相棒のNICKは英語ができる。
その奥方のK子さまはもっとできる。
TOEICはもちろん満点の990点で、たしか英検1級も持っていた。
おまけにご両人とも日本語が達者。大学で言語学を齧っただけあって、
コトバにはやたらとうるさいのである。
「どうやったら英語がしゃべれるようになるの?」
とズバリNICKに訊いたところ、
「ひたすらシャドーイングshadowingをすることだね」だって。
BBCだとかCNNのニュースをアナウンサーの声を追いかけるようにして復唱する。
実際、NICKがやって見せてくれたが、たしかに同じようにしゃべっている。
次に何を言うか、予測できるからこその芸当だろう。素人がすぐできるといった
代物ではなさそうだ。
それでも英語には日々接している。中学生の頃からなぜか英語が好きなのだ。
寝る前には必ず英文を音読しているし、わからない単語や熟語が出てきたら、
すぐ電子辞書を引く。電子辞書は便利だ。指にツバをつけながら紙の辞書を
めくっていたら日が暮れちゃうが、電子辞書ならものの数秒で答えが出る。
わからない単語が出てきたら、日本語でも外国語でもすぐ辞書を引く、
というのがボクと女房の長年の習性。二人とも文筆業のはしくれなので、
語彙の多寡はそのまま商売にひびく。で、自然と辞書に慣れ親しんできたのである。
留学生を預かっているときは、
「わが家ではJapanese onlyだからな」
と、半ば英語を封印させているが、いきなり日本語がしゃべれるわけはないので、
そこはそこ、英語と日本語のチャンポンというかっこうになる。留学生のほとんどは
英語を母国語にしていない。それでも流暢にしゃべるのは、一所懸命学習したから
だろう。どこの国の高校生も、ほとんど例外なく、みごとな英語をあやつる。
日本人は小学校から大学まで10年以上も英語を学んでいるが、
それだけで流暢にしゃべれるようになる者はほとんどいない。
その原因はいろいろあるだろうが、身近に外国人がいないというのが大きい。
それと、英語を使わなくてもたいがいの用が足りてしまうというのもある。
それは日本人にとって大変幸せなことなのだが、そのことはまず措く。
自分の英語力がどの程度のものか、それを測る手っとり早い方法は
外国人と暮らしてみることだ。短期でいいから、留学生を家に預かるのである。
娘二人が高校生の時にイタリアとアメリカに留学した、という話は何度もしているが、
朝から晩まで外国語漬けにしてしまえば、よほどのバカでない限りしゃべれるように
なる。現にわが家の〝豚児〟たちでさえ英語やイタリア語を流暢にしゃべる。
娘たちの留学のおかげで、留学時の同級生たちがしばしば遊びに来る。
今年も去年に続いて長女の同級生・エンリカとヴィクトルがイタリアからやってくる。
また次女は次女で、連休中にアメリカ留学時の同級生とタイはバンコクで再会した。
外国語ができると、地球がずいぶん狭くなる。
留学生と日々接していると、だんだん〝ガイジン〟という感覚がなくなってくる。
見た目は紅毛碧眼で、同じ人類ではないような気がしたものだが、慣れてくると
金髪美人だってクソもするしオナラもする、ということがわかる(←当たり前だ!)。
こうなるとしめたもので、俗に云う〝ガイジン恐怖症〟なるものがみごとに消える。
英語だって相手に通じさえすればいいのだから、文法的にはハチャメチャでも、
そんなことは気にすまい、とるに足らないつまらないことだ、とやたら図々しく
なる。図々しくなれば、ブロークンな英語をどんどんしゃべるようになる。
それが通じると、ますます図に乗ってしゃべる。結果、英語がどんどんうまくなる。
ボクはまだそのレベルまでいっていないが、図々しくなったことだけはたしかで、
(支那人と韓国人以外の)〝ガイジン〟がそばにいると、よく声をかける。
まずは日本語で話しかけ、日本語が苦手そうだったら、「しかたがねえなあ……」
とばかりに英語に切り替える。ここは日本なのだから、ムリして英語で話しかける
必要はないし、英語で尋ねられうまく答えられなくても恥じ入ることなどない。
ボクがなぜ英語をしゃべりたいかというと、
