山寺の和尚さんが、わが陋屋へ泊まりに来た。
新潟・三条の山奥で寺の住職をやっている友人Aが数年ぶりに訪ねてきた。
朋有り遠方より来たる、亦た楽しからずや……ネット時代だろうと何だろうと、
友人がわざわざ足を運んで会いに来てくれる、というのは何より嬉しい。
で、一杯やる前にひとっ風呂浴びに近所のプールへ行った。
Aも心得たもので、水着もゴーグルもちゃんと用意してある。
以前来た時も、まずはプールでひと泳ぎ。その後のビールがひときわ旨かった。
この暑さである。プールへ案内するのが最高のおもてなしなのだ。
Aは僕の友人Kの学友で、たまたま学生時代に知り合った。
その後、洋酒メーカーに就職したAは名古屋地区が担当で、
こっちが名古屋出張の折には、よく呼び出しては錦や栄の繁華街で
飲み歩いたものだった。
そのうちKとはだんだん疎遠になってしまったが、Aとはよほどウマが合うのか、
君子の交わりがずっと続いている。Aはある日、突然、仏門に入ってしまった。
前触れなしだったもので、いささか当惑したが、深く詮索せずに今日に至っている。
Aはご多分にもれず生臭で、葷酒(くんしゅ)を避けるどころか、
ウワバミみたいに飲みかつ食らう。ふだん飲んでいる安ワインを出したら、
「まずいな、こいつは」とピシャリ。それでも、何食わぬ顔で数本を空にした。
こんな破戒僧にまともにつき合ったら、とても身が持たない。
案の定、へべれけになって、記憶の半分が飛んでしまった。
こういう状態を「泥酔」というが、なぜ「泥」なのか、みなさんご存じか。
偉そうに講釈を垂れているが、実は僕も知らなかったのである。
正体がなくなるくらい酔うことを「泥のごとし」などという。これを「ドロのごとし」
と読む人がいるが、「デイのごとし」が正しい。〝ドロ派〟の間違いは、
おそらく「泥(ドロ)のように眠る」からの連想だろう。
泥酔の「泥(デイ)」は中国の伝説に登場する骨のない架空の虫で、
南の海に棲んでいるという。水の中ではすこぶる元気だが、
水気を失うと一塊のドロのごとく、ふにゃふにゃになってしまう。
この様がまるで酔っ払いみたいだから、デイのごとく酔うことを
「泥酔(デイスイ)」と云ったのである。
Aと僕はデイのごとく酔いつぶれ、またまた家人の前で醜態をさらしてしまった。
「俺の法話は御利益があるからって、けっこう評判なんだよ」
などとAはしきりに自慢しておったが、酔いつぶれて蒲団に突っ伏し、
股ぐらをポリポリ搔いているような男の法話なんぞ、とても拝聴する気にならない。
翌朝、玉子かけご飯を旨そうに食べ、元気に出ていったAの背中に向かって、
僕は「また来いよ……和尚さん!」と心の中で声をかけた。
「忘憂」とは酒の異名なり。この世の憂さを忘れんと、日ごと夜ごと深酒すれば、頭クラクラ、お目々ショボショボ。筆を執りても茫々としてとりとめなし。咳唾珠を成す、どころか、文意不明の「ハッパふみふみ」。意気阻喪し、思わず天を仰げば、泉下の(斎藤)緑雨がこう呟く。奇思すでに古人に尽きたり、妙想すでに西人に尽きたり、と。我に加えるべき何ものもなし。ただいたずらに閑文字をつらねるのみ、か。嗚呼!
2010年8月27日金曜日
2010年8月16日月曜日
マイケルと安来節
マイケル・ジャクソンの『THIS IS IT』を見た。
2009年夏、ロンドンの02アリーナで開催されるはずだったコンサート。
マイケルの突然の死で、ついに〝幻〟となってしまったが、死の2日前まで
入念に積み重ねられていたリハーサルの様子がみごとに収められている。
マイケルがめちゃくちゃすごい。とても五十路を越えた男とは思えない
キレのいいダンスに艶のある声。それにあのスレンダーな肢体を見てくれ。
またマイケルを支える第一級のバックコーラスやダンサー、バンド陣がすばらしい。
まずはこの美人ギタリスト・オリアンティの超絶技巧をご覧あれ。
僕もギターはポロンポロンやるが、どっちかというと古賀メロディとか
ナルシソ・イエペスがふさわしいようなギターで、見た目は、
「エリック・クラプトンにチョー似てるゥ」なんて言う正直な人もおられるが、
所詮、マイケルのバックがつとまるような器ではない。←当たり前だ。
わが家の娘2人は高校時にヒップホップダンスをやっていて、
今もジムなどでマイケルもどきのダンスに熱を入れているが、
いまだムーンウォークひとつできやしない。
昨夜もマイケルに刺激され、しきりに腰をフリフリしていたが、
ヒップホップと云うより安来節のドジョウ掬いに近い。
いくら足が長くなっても、民族の宿痾とも云うべき盆踊りのDNA
からは逃れられないようだ。
ところで、僕の女房はかつて競技ダンス(映画『Shall we ダンス?』のあれ)
の全日本学生チャンピオンだった。優勝時の8ミリ映像(いつの時代だよ?)
