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2016年5月4日水曜日

結婚記念日は憲法記念日

昨日は憲法記念日だった。
それと同時に、めでたくも甥っ子の結婚式が虎ノ門の霞山会館で執りおこなわれた。
親族紹介があるから10:30までに式場に来てくれ、というので
朝から夫婦で大忙しだった。

まず和光市駅から副都心線で新宿3丁目まで行き、そこで丸ノ内線に乗り換え赤坂見附へ。
さらに銀座線に乗り換え虎ノ門駅まで行き、徒歩1分でめざす会場に。
その間、およそ40分強。車内では「日本国憲法」をざっと読み返しておいた。
電車内で無粋な「憲法」を精読玩味している人間などそうはおるまい。

巷間、相変わらず護憲派と改憲派の議論がかまびすしい。
が、ギャーギャー騒いでいる連中に限って、肝心の憲法全文を読んでいない。
あんなもの20分もあれば1条から103条まで読み切れるのだから、
通勤・通学電車の中でさっさと読んでしまえばいいものを、それもしない。
するのは、バカのひとつ覚えのように「平和憲法を守れ!」「戦争法制反対!」
などと叫ぶだけだ。

憲法改正は9条のためだけにあるのではない。
戦後70年、世界の情勢は時々刻々と変わってきている。
その変化に現行憲法は追いつかず、いろんな齟齬をきたし、
きしみを生じさせている。苦しまぎれの拡大解釈や解釈改憲では
とうてい追っつかなくなってきているのである。

2013年のデータだが、諸外国では憲法改正が頻繁に起こっている。
なぜか? 世界標準に自国憲法を合わせるためだ。
ドイツ59回、フランス27回、イタリア16回、アメリカ6回、日本0回……
日本ではなぜか憲法9条だけが神格化され、憲法そのものが
神聖にして犯すべからざる「不磨の大典」と化している。

福田恆存は『日本への遺言』のなかでこう言っている。
《現行憲法に権威がない原因のひとつは、その〝悪文〟にあります。
悪文というよりは死文というべく、そこには起草者の、いや翻訳者の
心も表情も感じられない…(略)…こんなものを信じたり、
ありがたがったりする人は、左右を問わず信じられない

さらに、
《これは明らかに押しつけられてしかたなく作った憲法です。
いかにもふがいないとは思いますが、当時の実情を考えれば
情状酌量できないことではない…(略)…今のままでは自国の憲法に対して、
人前には連れて出られないメカケのような処遇しかできません。もっとも、
それを平和憲法として誇っている人もたくさんおりますけれど、
それはその人たちがメカケ根性を持ち、事実、メカケの生活をしている
からに他なりません》
そういえば、社民党の前身である旧社会党や共産党はソ連などからの
支援をしっかり受けていたものね。

そんなこんなをつらつら想いながら電車に揺られていたら、
あっという間に式場に着いた。霞ヶ関コモンゲート西館の37階。
窓からは皇居や国会議事堂が一望できた。まさに絶景である。
ボクはさっそく姉夫婦にお祝いを述べ、兄弟たちとも久闊を叙した。

甥の結婚式は気持ちのいい式だった。
中国料理の料理人である甥っ子は相撲取りみたいな巨体で一見恐そうだが、
根は心やさしき好漢である。新婦も気立てのよさそうなお嬢さんだった。
この二人ならよき家庭を築いてくれるだろう。

結婚記念日は憲法記念日
のんびり屋の甥っ子でも、生涯忘れることはないだろう。

※追記
日本国憲法はアメリカがフィリピンを植民地にしていたときの憲法を
そのままコピーしたもので、第一条の「天皇」の項を除けばほとんど
そっくりと云われています。それがいわゆるマッカーサー草案
(日本国憲法草案)なのです。フィリピン国民と日本国民が未来永劫、
アメリカには決して刃向かわない、骨なし民族でい続ける、
ということを約束させられた憲法なのです。メカケ根性のある人間にとっては
こんなありがたい憲法はありません。




←霞山会館の窓から眺めた風景。
右に皇居を遠望し、左に国会議事堂が
見える。東京の真ん中に緑あふれる
皇居があることで、どんなに救われているか。

2016年4月21日木曜日

何があっても大丈夫?

■4月某日 晴れ
都内某所の暗くて狭い部屋で櫻井よしこさんと会った。
某出版社の社長が引き合わせてくれたのだ。
目の前に現れた櫻井さんはゴージャスな着物姿だった。
夕方から英国大使館で、エリザベス女王在位60周年を祝うパーティに
出席するのだという。
「ドレスコードがあって、イヴニングドレス着用のこととあったんですが、
わたくし、イヴニングを持っていないの(笑)。で、着物にしました」

初めてお会いするのだが、実に美しい人だ。
言葉づかいはもちろんのこと、物腰が柔らかく、笑顔が自然で、
少しもイヤミがない。腰も低く、誰に対しても対等の目線を持っている。

「10年ほど前でしょうか、月刊『文藝春秋』の連載で、長岡でロケをいたしました。
その時、ご一緒し、小嶋屋でへぎそばを食べたのが私の女房です。憶えて
いらっしゃいますか?」
ボクが図々しくもそんな挨拶をすると、
「ああ、あの時の……よく憶えております。大変お世話になってしまって……
どうか奥様によろしくお伝えください」
ボクのカミさんはフリーの料理記者。『文春』の仕事で数年間にわたり、
有名作家たちといっしょに全国各地を旅して回った。

ボクは〝大好物〟の櫻井さんに会えるというので、朝からそわそわ。
このシャツがいいか、それともこっちのシャツか……などと鏡の前で
取っかえ引っかえ。結局、麻製の黒いシャツを選んだのだが、
まるでヤクザみたい……相変わらず趣味わるいわね」と女房。
近所のこどもに「おじさん、人さらいに見えるよ」と言われたくらいだから、
人相の悪いのは自覚しているが、ヤクザはないでしょ、ヤクザは。

それと櫻井さんに会うという僥倖に舞い上がっていたのか、
会う直前のわが家での昼食に、生ニンニクを大量に食べてしまった。
昨夜の残りものの「アジのたたき」を女房といっしょに食べたのだが、
よせばいいのに生ニンニクの薄切りをどっさり加えてしまったのだ。

「ウッ、臭ッ!」
女房はボクの吐く息を嗅いだとき、思わずのけぞった。
「バカだね、あんたは。これから櫻井さんに会うんでしょ。
そんな臭い息してたら、いっぺんに嫌われちゃうわよ」
たしかに言われるとおりで、ものすごいニンニク臭がボクの周りに
漂っている。

ボクは急いで洗面所に飛んでいき、ゴシゴシ歯を磨いた。
リステリンでうがいをし、口腔内を激しくクチュクチュやった。
キシリトールのガムも必死で噛んだ。
「ハーッ」
女房の前で、吐息の検査。
「ウウ……まだ相当臭うわね。会うときは数メートルは離れたほうがいいね」

で、数時間後。互いに惹かれ合ったのか(んなわけねーか)、
ボクと櫻井さんはいつの間にか顔と顔を30センチ近くまで寄せ合っていた。
まるで若い恋人同士みたいだった。ボクはすっかりニンニクのことを忘れていて、
緊張のあまり頭の中はボーッと真っ白けだった。その間、強烈なニンニク臭が
櫻井さんの鼻腔をはげしく襲っていたにちがいない。

でも心やさしき櫻井さんは、顔色ひとつ変えず、優雅に微笑むばかりだった。
たぶん櫻井さんの豪華な着物にはニンニク臭がたっぷり染み込んでしまったと
思われる(←ファブリーズをシューッとやってください)。英国女王の記念パーティが
ニンニク臭のために台無しにならないことを切に祈るばかりだった(バカ)


※追記
朝霞市の女子中学生誘拐監禁事件(『朝霞の〝桃〟がぶじ帰る』参照)以降、
小中学生の大人たちを見る目が用心深くなってきた。いきなり小学生から
「おじさん、人さらいじゃないよね?」と問い詰められるとドキリとする。
いまどき〝人さらい〟なんて言葉は古語の範疇かと思っていたけど、
妙に懐かしく嬉しくなってしまった。それにしても人格高潔なボクに向かって
「人さらい」はないよね。さらうより、若い娘にさらわれてみたいよ。



←櫻井さんは敗戦の混乱の中、
ベトナムの野戦病院で生まれる。
この本は激動の日本を生き抜いてきた
櫻井さんのご母堂を描いたもの。
いつも前向きに生きようとする母親の生き方は、
娘の櫻井さんに多大な影響を与えた。
殺人的なニンニク臭に見舞われても
だいじょうぶ。
『何があっても大丈夫』なんだものね。
櫻井さん、ほんとうにごめんなさい。

2016年4月4日月曜日

美少女戦士はフランス人

フランス人のAlexiaがパジャマ持参でやってきた。
高校生の時に日本へ留学し、ささやかながらわが家も
ホストファミリーをつとめさせてもらった。嬉しいことに、帰国してからも
日本びいきは変わらず、ボクや女房のことを「お父さん」「お母さん」と
慕ってくれる。あれからはや5年。彼女はまだ大学生(リヨン大学)ながら
すっかり大人び、いつの間にか妙齢な女性に変身していた。

わが家の娘たちと同様、AlexiaもAFSで日本へ留学した。
日本のアニメを見て育った世代で、いわゆるコスプレイヤーのひとり。
ロレーヌ地方の実家では、ひそかに美少女戦士セーラームーンの衣裳を身にまとい、
《愛と正義のセーラー服美少女戦士、セーラームーン!》
《月に代わって、お仕置きよ!》
などと、決めぜりふを叫んでいるらしい。このセリフ、自分で自分のことを
〝美少女戦士〟というところが笑えるが、大まじめにやっているAlexiaの
姿を想像するとちょっと危ないニオイがする。

その美少女戦士が今、インターンシップで来日し、日本の企業で見習いとして
働いている。インターンシップとは学生が将来のキャリアを実現するため、
一定期間、実際の企業で働くこと。この三菱系の企業では毎年40~50名の
外国人学生をインターンとして採用している。彼女は7月までの半年間、
ここでみっちり絞られることになる。

彼女は大学卒業後の身の振り方をいまだ決めかねている。
母国フランスでは若者の失業率が高く、就職もままならない。
もしヨーロッパで職を求めるなら、「ドイツに行く外ない」と彼女は言う。
それに、
「自爆テロや移民・難民の流入などで、治安は悪くなるばかり。
みんな疑心暗鬼になっている」