英語で議論をしたいからだ。英語はいまや実質的な世界共通語。
「英語=エスペラント語」であれば、どうあっても身につけたい。
身につけてどうする? アメリカ人や支那人、コリアンたちを相手に、
歴史問題でも何でもいい、正々堂々とdebateで渡り合いたいからである。
日本語なら完膚無きまでへこませてやれるのに、英語ではそれができない。
そのことが何よりもどかしく、ボクの気持ちを限りなく落ち込ませる。
「……戦争を一刻も早く終わらせるため。広島・長崎への原爆投下はアメリカの
若者の命を救うためだけではなく日本人の命を救うためでもあったのよ」
などとアメリカ人は口を揃える。無辜の民を数十万人も虐殺したというのに、
恩着せがましくも、そう強弁するのだ。
オバマ大統領が伊勢志摩サミットの後に広島を訪れるという。
何をいまさら、とは言うまい。
謝罪の言葉も期待すまい。
外交とは非情なもので、歴史はなべて残酷だ。
アメリカは米西戦争に勝ち、スペインからフィリピンを奪い植民地にした際、
抵抗したフィリピン人20万人(ほとんど軍人の家族です)を皆殺しにした。
そのことへの謝罪の言葉はまだない。
オランダは400年もの間、苛斂誅求でインドネシアを絞り上げ、
そのおかげで豊かさを享受したのに、独立戦争に負け、
インドネシアから撤退するときには、
「おれたちが町をつくり、運河をつくってやったんだ」
などと恩に着せ、あろうことか賠償金60億㌦を請求している。
白人どもの面の皮はこれほどまでに厚い。
ボクの白人嫌いは、概ね歴史から発しているもので、
けっこう根が深い。
ガイジンはきらいだけど、とりあえず優しく接してやる(支那人と韓国人以外は)
――それがボクの変わらぬポリシーだ。
←こんな愛すべきバカ外人もいる。
というか、こんなのばかり。以前、
「何でもいいから漢字を書いてほしい」
と見知らぬガイジンにたのまれたので、
親切なボクは「便所」と書いてやった。
意味はmeditation(瞑想)だよ、
と言い添えたら、彼はとても喜んでいた。
おれもつくづく人が悪いな(笑)。
その奥方のK子さまはもっとできる。
TOEICはもちろん満点の990点で、たしか英検1級も持っていた。
おまけにご両人とも日本語が達者。大学で言語学を齧っただけあって、
コトバにはやたらとうるさいのである。
「どうやったら英語がしゃべれるようになるの?」
とズバリNICKに訊いたところ、
「ひたすらシャドーイングshadowingをすることだね」だって。
BBCだとかCNNのニュースをアナウンサーの声を追いかけるようにして復唱する。
実際、NICKがやって見せてくれたが、たしかに同じようにしゃべっている。
次に何を言うか、予測できるからこその芸当だろう。素人がすぐできるといった
代物ではなさそうだ。
それでも英語には日々接している。中学生の頃からなぜか英語が好きなのだ。
寝る前には必ず英文を音読しているし、わからない単語や熟語が出てきたら、
すぐ電子辞書を引く。電子辞書は便利だ。指にツバをつけながら紙の辞書を
めくっていたら日が暮れちゃうが、電子辞書ならものの数秒で答えが出る。
わからない単語が出てきたら、日本語でも外国語でもすぐ辞書を引く、
というのがボクと女房の長年の習性。二人とも文筆業のはしくれなので、
語彙の多寡はそのまま商売にひびく。で、自然と辞書に慣れ親しんできたのである。
留学生を預かっているときは、
「わが家ではJapanese onlyだからな」
と、半ば英語を封印させているが、いきなり日本語がしゃべれるわけはないので、
そこはそこ、英語と日本語のチャンポンというかっこうになる。留学生のほとんどは
英語を母国語にしていない。それでも流暢にしゃべるのは、一所懸命学習したから
だろう。どこの国の高校生も、ほとんど例外なく、みごとな英語をあやつる。
日本人は小学校から大学まで10年以上も英語を学んでいるが、
それだけで流暢にしゃべれるようになる者はほとんどいない。
その原因はいろいろあるだろうが、身近に外国人がいないというのが大きい。
それと、英語を使わなくてもたいがいの用が足りてしまうというのもある。
