常軌を逸した」、
「風変わりな」という意で、円の中心から外に向かって離れていくような
ニュアンスで使われる。

日本は〝和を以て貴しと為す〟の国。つまり典型的なコンセントリックな
お国柄で、「くれぐれも人に笑われないように」といわれて育つためか
エキセントリックな人間が生まれにくいといわれている。
逆にイギリスは「人と違ったことをやれ」というお国柄。
エキセントリックな人間に対してはひどく寛容なところがある。

幕末から明治期にかけて、日本にも齋藤緑雨や淡島椿岳・寒月父子といった、
世界のどこへ出しても恥ずかしくない?エキセントリックな人間たちがいた。
椿岳はボクの出身地・川越の生まれで、本業は画家。
奇才縦横円転滑脱、やることなすこと奇妙キテレツで、
超マルチな趣味人ぶりはケタが外れていた。

笑っちゃうのは椿岳の辞世の句。
今まではさまざまな事してみたが 死んでみるのはこれが初めて
なんとも人を食っている。

齋藤緑雨だって負けちゃいない。
僕は、本月本日を以て目出たく死去仕(つかまつり)候」という
死亡の自家広告まで出している。死生までをも茶にしてしまう、
という筋金入りの洒落っ気だ。江戸戯作者の流れを汲むという
浮世三分五厘の人生観をみごとに貫いている。

緑雨の名言は数々あれど、これも面白い。
それが何(ど)うした。唯この一句に、大方の議論は果てぬべきものなり」

たしかに世の中のクソ真面目な議論なんぞ「それがどうしたSo what?」の
一言でことごとくナンセンス化してしまう。

菅首相が退陣する? 「それがどうした?」
株価が9000円を割った? 「それがどうした?」
美人の後家さんに言い寄られた? 「それ……それでどうなった? ねェ」






2011年8月5日金曜日

「十戒」なんか要らない

♪ コッ、コッ、コッ、コッ、コケッコー
  コッ、コッ、コッ、コッ、コケッコー
  わたしはミネソタの卵売り……(暁テル子『ミネソタの卵売り』)

ボクがちょうど生まれた頃、こんな奇妙奇天烈な歌が流行っていた。
戦後日本は、この歌の歌詞のように、
《個っ、個っ、個っ、個っ、個けっこう》とばかりに、
アメリカ譲りの「個人主義」をいたずらに賛美し続けた、
と宗教学者の山折哲雄氏が言っている。

しかし「個の自立」などしょせん掛け声倒れで、
とどのつまりは、中身の薄っぺらで空疎な個人が
工業製品のように大量に生み出されただけだった。

日本には古来から、高い文化と道徳観が育っていた。
individualityと云ったって、ヨーロッパ近代が生み出した皮相浅薄な
概念でしかなく、たかだか300年程度の歴史しか持ちあわせていない。

西欧社会にあってはキリスト教の教えが道徳規範の根本だが、
モーセの十戒にしろ山上の垂訓にしろ、大仰に説かれている中身は、
なんともおどろおどろしいものばかりだ。曰く、
「汝の父母を敬え」「殺すなかれ」「姦淫するなかれ」
「盗むなかれ」「だますなかれ」etc……。

「殺すな、犯すな、盗むな、だますな……」
言いまわしがあまりに直截すぎて、説かれる側にすれば、
蛮人かケダモノになったような気がしてくる。

この程度のことなら、わざわざもったいぶって教えられなくても、
日本人ならとっくの昔にわきまえている。
どれも人の道として当然のことばかりだからだ。

さて、下に掲げたのは進歩的文化人たちに悪評ふんぷんたる
『教育勅語』の一部だ。能書きはいい。
まずは色メガネをかけずに、朗々と音読してもらいたい。

父母に孝に兄弟に友に、夫婦相和し、朋友相信じ、
恭儉(きょうけん)己(おの)れを持し、博愛衆に及ぼし、
學を修め業を習い以て智能を啓發(けいはつ)し、
徳器(とっき)を成就し、進で公益を廣(ひろ)め、
世務を開き、常に國憲を重んじ、國法に遵(したが)い、
一旦緩急あれば義勇公に奉じ以て天壤無窮(てんじょうむきゅう)
の皇運を扶翼(ふよく)すべし

モーセの十戒と比べてみてくれ。
ケダモノたちに向かって説かれた訓戒との違いがわかるだろう。
これだけ高次の精神性を備えた道徳律が他にあるだろうか。

なかには「義勇公に奉じ」とか「天壌無窮の皇運を扶翼すべし」
などという文句がお気に召さない人もあるだろう。いや、
そもそも天皇から下し賜るという意の「勅語」からして気に入らん、
というものもあるかもしれない。

でもボクはそんなもの、たいした瑕瑾(きず)だとは思わない。
左翼進歩主義者たちはいつだって、バカの一つ覚えみたいに
皇国史観や軍国主義と結びつけたがるのだ。

旧弊な教育勅語を復活させろ、とは云わない。
21世紀の日本人にふさわしい新たな『教育勅語』を創れ、
と言いたいのだ。それもできれば高雅な筆致の文語文で。

そしてその新生・教育勅語を毎朝、子供たちに唱和させるのだ。
そうすれば日本はきっと変わる。
ケダモノにももとるデレッとした若者たちの顔つきが一変し、
背筋もピンと伸びるだろう。




2011年8月1日月曜日

男の穴?

明治の昔、アイヌのことを公式には「北方土人」とか「旧土人」
と称していた。しかし今、この土人という言葉は差別用語ということで使えず、
ネイティヴとか「先住民」などと言い換えられている。トルコ風呂がソープランドに、
痴呆症が認知症に〝格上げ〟されたのと同じ理屈である。

アメリカでは1980年代に、差別偏見のない中立的な表現をいたしましょう、
というムーヴメントが高まり、人種、性別、職業、文化、ハンディキャップ、
年齢等による差別表現とおぼしき単語が次々と駆逐されていった。
いわゆるpolitically correct(PC)というものである。

男性優位を象徴しているような、たとえばchairman(議長)はchair personに、
policeman(警官)はpolice officerに、fireman(消防士)はfire fighterに
というように、とにかくmanのつく言葉はたちどころに排除されていった。
なんとmanhole(マンホール)もperson holeと呼べなんていわれている。

Merry Christmas!(メリー・クリスマス!)もだめ。非キリスト教徒の人たちも
いっぱいいるのでHappy Holidays!と言え、というわけだ。人権を重視するあまり、
なんだかとてもややこしいことになっている。

アメリカとイギリスへ留学した次女にそのへんの事情を聞いてみたところ、
「そうね、Merry ChristmasよりはHappy Holidaysのほうが一般的かな。
イギリスではHappy Christmasなんていうのも使ってたけど……でも背の低い人を
shortじゃなくvertically challenged(垂直的障害のある)なんて言うのはやりすぎで、
かえって差別的なんじゃない?」

和製英語のブラインドタッチもだめ。blind(めくら)が差別的ということで、
いまはタッチタイピングとかタッチメソッドが一般的だ。もっとも、
中国ではいまだに「盲打」という言い方をしているから面白い。
ボクなんか「めくら打ち」に大賛成なんだけど、いったいどこがいけないわけ?