地下鉄などに乗っても、隣にアラブ系の人が座ったりすると、
「心臓がバクバクしてきちゃって……なんだか息苦しくなっちゃうの」
と、うかつに外出もできない状態。インターンシップで日本へ行っているほうが、
むしろ両親にとっては安心なのだという。

Alexiaは高校生の時から日本語が達者で、いまやへたな日本人より
よほど流暢に日本語をあやつる。昨日は、散歩をしたり、カフェに入ったり
したが、その間、ずっとしゃべりっぱなし。話題は主に「ISの自爆テロ」や
「アラブとヨーロッパの歴史的関係」「ヨーロッパの行く末」などについてだった。

同い年の日本の女の子とこうした話題で議論ができるかというと、
正直、「ウーン」と考えこんでしまう。もともとフランス人やイタリア人は政治好きで、
おまけに議論好きというのもあるが、彼女の知識はハンパじゃない。
コスプレをやって、美少女戦士を気どりもするが、そこはしっかり勉強もしている。
芸能ネタとファッションや旅行、グルメの話しかできない幼稚な日本のなでしこたちとは、
趣がまるでちがうのだ。

しゃべり疲れたから、2人でお買い物。近くのスーパーで夕飯用の買い出しをした。
「何が食べたい?」と訊けば、彼女は「お刺身」とか「お寿司」と答えるに決まっている。
そのことが分かっているので、お刺身売り場をそそくさと通りすぎようとすると(笑)、
「ホタルイカもおいしいよね」とか「鶏のレバーも好きィ」などと口をはさむので、
しかたなく買い物籠に放り込む。ワインのつまみがほしいのだろう。
それにしても好みがいかにも〝おやじ〟くさい。

高校留学時にはもちろん酒は出せなかったが、今は堂々と飲むことができる。
フランスでは16歳で飲酒ができるらしいが、日本ではもちろんダメ。もし飲酒が
AFS日本支部にバレたりすると、本国へ強制送還されてしまう。Alexiaは自分でも
「いけるクチ」と豪語しているくらいだから相当の酒豪で、その夜も2人でビールを
たっぷり飲んだ後、赤白のワインをそれぞれ空けてしまった。

こっちはすっかり酔っぱらってしまったが、彼女は終始シャキッとしていて、
まだまだいけそうなそぶりだった。泊まりがけで来ているので、
「今夜は腰を落ち着け、とことん飲もう」てな心もちなのだろう。
こっちも飲んべえでは人後に落ちないが、相手を少し甘く見すぎてしまったようだ。
フランス女、恐るべし。

飲んでいる間じゅうも、ずっと難しい議論がつづいた。。
彼女はもともと思想的には「中道」だったのだが、
いまは「中道よりやや右寄り」になって、いままで無視していたマリーヌ・ルペン
率いる極右政党「国民戦線」の〝反EU〟や〝移民反対〟といった政策に対しても、
少しずつ惹かれている自分がいて、驚くという。
人権国家を標榜してきたフランス。右派勢力の台頭がこの国の
何かを変えようとしている。

フランスの抱える闇は深い。
ヨーロッパはいったいどこへ向かっていくのだろう。


←カミさんとAlexia。
個人情報保護というややこしい問題
がありますので、正面からの写真は
載せられません。ニコール・キッドマン
にそっくりの可愛い女性です。

2016年3月8日火曜日

〝老いるショック〟をぶっ飛ばせ!

近頃やけに「老い」を感じる。
顔にシミが多くなった。肌に艶がなくなってきた。
首回りがたるんで、つまむとなかなか元にもどらない。
もちろん白髪が増え、ヒゲはほぼ真っ白けになった。
臍下三寸のお毛々にも白いものが混じっている。

キャッチボールでも、以前のようなスピードボールが投げられなくなってきた。
泳いではバタフライに精彩を欠いている。バッタは上半身の力で泳ぐものではない、
リズミカルに腰を使って泳ぐ。その腰にしなやかさとネバリがなくなってきたのだ。
自分では若い若いと思っていても、やはり衰えはひたひたと忍び寄ってくる。

以上は「カラダ」の衰えだが、これはまあ、しかたがないだろう。
もう若い頃のように跳んだりはねたりはできないし、
若い娘っこから恋文を渡され「好きです」などと告白されることもない。
ときどき団地内のバアさんたちから秋波を送られることはあっても、
切った張ったの色恋沙汰になることはまずない。
ああ、すべてが一場の春夢……人生はほんとうに儚くも短い。

女性は男性以上に〝老い〟に敏感だ。
毎日、鏡に向かって化粧をしているせいだろう、
老いの兆候に対しては異常なほど過敏になっている。
ボクの女房などは白髪1本で世も末とばかりにギャーギャー騒ぐ。

テレビでは〝アンチ・エイジング(抗老化)〟を謳ったスキンケア商品や
サプリメント健康食品などのCMが花盛りで、市場規模も数千億円と
年々増大している。娘時代は貴重な時間とエネルギーのほとんどを
「過食」と「拒食」の間を往ったり来たりすることに費やしてきた彼女たちが、
こんどは「アンチ・エイジング」一本にしぼって金と時間をつぎ込んでいる。

ボクはその健気なまでの努力を嗤いはしないが、老化を力ずくで押しとどめよう、
などとはさらさら思わない。むしろ「老化」を楽しむようにしている。
鏡をのぞけば、たしかに白髪白髯の生気のないおっさんが映っている。
(でもね……)
とボクは思うのだ。けっこう年相応にカッコいいじゃん――。

なるほど「カラダ」は衰えたが、「ココロ」はむしろ尻上がりに爛熟に向かっている。
その充実ぶりが顔の表情にも出てくるのか、どこか駘蕩とした雰囲気が漂っている。
若い頃の顔には不安と驕慢が同居していた。未熟そのもののいやな顔だった。
そしていま、自分でもふしぎな心持ちなのだが、
(60数年生きてきて、いまの顔がいちばん好きだな)
と、臆面もなく言えてしまうのである。

世の中には、ある年齢にならないと分からないことがある。
親の年齢になって初めて「ああ、親父はこのことを言ってたのか」
胸にストンと落ちてくる。偉人たちの箴言が素直に腹にこたえる。
読書尚友」を地でゆき、死んだ人ばかりを友としてきたボクのような人間は、
この〝予定調和〟的な考え方が、やけに身に滲むのである。

〝老い〟にあわてふためき、アンチ・エイジングに血道を上げるのもけっこうだが、
「老いるショック」をものともせず、むしろプラスイメージに変え、
前向きに生きていけたら、と思う。
そこで今回のテーマにふさわしいお上品な替え歌をひと節考えてみた。

   

  ♪  60歳になったら
      60歳になったら
        愛人100人 できるかな
      100人と やりたいな
      差しつ差されつ 蛇の目傘
      スッポン スッポン スッポンポと     (童謡『一年生になったら』の加齢バージョン)  






←娘たちが小さかった頃、
みんなでよく歌ったな。

2016年3月1日火曜日

ブルージーンと皮ジャンパー

3月1日、2017年卒の大学生の就職活動が解禁になった。
〝一浪一留〟のダメ学生だった40年前の自分をふと思い出す。

ボクは「就活」なるものをいっさいしなかった。
会社訪問も先輩訪問もしなかった。
(まあ、いざとなったら何とかなるだんべェ……)
ノーテンキにもまるで切迫感がなかった。
他人事みたいにのんびりしていた。

リクルートスーツにも縁がなかった。
「服装で目立とうとしてはいけない」
だから〝黒系〟を選べ、などという「就活の鉄則」も知らなかった。
髪だって長髪のままだったような気がする。

だから筆記試験にしろ面接にしろ、普段どおりのカッコウで通した。
すなわち革ジャンにブルージーンズ姿である。
おかげで、やけに目立った。完全に浮いていた。

その〝空気の読めない、非協調的な、あるいは反社会的なポーズ〟
が、「危ない人」と見定められたのか、受ける先からことごとく落ちた。
企業側は「普段どおりのカッコウでどうぞ」と言ってる割には、
それを真に受けた学生をしっかりふるいにかけていた。

新聞社、通信社、出版社、製薬会社、鉄鋼商社……あとはもう忘れたが、
この田舎出の〝革ジャン男〟は試験を受けるたびに袖にされた。
ある通信社の面接に臨んだら、
「外国語は最低1ヵ国語はしゃべれますよね? できればもう1ヵ国語も……」
と訊かれた。脈はなさそうだったので、
「失礼いたしました」
と、その場からそそくさと立ち去った。

十数社受けてすべて不合格。親の心配顔を見て、さすがに焦った。
敗因分析をしたら「そうだ、背広を買いにいこう!←そっちかよ!
ごく単純な結論に至った。赤点だらけのひどい学業成績を棚に上げ、
敗因をもっぱら革ジャンのせいにした。

急いでデパートへ走り、奮発したのがダーバンの青い吊しのスーツ。
そしてピエール・カルダンの赤いネクタイ。
髪も小ぎれいにカットした。見違えるような貴公子ぶりだった(←自分で言うな)。

おかげで、小さな出版社に合格した。大企業どころか、超零細企業である。
面接時に女社長から、
「あなたはたいそう目立ちたがり屋のようね」とイヤミを云われた。
赤いネクタイを見て、自己顕示欲が強いと思ったのだろう。←大当たり~!
編集部長が、
「君はドイツ文学専攻とあるけど、特にどの作家を研究したんだい?」
「ハイ、実はドイツ文学はからっきしでして、
在学中は小林秀雄ばかり読んでました

すかさず他の面接官が小林秀雄に関する質問を次々と浴びせかけてくる。
ボクは得たりとばかり、的確に応えていく。それはそうだろう、
高校時代からほぼ10年間、小林秀雄一色に染まった生活を送ってきたのだ。
小林秀雄に関することなら女性関係でも何でも知っている。
その一点集中型のこだわりぶりに面接官も強い印象を受けたようすだった。

この小さな出版社には13年間奉職した。
そして独立し、フリーの〝100円ライター〟に。
カミさんは、同じ雑誌の編集部で机を並べていた同僚だ(←「芸がないね」と言わんといて)。
この出版社に就職していなかったら、もちろん娘たちは生まれてこなかっただろうし、
和光市に居を構えることもなかった。つまりバンド仲間やキャッチボール仲間、
それにかわいい〝団地妻たち〟と知り合うこともなかった(笑)。