が今も残っているが、ワルツやタンゴ、スローフォックストロットといったモダンが
中心で、見てるとなぜか「鹿鳴館時代」が彷彿され、気恥ずかしくなってくる。
「お母さんがダンス日本一だったんだから、お前たちにだって
その才能が遺伝してるはずだ。やればできる。Yes you can!」
と、ダンス好きの娘たちに折々ハッパをかけるのだが、
受け継いだのは、どうやら安来節派の父親の遺伝子だったようだ。
不憫である。
日本には郷ひろみというマイケルの二番煎じがいて、
ときどきテレビでダンス・パフォーマンスを披露したりしているが、
中身は園児の学芸会レベルで、比較するのさえためらわれる。
それでも日本のショービジネスの世界では立派に通用するのだから、
うちの娘たちだって、スターになれる可能性は十二分にある。
出でよ、マイケル2世! じゃなくて、
出でよ、ひろみの二番煎じ(トホホ)!←あな恥ずかし
2009年夏、ロンドンの02アリーナで開催されるはずだったコンサート。
マイケルの突然の死で、ついに〝幻〟となってしまったが、死の2日前まで
入念に積み重ねられていたリハーサルの様子がみごとに収められている。
マイケルがめちゃくちゃすごい。とても五十路を越えた男とは思えない
キレのいいダンスに艶のある声。それにあのスレンダーな肢体を見てくれ。
またマイケルを支える第一級のバックコーラスやダンサー、バンド陣がすばらしい。
まずはこの美人ギタリスト・オリアンティの超絶技巧をご覧あれ。
僕もギターはポロンポロンやるが、どっちかというと古賀メロディとか
ナルシソ・イエペスがふさわしいようなギターで、見た目は、
「エリック・クラプトンにチョー似てるゥ」なんて言う正直な人もおられるが、
所詮、マイケルのバックがつとまるような器ではない。←当たり前だ。
わが家の娘2人は高校時にヒップホップダンスをやっていて、
今もジムなどでマイケルもどきのダンスに熱を入れているが、
いまだムーンウォークひとつできやしない。
昨夜もマイケルに刺激され、しきりに腰をフリフリしていたが、
ヒップホップと云うより安来節のドジョウ掬いに近い。
いくら足が長くなっても、民族の宿痾とも云うべき盆踊りのDNA
からは逃れられないようだ。
ところで、僕の女房はかつて競技ダンス(映画『Shall we ダンス?』のあれ)
の全日本学生チャンピオンだった。優勝時の8ミリ映像(いつの時代だよ?)
が今も残っているが、ワルツやタンゴ、スローフォックストロットといったモダンが
中心で、見てるとなぜか「鹿鳴館時代」が彷彿され、気恥ずかしくなってくる。
「お母さんがダンス日本一だったんだから、お前たちにだって
その才能が遺伝してるはずだ。やればできる。Yes you can!」
と、ダンス好きの娘たちに折々ハッパをかけるのだが、
受け継いだのは、どうやら安来節派の父親の遺伝子だったようだ。
不憫である。
日本には郷ひろみというマイケルの二番煎じがいて、
ときどきテレビでダンス・パフォーマンスを披露したりしているが、
中身は園児の学芸会レベルで、比較するのさえためらわれる。
それでも日本のショービジネスの世界では立派に通用するのだから、
うちの娘たちだって、スターになれる可能性は十二分にある。
出でよ、マイケル2世! じゃなくて、
出でよ、ひろみの二番煎じ(トホホ)!←あな恥ずかし
2010年8月15日日曜日
娑婆も業火に焼かれ
暑さのせいか、だれもみな恐い顔をしている。
ちょっと身体がぶつかっただけでも暴発事故が起こりそうで、
人混みが、恐い。
「もっと気楽に行こうぜ、ベイビー!」
恐い顔をした人たちに陽気に声をかけたいところだが、
当の僕がいちばん恐い顔をしているのだから始末に悪い。
カミュの『異邦人』の主人公・ムルソーは殺人の動機を、
ギラギラと照りつける太陽のせい、とした。
判決は死刑だった。が、彼は幸福だった。
日本が敗けた8月15日の今日、
母の顔を見に行った。siblingsはみな集まって酒盛りをしていた。
そのかたわらで、老母は子や孫たちの顔をじっと見ていた。
母はますます幼児化し、半分、猫になっていた。
ほどなく、弟夫婦と近くの寺まで送り火をした。
墓には残照が激しく照りつけ、軽いめまいさえ覚えた。
父の墓の近くには、自殺した友人Yの墓もある。
花と線香を供え、若き日の友の顔を思った。
「よく来たな。ずいぶんお見限りだったじゃないの……」
相変わらず口元にsneerな笑いを浮かべていた。
地獄の釜が開くという盂蘭盆。