美人は3日で倦き、醜女(ぶす)は3日で慣れる、というからugly(醜い)を
Cosmetically different(美容上の見解の?相違)と呼ぶのは勝手だが、
Worst(最悪な)を遠慮がちにLeast best(ベストから最も遠い)と言い換えたって
ワーストであることには変わりがない。

つまりpolitically correctで表現されるほとんどすべてが、
リベラル派へのお追従であり、弱者へのリップサービスであり、
見え透いたおべんちゃらなのだ。要するに偽善なのである。

頭のてっぺんが薄くなりかけてきたボクは、そのうちcomb free(くし要らず)
などと呼ばれるに違いないが、bald(ハゲ野郎!)とズバリ言ってくれたほうが
どれほど救われるか(救われねェか)。

この伝でいくと「女ぎらい?」のボクは、さしずめfemales free(メス要らず)で、
金がなくピィピィ言ってても、貧乏人はmoney free(カネ要らず)っていうのかしらん? 
痩せ我慢もここまで来ればたいしたもんだ。

2011年7月26日火曜日

樗材だって生きられる

『週刊新潮』にはかつて「夏彦の写真コラム」という人気連載があった。
婦人とマジメ人間の正義は正義ではない
《男が助平なら、女も助平に決まっている》
《年寄りのバカほどバカなものはない》
《わが国の悪口を言っている教科書なら、それは悪いにきまっている》

ボクが師匠と仰ぐ山本夏彦が逝って早や9年。
ボクにとって夏彦翁のコラム・アフォリズムは
キリスト教徒における聖書、イスラム教徒における
コーラン以上のもので、これほど含蓄があり、
人間通になるための示唆に富んだ書物は当代無比だろう、
と今でも思っている。

夏彦は二度、自殺未遂の前科がある。16と18の時で、
カルモチンという睡眠薬の一種を大量に服用した。
二度目の未遂時にはスイスの雪山の中でそれをやり、
凍死を図った。が、幸か不幸か救い出され、
以後、ツキモノが落ちた。

夏彦が老荘思想に惹かれたのは自殺未遂と無縁ではない。
老荘思想は「無為自然」「小国寡民」を理想としている。
有用より無用、賢より愚、働くよりボンヤリしていたほうがいい、
と説き、所詮人間なんて樗櫟(ちょれき)散木(何の役にも立たないもの)
なのだから、余計なことをするより温和しくしていたほうがいいと、
近頃の怠惰な〝ひきこもり〟人間たちが糠喜びしそうなことを言っている。

老荘思想は世捨て人的なイメージが強く、怠惰哲学の色彩が濃いけれど、
知足安分――すなわち、足るを知って分に安んずる精神は、
現代にも通ずるものがあるだろう。

夏彦は生きている人と死んだ人を区別しなかった。
ボクも読書尚友に目覚め、友だちは死んだ人に限る、
と考えているつむじ曲がり人間だから、
夏彦が死んでしまっても、さほど痛痒を感じない。

読書というのは元来そうしたもので、作者の生死は関係ないのである。
ましてや新人作家の100冊より、
死んだ夏彦の1冊のほうがどれほどありがたいか。

夏彦の最高傑作は? と問われれば、ただちに答えよう。
完本 文語文』が第一だと。

2011年7月22日金曜日

短調の消えた時代

若い頃、チャーリー・パーカーやアート・ペッパーに魅せられ、
アルトサックスを衝動買いしてしまったことがある。

このサキソフォンという楽器、敵性語だからと横文字が禁じられた
先の大戦中は、「金属製先曲がり音響音出し器」などと呼ばれていた、
と淡谷のり子の回顧談にある。ピアノを「洋琴」、ヴァイオリンは「提琴」
と呼び直していた時代の話で、よく知られているところでは、
野球のストライクを「よし1本」、三振アウトを「それまで」なんて言っていた。

「こんなマンガみたいなことをやってるから、勝てる戦争にみすみす負けちまうんだよ…」
と、腹いせまぎれに思ってしまうが、まァ、いかんせん日本人の料簡が狭すぎた。

反骨精神のかたまりのような淡谷は、
「そんなややこしい呼び方ができるか」
とばかりに、サックス奏者に向かって
「おい、そこの尺八ッ!」などと呼びすてにしていたという。

淡谷は〝ブルースの女王〟と呼ばれ、満州などの外地へよく慰問に行った。
しかしヒット作の『別れのブルース』や『雨のブルース』などのレコードは
すでに発禁処分を食らっていて、舞台上では絶対歌ってはならぬ、
と当局からきつく申しわたされていた。歌の内容がおセンチすぎて、
国民や兵士の士気を鼓舞するには甚だ不向きだ、というのである。

しかし明日をも知れぬ最前線にあっては、兵士たちは勇ましい軍歌など
聴きたくなかったし歌いたくもなかった。現に兵士たちのリクエストは
哀愁あふれる歌謡曲やブルースばかりで、そんな時は憲兵や将校たちも
気を利かし、ホールからそっと出ていってくれたという。
そして彼らもまた、舞台の袖からのぞき見ながら涙を流していた。

アメリカの「9.11同時多発テロ」の1周忌に行われた追悼式典では、
モーツァルトのニ短調『レクイエム』が演奏された。
モーツァルトの遺作とされるミサ曲で、死者を悼むにこれほどふさわしい曲はない。
人々の深い悲しみを癒すことができるのは、快活で明るい長調の曲より
悲哀に満ちた短調の楽曲のほうがふさわしいのだ。

我らが幼き時代に流行った哀調を帯びた童謡や小学唱歌、それに子守唄は
どれもみな短調だ。ところが今や、テレビなどから流される曲の大半が長調で、
赤ん坊でさえも昔の子守唄をきかせると、眠るどころかむずかるという。

短調の消えた時代というのは、果たしてよい時代なのだろうか。
物悲しい短調の曲が街角に流れている時代のほうが、
気分が前向きで健康的なのではなかろうか。
なぜか、そんな気がしてならないのである。

2011年7月19日火曜日

冷やすんじゃない!

団地内のスーパー「サミット」に行ったら、
全国各地の地ビールを揃えた特別セールをやっていた。
店長が書いたとおぼしき謳い文句には、
キンキンに冷やして飲もう日本の地ビール!」とあった。
ウヘーッ、こりゃ、ダメだ。ちっともわかってないや。

この店の店長を初め日本人の多くは、ビールは
キンキンに冷やして飲むものだ、とハナから決めてかかっている。
しかし、広い世間には冷やして飲んではいけないビールだってある。

世界には60以上の[ビールスタイル]があるが、日本のビールは
ほとんどがピルスナーという1種類の範疇に収まっている
早い話、ほとんどの日本人はたった1種類のビールしか知らずに
短い生涯を終えてしまう。

ビールは大きく上面発酵ビールと下面発酵ビールに分けられる。
日本のビールは銘柄を問わず下面発酵酵母を使うのが主流で、
これがいわゆるキンキンに冷やして、すっきりした喉ごしを競うビール、
すなわちラガー(下面発酵ビールのこと)ということになる。

しかし中小零細の地ビールメーカーの多くはエールと呼ばれる
上面発酵ビールを造っている。イギリスやアイルランド、ベルギー
ビールの同類で、特徴はフルーティな香りとコクである。

下面発酵酵母は4~10℃で働き、上面発酵酵母は16~21℃で働く。
後者は13℃以下になると、自ら膜を張って冬眠状態に入ってしまう。

エールをおいしく飲むコツは、キンキンに冷やすという愚を犯さぬことだ。
グラスも冷やさず、常温よりやや低目の温度でゆっくりチビチビと飲む。
〝ゴクゴク、プファーッ!〟はビアガーデンで飲むラガーの世界で、
エールはおちょぼ口で噛むようにして啜る。あのヌメッとした舌ざわりは
滋養のある〝液状ごはん〟を胃袋に流し込む、という感覚だろうか。

世界にはさまざまなビールがある。アルコール度数13%なんていうのもあるし、
サミュエル・アダムス・トリプルボックというアメリカのラガービールは
17.5%もある。ワインよりも度数が高いのだ。色は真っ黒で泡も立たず
ドロリとしていて、まるで紹興酒の古酒のような味わいだ。

ラガーに慣れた舌にはエールは〝変なビール〟に映るかもしれないが、
ラガービールしか知らない日本人こそ、世界標準からすれば
〝変な人たち〟なのだ。

サミットの店長には気の毒だが、「キンキンに冷やして飲もう」
などと謳っている限り、地ビールは売れず、ファンも増えないだろう。
冷やしたエールはふつうのラガーと変わらず、飲んだ人は割高感
(ラガービールに比べ3~4割高)だけを感じてしまうからだ。

地ビールなら「よなよなエール」や「常陸野ホワイトエール」、
銀河高原ビール」といった銘柄が好きだ。蒸し暑い日本の夏には、
キンキンに冷やしたラガーが似合うが、たまにはブランデー代わりに常温の
エールを味わってもらいたい。日本で一番売れているという「Toriaezu-beer」
とは違った世界の存在に気づき、きっと虜になってしまうだろう。


←日本の地ビールはキンキンに
冷やさないこと。ヌルッとした喉ごし
を堪能してほしい。
おい、サミットの店長!
聞いてっか?