思えば、すべてが偶然の産物とはいえ、どこか〝運命的〟なものを感じる。
もしも革ジャンにジーンズでなく、就活スーツを身にまとって、地道に会社訪問を
積み重ねていたら……別の会社のサラリーマンとなり、別の女と所帯を持ち、
それなりに幸せに暮らしていたにちがいない。

で、つくづくボクは思うのだ。
いまの生活があるのは、あの「ブルージーンと革ジャンパー
おかげではなかろうか)と。
革ジャン姿で就活し、ことごとく門前払いを食らい、最後の最後、
首の皮一枚で小さな出版社に引っかかった。そのおかげで女房と出会えた。

就活に突入する学生たちよ。
一流企業に入ることだけが人生の最終目標ではあるまい。
食い扶持を稼ぐ場所なんて、どこだっていいのだよ。
富貴を求めるのもけっこうだけど、こんな古諺だってありまっせ。
    立って半畳寝て一畳、天下とっても二合半
そういえば渋谷宮益坂に元相撲取りが経営する「二合半」という居酒屋が
あって、よく通ったな。あの店、まだあるのだろうか。

毎日二合半以上飲んでいるボクなんか零細出版社を経た後、
ほぼ30年間、ずっと1人でやってきた。
カミさんも同じ。ふたりとも腕一本脛一本、ずっとフリーでやってきた。
生活は決して楽とはいえないが、福澤諭吉の「痩せ我慢の哲学」をもろ実践し、
目いっぱいミエを張って生きてきた(笑)。また曲がりなりにも娘2人をぶじ育てた。

自分をいちばん輝かせるにはどうしたらいいか。
人に負けない「something」を何か持っているか。
芸は身を助く、というが、自分が熱中できるsomethingさえあれば、
どうにかこうにか食っていけるものである。

就活なんてあまり〝大ごと〟に考えないほうがいい。
自分で選んだ道を、脇目もふらずまっしぐらに歩んでいけばいいのだ。
目の前に与えられた仕事をバカまじめにこなしていけば自ずと道は開けてゆく。
瞬間、瞬間の選択が、まぎれもない自分だけの道だ。





←この中で「革ジャン+ジーンズ姿」って
けっこう勇気要るよね←ただの「匹夫の勇」だろ!

2016年2月13日土曜日

不倫よりプリン

明治期、総理大臣や蔵相を歴任した松方正義は世に聞こえた艶福家だった。
明治天皇に、
「松方、おまえの子供は何人か?」
と聞かれ、
へい、ソロバンを拝借
と答えたという逸話がある。なんと、その数150人。
つまり〝囲いもの〟がいっぱいいて、日夜子づくりに励んでいたということだ。
半分うらやましくもあるが、すべてのお妾さんにまんべんなくサービスして回るのも、
それはそれで大変だっただろう。それでも90歳まで生きたというのだから、
絶倫だっただけでなく生命力も強かった。

松方以上に助平だったのは伊藤博文だった。片っぱしから女に手をつけ、
「箒(ほうき)の御前」の〝尊称?〟を奉られていた。箒とは女を撫で斬りにするという
花柳界の隠語で、男として最も恥辱とされたらしい。伊藤はまだ下草もまばらな
〝半玉〟まで撫で斬りにし、「千人斬り」の異名をとった。手当たり次第で見境がない。
かつて千円札の肖像になったことがあるが、「マン札でなけりゃ理に合わん
という声もあった(笑)。

つい最近まで艶福家は尊敬される対象だった。
戦前までは、関西などでは夫が妾をもつことを誇りとする風があった。
「うちの主人は働きもんやよって、お妾やら置かはる」
「うちのは新町にも北にもお妾置いてまんねん。えろう稼ぎの多い
お商売上手の旦那はんですよって。偉いと人も思いまっしゃろ」
そして正夫人とお妾さんの仲がよいと、「賢夫人」などと褒め称えられた。

        金も出来たし 着物も出来た
            そろそろ 旦那と 別れよう

という都々逸があるが、お妾は「一櫛、二帯、三小袖」といって、
これを右から左へ流せば(←昔なら質屋、今はブランド品買取店で)、高額な金に換わった。

民主党のloopy鳩山由紀夫は妾の子だ。
実父の威一郎が石橋安子と結婚する前に朝鮮人の妾に産ませた子で、
つまり弟の鳩山邦夫は異母兄弟ということになる。一説には祖父の一郎
が朝鮮人の女に産ませた子、ともいわれていて、まさに〝謎〟だ。
また一郎の実父で、衆議院議長を務めた和夫も、これまた〝箒御前〟だったという。
甲斐性持ちと呼ばれた男たちは、どいつもこいつもそろって艶福家だったようだ。

さて、自民党の宮崎謙介衆院議員が、妻の出産直前に女性タレントと〝H〟を
していたことがバレてしまい、とうとう議員辞職するハメになった。
出産に合わせて〝育児休業〟を取ると宣言していたものだが、それこそ〝意気地〟
のない結末になってしまった。不倫ではなく、プッチン・プリンでも食べていれば
よかったものを……身のほど知らずの大バカ野郎である。

ところで、世界的な歴史人口学者のエマニュエル・トッド博士は、こう言っている。
《どうも日本人は結婚ということを厳密に考えすぎるように思います。もっと気楽に
結婚して、もっと気楽に離婚してもよいように思います。そうすれば、もう少し
子供の数も増えるでしょう。これは冗談ですが、比較的経済力のある男性が、
妻以外の女性にも子供を産んでもらったら、少子化の問題などいっぺんに
解決するのではありませんか(笑)。

お妾さんは明治15年、刑法改正で非公認となった。それまでは二親等で、
妾といえども人のものに手を出せば「姦通罪」が成立した。さらに明治31年、
民法の改正で法律上は妾という存在が否定され非合法となった。

ああ、いっぺんでいい。松方正義みたいに、
「へい、ソロバンを拝借」
などと言ってみたい。男ならみんなそう思うはずだ。

宮崎議員を吊し上げ悦に入っている記者やカメラマンたちだって、
〝不倫〟の〝ふの字〟も知りましぇーん、といった朴念仁ばかりじゃあるまい。
自分の助平を棚に上げて、よくまあ正義漢面ができるなあ。

たしかにあいつは女房を裏切った人でなしのサイテー野郎だけど、
あの程度の「魔が差した経験」なら誰にだってあるだろ。
「ない!」というやつはたぶん〝タマ無しの偽善者〟だな(笑)。

あんなもの、単なる発情男の〝火遊び〟だ。寄ってたかって吊し上げるほど
のものではあるまい。この世に清廉潔白な男なんざいやしないのだから、
一度や二度の〝過ち〟くらい、許してやったらどうだ。

政治家は政治さえしっかりやってくれればいい。「臍下三寸」が暴走しようがしまいが、
それはごくごくプライベートな問題で、われわれが関知すべき問題ではあるまい。
それを言ったらヒヒ爺の伊藤博文や松方正義なんて1日とて保ちやしない。
下半身の問題は夫婦あるいは関係者が解決する外ないのである。


ああ、「蓄妾」が大目に見られていた、大らかな時代が懐かしいよ。
蓄妾は決して犬畜生の所業ではありませんぞ。





←去る10日に発売された『サライ』3月号。
第2特集の巻頭言を書かせてもらった。
ただしこのプロファイル写真(「蛮爺's」の公演風景)は、
本ブログの投稿でもおなじみの、コーヒーおたく帰山人が
いたずらして差し替えたものだ。
まったく、あの腕白おやじときたら……(笑)。







※追記
後日、この〝ゲス宮崎〟は、複数の女に結婚を
持ちかけ、「ボクの胸に飛びこんでおいで」などと
甘言を弄していたことが発覚。
「許してやれよ」と書いた不明を恥じる次第であります。
とんでもないペテン師野郎です。即刻、宮刑に処すべし!

2016年2月7日日曜日

帯状疱疹と誕生会

■2月某日
帯状疱疹にかかってしまった。
髪の生えぎわに赤い吹き出物がポツポツできたと思ったら、
首筋、胸、肩、背中の右半分に蕁麻疹のような湿疹が広がってきた。
アレルギー性の湿疹など珍しくないので、放っておいたらみるみる成長。
(これは尋常ではないな……)
ネットで症状を書きこみ検索したら、「帯状疱疹」の症状と一致している。
帯状疱疹は子供の頃にかかった水疱瘡のウィルスが神経節に潜伏していて、
数年後あるいは数十年後に突然復活するというタチの悪い病気。
ストレスや加齢などで免疫性が落ちるとかかるらしい。

ふつうは3週間~1カ月で治るらしいが、ヘタをすると皮膚症状が回復しても
痛みだけが継続して残る「帯状疱疹後神経痛」になる可能性もあるという。
とにかく皮膚の腫れも尋常ではないが、間欠的におそってくる刺すような痛み
がつらい。ボクの場合は、針で頭を数秒おきに刺されるような感じで、
思わずイタタタタ……と叫んでしまう。それもそのはず、某医者は、
「頭痛の激しさはガンの痛みに次ぐほど」と言っている。ああ、神様仏様、助けて!