精霊たちも、娑婆に戻ったはいいけれど、
この猛暑には呆れただろう。
「おやじ、まあビールでも飲みなよ。ところで、
地獄の景気はどんなあんばいだい?」
温帯から亜熱帯になってしまったニッポン。
そのうち熱帯に変わって、ますますビールが売れるだろうが、
ニンゲン様の顔はますます険悪になっていくだろう。
そして第2、第3のムルソーが出てくるたんびに世間は驚いたふりをして、
人間存在の不条理性がどうしたこうしたと、妙な理屈をこね始めるのだ。
かったるいなァ……。
今夜も寝苦しい夜になりそうだ。
何も考える気がしない。
ちょっと身体がぶつかっただけでも暴発事故が起こりそうで、
人混みが、恐い。
「もっと気楽に行こうぜ、ベイビー!」
恐い顔をした人たちに陽気に声をかけたいところだが、
当の僕がいちばん恐い顔をしているのだから始末に悪い。
カミュの『異邦人』の主人公・ムルソーは殺人の動機を、
ギラギラと照りつける太陽のせい、とした。
判決は死刑だった。が、彼は幸福だった。
日本が敗けた8月15日の今日、
母の顔を見に行った。siblingsはみな集まって酒盛りをしていた。
そのかたわらで、老母は子や孫たちの顔をじっと見ていた。
母はますます幼児化し、半分、猫になっていた。
ほどなく、弟夫婦と近くの寺まで送り火をした。
墓には残照が激しく照りつけ、軽いめまいさえ覚えた。
父の墓の近くには、自殺した友人Yの墓もある。
花と線香を供え、若き日の友の顔を思った。
「よく来たな。ずいぶんお見限りだったじゃないの……」
相変わらず口元にsneerな笑いを浮かべていた。
地獄の釜が開くという盂蘭盆。
精霊たちも、娑婆に戻ったはいいけれど、
この猛暑には呆れただろう。
「おやじ、まあビールでも飲みなよ。ところで、
地獄の景気はどんなあんばいだい?」
温帯から亜熱帯になってしまったニッポン。
そのうち熱帯に変わって、ますますビールが売れるだろうが、
ニンゲン様の顔はますます険悪になっていくだろう。
そして第2、第3のムルソーが出てくるたんびに世間は驚いたふりをして、
人間存在の不条理性がどうしたこうしたと、妙な理屈をこね始めるのだ。
かったるいなァ……。
今夜も寝苦しい夜になりそうだ。
何も考える気がしない。
2010年8月13日金曜日
あれから25年
100歳以上の高齢者の行方がわからなくなっていても、
「どこにいるか知らない」と他人事のようにうそぶく親族。
そしてその異常事態を長期にわたって放置しておいた役人たち。
乳幼児をおっぽり出したまま数カ月も家を空け、哀れ死なせてしまっても、
「もっと遊びたかった」と悪びれない母性喪失の夜叉ママ。
女子高生のスカート内を盗撮し、教え子に猥褻な行為を強要し、
車内で痴漢行為を繰り返すハレンチな警官や教師……etc。
いったいこのニッポンという国は、どうなってしまったんだ?
日本はかつて子供を可愛がり、年寄りを敬い、
お巡りさんや教師を尊ぶ国だったはずではないか。
司馬遼太郎は「日本人の電圧が下がってきている」と嘆いていたが、
下がるどころかショートしかかっているような気がしてならない。
人間が壊れてきているのである。
テレビでは「日航ジャンボ機墜落事故」について報道していた。
遺族たちによる悲しい25年目の慰霊登山。
当時9歳だった息子を失った美谷島夫妻は、
『御巣鷹山と生きる日航機墜落事故遺族の25年』という回想ドキュメントを
著した。息子さんの名前は健。野球好きの息子に夏の甲子園を観戦させてやろうと、
大阪行きのジャンボ機に一人乗せたのが悲劇の序章だった。
「9歳で、しかも1人旅だった健。『ダッチロールの32分間』がどんなに怖かったか
と想像すると、私の胸は張り裂けそうになる」
と母親の邦子さん。テレビでは、
父親の善昭さんが尾根に向かってしきりに息子の名を呼んでいた。
傷ましくて、とても見ていられない。
一方で壊れかかった人間性や母性に絶望し、
また一方で「まだ信じられる」と安堵する毎日。
暑い夏はまだまだ続く。
「どこにいるか知らない」と他人事のようにうそぶく親族。
そしてその異常事態を長期にわたって放置しておいた役人たち。
乳幼児をおっぽり出したまま数カ月も家を空け、哀れ死なせてしまっても、
「もっと遊びたかった」と悪びれない母性喪失の夜叉ママ。
女子高生のスカート内を盗撮し、教え子に猥褻な行為を強要し、
車内で痴漢行為を繰り返すハレンチな警官や教師……etc。
いったいこのニッポンという国は、どうなってしまったんだ?