2011年7月18日月曜日

応援やつれ

スーパーで買い物していたら、知り合いの奥さんから、
「なんか、ずいぶんお痩せになられたみたいね」
と声をかけられた。
「ええ……たぶん応援やつれだと思います」

なでしこジャパンがついにやってくれた。
女子W杯サッカー決勝。アメリカとの決戦で、
ハラハラドキドキの末にPK戦でみごと勝利をもぎ取った。

昨夜は8時に寝床へ入り、朝まだきの3時過ぎに起きて、
テレビの前に陣取った。愛国者の女房も覚悟は同じである。

しかし応援空しく、なでしこは最初から苦戦を強いられた。
プレスがきついのか、いつものパス回しができない。
ボールを追いかけても、短足がネックで後れをとってしまう。
きゃしゃな身体が力負けして軽々と吹っ飛ばされる。
ああ、それでも必死にボールを追いかける健気な娘たち。

わが家のなでしこたちもサッカー好きで、
長女は高校・大学とフットサル部、
次女も米国留学中はサッカー部の一員だった。
周りは臼のような尻をした巨人のような選手ばかり。
その彼女らにど突かれたりこづかれたり……。

まるでなでしこジャパンそのものだが、
それでもボールに食らいついていったんだ、
と目撃証拠がないのをいいことに、本人はひとしきり自慢する。

次女の試合は一度だけ目撃したことがある。小学校の授業参観の時だ。
たしかディフェンダーだったと思うが、ボールが来ないのに退屈したのか、
試合中、お友だちと一緒に地べたに座り込み、お絵描きをしていた。

ボクが「コラーッ! 何やってんだァ」と怒鳴ると、あわてて立ち上がったが、
相手チームの選手がボールをもって突進してくると、
「キャーッ!」と叫んで逃げていってしまった。こりゃ、ダメだ……。
留学中の〝武勇伝〟がにわかに信じ難いのは、キャーキャー叫び
ながら逃げまどう、世にもふしぎな光景が目に焼きついているためだ。

MVPと得点王に輝いた澤穂希選手は、アメリカのプロリーグに在籍中、
7歳年上の連邦政府役人と恋に落ち、一緒に暮らしていたという。
しかし「結婚orサッカー」の狭間で悩み、ついに恋人から、
「君に専業主婦は似合わない」と引導を渡され、結婚を断念したという。

その決断が正しかったかどうかは澤にもたぶん解らないだろう。
しかし世界一のなでしこジャパンを率いたキャプテン澤は、
一世一代の晴れ舞台で、たとえようもないくらい輝いていた。

積年の夢を実現し、女子サッカーの頂点に立ったなでしこたち。
にわかに目標を失い、燃え尽き症候群にならなければいいのだが。

ああ、それにしても、ゴールシーンは何度見ても興奮する。
興奮ついでに、決勝のアメリカ戦は丸々2度見てしまった。
こんなことなら、早起きする必要などなかった?

2011年7月14日木曜日

そのまんまがいい

ひとの性格は変わるものだ。
というより変えようと努力すれば、
努力したぶんだけ変わっていく。

ひとは弱さを見せまいと、強いフリをしたり必要以上に背伸びしたりする。
強がっているうちに、(まてよ、俺ってけっこう強いのかも)と自他共に錯覚し、
その錯覚が積み重なっていくうちに、
いつしかほんものの強さに近づいていくことがある。

ボクのことを社交的で、自己主張が強く、物怖じしない積極派人間だと
思っているひとがいる。ほとんど人見知りをせず、誰にでも声をかけるし
(電車内でも母はよく隣のひとに声をかけていた。いまは姉がその遺伝子を
引き継ぎ、あちこちで気味悪がられている)、物言いに遠慮がなく、
ひとたびマイクを握ると離さなかったりするからだろう。
それらはすべて死んだ母のDNAだと思うのだが、
昔のボクを知っている人間は、まったくの別人と思うかもしれない。

小中高校時代のボクは、引っ込み思案の非社交的人間だった。
もちろん友達など皆無で、口数少なく、極端にシャイな性格のためか、
いつもうつむきがちで、対人・赤面恐怖症の典型だった。

いまでもコアの部分では変わっておらず、時々あの頃のボクが
顔を出したりして友人たちを戸惑わせることがあるが、
一種の持病なので、いまは「ありのままでいい」と体裁など繕わず、
為るがままにまかせている。

個性の強い人間はひとから好かれる率が低いと云われる。
なるほどボクには友達は少ないが、最近は「何の不足があろう」
と半分開き直ってもいる。肘をとって共に語り合う友人は
少数のほうがいいのだ。

不羈狷介の性格は時に累(わずらい)をなすだろうが、
それもわが個性なのだと、いまはすっかり折り合いをつけている。

還暦を前にして、前半の〝訥弁時代〟と後半の〝能弁時代〟
との帳尻が合い、ようやく振り出しに戻ったみたいだ。

60年生きてきて体得しえた教訓は、実に凡庸そのもの。
あるがままでいい。
そのまんまがいい。

2011年7月11日月曜日

坊主丸儲け

菩提寺の住職が、やおらこう切り出した。
「お母さんの趣味や性格を教えてもらえますか。
戒名を考えるのは、これでなかなか難しいものでね」
すると長兄は、ムスッとした顔で、
ただのふつうのオンナです」の一言。とりつく島もない。

慌ててボクが「世話好きで、三味や小唄もやる粋なところもありました」
などと取りなし、剣呑な雰囲気を和らげた。姉は隣でヒヤヒヤしていた。

その前に前哨戦としてひと悶着あった。
「戒名料も含め、セットでウン百万円でいかがです?」
というやりとりがあったのだ。(セット料金? 居酒屋かよ、ここは……)
じゃあ、戒名はこっちで考えますからいいです」と、これはボク。
坊さんは呆れ顔で、たちまち険しい顔に。
ボクは姉に太ももを思いきりつねられた。

母の戒名は「永寿慈静大姉」。道号が永寿で法号が慈静、
この法号が本来の戒名で、生前の名前から一字をとって
つける決まりになっている。そして位号は大姉だ。
この月並みな戒名(母よ、許せ)の、いったいどこが難しいのかね。

戒名には院号、殿号、居士、信士、大姉、信女といった〝階級〟
があり、高い位の戒名をつけてもらいたければ、それなりの
謝礼を包まなくてはならない。戒名は謝礼の多寡で決まる。
「いい戒名をいただいてね」と、かつて叔父の葬儀の時に叔母が周囲に自慢していたが、
そんなもん、金さえ積めばいくらでも位階は上がる。

先頃亡くなった評論家の谷沢永一氏は、
殿と院と信士とでは、悟り方の奥行きが違うのであろうか。
その細かな差違を誰にも解るような一覧表にしていただきたい
と皮肉っていた。そう、「信士は5000円ポッキリです。ただし悟りは生半可」
とかね。これじゃまるでキャバクラだ。