■2月某日
ボクと長女の合同誕生会を銀座の『エル ビステッカーロ』で開く。
出席したのは他に女房と次女夫妻。幸い帯状疱疹は顔には出ていないので、
〝端正な顔〟を隠さずに街を歩くことができた。銀座はボクの庭みたいなもの。
久しぶりに歩いたら、やたらと中国語が耳に飛びこんでくる。
(ああ、おれの街もついに騒々しい支那人観光客の軍門に下ったか……)
気分は落ち込む一方だった。

中央通りを外れ、一筋入ったら、通りの植え込みに手を伸ばしている支那人の
おばさんがいた。植えられている赤い椿をこっそり手折らんとしているのだ。
「コラッ! 何てことをしてるんだ、やめないか! 」
かなりきつい調子で叱ったら、いったん手を引っ込めたが、
まだあきらめきれない様子だった。おそらくボクがいなくなったら、
また戻ってきて枝を折るつもりなのだろう。まったく支那人ときたら……

会食は予定どおりはじまった。
ボクと婿さんはいつものように生ビールをたのみ、その後は赤ワインにした。
料理はどれもうまい。基本はローマ料理で、ローマっ子のSabrinaを連れてきたら
さぞ喜んでくれるだろう。ボクは以前、ノロウィルスにやられ誕生会を台無しにした
前科があるので、帯状疱疹のうずくような痛みはなんとか意志力で押さえつけた。
せっかくのお祝いの席で痛みに歪んだ顔はできない。ボクはワインをガブ飲みした。
痛み止めの麻酔のつもりである。

女房と長女、そして次女夫妻とは有楽町の駅で別れた。
みな次女の家まで遊びに行くという。ボクはひとり有楽町線に乗り、
一路和光市へ。酔いも手伝ってグーグー寝てしまったのだが、
小竹向原駅で和光市直通の各停に乗り換えてくれと車内アナウンスがあった。
てっきり一本で行けると思ったのだが、西武池袋線の保谷行きに乗ってしまったのだ。

あわてて乗り換えてホッとしたのもつかの間、
(いっけねえ、網棚に娘たちからもらった誕生プレゼントを置き忘れた!)
ひと駅先の新桜台の駅で「網棚に忘れ物をしてしまいまして……」と駅員に報告。
すぐに手配してもらい、そのまま連絡先を残しひとまず帰宅した。

ほどなく新桜台駅の駅員から連絡が入った。
それらしき紙袋が発見されたという。ついては石神井公園駅に保管しておくから
すみやかに受け取りに行ってくれ、というメッセージだった。
(ああ、よかった。もしも見つからなかったら、娘たちやカミさんから総スカンを食ってしまう。
へたすりゃ、血を見るかも……)

ここでも日本に生まれてよかった、としみじみ思う。
忘れ物、落とし物がよほどのことがない限り手もとに戻ってくる。
こんなすばらしい国は世界中どこを探してもないですよ、
とわが家にホームステイする留学生たちもよく言っている。

というわけで、翌日の今朝、ボクは車を飛ばし石神井公園駅で〝ブツ〟を確保。
ホッと胸をなで下ろした。
帯状疱疹といい、支那人観光客のババアといい、網棚への置き忘れといい、
なんともついてない1日だった。でも、家族の「ほっこりした愛」を感じた1日でもあった。




←『エル ビステッカーロ』で食べた料理。
どれも実にうまかった。





photo by Akko

2016年1月25日月曜日

続・酒とバカの日々

■1月24日(日) 晴れ
午後、近所に住むDanielの一家とアフタヌーンティを共にした。
Danielはオーストラリア人で、大阪は枚方生まれの奥さんと結婚し2子をもうけている。
15歳の時から車椅子生活という彼とはふとしたきっかけで知り合った。
たまたまボクの団地の公園で子供たちを遊ばせていた彼に、ボクが声をかけたのだ。

Danielは日本語があまり得意ではない。でもそんなこと関係ない。
ボクはいつものように日本語オンリー。あっちも必死で日本語を使おうとする。
「ゆっくりしゃべってくれれば英語もOKだよ」
ホッとしたような表情を見せる。彼の住むマンションはここから200㍍くらい先。
奥さんは和光市の誇る理化学研究所の研究員で、
Danielとは豪州留学中に知り合ったという。

子供たちは幼稚園に通う長女と、まだオムツの取れない長男の「一姫二太郎」。
この2人が腕白そのもので、昨日も居間にあるバランスボールを恰好のオモチャと
思ったか、バンバンと激しく弾ませたり、ソファの上からボールめがけて豪快にジャンプ
したりと、見ているこっちは、床やテーブルの角に頭をぶつけるんじゃないかと、
ハラハラドキドキのし通しだった。
(子供のエネルギーって、ほんとうにすごいな!)
子育てをやっていた頃をしばし思い出すスリリングなひとときだった。

そして今日、買い物帰りにその腕白な長女Kの通う幼稚園の前を通りかかったら、
子供たちが元気よく園庭を走りまわっていた。そして、なんと……親分肌の彼女が、
気弱そうな男の子を庭の隅に追いつめ、首を絞めていたのだ。ボクは思わず、
「オイ、女の子に負けてどうする。男だったらしっかりしろ!」
形勢不利な男の子を思いきり叱咤したのだ。腕白娘のKはボクの顔をみとめると、
「ヘヘヘ……」と照れかくしに苦笑い。ワーイ、と叫びながら行ってしまった。
ああ、げに女は怖ろしい。


■1月某日(金) 晴れ
ボクが黒衣(くろこ)としてお手伝いした単行本が発売された。
本のタイトルは『?』。著者の前作は5万部以上も売れたヒット作で、
今回はその続編といったところ。ボクは裏方の黒衣だが、売れればやはり嬉しい。

近頃は裏方仕事ばかりだが、たまには表舞台に立つこともある。
来る2月10日発売の月刊誌『サライ』3月号(小学館)は第2特集で
「コーヒー」を予定していて、編集部から見開きで「巻頭言」を書いてくれとたのまれた。
イケメンじじいの写真付きなので、嶋中ファンはぜひ買い求め、家宝にしてほしい(笑)。


■1月某日(日) 晴れのち雪
近所にある中華料理店「Chai菜」(ちゃいさい)で、ささやかな新年会を開いた。
お相手は相棒のNICKと、同じ団地内のTさん。もとは読売新聞の記者だったが、
北大教授を経ていまは桜美林大学の教授だ。中国問題の専門家で、著書も多い。
「マオタイ酒が手に入ったから一杯やりませんか?」
誘ってくれたので、ボクはお抱え楽士のNICKを伴って参加した。

貴州のマオタイ酒は高級酒の代表で、日中国交回復時に田中角栄が
この酒でもてなされ、一躍その名を轟かせた。

原料はコウリャンで、アルコール度数は53度。匂いを嗅ぐと独特の刺激臭がある。
「こうやって一気に飲むものなんだ」
TさんとNICKは一息にあおる。楽士兼商社マンのNICKはビジネスで20回以上、
支那に渡っている。新疆ウィグル地区にも行っている。

あっちで何度も「カンペイ!」とやって杯を飲み干しているだけに、
2人ともさすがに飲み方をよく知っている。それにしてもこの酒、むせるほどに強い。
ボクは白酒(パイチュウ)はほどほどにして甕出しの紹興酒に切り替えた。

NICKは調子に乗ってガンガンやり、鉋ッ屑が燃えあがるみたいにペラペラと
舌が回転しはじめた。こうなると後が怖いので、いい加減のところで幕にした。
ああ、酒飲みは意地汚くていやだねえ……(←おまえのことだろ!


■1月25日(月) 晴れ
今日も飲み会。ここのところ飲んでばかりなので、さすがに昨日は休肝日にした。
お相手は団地仲間のYさん。病気の奥さんの介護で、大変ご苦労しているのだが、
少しばかり体が空いたので、酒の相手をしてくれとたのまれた。

ボクなんかのご相伴でよかったらいつでもOKですよ、と日頃から言ってある。
ボクとはなぜか気の合う先輩で、飲むといつも掛けあい漫才みたいな楽しい
酒になる。老々介護は互いの命を削ってしまう。たまにはバカッ話でもして
リフレッシュしなかったら体も神経も参ってしまう。

夫婦というのはふしぎなものだ。何十年も連れ添うと、一心同体みたいな境地になる。
たとえ口げんかばかりしていても、どこかで深くつながっていて、互いにしっかり
いたわり合っている。Yさんも同じ。奥さん、早くよくなればいいですね。





 

2016年1月14日木曜日

枕を高くして寝られない

ボクは寝ているとき、半分死んでいる。
睡眠時無呼吸症候群というやつで、特に酒を飲んだあとの症状がひどい。
カミさんに言わせると、〝グガー、グガー〟というケダモノじみた鼾(いびき)が、
一瞬止まり、1分くらい息をしていないのだという。

こんなときは、たいがい怖ろしい夢を見ていて、夢のなかでも海で溺れたり、
悪漢に首を絞められたりと大忙し。案の定、息ができずもがき苦しんでいる。
その苦しさといったら、あなた……、
(ああ、俺もいよいよ年貢の納め時か。案外あっけない人生だったな……)
などと、もう半分あきらめている。

しかし、しばらくすると、
「ウウ……プファーッ!」
と、突然止まっていた呼吸が元にもどる。同時に目も覚め、
(ああ、夢か……まだ生きてるようだな……ウウウ、助かったぜ)
心底ホッとするが、胸のあたりが締めつけられたみたいに苦しい。

朝、カミさんにそのことを報告すると、枕を高くして寝ているせいよ、
と言われた。生まれてこの方、いつだって枕を高くして寝ているのだが、
この無呼吸症候群の患者には、これが一番よくないという。
首が曲がったまま、すなわち気道が曲がって半ばふさがった状態で
仰向けに眠るため、呼吸に支障をきたすのだ。

ボクは寝る前に寝床で本を読む。50年来の習慣で、
ひそかな楽しみと言っていい。本は仰向けになって読むのだが、
その際、枕が高いほうが読みやすいので、枕の下にクッションを2個ばかり
重ねたりする。で、そのまま寝入ってしまうことがある。
そうなると「無呼吸」という拷問が待っている。

あの息苦しさは二度と御免蒙りたいので、カミさんのアドバイスを受け入れ、
枕を低くして寝ることにした。こんなでき損ないの男だが、まだ命が惜しい。
効果はすぐ現れた。鼾をかくのは相変わらずでも、呼吸が止まることがなくなった。
怖い夢も見なくなった。
太った人、高血圧の人は睡眠時無呼吸症候群になりやすいというが、
あの無呼吸状態はほんとうに怖ろしい。この世の終わりかと思わせる。

今年の抱負の中に、体重を5キロ落とすというのがあったが、
どうやら真剣に取り組む必要がありそうだ。がんばって痩せて首の回りの
贅肉を落とす。この余分な〝お肉〟が気道を狭めている恐れがある。

閑話休題。
正月早々、団地内を散歩していたら、顔見知りの若奥さんが
すれ違いざま、「嶋中さん、少し痩せたんじゃない? カッコいいわよ」
と声をかけてくれた。実際はそれほど痩せたわけではないのだけれど、
一時は90キロ近くあったから、その時期に比べれば10キロ強減量している。
いずれにしろ、カッコいいといわれれば悪い気はしない。

すぐその気になってしまう単純な性格もあって、その日一日、
ずっと気分は爽快だった。たとえお世辞でも褒められれば誰だって嬉しい。

ボクはこの人心収攬の「原理原則」を骨身に染みて思い知っているので、
できるだけ人を褒めるようにしている。女性には特にそうしている。
なかにはどうにも褒めようのないご面相やスタイルの人もいるが、
そういうときは、無理にでも召し物やバッグなど小物を褒める。すると、
「イヤーン、嶋中さんったら、またまたお上手なんだから」
などと照れるが、みなまんざらでもない顔をしている。