日本はかつて子供を可愛がり、年寄りを敬い、
お巡りさんや教師を尊ぶ国だったはずではないか。
司馬遼太郎は「日本人の電圧が下がってきている」と嘆いていたが、
下がるどころかショートしかかっているような気がしてならない。
人間が壊れてきているのである。
テレビでは「日航ジャンボ機墜落事故」について報道していた。
遺族たちによる悲しい25年目の慰霊登山。
当時9歳だった息子を失った美谷島夫妻は、
『御巣鷹山と生きる日航機墜落事故遺族の25年』という回想ドキュメントを
著した。息子さんの名前は健。野球好きの息子に夏の甲子園を観戦させてやろうと、
大阪行きのジャンボ機に一人乗せたのが悲劇の序章だった。
「9歳で、しかも1人旅だった健。『ダッチロールの32分間』がどんなに怖かったか
と想像すると、私の胸は張り裂けそうになる」
と母親の邦子さん。テレビでは、
父親の善昭さんが尾根に向かってしきりに息子の名を呼んでいた。
傷ましくて、とても見ていられない。
一方で壊れかかった人間性や母性に絶望し、
また一方で「まだ信じられる」と安堵する毎日。
暑い夏はまだまだ続く。
2010年8月5日木曜日
夢見る全共闘世代
『論語』の為政篇には「吾レ十有五ニシテ学ニ志ス」で始まる
有名な一節がある。四十ニシテ惑ワズ。五十ニシテ天命ヲ知ル。
六十ニシテ耳順(みみした)ガウ。七十ニシテ心ノ欲スル所ニ従ッテ
矩(のり)ヲコエズ
六十で人の言葉が素直に聞かれ、七十になると思うがままに行動しても、
道を外れることはない――と孔子様は曰うのだが、そんな聖人君子がホンマに
おるんかいな、という感じがする。
少なくとも僕の周囲には「不惑」も「天命」も「耳順」も見当たらない。
耳順は何を聞いても本気で腹を立てない、という意味らしいが、
腹を立てないことがそれほどの美徳なのだろうか。
そんな君子然とした謹厳居士とつき合っても、おもしろくも何ともないではないか、
といっこうに天命(道徳的使命か?)をわきまえず、
自他共に認めるかんしゃく持ちのボクなんかは思ってしまう。
不惑も天命も耳順も、みんなクソを食らえ、なのである(孔子様、ゴメンナサイ)。
因果なもので、いわゆる全共闘世代も「耳順」と呼ばれる年齢になってしまった。
彼らはかつて、高らかにインターを歌い、ノヴァーリスは『青い花』の主人公みたいに、
見果てぬ夢(革命ごっこともいう)を追い求めた。そして今も、理想だけを追っかける
甘っちょろい精神構造は少しも変わっていない。
そう、ドイツ浪漫主義は左翼進歩主義と根っこは同じなのだ。
「二十歳までに左翼に傾倒しない者は〝情熱〟が足りない。
しかし二十歳を過ぎて、なお左翼に傾倒している者は〝知能〟が足りない」
と言ったのは、さてチャーチルだったか、それともディズレーリだったか……。
いずれにしろ、けだし名言というべきだろう。
ボクの周りには、その〝知能が足りない〟おっさんたちがウヨウヨいる。
彼らにはもちろん「耳順」などというご大層なものには縁がなく、
相変わらず夢見がちな瞳をして、かつて熱狂した学園闘争を懐かしげにふり返っている。
「あの時代はよかったな。俺たちは手当たりしだいに権威という権威を
ぶっ壊してやったんだ。そういえば機動隊と渡り合った時の同志たちの瞳は
清らかに澄んでたっけなァ……(死ぬまで言ってろ!)」
文芸評論家の福田恆存は言ったものだ。
「反体制という体制の許される世界での甘え。
反権力という権力欲の許される世界での甘え」と。