さらに続けて、
《戒名は、仏教の本義とはなんの関係もない余計なさかしらである。
戒名は、我が国の坊主が、信徒から金銭を搾りとるために考えだした
世にも狡猾な策謀にすぎないのである》(『冠婚葬祭心得』より)
と、これまたあっさり切り捨てる。

位牌にしたって、そもそも仏教に位牌はない。輪廻転生だから、
位牌として遺すことはない、という理屈なのだ。儒教からきている
という説もあるが、日本古来の習慣からきたものという説もある。
古来日本には〝依り代(よりしろ)〟という神様が降臨するための
印があった。それが仏教と結びついて位牌となったのか、それとも
儒教と結びついたのか、甚だハッキリしないのである。

もっとも、49日の法要はインドの「バラモン教」から、100日忌、1周忌、3回忌は
中国の「儒教」から、7回忌、13回忌……以下33回忌までは日本の「神道」から
きている、ということは分かっている。法要といっても仏教とは関係のない宗教や
習俗がいろいろブレンドされているのだ。そしてそれぞれがしっかりと金儲け主義と
結びついている。

ああ、母よ、俗界はかくもややこしく醜いのです。
あの世だって、たぶんややこしいでしょうが、
どうか迷わず成仏してください。
南無阿弥陀仏。

2011年7月6日水曜日

石に蒲団を着せてやりたい

7月3日、母の長寿も米寿をもって打ち止めとなった。
明日の七夕で満89歳の誕生日を迎えるはずだったのに、
あと一歩が届かなかった。しかし文句なしの大往生だろう。

だから、決して涙を見せまい、
取り乱すまい、明るく見送ってやろうと、
心に期して葬儀に臨んだが、
しょっぱなからコケてしまった。

男は生涯に2度だけ泣くことを許されるのだという。
オギャーと生まれたときと親が死んだときがそれで、この親というのは、
たいがい母親のことで、父親なんてものはどうでもいいらしい。
この伝でいくと、泣き虫のボクなんかとっくに男を廃業していなくてはならない。

わが兄弟は一見こわもてだが、実は泣き虫ばかりで、
鬼のように思われている長男が施主挨拶の場でまず大泣きこいてしまった。
会葬者たちの間ではこの愁嘆場が世にも珍しき椿事に映ったらしく、
「へーえ、◎◇ちゃんも泣くことがあるんだァ……」
などと、やけに不思議がられていたそうな。
どうやら人間ではないと思われていたらしい。

鬼の目にも涙となれば、次男坊としては大手をふるって泣けるわけで、
こっちも負けないくらい泣いてやった。にぎやかな葬式である。

親孝行したいときには親はなし、
石に蒲団は着せられぬ、と昔のひとはいいことを言った。
しかしこの教訓を実践するものはまれで、
多くの子供たち、それも出来損ないの子供たちは
親を前に憎まれ口ばかりたたいている。

母はこの出来損ないの子供たちをよく束ねてきたと思う。
そのことだけでも勲章もので、やはり母は偉大だったと
今さらながらに思うのである。

しばらくの間(2~3年)は、メソメソしたウツ状態が続くと思う。
そんな意気地なしのボクを哀れと思し召さば、
功徳だと思って酒を飲ませてやってください。
酒こそが憂いを払う玉箒なのです。

母よ、重ね重ねの不幸をゆるし給え。
不肖の息子たちをゆるし給え。
そして安らかに眠り給え。
合掌。

2011年6月28日火曜日

反省しろといわれても

ボクが冗談半分に「実は戦中派なんです」というと、
「えっ? たしか昭和27年生まれと聞いてますが……」
と、みな訝しげな顔をする。

半分冗談とは言ったが、国際法上からすれば、
ボクは正真正銘の「戦中派」にカテゴライズされる。
なぜか? 日本が国家主権・独立を回復した
サンフランシスコ講話条約の発効(1952年4月28日)以前
(2月生まれ)に生まれているからである。

講和条約が発効する前までは「戦争状態」が継続しているわけだから、
ボクが「戦中派」を名乗っても何ら不都合はない。

何度もいうが、ボクは「東京裁判」(1946.5~)なんてとんだ茶番だと思っている。
裁判の根拠はGHQ(Go Home Quickly〈とっとと失せろ!〉の略です)
が公判直前にこしらえた極東軍事裁判所条例という一片の文書に過ぎず、
おまけに裁判官と検事がハナからグルになっているのだからお話にならない。

だいいち、前年の8月15日には日ソ中立条約を一方的に破棄したソ連が、
千島列島から北方領土へと侵攻を継続していた。その火事場泥棒の
ソ連が、いけしゃあしゃあと東京裁判の検事席、判事席に座っているのだから
これを茶番と言わず何といおう。

しかも日本将兵ら数十万人を連行し、極寒の地シベリアで酷使するという
明白な国際法違反を犯している。その犯罪国家が厚顔にも
我らを前に正義のお裁きを行う、というのだから笑わせる。

ハレンチ国家はソ連だけではない。東京裁判中、イギリス、フランス、
オランダによるアジアへの再侵略も〝同時進行中〟だった。

日本はアジア「諸国」を〝侵略〟した、とされているがこれは間違いだ。
当時の東アジアには、中国、タイの他はアメリカ、イギリス、フランス、
オランダなどの植民地しかなかった。独立国家ではなく、欧米諸国の
〝領土〟だったのだ。日本はこれらの「領土」内に侵攻した。

唯一の国際法学者であったインド代表のパル判事は、
「欧米諸国が自らの帝国主義的侵略行動を歴史に照らせば、
そもそも日本を裁く資格などない」と、日本無罪論を展開した。
しかし多勢に無勢、裁判の名を借りた復讐劇は強引に推し進められた。

戦後60有余年、毎年8月15日が来るたびに、「日本一国性悪説」的な反省を
強いられ、あまつさえ「ドイツに比べ反省が足りない」などとお叱りを受ける。
いったいわれわれは何をどう反省したらいいのだ?

そもそも日本一国だけが反省すれば済む問題なのか?
インドネシアやベトナム、フィリッピン等の独立を手助けした日本が
独り反省し、独立を妨げ図々しくも再植民地化を目論んだ欧米諸国は、
反省どころか自分たちの犯罪に頬被りし、一方的に日本を断罪している。
(勝てば官軍っていうけど、これって、むちゃくちゃアンフェアだよな……)
戦中派のボクとしては、どうにも納得がいかないのである。

♪夏が来ゥれば思い出すゥ……のは「はるかな尾瀬」ではなく、
理不尽な東京裁判と、その自虐的裁判史観に骨がらみで
囚われてしまっているかわいそうな人たちのことだ。

もういいかげんに目を醒ましたらどうなんだ。






2011年6月25日土曜日

時に感じては……

PTSD患者(特に閉所恐怖症)のボクは、
極端な話、鼻がつまっただけで「死ぬこと」を考えてしまう。
なにを大袈裟な、とたぶん笑い飛ばされるのがオチだろうが、
呼吸を阻害するものすべてに恐怖を抱くボクのような患者にとっては、
決して笑いごとではない。

「死」は、ふだんは意識していないが、決して非日常のことではなく、
いつも日常と隣り合わせに在る。今回の東日本大震災で亡くなられた
人たちだって、まさか自分が〝こんなにもあっけなく〟死んでしまうなんて、
思いも及ばなかっただろう。「えっ、ウソ。マジかよォ……」死ぬ間際の
感慨なんて、案外こんなものかもしれない。