市議選に立候補するわけでもなし、愛想やおべんちゃらは無用なのだろうが、
人間関係の潤滑油と申しましょうか、人を褒める効用はこれでまたバカにできないのだ。

睡眠時無呼吸症候群の話が妙な方向へ行ってしまったが、
つまりはもう少しスレンダーな体つきになって、24時間、
ずっと楽に呼吸ができるようになりたいな、という話をしたいわけ。

そのためには枕を高くして寝ないこと。
あれをやると「苦しきことのみ多かりき」でロクなことにはならない。






←気持ちよさそうだニャン……










photo by だいさん

2016年1月2日土曜日

サブちゃんのいるお正月

昨日は麗しのSabrinaが新年の挨拶に来てくれた。
わが家はこのローマ生まれの明るい娘が大好きで、
彼女と話していると笑いが絶えないせいか、
寿命が2~3年のびるような気がする。

Sabrinaはいつになく楽しげだった。
聞けば新しいボーイフレンドができたという。
お相手はイタリア人(ローマ在住)で、以前つき合っていたフニャチンの草食系日本人
と違って、がっしりした男らしい男だという。
「お父さん(←これ、イタリアの実父ではなく私めのことなんです)みたいにカッコいい人なの」
サブちゃんは臆面もなくこう言う。
ここで日本のオトーサンは一気に相好を崩し、トロトロのフニャチンになる。

サブちゃんは絵に描いたようなイタリア人と呼ばれるパンツェッタ・ジローラモ
みたいな男がきらいだ。南イタリアのナポリ人は騒々しくていやだという。ボクが、
「サブちゃんだって南イタリア生まれだろ?」
というと、
「ちが~う。私はローマ生まれで南じゃない。イタリアの真ん中なの」
ムキになって反論する。

サブちゃんのきらうジローラモだが、彼はそんなに騒々しい男じゃない。
ボクはある女性(シンガポール人)の誕生パーティでこのジローラモと同席し、
少し言葉を交わしたのだが、彼は終始、寡黙で紳士的に対応していた。
テレビや雑誌で〝チョイ悪おやじ〟を演じてはいるが、あれはあくまで
営業上の〝顔〟で、実際は物静かで礼儀をわきまえた教養人なのである。

昨晩のディナーはすき焼き。わが家ではめったにすき焼きをしないが、
きのうはSabrinaのために和牛の高級肉を買ってきた。和牛を食べるなんて
何年ぶりだろうか。牛肉といえば、いつだってUSビーフかオージーの徳用肉ばかり。
サシの入った和牛なんぞ食べたら、さぞ胃袋がビックリすることだろう。

実はボク自身がすき焼きという料理を苦手にしている。
酒と醤油、砂糖で味つけをするせいか全体に甘口で、ボクの口に合わないのである。
それに、生卵につけて食べるというのも気色が悪い。生の卵はちょっぴり苦手なのだ。

さて、それでは飯にしようか。
その前に、まずはビールで乾杯だ。酒なら何でもある。
ビールの次は冷やした吟醸酒をワイングラスで飲もう。
香りを楽しむにはワイングラスのほうがいい。
サブちゃんはチーズと辛いものが苦手だが、お酒は大丈夫。
日本の梅酒が大好きというから、自家製の梅酒もロックで出してやった。

つい数カ月前、仕事でイタリアに行き、ローマの実家にも寄ったが、
年々、治安が悪くなっているのを感じるという。昼間でもローマの街中を
歩くのが怖いというから事態は深刻だ。ひったくりが異常に多いから、
袈裟懸けにしたバッグは身体の前にもっていき、両腕でしっかりガードする。
レストランで食事中も、ハンドバックは両膝の上に必ず置くという。
椅子に掛けたりすると、一瞬のうちにもっていかれてしまう。

そこへいくと日本はまだまだ安全ね、とSabrinaはいうのだが、ちょっぴり淋しそうだ。
自分の生まれ育った街が、ちょっとずつ変質していることが悲しくてならないのだろう。
フランスのAlexiaも同じような嘆きを口にしているから、いろんな意味で生活の安全が
脅かされている現実をひしひしと感じているにちがいない。
2016年も波乱の年になりそうだ。
みなさん、良いお年をお迎えください。










photo by my daughter

2015年12月31日木曜日

来年の抱負を一席

今年も余すところあとわずか。
次女が嫁いだり、留学生がとっかえひっかえホームステイしたりと、
いろいろあったが、やはり次女の結婚が最大のエポックだったような気がする。
最愛の娘を嫁に出すというのは勇気が要ることだし、エネルギーも要る。
今はただただ娘夫婦の幸せを祈るばかりだ。

さて感傷にひたってばかりいてもしかたがないので、来年の抱負を箇条書きにする。
たぶん酒ばかり喰らっていて、そのほとんどが実現されないとは思うが、
あんなことをやってみたい、こんなこともやってみたいと目標を立てることは、
それはそれでいいことなので、ランダムに挙げてみることにする。

●斉藤和義の『ずっと好きだった』の高難度ギターテクを完全マスターする。

●他人の本ばかり書いていないで、たまには自分の本も書く。

●歌って踊れるマルチな物書きをめざす。

●速球にさらに磨きをかけ、若い頃の最速(128キロ)を超える。

●腹筋・背筋・体幹を鍛え直し、「25㍍・バタフライ」で16秒台をめざす。

●膝の負担を減らすため、体重をあと5キロ落とす(現在78㎏)。

●今年同様、留学生を積極的に受け入れる。ただし日本文化に興味を持つ♀に限る。

●poorな英会話能力をせめてfair(まあまあ)くらいのレベルにもっていく。

●ボクに憧れるグルーピー(60~70代♀)の年齢層をせめて40~50代に若返らせる。

●休肝日を年に数回はつくる。

●日本を貶めようとする〝左翼反日分子〟は徹底して叩く。

●反日を国是とする支那と韓国には、あらゆる機会をとらえて反撃する。

●朝日・毎日を中心とする左翼反日メディアに対しても攻撃の手をゆるめない。

●女房をいままで以上に大切にする(←なんか唐突でわざとらしいんですけど……)。

●稼いだカネは生活費を除き、その大半を本代と酒代に費やす。

●友達は兄弟以上に大切にする。

●健やかに暮らしていられることを神仏に感謝する。

●親の墓参りだけは欠かさない。

●足るを知り、いたずらに他人を羨まない。

●むやみに人を殴らない。殴りたくなったら、一拍おいてまず深呼吸する。

●しかし、いざという時のために「戦える肉体」は常時キープしておく。

●米国TVドラマ『NCIS』のギプス捜査官のようにカッコいいおじさんになる(プッ)。

●同じく『NCIS』のジヴァ捜査官のような強くて可愛い女を道端でひろってくる(バカ)。

●ユーモア精神を忘れずに、それもちょっとブラックなやつを。

●金銭に恬淡たるべし(ただし、来るものはこばまず)。


さて元旦にはローマっ子のサブリナが遊びに来る。
大嫌いだというチーズを出して歓迎してやろう。





2015年12月29日火曜日

孫に背中を見せてはいけない

暮れも押しつまった時期に起きた陰惨な事件。
千葉県君津市の民家で老夫婦の遺体が見つかった。
殺人容疑で逮捕されたのは夫婦の孫で、県立高校に通う17歳の少年だった。
少年は、「祖母、祖父の順に襲った。その後、自宅でテレビやビデオを見ていた」
などと、悪びれもせず淡々と話しているという。

祖母には背後からツルハシで襲いかかったが、当たらなかったのでナイフで刺し、
異変に気づいた祖父とはもみ合いになったが、倒れた祖父の頭部をツルハシで
一撃しトドメを刺した。祖母は背中を刺され脊髄を損傷したことによるショック死、
祖父は脳損傷などで死亡した。可愛がっていた孫に背後から襲われるなどとは
夢にも思わなかったであろう。その無念、絶望……察するに余りある。

少年は、
ストレスを解消するため人を殺そうと思った。誰でもよかった
「通行人を殺そうと思ったが、逃げられるかもしれないので身内にした」
などと供述しているという。

人を殺してみたかった……

ここ数年、こんな些細な動機で人を殺める事件が相次いでいる。
2000年、愛知豊川市で17歳の少年が主婦を殺害
2014年、名古屋大学の女子大生が主婦を手斧で襲い、マフラーで首を絞めた
2015年、東京は五反田駅の路上で33歳の男が通行人を包丁で刺した
彼らはそろって「人を殺してみたかった……」と供述している。

昔は「尊属殺人」は重刑で、「死刑または無期懲役」だった。
が、いまは日本国憲法第14条「法の下の平等」に反するとして、
その重罰規定は事実上ほとんど死文化している。
ボクなんか「尊属殺」の規定復活を強く望んでいるのだが、
憲法違反といわれてはどうにもならない。

人を殺してみたい、とする衝動はどのようにして起こるのだろう。
「極楽願望」の強いボクはクモ1匹殺すのもためらうほどなのだが
←芥川の読みすぎそのくせゴキブリは平気でひねりつぶす)、
名大の女子大生などは殺人を犯した後、楽しげに「ついにやったーっ!」
などとツイートしていたというから、悔悟の念などかけらもないのだろう。
なんともはや、今どきの若者ときたら、その心底がさっぱりつかめない。

ボクにはまだ孫がいないが、孫に襲われるような世の中では、
サッカーの澤選手の名セリフ《苦しいときは私の背中を見て!》などとは
軽々しく言えない。おちおち背中も見せられやしない。

超一流のスナイパーであるゴルゴ13こと、デューク東郷は、
絶対に他人に背後をとらせなかった。
俺の後ろに音もたてずに立つようなまねをするな!
彼はそう言うと、問答無用で殴り飛ばした。
彼にとっては「自分の背後をとられる=死」だからだ。

ゴルゴ13を敬愛するボクも、彼同様、用心深い性格で(というより臆病)、
電車の中などでも周囲に不審な人間はいないか、といつも眼を光らせている。
不起訴にはなったが(←悪人ばらを成敗しただけ)、傷害罪で捕まっているだけに、
もう二度とこちらからは先に手が出せない。正当防衛は認められるだろうが、
先手必勝の極意を実践できないため、自ずと用心深くならざるを得ないのだ。

もしボクに孫ができたら、必ず言い聞かせることにする。
「おい坊主(♀も同様)、おじいちゃんの後ろに音もたてずに立つようなマネをするなよ」






←孫にもこんなセリフを言わなくてはならない
なんて、いやな世の中になったもんだねえ……

2015年12月26日土曜日

恥は掻き捨てるにかぎる

毎週日曜日は「キャッチボールの日」である。
現在、メンバーは8名。全員が集まることはめったにないが、
都合のつくものたちが近くの小学校の校庭に、三々五々集まってくる。

