狷介を絵に描いたような哲学者・中島義道が日本という国はなんでこんなにうるさいのか、
と〝騒音文化論〟的なことを折にふれて訴えているが、たしかに日本という国はうるさい。
街には各種騒音や音楽があふれ、国辱ともいえるバラエティ番組を見れば、
お笑い芸人やばかタレどもの下卑た笑い声がスタジオ中にこだましている。
ボクは時々、団地内の友人に誘われて東京ドームへ野球観戦に行くのだが、
あの鉦と太鼓の応援合戦だけは閉口する。彼ら騒音分子を入場禁止にし、
米国大リーグみたいに静かに観戦できないものかと、近頃は痛切に思うのだが、
こんなことを言う人はまれのようで、日本人は騒音に寛容(鈍感?)なんだな、
とつくづく思う。
バレーボールの国際大会なんかを見ていると、観客はみなビニール製の拍子木
みたいなものを両手に持たされ、それをバチバチ叩きながら「ニッポン、ニッポン」
と狂ったように絶叫している。あれも超うるさい。それらを陣頭指揮している男の声が
マイク越しに聞こえるから、テレビ局側の回し者がいて、観客を自在にコントロールして
いるのだろう。この手の騒々しい輩にはラムチョップ、
じゃねェ、空手チョップ(古いね、どうも)を食らわしてやりたくなる。
日本人はなぜいつも、みんなと一緒になって応援するのだろう。
サッカーの試合でもサポーターという応援団がいて、ご苦労なことに、試合中、
ほとんど総立ちで、その場でピョンピョン跳ねながら応援歌をがなり立てている。
♪ オー バモニッポ~ン ニッポン ニッポン ニッポ~ン
ハイ、ハイハイハイ……
バモニッポンの「バモ」っていったい何だよ、と思ったら、
スペイン語のvamos(頑張れ、それ行け)の最後の「s」が省略されているんだとか。
で、ボクは固く誓ったのだ。野球もサッカーも大好きで、ニッポンを応援する熱き
思いだけはだれにも負けないつもりだが、あの応援団の一員にだけは決してなるまいと。
何度も云うけど、ボクは人と群れるのが大きらい。
人と同じことをするのもきらい。そして人から「ああしろ、こうしろ」と
指図されるのが死ぬほどきらいときてる。小学校時代、担任教師から
通信簿に「協調性なし」と書かれ、中学時代は、友だちから「あまのじゃく」
と面と向かって言われた。これは半分自慢でもあるのだが、
ボクは正真正銘の、筋金入りの、世界遺産級のつむじ曲がりなのである。
ああ、それにしても日本はなんという騒音天国なのだろう。
パチンコ屋の店内は殺人的な騒音に満ちあふれているし、選挙にでもなれば、
候補者の「◎◇でございます。あと、あと一歩でございます」という
悲痛な連呼が選挙カーから垂れ流される。逃げ場のないわれわれにとっては
まさに拷問に等しく、候補者に向かって「おっさん、イテモタロカ」と凄みたくもなる。
今日も巣立ちを控えたカラスの親子が、朝からガァガァとやかましい。
バルコニー越しに見えるヒマラヤ杉に巣があって、親鳥がエサを運んでくるたびに
大きく口を開けた子ガラスどもがガァガァと下品な声で啼くのである。
「見た目もかわいくないけど、啼き声もかわいくないよね」
女房もあのしゃがれたバアさんみたいな啼き声には悩まされている。
せめてウグイスみたいにかわいい声で啼いてくれたなら、
カラスに対するいわれなきバッシングも減るだろうに……。
♪ああ、あ~、あの顔で、あの声でェ……
神様のいたずらなのか、だれにも愛されないカラスやヘビ、ゴキブリ。
不憫な生き物たちである。
で、何が云いたいのかというと、毎度のごとく格別なことはなくて、
60肩と原因のわからぬ〝不定愁訴〟の影響だろうが、
ただブツブツと意味のないことをつぶやいては、