というのは、ボクも何度か死に損なって、
「えっ、ウソだろッ!」と心の裡に叫んだからである。

一度はこどもの頃、プールで溺れかかって。
二度目はバイクでハイヤーと正面衝突して。←奇跡的に生還
三度目は、やはりバイクでバスと正面衝突しそうになり、あわてて
ハンドルを切りガードレールに激突。←真正面からの衝突が得意?
そして四度目は過呼吸症候群で呼吸困難をきたして。←ヤバかった

生きていることそのものが緩慢な自殺だ、と五木寛之は言っている。
生まれ出るということは死を選択したことで、
必ず死ぬということを知りながら生きることは、
すなわち緩慢なる自殺だというのだ。

    ついに行く道とはかねて聞きしかど
    昨日今日とは思わざりしを ――在原業平――

バルコニーのプランターに植えたポーチュラカがぽつぽつ咲き始めた。
毎年花を咲かせてくれるのだが、最近は、こうした鉢花や鳥の啼き声
などに心を動かされるようになった。たぶん齢のせいでヤキが回った
ためだと思うが、自分でもふしぎでならない。このヤボで無粋な男が、
花びらをそっと撫で、「咲いてくれてどうもアリガトネ」
などと囁いているのだから、もう老い先は長くはないだろう。

でも、そんな〝老い〟も悪くはないな、
と近頃は逆に開き直っているのだから始末にわるい。
いよいよ年貢の納め時か。


2011年6月23日木曜日

風流は暗きもの

照明設計に携わる人たちの必読書、
バイブルとされている本をご存知か。
谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』がそれだ。

この小品は日本文化の本質を突いた傑作で、
照明に関しても示唆や刺激に富んでいる。

たとえば漆器の美しさについて著者は、
《……ぼんやりした薄明かりの中に置いてこそ、
始めてほんとうに発揮される》とし、現代において
漆器を野暮ったい雅味のないものにしているのは、
《採光や照明の設備がもたらした「明るさ」のせい
ではないだろうか。事実、「闇」を条件に入れなければ
漆器の美しさは考えられない》

谷崎の言うように、漆器や金蒔絵を蛍光灯の下に
かざしたとて美しくはあるまい。薄明かりの中、
闇に隠れた部分があってこそ、いい知れぬ余情が
生まれるからである。

日本の都市には光があふれている。いや、光の過剰と
いうべきかもしれない。公害ならぬ「光害」なのだ。

その過剰な光が、3.11の震災以降、節電の名目で抑えられている。
キャンドルナイトなどというムーブメントも興ってきている。
夜間の数時間、照明を消してロウソクの下に集まり、
スローな夜を過ごそう、というわけだ。

明るければすべてがよく見えるとはかぎらない。
光の過剰は、かつてボクたちが見ていたものを
見えなくしていることもある。

明るさというものは暗さがあって初めて生きる。
あまりに明るすぎると、「すべてが見えるが、よくは見えない」
という現象を招く。

いつも隣り合わせだった漆黒の闇を
生活の場から駆逐してしまった戦後60有余年。
いま、その反省の時を迎えている。

「風流は寒きものなり」と緑雨は言ったが、
ボクは「風流は暗きものなり」と
いう言葉に置きかえることにする。

2011年6月21日火曜日

禍福はあざなえる縄

禍福はあざなえる縄のごとし、という。
bad newsがあればgood newsもある。
でなけりゃ、心身ともにくたびれちゃう。

母が三途の川を前にして、迷っている。
抜き手で渡ろうか、それともバタフライにしようか。
向こう岸では父がストップウォッチを握り、
今か今かと待ちかまえている。

そんな〝お取り込み中〟に、次女の就職先がようやく決まった。
ゆとり教育世代が直面している超氷河期と呼ばれる就職戦線。
二次面接まではこぎつけても、そこでバッサリやられる。
挫折に次ぐ挫折(いい勉強になります)。
娘の顔からだんだん自信が失われていく。

思い起こせば、ボクの世代も就職難で悩まされた。
12社落ち、13社目に救われたのが某出版社。
いいかげんなもので、どんな出版物があるのか、
試験日の当日まで知らなかった。

一次面接で、編集部長のI氏が、
「君は独文科出身だけど、主にだれを研究したんだい?」
「独文学はからきしでして、ひたすら小林秀雄ばかり読んでました
その破れかぶれの一言が気に入られたのか、
面接は小林秀雄に関する質問に終始した。

12社までは皮ジャンにジーパンという大胆ないでたち
つむじ曲がりもここまで来ると愚かという外ない。
「小林秀雄とは、またずいぶん大人びてるねェ、君は」
そう、見た目は若僧でも心はすでに朽ちている。
小林秀雄に関してなら、何を聞かれても平気の平左だから、
ほとんど独演会。「こいつクセがあるけど、面白そう
といいほうに勘違いしてくれて、なんとか拾っていただいた。

A社に落ちてB社に受かる。落ちた理由、受かった理由、
どちらも想像する他ない。面接官との相性もあるだろう。

知人の一人娘は、面接に受かるための塾?にまで通ったという。
お辞儀の仕方から、歩く姿勢、言葉づかい、発声法……
何から何まですべて教え込まれるという。授業料はしめて17万円。

日本中で繰り広げられている就職狂騒劇。
藁をもつかみたいと、学生たちはみな必死の形相で駆け回る。
貴重な学生時代の一時期を、こんなことに浪費するなんて、
実に愚かでもったいない。が、改善は遅々として進まない。

「ようやく卒論に取りかかれるよ」と次女は嘆息。
そう、学生の本分は勉学だものね。

次女は幽冥界との境をさまよう祖母の耳元で
「おばあちゃん、就職先決まったよ。いっしょにお祝いしようね」
と報告。白髪頭をやさしく撫でた。


木の葉の落ちた痕を見ると、次に生える若葉の用意ができている。
古人はよく言ったものだ。
落花いずくんぞ惜しむに足らん、枝葉すでに参差(しんし)たり、と。





2011年6月20日月曜日

花に嵐のたとえあり

五木寛之は「人は大河の一滴」と規定した。
人間は小さな一滴の水滴にすぎないが、
それが大きな水の流れを形づくる。

そして私たちは、それぞれの一生という水滴の旅を終え、
海に還る。母なる海に抱かれながら、
やがて生命の源である太陽に熱せられて天に昇り、
そしていつの日か、再び地上へ降りそそぐ。

君に勧む 金屈巵(きんくつし)
満酌 辞するを須(もち)いず
花発(ひら)いて風雨多し
人生 別離足る


上記の詩は晩唐の詩人・于武陵の『勧酒』の結句である。
これを井伏鱒二が訳すとこうなる。

この盃を受けてくれ
どうぞなみなみつがしておくれ
花に嵐のたとえもあるぞ
さよならだけが人生だ

会者定離、愛別離苦……。
人はただ一人の例外もなく「生老病死」
の苦悩から逃れることはできない。

凡夫匹夫にとってはそのことがつらく堪えられず、
つい酒瓶に手がのびてしまう。
親鸞曰く「酒はこれ忘憂の名あり」と。

来る7月7日の七夕に、めでたや卒寿を迎えるはずの母が
いま、無機的な病院の一室で生死の境をさまよっている。
呼びかけても応えず、病室では子や孫らが
最後の別れを惜しむべく、じっと見守っている。

酸素マスクをつけ、瞼を閉じた、
気息奄々の母を見るのは悲しい。
だれもが必ず通る道、と知りつつも、
いざとなると現実をなかなか受け入れられない。


この数日、酒ばかり飲んでいる。
安酒のためか忘憂効果絶えてなし。


2011年6月16日木曜日

つつがなしや友垣

9月に川越で同窓会をやろうという話が出ている。
そろそろ還暦を迎えるので、中学校時代の同窓が集まって、
人生にひと区切りつけようというわけだろう。

還暦といわれたって、「どこのどなた様のことですか?」と、
まるで他人事みたいだが、鏡に映るわが面貌を眺むれば、
なるほど白皙の美少年はもうそこにはいない。←オイオイ

しかし紅顔緑髪から遠くなったからといって、
男の値打ちがガタ落ちになったわけではない。
むしろ総合的に見て男っぷりは上がったみたいだし、
若いときよりモテそうな気もしているのだ。←懲りないヤツ!