創設メンバーはボクとシモちゃん。団地の管理組合で知り合った仲で、
キャッチを始めてもうかれこれ8年になる。数年後、やはり管理組合で
知り合ったトミさんが加わり、ずっとこの3人でやってきた。3人ともに
飲んべえで、キャッチのあとの〝反省会〟がまたお楽しみであった。

「反省会」といってもキャッチの上達に資するようなことは何もやっていない。
近所のコンビニで缶ビールとつまみを調達し、これまた団地内のちっちゃな
公園のベンチで、ビールを飲みながらバカッ話に花を咲かせる。
ただそれだけである。
反省とは、つまりこうした愚かな生き方を深く〝反省〟する、ということなのだ。

キャッチボールのどこが面白いのか――あんなもの、ただボールを投げて受けて、
そのくり返しじゃないの、と言うものがあるが、全然分かっておりませんな。
キャッチボールはいわば精神のエクササイズで、あれで立派な〝哲学〟なのですよ。
『強い父さん、賢い母さん』参照

サラリーマンのシモちゃんとトミさんは、
「キャッチのあとに一杯やり、バカッ話で大笑いすると、なんかこう、
いやなことを忘れて、明日からまたがんばろうって気になるんだよな……」
なんて言っている。8年も続いているのは、案外そんなところに理由が
あるのかもしれない。

シモちゃんは今夏、会社帰りに同僚と酒を飲み、しこたま酔っぱらったあげく、
二人してタクシーにはねられ、入院してしまった。同僚は腰の骨を折り、
シモちゃんは頭部を激しく打って脳の髄液が流れ出そう、というところまでいった。
一時は再起不能かと囁かれもした。

しかし、われら飲んべえ仲間の想いが天に通じたのか、シモちゃんは奇跡的に快復。
しばらく運動と酒は医者から禁じられていたが、ようやくお許しが出て、いまは
以前と同じように投げたり走ったりしている。飲酒も完全復活だ。

友達というのはいいもんだ。
遠慮なく何でも言い合える仲というのはそうそうあるもんじゃない。
互いに「ああ、こいつも俺と同じバカなんだな」と、どこかで共感し合えないと
なかなか真の友達にはなれないものだ。

オトコという生き物は、大したことがない割には変に誇り高く、
ちょっとした物言いに傷ついたりする。見かけによらずナイーヴなのだ。
だから、遠慮せずズケズケものを言い合ってはいるのだが、心臓にグサリと
刺さるような言葉だけは微妙に避けている。「寸止め」が肝心なのだ。
その適正な間合いが大事で、こればっかりは年の功でつかむしかない。

裃を脱ぎ、変なプライドを捨て、徐々に〝オバサン化〟していくことが幸せへの道
とボクは何度も「オジサンの生き方」について語ってきたが、
多く不器用でつぶしの利かないオジサンたちは、いまだに定年後の生き方に
逡巡している。

「そのカミシモ、さっさと脱いじゃったら?」
ボクはしかつめらしい顔をしたオジサンを見ると、つい声をかけたくなってしまう。
すでに〝80%オバサン化〟しているボクからみると、面子だとかプライドに
こだわって身動きできないオジサンたちが歯がゆくてしかたないのだ。

かの坂本龍馬も言っている。
恥ということを打ち捨てて世のことは成るべし》と。
ボクなんか本も書いているが、恥だって負けないくらいかいている。
どう転んだって聖人君子にはなれないのだから、それでいいのですよ。
迷えるオジサンたちよ、キャッチボールに興じながら人生を考えてみませんか。






←キャッチをしながら、そこはかとなく
人生を考えてしまう〝三バカ大将〟
の面々。

2015年12月19日土曜日

MIRAIプログラム

昨日からスロヴァキア人の女性をあずかっている。
名前はソーニャ。172㎝の長身で、金髪の美人である。
妹のペトラは180㎝、会社を経営している父親は197㎝、
ソーニャの従兄弟は2mを超えている(2.07mでジャイアント馬場と同じ)というから、
揃って巨人ばかりの一族だ。ソーニャもがっしりした体形で、
聞けば3年間女子ラグビーをやっていたのだという。

ソーニャは日本政府肝煎りの対日理解促進プログラム「MIRAIプログラム」の
一環として初来日した。この人的交流プログラムは世界各国からおよそ5700名の
大学生や大学院生を招聘し、親日派・知日派を増やすことを目的としたもので、
今回は欧州各国から150名が参加した。スロヴァキアからは彼女だけ。国際法を
学ぶエリートで、母親も弁護士をしているという。

もちろん日本語はサッパリだから会話はすべて英語。彼女の英語はexcellentだが、
われらジジ&ババのそれはpoorそのもの。あわや無言の〝行〟が始まるのかと
思いきや、どういうわけかブロークンながらペラペラと言葉が飛び出してくる。
ソーニャもまずはひと安心といった面持ちだ。理由はよく分からないが、
たぶん〝ガイジン慣れ〟してきたからだろう。間違った英語でも少しも恥ずかしい
と思わなくなった。ここは日本だものね、なんの引け目があるものか。

昨夜のディナーはいつものように鍋。嶋中家は冬になると鍋料理ばかり食べてる、
と嫌みを言った友がいたが、たしかにわが家は棚卸しのできる鍋が好きだ。野菜が
たっぷり摂れるのもうれしい。トマーシュは高校生だったからお酒は飲ませられ
なかったが、ソーニャは23歳だから酒の相手をしてもらえる。というわけで鍋を
つつきながらビールやワインをグビグビやり、大いに盛りあがった。

今朝は全員6時に起きた。日帰りながらソーニャは名古屋へ視察に行くのだ。
見学するのはトヨタ産業技術記念館やのりたけの森といったところ。もちろん
名古屋城も見る予定だ。

今夜は娘2人も助っ人に駆けつけてくれるから、にぎやかな夕べになりそうだ。
ディナーは「手巻き寿司」の予定だが、seaweed(海藻)が苦手と言っていたから、
さてどうなることやら。一方でraw fish(生の魚)は大丈夫とも言っていたから、
ま、なんとかなるでしょう。必要以上に相手の都合に合わせない、というのももてなしの
コツだ。要はホスト側のふだんの生活を見せればいいわけで、食事だってふだん
食べているものをそのまま出せばいい。

初日、ソーニャは玄関から靴を履いたまま上がりこんでしまった。
日本では履き物を脱ぐと頭で分かってはいても、いざその場になると
コロッと忘れてしまうらしい。アメリカから次女の世話になったホストファミリー夫妻が
来日したときも、奥方のテレサはヒールを履いたまま上がりこんでしまった。
ソーニャはすぐに気がつきI'm sorryを何遍もくり返し平謝りだったが、
その懸命なしぐさが妙におかしかった。

ケチ臭いことはあまり言いたくないが、国の血税を使ったプログラムなのだから、
寝る時間を惜しんででも大いに学んでいってほしい。そして日本のことを好きに
なってほしい。
「日本はどこもきれい。道にゴミがひとつも落ちてない」
ソーニャの日本の第一印象はこれだった。アジアでは他にスリランカへ行ったことが
あるらしいが、日本はまったく別世界だとも言っていた。

彼女は疑問に思ったことはすぐ質問する。これが嬉しい。
「日本とヨーロッパはすべてが逆なような気がします」
欧州とはまったく別の文化・文明圏が地球の反対側にあるのだ、
ということを分かってもらえただけでも嬉しい。
何年後かは分からないが、彼女とはまたいつか会えるような気がしている。


←娘たちと語らうソーニャ。
かなり裕福な家のお嬢様なのか、
第一印象は「躾の良さ」だった



2015年12月1日火曜日

信州お笑いの旅

週末を利用して信州へ1泊旅行に行ってきた。
今回は娘婿も加わった総勢5名の陣容だが、なにしろ自家用車が1500㏄の
コンパクトカーなので、はたして山道が走れるかどうかが心配のタネだった。
婿は元早大アメフト部出身で、100キロ超級の大男。ボクと2人合わせると
200キロを超えてしまう。番犬代わりにすればこれほど頼もしい男もいないが、
飯をたらふく喰らうのが、これまた悩みのタネだった。

女3人寄ると〝姦(かしま)しい〟というが、後部座席の女3人は最初から最後まで
しゃべりっぱなしで、たわいのない話に盛りあがってはケラケラと笑っている。
特に長女は〝お笑い系〟の典型で、次女がボケなら長女はツッコミ、
身ぶりや顔の表情が大ぶりだから、つい笑わされてしまう。

「ネパールでは2人の男から求婚されちゃってね、あんまりしつこいから
適当にAのほうが好きといったら、Bがガックリきちゃって、AとBは友だち
同士なんだけど、互いに口を利かなくなっちゃった(笑)……」

長女はどこかの国へ行くたびに求婚されているようで、それも揃って大金持ちだ。
「日本じゃまるっきりもてないけど、異人さんにはもてるんだよねェ……」
何ごとにもアグレッシブで、自分の意見はハッキリ言うような欧米型の女だから、
気の弱い日本の男どもは気後れしてしまうのだろう。

さて、わが家では旅行計画を練るのはカミさんの役目。
ボクはその手の面倒な計画を立てるのは大の苦手なので、
必然的にお鉢が女房に回っていってしまう。

カミさんはヒマワリみたいに明るい性格で、飛び切りのおしゃべり好きだから、
婿さんが初めて参加する今度の旅行はずっと楽しみにしていた。
毎日、原稿書きに追われ、1年365日、ほとんど休みなく働いているのだから、
女房にはこうした息抜きが絶対的に必要なのである。

だから、車中でも食事中でも、また旅館に落ち着いてからも、
のべつまくなしおしゃべりに興じ、腹を抱えて笑っている姿を見ると、
何やらこちらもホッとする。やはりそこは母子、遠慮のない軽口が飛びかい、
婿もつられてついニヤニヤしてしまう。なかなかいい雰囲気だ。

江戸後期の歌人、橘曙覧(たちばなのあけみ)はこんな歌を詠んでいる。

    たのしみは 妻子(めこ)むつまじく うちつどい
                   頭(かしら)ならべて 物をくふ時



キャピキャッピ言い合いながら飯を喰うのはほんとうに楽しい。
幸せというのはそんなささやかなひとときに感じられるものらしい。
今月半ばにはスロヴァキアから新しい留学生(♀)が来る。
わが家には2泊3日の短期滞在だが、望むらくは明るい子がいい。
手巻き寿司を楽しんだり鍋をつついたり……いい思い出ができそうだ。




