友人知人たちの印象を総合すると、ボクは一見、温厚篤実そうに見える(そうだ)。
またフランクに誰とでも話ができる社交家のように思われている(フシがある)。
が、自己診断すると、半分は当たっているが半分は外れている。
子供のころはシャイで内向的で、人見知りの激しい赤面恐怖症の男の子だった。
(↑実は今でも赤面しているのだが、色が黒くてわからないみたいだ)
そんな人間が年積もって40を過ぎるころになると、「人は人、俺は俺」と
開き直ってしまい、他人の評価はあんまり気にしなくなった。
日本では〝率直さ〟は必ずしも美徳とは見なされない。
あんまりズケズケものを言うと、たとえそれが正論であっても、
いや正論であるがゆえに、「あいつはまだまだ青いな」
などと陰口を叩かれる。
ボクにトモダチが少ないのは、時に物言いが率直過ぎるきらいがあるためだろう。
仲の良かったかつての同僚や部下、上司、仲人とも、いまは音信が途絶えている。
理由は分かっている。ボクが先輩や上司に相応の敬意を払い、
いやなところにも目をつぶる、といったオトナの対応をしなかったせいである。
物言いが率直過ぎると、「くちばしが黄色い」とか「人間が練られていない」とか、
さんざんに言われる。練られた人間とはさてどういうものかというと、できるだけ
対立を避け、和合を尊び、たとえ対立しても〝落としどころ〟を探すような人間
のことを言う。いつも泰然としていて、周囲からは「さすがにオトナですな」
と一目も二目も置かれている。
ボクはつむじ曲がりだから〝練られた人間〟というものにあまり信を置かない。
その多くは妥協のなかで生き長らえてきた無気力な人間かも知れないからだ。
ボクにも練られた部分が30%くらいはあるから、時々は相手の気持ちを忖度したり、
メンツを重んじたりもするが、むやみに褒め合ったり、親和を築いたりはしない。
「さすがにオトナですな」と感心されるより、孤独なヤボ天のほうを好むからだ。
人に合わせるのはしんどいし、くたびれる。
たびたび言うけれど、ボクは単純がいちばんだと思っている。
世間様は精神が複雑な人間のほうを上等と見る傾向にあるようだが、
その〝複雑さ〟は単に小利口でずる賢く、処世に長けたすれっからし、
というだけのことかもしれない。
ボクは八っつぁん熊さん的な、喜怒哀楽を無邪気に表現できるような
人間になりたいとずっと思い続けてきた。たぶんひがみ根性だと思うが、
鼻先に才気をぶら下げ、「さすがにオトナですな」と呼ばれるような人間が
きらいなのだ。
わが団地、とりわけわが棟には分別顔した〝オトナ〟たちが、
これでもかというくらい蝟集している。大半はすでに隠居の身だが、
「むかしは偉かったんだぞ」というオーラを全身からふりまいている。
この種の〝むかしは偉かったオジサン〟たちとつき合うのはほんとうに疲れる。
その点、夫人たちの多くはハナから〝複雑さ〟と無縁なところにいるので、
ボクにとってははるかにつき合いやすい。オトコよりオンナ友だちが多いのは、
そのためだろう。もっともすでにオンナを降りちゃった人ばかりで、
若くてきれいな夫人が少ないのがちょっぴり物足りないところだけど、
それは無い物ねだりというものか。
だらだらとわけのわからぬことを書きつらねたが、いったい何が言いたいのか、
自分でもさっぱりわからない。たぶん疲れているのだろう。
やっぱこいつ(俺のことだ)は永遠にオトナになれそうにないや。
お後がよろしいようで。
またフランクに誰とでも話ができる社交家のように思われている(フシがある)。
が、自己診断すると、半分は当たっているが半分は外れている。
子供のころはシャイで内向的で、人見知りの激しい赤面恐怖症の男の子だった。
(↑実は今でも赤面しているのだが、色が黒くてわからないみたいだ)
そんな人間が年積もって40を過ぎるころになると、「人は人、俺は俺」と
開き直ってしまい、他人の評価はあんまり気にしなくなった。
日本では〝率直さ〟は必ずしも美徳とは見なされない。
あんまりズケズケものを言うと、たとえそれが正論であっても、
いや正論であるがゆえに、「あいつはまだまだ青いな」
などと陰口を叩かれる。