で、肝心の出欠だが……正直、迷っている。
かつてマドンナとして君臨した旧姓MさんやHさんが、
どんな素敵なオバサンに変身しているか。ジャーナリストの
はしくれとしては、ぜひとも確認しておきたいところだけど、
会えば会ったでいったいどんな話をすればいいのか、
いささか気が重くなる。

「実はHさんのこと、好きだったんです」
「私もSさんのこと、ずっと憧れてたの」
酔余の勢いで、こんな危ない会話が繰り広げられるかもしれない。←ないない

上手に歳をとった人、みごとにとり損ねた人。
経済的成功をおさめた人、これまたみごとにコケた人。
人生いろいろで、ボクなんかはいっとき輝いた時期も
あったけど、トータルで見るとコケちゃったクチで、
ふるさと』の歌詞にある《志を果たして いつの日にか帰らん》
という具合にはいきそうにない。←古いね

「お前、いまどんな仕事してるの?」
「子供は何人? 孫は?」
「奥さんとはどこで知り合ったの?」
「中学時代のお前って、カゲが薄かったよなァ。
いまはカミが薄くなってるようだけど……」←ほっとけ!
「おれ、いま××商事の取締役。名刺渡しとくよ」←いらねェよ
「趣味? ゴルフ。ようやくシングルになったとこ」←so what?

こんな怖ろしい会話が取っかえ引っかえ繰り返され、
おべんちゃらやらお追従笑いに終始するとしたら、
それこそ生きた心地がしないだろう。それともいっそ、
「みじめ」の一言に尽きる昔話に花でも咲かせますか?
どっちに転んでも、地獄を見そうである。

唯一の救いがあるとすれば、馬齢を重ねていても、
みなそれなりに侘び寂びて、俗臭ぷんぷんたる自慢話を
少しは遠慮するかもしれない、という希望的観測。

でもなァ……遠いむかしを懐かしむのもいいけど、
懐かしむに値するご立派な過去を持たない人間はどうしたらいいの?
考えれば考えるほど憂鬱になる。

おい、いつまでグズグズやってんだ。
出るのか、出ないのか……ハッキリしろぃ!














2011年6月12日日曜日

自分の尻も拭けやしない

久しぶりにお通じのよくなりそうな本を読んだ。痛快である。
言葉でたたかう技術』(文藝春秋)がそれで、
著者は加藤恭子という御年82歳の大和撫子だ。

しょっぱなからこんな書き出しで始まる。
《過去50年、欧米人と議論や口論になった場面で、
私は負けたことがない……》

(あンれまァ、すごいバアさんが出てきたぞ)
この啖呵売のような威勢のいいセリフに、
まずコロッと参ってしまった。

早稲田大学の仏文科を卒業後、留学のため夫婦して渡米。
住み込みのメイドとして激務に堪えながら大学に通う。
戦後間もない頃のアメリカだからまだ反日感情がくすぶっている。

「なぜ真珠湾を奇襲したの? 日本人は卑怯よ」
「原爆を落としたのは日本人のためなのよ」
どこへ行っても、不条理な理屈と冷たい視線にさらされる。
反論したくても英語力が未熟で反論できない。
「なにくそ!」と歯をくいしばって猛勉強し、
ついには英語とフランス語の達人に。

併せてアリストテレスの「弁論術」を身につけるべく猛特訓、
自家薬籠中のものにした。
欧米人と対等以上にやり合うには、日本的な話術ではだめ。
ギリシャ・ローマ以来の弁論術を学ぶしか手はなかった。

'90~'91年の湾岸戦争。日本は多国籍軍と周辺国支援のために
130億ドルも寄付(大増税までした)したというのに、諸外国からの
反応は実に冷たいものだった。曰く「いつも金で済ませようとする」
「血を流さない」「金もいやいや小出しにする」等々。

戦後、クウェートはアメリカの主要新聞に感謝を示す全面広告を出した。
が、イラクの侵略からクウェートを救ってくれた国々の中にJapanの文字はなかった。
130億ドルも拠出したというのに、日本の名がないなんて……。
ボクはこのニュースにふれた時、やり場のない怒りで気が変になるほどだった。

加藤女史は言う。「日本も全面広告を出すべきだった」と。
加藤の考えた文面はこんな感じだ。ちょっと長いけれどガマンして読んでほしい。

『われわれは先の戦争に対する反省から生まれた平和憲法によって、
軍隊を出すことは規制されている。ゆえに多国籍軍と共に戦い、
血を流すことはできなかった。
しかし、平和を愛するクウェートと、その解放に邁進する多国籍軍を
後方から支援するために、多額の経済的援助を行った。その全体額は
あまりに巨大であるため、富んだ国とみなされているわれわれでも、
一朝一夕で用意できるものではなかった。政府は増税を決意し、
国民はそれを敢然と受け入れた。クウェートと多国籍軍の支援のために。
それを何回かに分けて受け取ったのは、、盟主アメリカである。
もう一度言う。われわれは、共に血を流すことはできなかった。
しかし国民の税金から拠出されたこの援助金は、国民の汗の結晶である。
われわれは少なくとも共に汗は流した。
しかし、3月11日のクウェートによる『感謝の全面広告』の中に、
日本の国名はなかった。われわれは合計で130億ドルの援助を行った。
それはJapanというたった一つの単語にさえも値しなかったのであろうか?
日本国民は、深く傷ついている……』

日本政府は、加藤がいうような反論をなぜやらなかったのか。
政治家や官僚には、たったそれっぽっちの気概すらないのか。
なぜいつも日本人は黙ってばかりいるのか。
なぜ正々堂々とケンカができないのだ。

沈黙は「金」ってか? 日本以外の国では、沈黙は「無能」の意だ。
ああ、それにしても130億ドル(当時の日本円で1兆7000億円)とは……。

日本のやるべきことはただ一つ。憲法をすみやかに改正して
真に自立した国家となることだ。130億ドルを出したからと
大威張りなのもうすらみっともない。日本は商人の国に成り下がったか。

やはり、いざとなったら共に血を流したほうがいい。
尖閣にしろ北方四島にしろ、自国領すらも自分で護れないのなら
真の独立国とは言えまい。命より大切なもの? もちろんある。
日本人は、その大切なものを戦後のたった60余年で忘れてしまった。


2011年6月2日木曜日

だって寒いんだもの

「3.11」以来、ボクたちの生き方や考え方、価値観はずいぶん変わった。
いざという時に独り身では何かと心細いというので、
いま結婚相談所に駆けこむ女性たちが増えているという。

さて志ん生の『風呂敷』という噺の中に、
長屋のカミさんたちのこんなやりとりがある。

「お前さん、好きで一緒になったの?」
「(かぶりを振り)うゥん、好きじゃないの」
「なんか見込みがあんのかい?」
「うゥん」
「じゃ、どうして一緒になってんのさァ」
「(色っぽく)だって寒いんだもの……」

湯たんぽ代わりでもいい。さびしい独り寝よりはましだもの。
せいぜい毛深くてあったかそうなのを見つくろってほしいものだが、
目につく変化は婚活女性だけにかぎらない。マンションも分譲ではなく賃貸、
高層階より低層階志向へと大きく変わってきているという。

わが家は15階建てマンションの5階。それでもあの日は大揺れだった。
15階の住人は「生きた心地がしなかった」と言ってたくらいだから、
東京ベイエリアの超高層マンションの住人たちはどんなに恐ろしかったことか。