←長野・東御市にある海野宿(うんのじゅく)。
日本の道百選の宿場町だ。会津の大内宿
ほどの賑わいはないが、しっとりとした風情が
旅情をかきたてる

2015年11月17日火曜日

八百万の神が世界を救う

あの日、フランスはリヨン大学に通うAlexiaに心からの哀悼の意を伝えた。
そう、パリ同時多発テロがあった日である。
幸い彼女の親族や知人に被害者はいなかった。

Alexiaとは4カ月前に別れたばかり。夏休みを利用して日本に〝里帰り〟し、
ボクとNICKが組む「蛮爺's」の舞台もかぶりつきで観てくれた。その彼女も、
「フランスはこれからもっともっと悪くなる。悲しいけど、それが現実だね」
とフランスの将来にはひどく悲観的だ。別に人種差別主義者ではないけれど、
イスラム文化に浸食されつつある今のフランスには大いに不満なのだという。

預言者ムハンマドの風刺画を掲載したシャルリー・エブド紙がテロの襲撃に
あった事件は記憶に新しいが、ムハンマドが実は同性愛者だった、
などと侮辱する程度ではまだ生やさしい。ダンテの『神曲』には、主人公(ダンテ自身
が地獄めぐりをした際に、一人の亡者に会ったとある。
《この亡者、上は頤(おとがい)から下は臭い音を発する部分まで唐竹割り。はらわたは
両脚の間にぶら下がり、内臓は丸見え、、呑み込んだものを糞にする不浄の囊(ふくろ
もまた……》

この真っ向唐竹割りになった亡者こそムハンマド(マホメット)で、地獄に堕ちた理由は、
「神の言葉でないものを神の言葉と偽り、多くの人間を欺いた罪」
なのだという。つまり、世界中におよそ16億人もいるイスラム教徒は
ムハンマドという宗教的ペテン師にだまされた大バカ野郎という理屈になる。
キリスト教徒は多かれ少なかれ、イスラム教徒に対してはこんなふうに思っている。

一方、神の言葉を書きとめたとするコーランには、ユダヤ人は猿と豚の子孫と書いてある。
サウジアラビアのモスクでは今もくり返しそう教えられているというから、
アラブ人とユダヤ人の対立の根は深い。いや、キリスト教徒とユダヤ教徒との
対立はもっと根深い。

かつてのナチのホロコーストを思い起こしてほしい。
ヨーロッパでは約600万人のユダヤ人が殺された。
その中には150万人の子供たちも含まれている。
アンネ・フランクは教会にかくまってもらえなかった。ユダヤ人だったからだ。
一方、映画『サウンドオブミュージック』のモデルとなったフォン・トラップ一家は
キリスト教徒ゆえに教会にかくまってもらった。口には出さぬが、
キリスト教徒はみんなユダヤ人をきらっている。

1917年、イギリスのバルフォア外相がパレスチナにおけるユダヤ人国家の建設を
約束している。これが有名な「バルフォア宣言」だ。最初の提案では
パレスチナではなくアフリカのウガンダに建設するはずだった
しかし約束の地がアフリカの奥地ではユダヤ人が集まりっこない。で、結局、
パレスチナの地に決まった。なぜ約束したかというと、時は第一次世界大戦の
まっ最中である。戦争をしている当事国としてはどうしても潤沢な戦費がほしい。
実のところユダヤ教徒のことなどどうでもよかった。金持ちのユダヤ人たちを味方に
つけ資金を援助してもらいたかっただけだ。

そもそもシリアの内戦は宗教問題が発端だ。アサド政権はアラウィ派(シーア派の一派)
で、多数派のスンニー派と対立している。その間隙にイスラム国がつけこんで内戦に
火がついてしまった。

欧米人は「イスラム教徒は内輪もめばかりしているテロリストども」などと思っている
ようだが、なに、それはお互いさまで、歴史的に見ればキリスト教徒同士の醜い争い
のほうが激しかった。たとえば「聖バルテルミーの虐殺」(1572)がある。
フランスのカトリック教徒が〝ユグノー〟と呼ばれるカルヴァン派のプロテスタント
を大量虐殺した事件で、犠牲者の数は1~3万人、最大10万人ともいわれている。
女子供もみさかいなく殺し、バラバラにされた死体はセーヌ川に投げ込まれた。

イスラム過激派の自爆テロは残酷だ、とだれもが非難する。
世界貿易センターに突っこんだテロリストたちも、今回、パリで同時多発的に
無差別殺人をおこなったテロリストたちも、誰ひとりとして死を恐れていない。
「神は偉大なり!」と叫びながら自爆していった。

コーランの教えでは、異教徒を殺して殉死するものは即、
天のパラダイスに行って72人の処女を抱けるとある。
テロリストが女性の場合は童貞の男の子を抱けるのかどうかは知らないが、
男なら「72人の処女」を慰みものにできるという。ずいぶん豪儀な話だ。
でも、もう死んじゃってるんだもの、そんな元気があるのかしら。
死んでも安眠できず閨房(けいぼう)で酷使されるなんて、イスラム教徒の男もつらい。
↑実際はコーランにもハーディス(コーランの解説書)にもそんなこと書いてないらしい。ガセネタか?

さてムスリムに同情しつつも、ボクはいつも「イスラムの停滞」について考えてしまう。
十字軍に攻められていた時代は、アラブの文明のほうがヨーロッパより数段上だった。
しかしヨーロッパ社会は15世紀あたりから600年かけて徐々に成熟していった。

一方、イスラム圏はアッラーの神による〝個人の安心立命〟のみを優先した。
どうやって飯を食っていくのか、ということがアラブの世界では高度に社会化しなかった。
まだ石油が出るからいいが、大昔はともかくアラブから文明世界における科学や
テクノロジーはいっさい生まれていない。それはそうだろう。科学実験で失敗しても
「すべては神の思し召し」というのでは、科学する心や向上心など育ちようがない。

ボクたち無神論者は、
「21世紀にもなって、まだアッラーの神かよ」
などと、つい小バカにしたくなってしまうものだが、
世俗主義(政教分離主義)を排斥している限りは、
アラブの停滞は今後もつづくことだろう。

ユダヤ教にしろ、キリスト教にしろ、イスラム教にしろ、
一神教の原理のもとでは、互いの正義が異なるため、ささいなことで殺し合いに
なってしまう。生命尊重の原理より正義が優先してしまうためだ。

日本はどうかというと、ジブリの『もののけ姫』や『千と千尋の神隠し』を見るまでもなく、
八百万(やおよろず)の神が跋扈する多神教の世界で、クリスマスだろうとハロウィンだろうと、
なんでもかんでもお祭りにしてしまう。そこには七面倒くさい教義も正義も存在しない。
節操がないといえばそれまでだが、なぜかみんな楽しく暮らしている。

宗教戦争などというものは絶えて久しい。←その昔、「天文法華の乱」なんてのがあったっけ
一神教社会の重苦しさに比べ、多神教社会のなんと自由なことか。
日本人のこの〝いいかげん(好い加減)〟な宗教観が、世界平和を実現するカギでは
ないのかと、近頃はそのことばかり考えている。みなさんはいかがお考えですか。






←この節操のない多神教の世界が
世界を救う、と思うのですがねえ……


2015年11月10日火曜日

「とか弁」より「ドカ弁」

言葉は時代とともに変化していくものというのは分かります。
現代日本語を平安時代の紫式部が耳にしたら、何を言ってるんだかサッパリ
分からないでしょう。とりわけ若者言葉というのは、いつの時代にあっても年長者
を悩ませるものです。

とか弁」はいまも健在です。
「テレビとか見ますか?」
「会議とかやるんですか?」
少しは馴れましたが、時にイラッとして「テレビとか、じゃなくてテレビを、だろ?」
とたしなめてやりたくなります。

ていうか」「みたいな」「だったりして」もイライラさせられる言葉です。
「あの娘かわいいっすよね、てゆーか、すっげェ美人じゃないっすか?」
「首相の名前のほうとか知らなくても生きていけるじゃないですか、みたいな」(朝日新聞より
かとおもうと、
「てめえ、ぶっ殺されたいのかよ、みたいな」
と、過激な言葉の後に「みたいな」を付けると、すべて赦されてしまうみたいな……(笑)。
頭の堅いボクにとっては若者言葉でいうところの、「意味わかんなーい」であります。

これら語尾がのびて要領を得ないしゃべり方は、専門家に言わせると、
摩擦回避型」というのだそうで、ものごとを断定せず、それとなくはぐらかす効果が
あるといいます。なぜそんなしゃべり方をするかというと、相手に本音をぶつけてしまうと、
お互いに傷ついてしまう。だから本音は言わず、表層的なやりとりでなんとかその場を
取りつくろう。若者同士の薄っぺらで希薄化した人間関係がこうした表現法を生みだした
のだろう、というのです。

ボクみたいに何でも断定調で言い切り、他人との摩擦などいっこうに気にしない人間
にはサッパリわかりません。たぶん心が弱いために、他者との軋轢を必要以上に
恐れているためだと思われます。そういう軟弱な人間は、ラグビー日本代表の
五郎丸選手でも見習ってキン肉マンのようにたくましくなることです。
福澤諭吉は言いました。
先ず獣身を成して後に人心を養え》と。
若者はすべからく「ドカ弁」を喰らい強健な身体を育成すべし。
英語で言うところのA sound mind in a sound bodyでしょうか。
そうすれば「とか弁」とかとおさらばできます(笑)。

意味わかんなーい言葉はまだまだあります。
最近よく耳にするのが「~てございます」という言葉。
政治家や役人、ビジネスマンがよく使っています。
「ただいま検討してございます」
「検討しております」というのをより丁寧に言ったつもりなのでしょうが、
どこか違和感をおぼえます。

ボクは「検討しております」あるいは「検討中でございます」で十分だと思うのですが、
それでは物足りないと思うのか、不必要なくらい丁寧にしたがります。
政治家などは〝無脳〟なせいか、国会の質疑などでよく、
「検討しておるところでございます」などとクドい言い方をしていますが、
なぜ「検討中でございます」ではいけないのか、そこのところがよくわかりません。

「動詞連用形+てございます」は昔の小説などにも出てくるようです。
藤村の『夜明け前』には、
《お塩で味がつけてございます》
というセリフが出てきます。

しかし、
「名産品を用意してございます」
「商品は多数在庫してございます」
「こちらの席が空いてございます」
「考えてございません」
などとなると、どうもしっくりきません。
「こちらの席が空いております」「名産品を用意しております」のほうが
数段スッキリすると思うのですがねえ。


←南ア戦での最後のトライ。
トライしたヘスケスは数秒前、
スクラム組んでいる時に尻が
めくれてしまっていた。
意外ときれいなお尻だった。
それにしても〝獣身〟というのは
カッコいいねえ。男はこうでなくちゃね。
見てよ、このたくましい二の腕と太もも、
男はやっぱ筋肉よ←意味わかんなーい!