ボクにトモダチが少ないのは、時に物言いが率直過ぎるきらいがあるためだろう。
仲の良かったかつての同僚や部下、上司、仲人とも、いまは音信が途絶えている。
理由は分かっている。ボクが先輩や上司に相応の敬意を払い、
いやなところにも目をつぶる、といったオトナの対応をしなかったせいである。
物言いが率直過ぎると、「くちばしが黄色い」とか「人間が練られていない」とか、
さんざんに言われる。練られた人間とはさてどういうものかというと、できるだけ
対立を避け、和合を尊び、たとえ対立しても〝落としどころ〟を探すような人間
のことを言う。いつも泰然としていて、周囲からは「さすがにオトナですな」
と一目も二目も置かれている。
ボクはつむじ曲がりだから〝練られた人間〟というものにあまり信を置かない。
その多くは妥協のなかで生き長らえてきた無気力な人間かも知れないからだ。
ボクにも練られた部分が30%くらいはあるから、時々は相手の気持ちを忖度したり、
メンツを重んじたりもするが、むやみに褒め合ったり、親和を築いたりはしない。
「さすがにオトナですな」と感心されるより、孤独なヤボ天のほうを好むからだ。
人に合わせるのはしんどいし、くたびれる。
たびたび言うけれど、ボクは単純がいちばんだと思っている。
世間様は精神が複雑な人間のほうを上等と見る傾向にあるようだが、
その〝複雑さ〟は単に小利口でずる賢く、処世に長けたすれっからし、
というだけのことかもしれない。
ボクは八っつぁん熊さん的な、喜怒哀楽を無邪気に表現できるような
人間になりたいとずっと思い続けてきた。たぶんひがみ根性だと思うが、
鼻先に才気をぶら下げ、「さすがにオトナですな」と呼ばれるような人間が
きらいなのだ。
わが団地、とりわけわが棟には分別顔した〝オトナ〟たちが、
これでもかというくらい蝟集している。大半はすでに隠居の身だが、
「むかしは偉かったんだぞ」というオーラを全身からふりまいている。
この種の〝むかしは偉かったオジサン〟たちとつき合うのはほんとうに疲れる。
その点、夫人たちの多くはハナから〝複雑さ〟と無縁なところにいるので、
ボクにとってははるかにつき合いやすい。オトコよりオンナ友だちが多いのは、
そのためだろう。もっともすでにオンナを降りちゃった人ばかりで、
若くてきれいな夫人が少ないのがちょっぴり物足りないところだけど、
それは無い物ねだりというものか。
だらだらとわけのわからぬことを書きつらねたが、いったい何が言いたいのか、
自分でもさっぱりわからない。たぶん疲れているのだろう。
やっぱこいつ(俺のことだ)は永遠にオトナになれそうにないや。
お後がよろしいようで。
2 件のコメント:
労師、私も単純明快な方がよろしいと思いますが、
簡明率直であることと、軽率短慮であることは、
やはり違うと思っています。
「分別顔したオトナ」ってのも、分別らしい顔つきをしていて、
実際の「分別」は全く無いワケで…
ウチの近所でもそうですが、そういうオヤジどもは、
お友だちのご夫人たちに粗大ゴミに「分別」してもらい、
さっさと捨ててもらってください。
ちなみに、ハナから簡明なご夫人なんてほとんどいないでしょ、
オヤジどもに見切りをつけた体験あってこそ・・・
だから若くてキレイは無い物なんですよ。
こっちはゴミ袋に詰められても、破った穴から
黄色いクチバシだけ出して、鳴き続けてやります。
帰山人様
閣下は博学多才、
卓越した識見をお持ちなのに、
一見、愚物のごとく
ゲラゲラと喉を鳴らしてお笑いになる。
浅学菲才のわたくしめから見ても、
分別くさい顔ってやつから
最も遠いところにいらっしゃる。
これはなかなかできない芸当で、
自己韜晦の修行を相当積んだものと
お見受けする。
しかし意外やそれが大いなる勘違いで、
自己韜晦どころか、正真正銘の愚物
かもしれず、真偽のほどは未だ解らずじまい。
今度お会いした時は
予めゴミ袋を用意し、
「分別顔」かどうかを〝分別〟するつもり。
もしもただの生ゴミに分別されても、
黄色いクチバシでつつかないように願います。
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