それともう一つ。「ダサイタマ」などとバカにされているわが埼玉県が、
〝海なし県〟ということで、思わぬ人気を博しているのだとか。
安心して住むんだったら断然サイタマがいい、というわけだ。
まるで「加齢」臭がいっきに「華麗」臭に大変身を遂げたようなもので、
なんだかキツネにつままれたような心地がする。

昨今の「断・捨・離」ブームも手伝ってか、余計なものを買わなくなった、
というのも大きい。どうせ乱離骨灰になってしまうんだから、
宝石や高級車を買っても意味がない――とまあ、こんなふうに考えちゃう。
阪神淡路大震災の時にも見られた現象だというが、
要は一種の刹那主義と虚無主義が心のうちに巣くってしまう。

地震津波によって物質主義的生き方から脱却できるというのなら、
それはそれでいいことかもしれない。宗教本がバカ売れしているというのも
その延長だろう。日本人の我欲と平和ボケはテポドンでも飛んでこなけりゃ
治らない、と再三書いてきたが、この災害を機にまともになるというのなら、
亡くなられた人たちに対して少しは申しわけが立つというものだ。

ダッサ~イさいたま県の、とある低層の賃貸アパートの、
そのまたがら~んとした部屋で、湯たんぽ代わりの亭主に抱かれ、
心安らかに眠る――これ以上の幸せなんてものが考えられるだろうか。
ザマミロ、なのだ。

2011年5月30日月曜日

無償の愛

長女が岩手・大船渡市へ3泊4日の災害支援に行ってきた。
参加したのはAll Hands Volunteersという組織(本部アメリカ)で、
災害で困っているところがあれば、世界中どこへでも助けに行きますよ、
という善意のネットワークである。

娘は主に個人宅の瓦礫の撤去などにたずさわったが、
町全体の被災状況は想像以上にひどいものだったという。

避難所も回ったというが、
食糧などは比較的足りていて、
お菓子などは食べきれないくらいあるという。

そのためかどうか、みんな運動不足が祟って
太ってしまう、というのが悩みの種だとか。
栄養バランスの悪さも影響しているのだろう。


今回の活動は、世界中から駆けつけてくれた外国人たちと一緒におこなった。
娘のグループにはアメリカの人気女性歌手S・B(約束で名前は明かせない)
もお忍びで参加していて、娘といっしょに数日間汗を流したという。

日本の有名人の支援のなかには避難所で歌や踊りを披露したり
(あれが迷惑で、そっとしておいてほしいという被災者も多い)、
TVや雑誌カメラの放列の中、ラーメンやカレーの炊き出しなんかをやって、
やたらと派手なおまけをつけるものがあるが、
匿名のボランティアというのもいい。

陰徳を積むという言葉があるように、
人助けというのはさりげなく控えめにやるのが奥床しく、
パフォーマンスが過ぎると時に鼻白むこともある。



一時、被災者の側から「ボランティア迷惑論」が出たりして、
ボランティア活動の功罪が問われもしたが、
「自発性、無償制、利他性、先駆性」(4つの柱というらしい)
を備えたこうした活動が、ごくふつうの一般常識として定着していくことは、
とても価値あることだと思う。

困っている人がいたら手をさしのべてやる――。
ごく当たり前の行為(だからこそ勇気が要るという声も)で、
ACジャパン(公共広告機構)のTVコマーシャルで
すでにお馴染みだろうけど(というより食傷気味か)、
人に言われなければ気づかないしやらない、
というのではいかにも情けない。

自慢じゃないが、ボクも何かと困ってる。←困ったやつだ
迷惑だなんて決して申しませんから、
義援金とか支援物資(できれば酒や珍味がいい)を
じゃんじゃん送ってくれるとありがたい。
宝は天に積め、とキリスト様もおっしゃっております。




★追記
たまさかには右上の金魚にもご支援をお願いします。
クリックするとただでエサが出ます。淋しそうに泳いでいる
黒い金魚(黒いのに金魚とはこれいかに?)がボクで、
赤3匹が女房と娘たちです。赤いのにはくれぐれもエサ
をやらないでください。







2011年5月27日金曜日

根深汁のある幸せ(『剣客商売』雑感)

ボクは子供の頃からbookishな人間で、
小学生時代からすでに吉行淳之介の『原色の街』
や『砂の上の植物群』といったオトナの本を読んでいた。
前者は向島の赤線地帯(鳩の街)を描いたもので、
後者も官能小説とみまがうような作品だ。
当然ながらウブな小学生向きではない。
こまっしゃくれた可愛いげのないガキだったのである。

爾来、独断と偏見に基づいていろんな本を読んできた。
おかげで優に1万冊の蔵書を数えるが、本の重みで床が抜けてもいけないので、
折々、数百冊単位で捨てている。書き込みだらけのボクの本は
古本に出しても売れないのだ。

そんな本狂いのボクだが、何度も読み返したくなる本となると数えるほどしかない。
そのうちのひとつが池波正太郎の『剣客商売』シリーズで、
今でも年が改まるたびに読み返している。

読書尚友」という言葉がある。
書物に親しみ昔の賢人たちを友とする、
という意味だが、『剣客商売』の主人公である
秋山小兵衛にもその賢人の趣がある。
ボクにとってはハードボイルドなヒーローで、
剣の達人というだけでなく、並外れた人間通で、
そしてちょっぴり助平なところがいい。

秋山小兵衛の周りには魅力的な人物がいっぱいいる。
40歳も年下の女房おはる、息子の大治郎、嫁の三冬、
岡っ引きの弥七と傘徳……それに因業爺を絵に描いたような
鬼熊のとっつぁんやまゆ墨の金ちゃん、矮軀の笹目千代太郎、
妖怪小雨坊……悪い奴でもみんな個性豊かな懐かしい人ばかりだ。
現実の人間たちより懐かしいのはなぜ?)


ボクの楽しみは〝秋山ファミリー〟とも呼ぶべき理想的な仲間たちに、
たとえ一時でも交ぜてもらえること。寝る前にページをめくると自然と呼吸が調い、
リラックスして、あったかい気持ちで眠りにつくことができる。

池波正太郎は稀代の文章家だ。
簡潔で、艶があって、行間に絶妙な間合いがある。
文章は平易そのものだから、ややもすると「俺にも書けそうだ」
と勘違いするおっちょこちょいが出てきそうだが、
実際は「やれるもんならやってみろ」とする気味あいのもので、
素人が太刀打ちできる領域などではもちろんない。

漱石も鷗外もドストエフスキーもランボーも読んだ。
地球をグルッとひとまわりして、ようやく辿り着いた
精神の憩う場所が『剣客商売』というのが面白い。

ああ、大治郎が倦かずに食べるという根深汁(ねぎの味噌汁=
ね・ぶ・かとクチにするだけであの甘いネギの食感がよみがえってくる)
のうまそうなこと。

さっそく今夜は、下仁田ネギをぶつ切りにした根深汁を作ってみよう
(食べてみると何の変哲もない味噌汁なんだけどね……)。
大根の漬物に根深汁。日本人に生まれて、ほんとうによかった。




←大治郞役は加藤剛で決まり。小兵衛役は
藤田まことなどより山形勲や歌舞伎の
2代目中村又五郎がいい。山形も、昔は
東映チャンバラ映画で悪役ばかりやっていたが、
晩年は〝改心〟して善人になったようだ。
それにしてもこの2人、眉がきりっとして
男前ですな。




2011年5月24日火曜日

他人の空似?








フランスに帰国した留学生のAlexiaからこんなメールが来た。
《お父さんへ
この写真のブラッド・ピットはちょっとお父さんに似てない?
なんかこの写真を見たらびっくりした! 
ハゲもメガネも似てると思う!》

なに、ハゲが似てる? 