つまり「平和なときの平和論」と同じで、あくまで
身の安全が保証された上での反体制・反権力なのである。
精神構造は駄々っ子のそれと少しも変わらない。
日大全共闘のカリスマ議長・秋田明大は、『全共闘白書』
編集委員会のアンケートに回答を寄せているという。
Q「もう一度あの時代に戻れたら運動に参加しますか?」
A「しない。アホらしい」
われらが秋田メイダイさんよ! あんたは正しいぜよ。

←あのアキタメイダイも、
全共闘運動をふり返って、
「アホらしい」だって。
まともだな、こいつだけは
有名な一節がある。四十ニシテ惑ワズ。五十ニシテ天命ヲ知ル。
六十ニシテ耳順(みみした)ガウ。七十ニシテ心ノ欲スル所ニ従ッテ
矩(のり)ヲコエズ
六十で人の言葉が素直に聞かれ、七十になると思うがままに行動しても、
道を外れることはない――と孔子様は曰うのだが、そんな聖人君子がホンマに
おるんかいな、という感じがする。
少なくとも僕の周囲には「不惑」も「天命」も「耳順」も見当たらない。
耳順は何を聞いても本気で腹を立てない、という意味らしいが、
腹を立てないことがそれほどの美徳なのだろうか。
そんな君子然とした謹厳居士とつき合っても、おもしろくも何ともないではないか、
といっこうに天命(道徳的使命か?)をわきまえず、
自他共に認めるかんしゃく持ちのボクなんかは思ってしまう。
不惑も天命も耳順も、みんなクソを食らえ、なのである(孔子様、ゴメンナサイ)。
因果なもので、いわゆる全共闘世代も「耳順」と呼ばれる年齢になってしまった。
彼らはかつて、高らかにインターを歌い、ノヴァーリスは『青い花』の主人公みたいに、
見果てぬ夢(革命ごっこともいう)を追い求めた。そして今も、理想だけを追っかける
甘っちょろい精神構造は少しも変わっていない。
そう、ドイツ浪漫主義は左翼進歩主義と根っこは同じなのだ。
「二十歳までに左翼に傾倒しない者は〝情熱〟が足りない。
しかし二十歳を過ぎて、なお左翼に傾倒している者は〝知能〟が足りない」
と言ったのは、さてチャーチルだったか、それともディズレーリだったか……。
いずれにしろ、けだし名言というべきだろう。
ボクの周りには、その〝知能が足りない〟おっさんたちがウヨウヨいる。
彼らにはもちろん「耳順」などというご大層なものには縁がなく、
相変わらず夢見がちな瞳をして、かつて熱狂した学園闘争を懐かしげにふり返っている。
「あの時代はよかったな。俺たちは手当たりしだいに権威という権威を
ぶっ壊してやったんだ。そういえば機動隊と渡り合った時の同志たちの瞳は
清らかに澄んでたっけなァ……(死ぬまで言ってろ!)」
文芸評論家の福田恆存は言ったものだ。
「反体制という体制の許される世界での甘え。
反権力という権力欲の許される世界での甘え」と。
つまり「平和なときの平和論」と同じで、あくまで
身の安全が保証された上での反体制・反権力なのである。
精神構造は駄々っ子のそれと少しも変わらない。
日大全共闘のカリスマ議長・秋田明大は、『全共闘白書』
編集委員会のアンケートに回答を寄せているという。
Q「もう一度あの時代に戻れたら運動に参加しますか?」
A「しない。アホらしい」
われらが秋田メイダイさんよ! あんたは正しいぜよ。

←あのアキタメイダイも、
全共闘運動をふり返って、
「アホらしい」だって。
まともだな、こいつだけは
2010年7月30日金曜日
歴女、地に満てよ!
