野坂昭如さんが脳梗塞で倒れたのは2003年、72歳の時だった。
いつものように朝帰りで、前後不覚になるくらい酔っぱらっていた。
異状に気づいた奥さんが急ぎ救急車を呼んだが、
右半身マヒ、嚥下障害、発声障害等が残ってしまった。
その後リハビリに励んだ甲斐あってか、発語こそ不明瞭ながらラジオに出演したり、
奥方による口述筆記で創作活動を再開したりと、達者なところを見せている。
ボクは若い頃からこの作家がひいきで、小説はもちろんのこと、
エッセイのたぐいはずいぶん読んできた。彼の放つめくるめくような言語世界に、
三島由紀夫と同じくらいの才能のきらめきを感じていたのだ。
月刊誌の編集をしている時、縁あって野坂さんに何度かお会いしたことがある。
気さくな人で、想像していたより立派な体格をしているのに驚いたことがある。
ラグビーとかキックボクシングで激しくカラダを鍛えていたころの話である。
でも会う時はいつも酔っぱらっていて、素面のときはほとんどなかった。
一度、深夜に日テレのスタジオまで原稿を受け取りに行ったことがある。
「11PM」というエッチな番組に生出演するから、終わるまで待っててくれというのだ。
「小林君(本名です)、すぐ終わるから、そこで弁当でも食べててくれ」
野坂さんはそう言うと、シースールーをまとった美女たちの中へいそいそと
飛び込んでいった。(いいなあ……)ボクは冷たい仕出し弁当をつつきながら、
裸同然の美女たちが行き交うハーレムのようなスタジオ内で、
猛り狂うムスコを必死になだめすかしていた。
その日、原稿はもらえなかった。
「ゴメンゴメン、ほんとうにゴメン。ちょっと手違いがあってね。
小林君。今週末、駒場のラグビー場で練習してるから、
そこまでご足労願えまいか? 今度こそお渡しするから」
勇んで行くとまたまた肩すかし。酒を飲んだりラグビーする時間はあっても、
原稿を書く時間だけはないようだった。
「ほんとうにゴメン。こんどこそ書き上げるから、次は銀座のクラブ『M』まで……」
こんなことを何度か繰り返し、ようやく原稿にありつくことができた。
〆切などとっくに過ぎている。ウソばかりつく男だが、ふしぎに憎めなかった。
さて深酒の祟りで半身不随になってしまった野坂さんだが、
さすが『エロ事師たち』の作者だけのことはある。言語聴覚士による訓練のさなか、
「野原に大きな木があります。その大きな木の下で、、野坂さんだったら何をしますか?」
と若い女性聴覚士がたずねると、
「オ◎☆コ……」
その後の質問にも、終始卑猥な言葉で応じ、
そばで奥方が笑いをかみ殺していたという。
野坂さんは早稲田大学の仏文科を卒業している。
が、周りの作家たちが大学「中退」組ばかりなのに、
「卒業」じゃどうにも恰好がつかないと、あえて「中退」で通しているという。
「そういうダンディズム、洒落っけもあるんですよ」
飲み仲間の村松友視が言っている。
ダンディなエロ爺ィか。
ボクもそう呼ばれたい。
←極端にシャイな男でありました。
でも礼儀正しい愉快な男でもありました
いつものように朝帰りで、前後不覚になるくらい酔っぱらっていた。
異状に気づいた奥さんが急ぎ救急車を呼んだが、
右半身マヒ、嚥下障害、発声障害等が残ってしまった。
その後リハビリに励んだ甲斐あってか、発語こそ不明瞭ながらラジオに出演したり、
奥方による口述筆記で創作活動を再開したりと、達者なところを見せている。
ボクは若い頃からこの作家がひいきで、小説はもちろんのこと、
エッセイのたぐいはずいぶん読んできた。彼の放つめくるめくような言語世界に、
三島由紀夫と同じくらいの才能のきらめきを感じていたのだ。
月刊誌の編集をしている時、縁あって野坂さんに何度かお会いしたことがある。
気さくな人で、想像していたより立派な体格をしているのに驚いたことがある。
ラグビーとかキックボクシングで激しくカラダを鍛えていたころの話である。
でも会う時はいつも酔っぱらっていて、素面のときはほとんどなかった。
一度、深夜に日テレのスタジオまで原稿を受け取りに行ったことがある。
「11PM」というエッチな番組に生出演するから、終わるまで待っててくれというのだ。
「小林君(本名です)、すぐ終わるから、そこで弁当でも食べててくれ」
野坂さんはそう言うと、シースールーをまとった美女たちの中へいそいそと
飛び込んでいった。(いいなあ……)ボクは冷たい仕出し弁当をつつきながら、
裸同然の美女たちが行き交うハーレムのようなスタジオ内で、
猛り狂うムスコを必死になだめすかしていた。
その日、原稿はもらえなかった。
「ゴメンゴメン、ほんとうにゴメン。ちょっと手違いがあってね。
小林君。今週末、駒場のラグビー場で練習してるから、
そこまでご足労願えまいか? 今度こそお渡しするから」
勇んで行くとまたまた肩すかし。酒を飲んだりラグビーする時間はあっても、
原稿を書く時間だけはないようだった。
「ほんとうにゴメン。こんどこそ書き上げるから、次は銀座のクラブ『M』まで……」
こんなことを何度か繰り返し、ようやく原稿にありつくことができた。
〆切などとっくに過ぎている。ウソばかりつく男だが、ふしぎに憎めなかった。
さて深酒の祟りで半身不随になってしまった野坂さんだが、
さすが『エロ事師たち』の作者だけのことはある。言語聴覚士による訓練のさなか、
「野原に大きな木があります。その大きな木の下で、、野坂さんだったら何をしますか?」
と若い女性聴覚士がたずねると、
「オ◎☆コ……」
その後の質問にも、終始卑猥な言葉で応じ、
そばで奥方が笑いをかみ殺していたという。
野坂さんは早稲田大学の仏文科を卒業している。
が、周りの作家たちが大学「中退」組ばかりなのに、
「卒業」じゃどうにも恰好がつかないと、あえて「中退」で通しているという。
「そういうダンディズム、洒落っけもあるんですよ」
飲み仲間の村松友視が言っている。
ダンディなエロ爺ィか。
ボクもそう呼ばれたい。
←極端にシャイな男でありました。
でも礼儀正しい愉快な男でもありました
2 件のコメント:
ROUさん、
こんにちは。
ちょっと悔しいですが、ダンディである事は認めざるを得ません。
しかし、
エロ爺いからは、幸いにして(?)対極にあることも疑いの無い事実だと思います。
ダンディな好々爺を目指してください。
赤いやつ、贈りましょうか?
NICK様
詩人の金子光晴は
晩年、吉祥寺のヒヒ爺ぃと
呼ばれた。
ボクは弱年のころ、
詩ばかり読んでいて、
金子光晴と、
友人でもある山之口貘
が大好きだった。
(ヒヒ爺ぃ)という呼び名には
なんともいえぬユーモアと
温ったかみが感じられた。
ああ、キャバレーハワイやロンドンに
日参していたころが懐かしい。
赤いやつ?
いらねえや、そんなもん。
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