深いため息をついている。
むずかしい年頃なのである。
と〝騒音文化論〟的なことを折にふれて訴えているが、たしかに日本という国はうるさい。
街には各種騒音や音楽があふれ、国辱ともいえるバラエティ番組を見れば、
お笑い芸人やばかタレどもの下卑た笑い声がスタジオ中にこだましている。
ボクは時々、団地内の友人に誘われて東京ドームへ野球観戦に行くのだが、
あの鉦と太鼓の応援合戦だけは閉口する。彼ら騒音分子を入場禁止にし、
米国大リーグみたいに静かに観戦できないものかと、近頃は痛切に思うのだが、
こんなことを言う人はまれのようで、日本人は騒音に寛容(鈍感?)なんだな、
とつくづく思う。
バレーボールの国際大会なんかを見ていると、観客はみなビニール製の拍子木
みたいなものを両手に持たされ、それをバチバチ叩きながら「ニッポン、ニッポン」
と狂ったように絶叫している。あれも超うるさい。それらを陣頭指揮している男の声が
マイク越しに聞こえるから、テレビ局側の回し者がいて、観客を自在にコントロールして
いるのだろう。この手の騒々しい輩にはラムチョップ、
じゃねェ、空手チョップ(古いね、どうも)を食らわしてやりたくなる。
日本人はなぜいつも、みんなと一緒になって応援するのだろう。
サッカーの試合でもサポーターという応援団がいて、ご苦労なことに、試合中、
ほとんど総立ちで、その場でピョンピョン跳ねながら応援歌をがなり立てている。
♪ オー バモニッポ~ン ニッポン ニッポン ニッポ~ン
ハイ、ハイハイハイ……
バモニッポンの「バモ」っていったい何だよ、と思ったら、
スペイン語のvamos(頑張れ、それ行け)の最後の「s」が省略されているんだとか。
で、ボクは固く誓ったのだ。野球もサッカーも大好きで、ニッポンを応援する熱き
思いだけはだれにも負けないつもりだが、あの応援団の一員にだけは決してなるまいと。
何度も云うけど、ボクは人と群れるのが大きらい。
人と同じことをするのもきらい。そして人から「ああしろ、こうしろ」と
指図されるのが死ぬほどきらいときてる。小学校時代、担任教師から
通信簿に「協調性なし」と書かれ、中学時代は、友だちから「あまのじゃく」
と面と向かって言われた。これは半分自慢でもあるのだが、
ボクは正真正銘の、筋金入りの、世界遺産級のつむじ曲がりなのである。
ああ、それにしても日本はなんという騒音天国なのだろう。
パチンコ屋の店内は殺人的な騒音に満ちあふれているし、選挙にでもなれば、
候補者の「◎◇でございます。あと、あと一歩でございます」という
悲痛な連呼が選挙カーから垂れ流される。逃げ場のないわれわれにとっては
まさに拷問に等しく、候補者に向かって「おっさん、イテモタロカ」と凄みたくもなる。
今日も巣立ちを控えたカラスの親子が、朝からガァガァとやかましい。
バルコニー越しに見えるヒマラヤ杉に巣があって、親鳥がエサを運んでくるたびに
大きく口を開けた子ガラスどもがガァガァと下品な声で啼くのである。
「見た目もかわいくないけど、啼き声もかわいくないよね」
女房もあのしゃがれたバアさんみたいな啼き声には悩まされている。
せめてウグイスみたいにかわいい声で啼いてくれたなら、
カラスに対するいわれなきバッシングも減るだろうに……。
♪ああ、あ~、あの顔で、あの声でェ……
神様のいたずらなのか、だれにも愛されないカラスやヘビ、ゴキブリ。
不憫な生き物たちである。
で、何が云いたいのかというと、毎度のごとく格別なことはなくて、
60肩と原因のわからぬ〝不定愁訴〟の影響だろうが、
ただブツブツと意味のないことをつぶやいては、
深いため息をついている。
むずかしい年頃なのである。