歴史は石器時代から学ぶより現代から過去へ遡っていったほうが
断然面白い。父母の若かりし頃はどんな時代で、どんな唄がはやり、
どんな服が流行していたのか。そしてどんな悩みを悩んでいたのか。
祖父母の時代はどうだったか、曾祖父母は激動の明治をどう生きたのか。
そのまた高祖父母は佐幕派? それとも勤皇派? 秩父あたりの山猿がご先祖の
わが一族では、事績と呼べるようなものなどあるまいが、それでもご先祖さんが
どのようにして時代を生き抜いてきたのか、興味津々である。
歴史教育というのは、こうして身近な人間を感じながら過去を遡れば、
活きいきとした生気が吹き込まれてゆく。学ぶ側の興味だって持続する。
名も知らぬ古代人の生活を学ぶのは、ずっと後回しでいいのである。
今朝の読売新聞の三面に『生徒3割 日本史素通り』の見出しがあった。
高校の「地理歴史」の教科では、原則2科目が必修で、必ずとるべき世界史に
加え、日本史か地理のいずれかを選べばいいという。で、結果、生徒の3割前後
が日本史を履修していないらしい。
今年4月に実施した日韓共同の世論調査では、「日韓併合」を知らない日本人の
比率は26%(韓国は9%)、20歳代では33%(韓国13%)だったという。3人に1人が
韓国人の言う「日帝36年(韓国は数えで計算する)」を知らず、ヨン様だ
ヨンハちゃんだと騒いでいるのだから、これほどおめでたいことはない。
当然ながら、伊藤博文首相が安重根に暗殺されたことなど知るよしもない。
僕は「文科省なんかつぶしてしまえ」と数十年前から言いつづけている。
ゆとり教育にしろ何にしろ、文科省の繰り出す施策で、日本国や日本国民の
ためになったものが1つでもあったか? ゲスの勘ぐりかも知れないが、
中国や韓国を利することばかりやってきたのである。
多くの国では子供たちへの歴史教育はかなり意図的かつ作為的に行なわれている。
国家への帰属意識は、歴史の共有から生まれてくると堅く信じているからだ。
現代のようなグローバル化、ボーダーレス化時代にあっては、国家というものを
絶えず意識していなければ、「その他大勢」の国々の中に埋もれてしまう。
歴史的共同体、文化的共同体としての日本というものが亡くなってしまえば、
さほど特色はないけれど、金儲けだけはやたらうまい人たちが極東の島に
暮らしている――なんてことになってしまう。これでは軽侮されることはあっても
尊敬されることは決してない。三島由紀夫の『文化防衛論』の背景には、
こうした危機感が読み取れる。
NHKの『龍馬伝』のおかげ(というよりイケメン福山雅治のおかげ)で、わが家の
オンナ3匹は、突然、グレゴール・ザムザみたいに「歴女」に変身してしまった。
「ちょっと寺田屋を見に伏見まで」「ついでに京の土佐藩邸跡も見てこよおっと…」。
女房などは出張にかこつけて龍馬の足跡を丹念に辿っている。ちょっぴり頼りない
だろうけど、少なくともわが家だけは「文化防衛」の一翼を担う覚悟でいる。
イザ……。
断然面白い。父母の若かりし頃はどんな時代で、どんな唄がはやり、
どんな服が流行していたのか。そしてどんな悩みを悩んでいたのか。
祖父母の時代はどうだったか、曾祖父母は激動の明治をどう生きたのか。
そのまた高祖父母は佐幕派? それとも勤皇派? 秩父あたりの山猿がご先祖の
わが一族では、事績と呼べるようなものなどあるまいが、それでもご先祖さんが
どのようにして時代を生き抜いてきたのか、興味津々である。
歴史教育というのは、こうして身近な人間を感じながら過去を遡れば、
活きいきとした生気が吹き込まれてゆく。学ぶ側の興味だって持続する。
名も知らぬ古代人の生活を学ぶのは、ずっと後回しでいいのである。
今朝の読売新聞の三面に『生徒3割 日本史素通り』の見出しがあった。
高校の「地理歴史」の教科では、原則2科目が必修で、必ずとるべき世界史に
加え、日本史か地理のいずれかを選べばいいという。で、結果、生徒の3割前後
が日本史を履修していないらしい。
今年4月に実施した日韓共同の世論調査では、「日韓併合」を知らない日本人の
比率は26%(韓国は9%)、20歳代では33%(韓国13%)だったという。3人に1人が
韓国人の言う「日帝36年(韓国は数えで計算する)」を知らず、ヨン様だ
ヨンハちゃんだと騒いでいるのだから、これほどおめでたいことはない。