おいおい、俺はまだハゲてはおらんぞ。(←かなりヤバイけど)
もしかして、「ハゲ」じゃなくて「ヒゲ」じゃないのか
 
Alexiaに厳重に抗議したら、案の定、ヒゲのまちがいだった。
この程度の語学レベルだから、日本語検定2級に受からんのだよ、プンプン。
ハゲとヒゲとでは天と地ほども違ってるじゃないか。
こら、Alexia! 笑ってる場合じゃない、ホンマにわかってんのか?
 
とまあ、つい興奮してしまったが
(ハゲという言葉に過敏になってる)、
ブラッド・ピットが俺に似てるといわれると、
まんざら悪い気はしない。(←誤解のないように言っとくけど、
俺があいつに似てるんじゃない、あいつが俺に似てるという話をしてる)
 
そうはいっても、
よい男貧乏神の氏子なり
なんて川柳もあるくらいだから、
いい気になっていると、冷や水をぶっかけられる。
 
それにしてもブラピのかあちゃんはいい女だな。
あれくらい妖艶な女に、首輪なんぞをつけて、
ご近所さんを散歩したらさぞ気持ちいいだろな。←言うことがみみっちい

たぶん みんな、ヨダレ垂らしたり、
腰抜かして座りしょんべん(お下品でゴメン)しちゃうかも。←なに考えてんだ!
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


2011年5月22日日曜日

おたく立国ニッポン

コーヒーという飲みものには人を虜(とりこ)にするsomethingがある。
その証拠に、日本には〝コーヒーフリーク〟と呼ばれる
おたく族がごまんといる。日本以外の国には見られない現象というから
日本人とコーヒーはよほど相性がいいのだろう。

日本の自家焙煎コーヒーの世界には「神様」が3人いて、
その中の1人が台東区・山谷(地名は日本堤)のドヤ街に住んでいる。
「カフェ・バッハ」という店のご主人で、沖縄サミットの際に、
各国要人に飲んでもらったコーヒーがこの店のブレンドだ。

小著『コーヒーに憑かれた男たち』にはその3人の神様が出てきて、
それぞれの畸人変人ぶりを披露してくれるが、山谷の神様の
特徴はきわめて論理的・実証的なことだ。「奥が深い」だとか
「職人的なカンの世界」といった思わせぶりな神秘主義を許さず、
すべての事象に対して科学的・論理的なメスを入れようとする。

このすこぶる実証的な脳味噌を有した神様が新しい本を出した。
田口護のスペシャルティコーヒー大全』(NHK出版)がそれで、
ボクもささやかながらお手伝いをさせてもらっている。

スペシャルティコーヒーというのは、言ってみれば「ブランド米」
みたいなもので、その中にも「上中並」の格付けがあり、
もちろん南魚沼産コシヒカリのような高級品もある。

しかし、いくら材料がよくても料理人の腕がなまくらではどうにもならない。
スペシャルティコーヒーは偏差値秀才みたいなコーヒーの選良だから、
育ちはいいが、やや神経質で線の細いところがあって、焙煎が非常にむずかしい
その微妙なコントロールの仕方を指南したのがこの本なのである。

コーヒーおたくの世界には、やはり神様が3人(頭文字はYKT)いて、
その中でも〝おたく度〟がめちゃくちゃ高いのがTさんとKさんだ。
それぞれ「百珈苑Blog」と「帰山人の珈琲漫考」という人気ブログを主宰し、
世のコーヒーおたくたちから絶大な支持と尊敬を勝ち得ている。
いわばコーヒーおたく業界のスーパースターといっていい。

俗に〝野に遺賢なし〟というがウソっぱちだ。
在野は賢人たちの宝庫なのである。
とりわけ帰山人と号するおっちゃんは、面識はないけれど、
そのブログにあふれる機知と諧謔は他を圧している。

その帰山人氏から、山谷の神様の新著に対して
《痛烈》《戦慄》《進取の(気性に富んだ)新種(の本)》などと
過分なる称讃?をたまわった。無類のコーヒー狂・帰山人氏が
一読三嘆したとなればもうこっちのものだ。(←どっちのものなんだよ!)
百万の味方を得たも同然で、他の有象無象などもうどうでもいい。

日本は世界に冠たる〝おたく王国〟で、どんなおバカな世界にも
おたくという珍奇で愛すべき種族が棲みついている。
なかでもコーヒーの世界に棲息するおたくたちは、
その奇妙キテレツぶりが群を抜き、
一種近寄りがたいラビリンス(迷宮)を形成している。
いったん足を踏み入れたら最後、もう決して抜け出せない。




←帰山人の世界はラビリンスそのもの。
その毒に染まると、もう足抜けはできない













2011年5月17日火曜日

臍下三寸と人格

国際通貨基金(IMF)のストロスカーン専務理事(62)が
性的暴行容疑で逮捕、訴追された。宿泊先のNYの高級ホテルで、
女性従業員(32)を監禁し、性的暴行を加えたというのだ。

被害者曰く、部屋の清掃のためにスイートルームに入ると、
いきなり加害者が素っ裸で現れ、逃げようとする被害者を
むりやり部屋に引きずり込み、顔に下腹部を押しつけるなど
エッチな行為を強要したという。

素っ裸にロングコートを羽織り、暗い夜道でいきなり女性の前に
飛び出し「ほーら!」と、粗末な逸物を開チンする変なおじさんは
わが町にもいる(駅前交番のお巡りさん曰く「名物おやじでね、困ってんの」)。
が、このおっさんは単なる露出狂で、女性が「キャーッ!」と驚き叫ぶのを
見るのが快感なだけで、べつに危害を加えるというわけではない。

ところがIMFのおっさんは、いい年こいてエッチをしようとした。
不届き千万というか、げに羨ましいというべきか、どうにも許しがたい(バカヤロー!)。

このニュースをさっそくフランスのAlexiaに伝えたら、
「お父さん、これはサルコジ一派の陰謀だね。ストロスカーンは
まんまと罠にハマったのよ」と、サルコジ嫌いのAlexiaは大むくれ。
来年のフランス大統領選の有力候補だっただけに、
社会党支持者のAlexiaとしては無念千万なのだろう。
(↑私は中道派よ、と後で抗議された。ゴメン)

日本では昔から「臍下三寸には人格がない」といわれ、
時に無政府状態になって暴走してしまう〝下半身問題〟
はあえて問わない、とする暗黙の了解があった。

「あの人はなかなかの艶福家でね」という言い方があるように、
仕事さえしっかりやってくれれば、妾を何人囲っても咎め立てはせず、
大目に見てやろうよ、とする風潮があったのだ。

しかし時代の流れか、艶聞はいつしか社会的にマイナスイメージとなり、
特に政治家は金銭と女性問題に関してはクリーンさが求められ、
みな表向きは聖人君子みたいな顔をするようになった。
とんだ偽善である。

臍下三寸が時に制御不能のアナーキー状態になるってことは、
男なら誰でも感じている。が、それをなんとか〝理性〟なるもの
(そんな気の利いたものは持ち合わせがない、という人もいるけど……)
で飼い慣らしている。

それでも時折ブレーキの効かない暴走トラックみたいになり、
本能のなすがままに委ねてしまうことがある(昔のボクみたい)。
IMFのおっさんはたぶんそのクチで、
婦女暴行事件では前科があるというから、
たぶん性欲が人並み以上に強いのだろう。




←あ~あ、捕まっちゃった。









ストロスカーンの母国フランスにはこんな格言がある。
禁断の木の実は入れ歯でかむべからず
じゃあ舐めるだけは? 
ダメ?……じゃあニオイを嗅ぐのは?←しつこいッつーの



*追記
ストロスカーンのおっさんは、仏リベラシオン紙のインタビューで、
「私は女性が好き。だから何なんだよ!」
と開き直っているという(がんばれ、お父さん!)。