2015年10月30日金曜日

ハロウィーンって何なのさ!

明日はハロウィーンなので、混乱を見越して渋谷の街にDJポリスがご出座なのだという。
年々、騒ぎが大きくなっていく感じで、ハロウィーン商戦のマーケットは、近くクリスマス
を抜くだろうといわれている。

テレビのニュースなどでも原宿の街をのし歩く仮装した若者たちを取りあげている。
魔女だとかゾンビだとか、うすっ気味わるい格好をした若者たち(=バカ者たち)が、
ひたすら目立ちたい一心でノーテンキに歩いている姿は、「この世の終わり」を思わせる。
日本人も堕落したものだ。

ボクは現代の遺物といわれるくらい「頭がかたい」人間なので、あのような無教養
そのもののバカ騒ぎを見ると、彼らの頭上から数機のドローンを使ってドロンとした
糞尿をぶちまけたくなる。あの連中は真正の日本人じゃない。靖國の英霊たちは
あんなうすらみっともない連中を守るために死んでいったのではないのだ、
と声を大にして叫びたくなる。←頭堅すぎ!
何がハロウィーンだ、何がTrick or Treatだ、バカバカしい。

そもそもハロウィーンの原型は古代ケルトの祭りである。ケルト人にとっては
毎年10月31日が1年の終わりで、夏の終わりでもあった。この31日には、死者の霊が
家族を訪ねてくるという。なんだか日本のお盆に似ている。しかし霊といっしょに悪霊
なども這い出してくるので、その悪霊を追い出す儀式が、現代の「ジャック・オー・ランタン」
などにつながっている。すなわちカボチャの中身をくりぬきお化けのような顔にする
あのランタンである。

物の本によると、「古代ケルト+古代ローマ+キリスト教」が現代のハロウィーンに
つながっているというのだが、いずれにしても日本人にはまったく関係がない。
あえて言えば古代ケルトの血を引くアイルランドやスコットランド、ウェールズと
いったところの祭りだろう。

クリスマスだって関係ないんだから堅いこと言うなよ、といわれればたしかに
そのとおりで、何でもお祭りにしてしまうこの無節操さが、日本の平和を保っている
としたら、あの〝バカ者たち〟だって少しは生きる価値があるのかもしれない。
しかしねェ、ハロウィーンは単なる〝仮装行列の日〟ではないのだけどね。

日本人はとにかく節操がない。特に宗教に関してはまったくの無節操で、
仏教でも神道でもキリスト教でも、なんでもごちゃ混ぜにして澄ましている。
イスラムから見るとほとんど「日本人は狂っている」としか思えないだろう。

しかしデタラメで節操がなく、何でもかんでもお祭りにして騒いでしまえ、という精神が、
宗派の違いで血を流し合うガチガチの一神教などより争いのない平和な社会を
つくり得るとしたら、いったいどういうことになるのか。
なんだか仮装したマヌケ面のバカ者たちが、神々しく見えてくるではないか。

そうか、あのゾンビや魔女に扮したあのバカ者たちは平和の使者だったのか。
現代の遺物であるおじさんも、いっしょに行列に加わろうかしらねえ。



さて、数時間前、ネパールで10日間の震災支援ボランティアに参加してきた長女から、
ぶじ羽田に着いたと連絡があった。父親としてはまずはひと安心だ。
メールには強烈な陽射しのおかげで肌がカッサカサになったと書いてあった。
でも父としてはこう思うのだ。
「A子よ、おまえさんのカッサカサの肌こそ美しいのだよ」
と。ああ、親バカちゃんりん、そば屋の風鈴か……

明日(31日)にはトマスもチェコから帰ってくる。




←娘が撮った機上からの写真。
きれいに富士山が写っている。





2015年10月27日火曜日

江戸っ子・ピアフ熱唱

●10月24日(土)
知人のKさん(♀)が米寿を迎えるにあたり、記念にシャンソンを披露しよう
ということになった。シャンソンはもう17年のキャリアだという。会場は
練馬区大泉学園町にある「花あそび」という小粋なカフェ。そこのマダムの
肝煎りで、半日貸し切りのパーティをやることになった。
 
Kさんに伴奏をつけるのはわが「蛮爺's」の〝蛮〟担当のNICKだ。
いつもはジャズばかり弾いていて、シャンソンの伴奏は初めてだという。
4時開演の前に、わが家で1時間半ほどKさんを特訓した。これが2度目のレッスンである。

本番の出来はすばらしいものだった。NICKも感心するほどの出来栄えで、
Kさんも満足そうだった。曲の合間のスピーチで、
あたしはエディット・ピアフならぬ〝江戸っ子・ピアフ〟ですから
とやって、会場を沸かせた。深川生まれの深川育ち。ちゃきちゃきの江戸っ子
だからか、実に気っ風がいい。「蛮爺's」も最後に歌を披露、風邪ッぴっきだから
ムリかと思ったが、なんとか咳き込まずに歌い終えた。

Kさん、素敵でしたよ。それにとてもおきれいでした。
Sさん、ウィットの効いた司会、とてもgoodでしたよ。


←大泉学園のKさんのご自宅でレッスンをつけるNICK。
さすが4歳のみぎりから身につけたテクニックだ、
シャンソンでもみごとな伴奏ぶりだ








●10月25日(月)
トマーシュの祖父が危篤だというので、急遽、チェコに一時帰国させた。
マレーシアから来たアシュレーの祖父さんもやっぱ危篤だというので、
彼女もいま国へ帰っている。海の向こうの「晩爺's」は〝危篤〟づいているようだ。


トマーシュは相変わらず薄い掛け布団一枚にハダカで寝ているから、
とうとう風邪をひいてしまった。「あれほど言っただろ!」と、ボクは叱った
のだが、暖かい寝具を用意すると「要らない」という。欧米人はハダカで寝る、
というのはよく聞く話だが、風邪をひいちまったら元も子もない。

おかげでこっちも風邪をうつされてしまい、ひどい目にあっている。
熱はないのだが、咳がひどく、夜中じゅうゴホゴホやっているから、
喉と胸のあたりが痛い。今月末が原稿の〆切だから、泣きっ面に蜂だ。

●10月26日(月)
昨日、毎日新聞出版の週刊『エコノミスト』の編集記者がボクの取材に来た。
コーヒーについて原稿を頼まれたのだが、単行本の〆切を抱えていて四苦八苦の
状態でとてもムリですと断ったら、それじゃあインタビューだけでもと、
わざわざ和光市まで足を運んでくれた。

ボクの『コーヒーに憑かれた男たち』と『コーヒーの鬼がゆく』を読んだだけでなく、
ブログものぞいてくれたらしく、ボクのお腹を見て「なるほど腹筋を鍛えておられる」
と褒めてくれた。ボクが腹筋、背筋、体幹を鍛えているという話を書いたものだから、
さりげなくその話題にふれたのだ。また実際、咳き込むたびにエビ反りになるから、
いやでも腹筋背筋が鍛えられているのかもしれない。ゴホゴホ……

ボクは朝日、毎日新聞ぎらいと日頃から公言しているが、
なぜか両紙からの取材が多い。また友人もいる。
「ブログでいつも悪口を書いてますよ」と事前に言ってあるのだが、
ニヤリと笑うばかりだ。政治の話をするわけではないので、関係ないのだろう。

いずれにしろ、わざわざ草深き田舎町までご足労ねがいまして、
ほんとうにご苦労様でした。


























2015年10月21日水曜日

ヒマラヤの寒空のもと、娘は……

相変わらず原稿との格闘の日々がつづいている。
ほとんど右手だけでキーボードを叩いているので、
右手首が腱鞘炎一歩手前の状態で、とても痛い。

「あんなに強く叩いてたら、誰だっておかしくなるわよ」
と、カミさんは呆れてる。ショパンのノクターン(夜想曲)を弾くみたいに、
こうやって軽やかに叩けばいいのよ、と実演してくれるのだが、
ピアノの弾けない爺さんがショパンになれるわけがない。

南米旅行から帰ってきたばかりの長女が、一昨日、また機上の人になってしまった。
ネパールで震災支援をするというのだ。ちょうど6カ月前に起きたマグニチュード7.8の
大地震。死者8460人、負傷者14398人を数え、ネパール人口のおよそ30%、800万人
が被災したという。そのネパールへ行き、外国人ボランティアにまじって家屋の修復
などの手伝いをするという。

「まだ余震もあるというから、自分の身を守ることを最優先するんだぞ!」
はなむけの言葉としては、こんなことしか言えなかった。

それにしてもなんという娘だ。
学生時代から世界中を飛びまわり、ヒマさえあればボランティアだ。
ヨーロッパでもアフリカでも、そしてもちろん日本でも。岩手・大船渡には
いったい幾たび通ったことか。深夜バスで往き、深夜バスで帰ってくる。
そして、すぐさま出勤だ。

「ひとにはやさしくしろ!」がわが家の家訓。
と同時に「悪いやつには容赦をするな!」もまた家訓だ。
その教えが効いたんだか、困っている人がいると、
まずまっ先に手を差しのべようとする娘たち。
そのやさしい心根が、親としては何より嬉しい。

PTSD(閉所恐怖症)患者のボクなんか、長時間機内に閉じこめられた状態を
想像するだけで息苦しくなってしまうが、娘は「最新映画を何本も観ちゃった」
とまるで屈託がない。どっちに似たんだか、物怖じしないというのも長女の長所か。
また根が明るい性格だから、外国人の輪の中にもすんなり入っていける。

食べものの好き嫌いがなく、バッタでもヘビでも何でも食べてしまう。
サバイバルゲームになったらすこぶる強いだろう。
こんなハッチャキ娘ですが、どこかによい婿さんはいないだろうか。
いまなら格別お安くしときますが……



←ケニアの小学校にて、
現地のこどもと戯れる長女