当然ながら、伊藤博文首相が安重根に暗殺されたことなど知るよしもない。
僕は「文科省なんかつぶしてしまえ」と数十年前から言いつづけている。
ゆとり教育にしろ何にしろ、文科省の繰り出す施策で、日本国や日本国民の
ためになったものが1つでもあったか? ゲスの勘ぐりかも知れないが、
中国や韓国を利することばかりやってきたのである。
多くの国では子供たちへの歴史教育はかなり意図的かつ作為的に行なわれている。
国家への帰属意識は、歴史の共有から生まれてくると堅く信じているからだ。
現代のようなグローバル化、ボーダーレス化時代にあっては、国家というものを
絶えず意識していなければ、「その他大勢」の国々の中に埋もれてしまう。
歴史的共同体、文化的共同体としての日本というものが亡くなってしまえば、
さほど特色はないけれど、金儲けだけはやたらうまい人たちが極東の島に
暮らしている――なんてことになってしまう。これでは軽侮されることはあっても
尊敬されることは決してない。三島由紀夫の『文化防衛論』の背景には、
こうした危機感が読み取れる。
NHKの『龍馬伝』のおかげ(というよりイケメン福山雅治のおかげ)で、わが家の
オンナ3匹は、突然、グレゴール・ザムザみたいに「歴女」に変身してしまった。
「ちょっと寺田屋を見に伏見まで」「ついでに京の土佐藩邸跡も見てこよおっと…」。
女房などは出張にかこつけて龍馬の足跡を丹念に辿っている。ちょっぴり頼りない
だろうけど、少なくともわが家だけは「文化防衛」の一翼を担う覚悟でいる。
イザ……。
2010年7月22日木曜日
ヨーロッパの光と影
BSの『欧州ライフ』だとか『欧州鉄道の旅』なんてのんきな番組を見ていると、
つくづく「ヨーロッパは豊かだなァ」と思ってしまう。しかし同時に、
「この豊かさは何世紀にもわたるアジアやアフリカの植民地支配から
もたらされたものなんだよなァ」とする苦い感慨もわき起こってくる。
かつてヨーロッパは荒涼とした貧しい土地だった。
オリエントとの交易でも、近東に届けることのできた商品は、
せいぜい羊毛、皮革、蜜蝋くらいで、他には何もなかった。
他方オリエントからは砂糖や胡椒など各種香辛料の他、
樟脳や大黄などの薬品、染料や生糸、珊瑚に宝石、
高価な陶磁器などが持ち込まれた。ヨーロッパは恒常的な入超だった。
しかし、『驕れる白人と闘うための日本近代史』(松原久子著)を読むと、
ヨーロッパ諸国の歴史書にはほとんど記されていないという意外な事実が
示されている。ヨーロッパはアジアへの輸出のために、何世紀にもわたって
〝特別な商品〟を用意していたというのだ。
その商品とはキリスト教徒の男奴隷と女奴隷だった。
ヨーロッパではしばしば大掛かりな奴隷狩りが行われていた。
とりわけボルガ河沿いのロシア平原でスラブ人の男女が捕らえられ、
ジェノヴァの奴隷商人らの手によってレバノンを経由し、遠くダマスカスや
バグダッド、さらには北アフリカのサラセン人の町などへ売られていった。
しかしこうした恥辱にまみれた歴史は、公に語られることは少ない。
ちなみに英語のslave(奴隷)という言葉は、ギリシャ語のSlav(スラブ人)
が語源だ。スラブ系のロシア人やセルビア人にとっては、過去に奴隷として
売買されたという自民族の忌まわしい歴史を惹起させる言葉で、
まことに不愉快千万に違いない。
のちに輝かしい大航海時代を迎え、ヨーロッパの反撃が始まるが、
ロマンあふれる探検旅行の実態は、優れた文化の普及や異教徒の魂の救済
(余計なお世話なんだよね)どころか、侵略と虐殺、掠奪の血塗られたものだった。
あの伊人コロンブスのアメリカ大陸発見(先住民からすれば、
別に〝発見〟されたくはねえや、ということになるのだろうが……)
でさえ略奪が目的の旅で、スペインに富と資源をもたらせば、
コロンブスはそのお宝の10分の1がもらえるというせこい契約だった。
コロンブスは掠奪遠征隊の親玉だったのである。
欧米人の多くは、自分たちの歴史こそが世界史だと思っている(フシがある)。
そしてあらゆる民族は、欧米文化の恩恵に浴することで後進性から救われたのだ、
と思い込んでいる(フシがある)。「未開人たちの蒙(もう)を啓(ひら)いてあげたのは
文明人の私たちなのよ。少しは感謝したらどうなのよ、エーッ?」ってか?