それは日本人にとって大変幸せなことなのだが、そのことはまず措く。
自分の英語力がどの程度のものか、それを測る手っとり早い方法は
外国人と暮らしてみることだ。短期でいいから、留学生を家に預かるのである。
娘二人が高校生の時にイタリアとアメリカに留学した、という話は何度もしているが、
朝から晩まで外国語漬けにしてしまえば、よほどのバカでない限りしゃべれるように
なる。現にわが家の〝豚児〟たちでさえ英語やイタリア語を流暢にしゃべる。
娘たちの留学のおかげで、留学時の同級生たちがしばしば遊びに来る。
今年も去年に続いて長女の同級生・エンリカとヴィクトルがイタリアからやってくる。
また次女は次女で、連休中にアメリカ留学時の同級生とタイはバンコクで再会した。
外国語ができると、地球がずいぶん狭くなる。
留学生と日々接していると、だんだん〝ガイジン〟という感覚がなくなってくる。
見た目は紅毛碧眼で、同じ人類ではないような気がしたものだが、慣れてくると
金髪美人だってクソもするしオナラもする、ということがわかる(←当たり前だ!)。
こうなるとしめたもので、俗に云う〝ガイジン恐怖症〟なるものがみごとに消える。
英語だって相手に通じさえすればいいのだから、文法的にはハチャメチャでも、
そんなことは気にすまい、とるに足らないつまらないことだ、とやたら図々しく
なる。図々しくなれば、ブロークンな英語をどんどんしゃべるようになる。
それが通じると、ますます図に乗ってしゃべる。結果、英語がどんどんうまくなる。
ボクはまだそのレベルまでいっていないが、図々しくなったことだけはたしかで、
(支那人と韓国人以外の)〝ガイジン〟がそばにいると、よく声をかける。
まずは日本語で話しかけ、日本語が苦手そうだったら、「しかたがねえなあ……」
とばかりに英語に切り替える。ここは日本なのだから、ムリして英語で話しかける
必要はないし、英語で尋ねられうまく答えられなくても恥じ入ることなどない。
ボクがなぜ英語をしゃべりたいかというと、
英語で議論をしたいからだ。英語はいまや実質的な世界共通語。
「英語=エスペラント語」であれば、どうあっても身につけたい。
身につけてどうする? アメリカ人や支那人、コリアンたちを相手に、
歴史問題でも何でもいい、正々堂々とdebateで渡り合いたいからである。
日本語なら完膚無きまでへこませてやれるのに、英語ではそれができない。
そのことが何よりもどかしく、ボクの気持ちを限りなく落ち込ませる。
「……戦争を一刻も早く終わらせるため。広島・長崎への原爆投下はアメリカの
若者の命を救うためだけではなく日本人の命を救うためでもあったのよ」
などとアメリカ人は口を揃える。無辜の民を数十万人も虐殺したというのに、
恩着せがましくも、そう強弁するのだ。
オバマ大統領が伊勢志摩サミットの後に広島を訪れるという。
何をいまさら、とは言うまい。
謝罪の言葉も期待すまい。
外交とは非情なもので、歴史はなべて残酷だ。
アメリカは米西戦争に勝ち、スペインからフィリピンを奪い植民地にした際、
抵抗したフィリピン人20万人(ほとんど軍人の家族です)を皆殺しにした。
そのことへの謝罪の言葉はまだない。
オランダは400年もの間、苛斂誅求でインドネシアを絞り上げ、
そのおかげで豊かさを享受したのに、独立戦争に負け、
インドネシアから撤退するときには、
「おれたちが町をつくり、運河をつくってやったんだ」
などと恩に着せ、あろうことか賠償金60億㌦を請求している。
白人どもの面の皮はこれほどまでに厚い。
ボクの白人嫌いは、概ね歴史から発しているもので、
けっこう根が深い。
ガイジンはきらいだけど、とりあえず優しく接してやる(支那人と韓国人以外は)
――それがボクの変わらぬポリシーだ。
←こんな愛すべきバカ外人もいる。
というか、こんなのばかり。以前、
「何でもいいから漢字を書いてほしい」
と見知らぬガイジンにたのまれたので、
親切なボクは「便所」と書いてやった。
意味はmeditation(瞑想)だよ、
と言い添えたら、彼はとても喜んでいた。
おれもつくづく人が悪いな(笑)。