欧州は歴史の表舞台に10周遅れで参加し、たかだか近代に華々しくデビュー
してきただけなのに、人類史のすべてにわたって主役を演じてきたかのような
顔をして澄ましている。厚顔無恥もいいところだ。
英語に堪能な友人Nは、英語は「怒りの言語」だと言う。英語でしゃべっているときは、
なぜか権利の主張に全精力を注ぐという非常に攻撃的な思考回路が働く、
というのである。そうした心的状況におかれた自分は、ほんとうの自分でないような
気がしてイヤなんだ、と彼は言うが、その攻撃的な言語は、まぎれもなく
ヨーロッパの食うか食われるかという酷烈な風土・歴史が育んだものなのである。
ソファにごろりと横になり、のんびりしたヨーロッパの紀行番組を見ながら、
欧州の豊かさに敬意を表しつつも、いくぶん興ざめで理不尽な彼らの歴史も
同時にふり返ってみた。やれやれ……。
※追記
《アメリカ大陸の「発見」という言葉それ自体が、ヨーロッパ人の自己中心的な世界観に基づいている
わけで、アメリカ大陸には2万年も前からモンゴロイド系の人々がユーラシア大陸から移り住んでいたと
いう事実を、偏見なしに受けとめれば、「コロンブスはヨーロッパ人として初めて足を踏み入れた」などの
表現に変えるべきでしょう》とは鈴木孝夫著『日本の感性が世界を変える』から引用。
つくづく「ヨーロッパは豊かだなァ」と思ってしまう。しかし同時に、
「この豊かさは何世紀にもわたるアジアやアフリカの植民地支配から
もたらされたものなんだよなァ」とする苦い感慨もわき起こってくる。
かつてヨーロッパは荒涼とした貧しい土地だった。
オリエントとの交易でも、近東に届けることのできた商品は、
せいぜい羊毛、皮革、蜜蝋くらいで、他には何もなかった。
他方オリエントからは砂糖や胡椒など各種香辛料の他、
樟脳や大黄などの薬品、染料や生糸、珊瑚に宝石、
高価な陶磁器などが持ち込まれた。ヨーロッパは恒常的な入超だった。
しかし、『驕れる白人と闘うための日本近代史』(松原久子著)を読むと、
ヨーロッパ諸国の歴史書にはほとんど記されていないという意外な事実が
示されている。ヨーロッパはアジアへの輸出のために、何世紀にもわたって
〝特別な商品〟を用意していたというのだ。
その商品とはキリスト教徒の男奴隷と女奴隷だった。
ヨーロッパではしばしば大掛かりな奴隷狩りが行われていた。
とりわけボルガ河沿いのロシア平原でスラブ人の男女が捕らえられ、
ジェノヴァの奴隷商人らの手によってレバノンを経由し、遠くダマスカスや
バグダッド、さらには北アフリカのサラセン人の町などへ売られていった。
しかしこうした恥辱にまみれた歴史は、公に語られることは少ない。
ちなみに英語のslave(奴隷)という言葉は、ギリシャ語のSlav(スラブ人)
が語源だ。スラブ系のロシア人やセルビア人にとっては、過去に奴隷として
売買されたという自民族の忌まわしい歴史を惹起させる言葉で、
まことに不愉快千万に違いない。
のちに輝かしい大航海時代を迎え、ヨーロッパの反撃が始まるが、
ロマンあふれる探検旅行の実態は、優れた文化の普及や異教徒の魂の救済
(余計なお世話なんだよね)どころか、侵略と虐殺、掠奪の血塗られたものだった。
あの伊人コロンブスのアメリカ大陸発見(先住民からすれば、
別に〝発見〟されたくはねえや、ということになるのだろうが……)
でさえ略奪が目的の旅で、スペインに富と資源をもたらせば、
コロンブスはそのお宝の10分の1がもらえるというせこい契約だった。
コロンブスは掠奪遠征隊の親玉だったのである。
欧米人の多くは、自分たちの歴史こそが世界史だと思っている(フシがある)。
そしてあらゆる民族は、欧米文化の恩恵に浴することで後進性から救われたのだ、
と思い込んでいる(フシがある)。「未開人たちの蒙(もう)を啓(ひら)いてあげたのは
文明人の私たちなのよ。少しは感謝したらどうなのよ、エーッ?」ってか?
欧州は歴史の表舞台に10周遅れで参加し、たかだか近代に華々しくデビュー
してきただけなのに、人類史のすべてにわたって主役を演じてきたかのような
顔をして澄ましている。厚顔無恥もいいところだ。
英語に堪能な友人Nは、英語は「怒りの言語」だと言う。英語でしゃべっているときは、
なぜか権利の主張に全精力を注ぐという非常に攻撃的な思考回路が働く、
というのである。そうした心的状況におかれた自分は、ほんとうの自分でないような
気がしてイヤなんだ、と彼は言うが、その攻撃的な言語は、まぎれもなく
ヨーロッパの食うか食われるかという酷烈な風土・歴史が育んだものなのである。
ソファにごろりと横になり、のんびりしたヨーロッパの紀行番組を見ながら、
欧州の豊かさに敬意を表しつつも、いくぶん興ざめで理不尽な彼らの歴史も
同時にふり返ってみた。やれやれ……。
※追記
《アメリカ大陸の「発見」という言葉それ自体が、ヨーロッパ人の自己中心的な世界観に基づいている
わけで、アメリカ大陸には2万年も前からモンゴロイド系の人々がユーラシア大陸から移り住んでいたと
いう事実を、偏見なしに受けとめれば、「コロンブスはヨーロッパ人として初めて足を踏み入れた」などの
表現に変えるべきでしょう》とは鈴木孝夫著『日本の感性が世界を変える』から引用。
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